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第二話*知恵


 『何も知らぬ。何もわからぬ。ただ、玉座だけがわらわの生きる意味』




 雷が去った翌朝、リーニャは女官に囲まれ朝の支度をしていた。艶やかな黒髪を二つの三角形に纏め上げ、髪飾りをふんだんに飾り付けられていく。衣も赤を基調とした色合いの見事な一品でこの国、大陸一の大国『(あか)』の国の王に相応しいものだった。

 最高級の香を焚き染め、軽い化粧を施されれば幼き女帝リーニャ・リム・ラーの完成である。


「どうでしょう、陛下。今日の髪飾りは東の緑の国で採れた光紅石をふんだんに使ったかの有名な宝石職人リダ・シーの作品なんですよ」

「陛下、今日の香は桃の国から取り寄せた美容にも効果があると言われている香で――」

「陛下」

「陛下」


 女官達が嬉しそうに話しかけてくるが、リーニャは昨日見た夢のせいで上の空であった。いつもなら女官と一緒に品評しながら騒ぐのだが、そのどれもがどうでもよかった。今、彼女の頭の中を締めるのは、どうやったらあの未来へ通じない道を見つけることができるのか、だった。


(国を滅ぼされぬよう、ラーナ・クゥを倒せば良いのか? それとも大陸制覇を推し進め逆らえぬようにすれば良いのか……分からぬ)


 考えれば考えるほど分からなくなっていく。なにが正しいのか、間違っているのか。


(……そうだ、わらわには圧倒的に知識が足りぬ……)


 勉学などしなくても良いのだと、宰相達に言われてきた。だからリーニャは毎日女官と遊び呆け、お金を湯水のように使い尽くし贅沢の限りをしてきたのだ。それはとても楽しい事だった。でも今は思う、本当にそんなことだけをしていて良いのだろうか、と。

 自分は女帝なのに、国の為に何かをしたことがない。


『リーニャ・リム・ラー……貴女は、王に相応しくない』


 ラーナ・クゥの言葉が木霊する。王に相応しいとは一体なんなのか。宰相達は言っていた、貴女は生まれながらに女帝。至高の存在、いるだけで王たりえるのだと。

 だからなにもしなくて良いのだ。

 刷り込まれるように言われ続けた言葉。けれど夢の中でラーナ・クゥは言った。


『王も人。民も、人。ねえ、リーニャ貴女は人を知るべきよ。宮廷に閉じ籠っていたから分からなかっただけ。誰にも教えて貰えなかったのなら今度は私が連れて行くから。だからお願い、私と一緒に――』


 彼女に教えて貰えていたのなら、なにかが変わったのだろうか。宰相達とは違う、別の言葉で、行動で、新しい何かをリーニャは知ることができたのだろうか。


(夢の中のラーナ・クゥはいない。わらわは誰にこの答えを聞けば良い?)


 一度、クダラの顔が浮かんだが彼ではダメだ。彼は薬師、体の不調を治せてもこの答えは答えられまい。分野が違う。彼だったらきっと笑顔で貴女は正しいと言ってしまうだろうから。

 これは性格の問題だ。

 リーニャに厳しく、かつ正確にこの答えを突き付けてくれる相手が必要だった。でなければ未来を変える一歩を踏み出すことができない。


 普段とは違うリーニャに心配そうに甲斐甲斐しく世話をやこうとする女官達をあしらって、リーニャはとりあえず書庫に向かった。答えを聞く相手はまったく思い浮かばなかったが、知識ある人間は知識を得られる場所にいるとなんとなく考えたからである。

 そのあてずっぽうな行動は、大当たりを引き当てることとなった。


 宮廷の南東に位置する書庫には、国中の本が収められており広大な広さを誇っている。もしかしたら本殿よりも広いのではないかという広さの書庫へ足を踏み入れた瞬間、柔らかいものにぶち当たった。

 ぽよんというなんともいえない効果音と共にはじき出されたリーニャは小さく悲鳴を上げたが、後ろに控えていた女官に支えられなんとか転倒は免れた。


「おっと、これは失礼をいたしました陛下!」


 でっぷりとしたお腹を支えて膝をつき頭を垂れたのは、リーニャのよく知る人物であった。


「礼部尚書クバ・ラハか」


 礼部とは国の祭事や外交、教育、科挙などを取り仕切る六部の一つである。クバ・ラハはその長官、礼部尚書の位を頂いていた。


(本来ならわらわは、この者に知恵を教わらなくてはいけないはずじゃが……)


 彼がリーニャに勉学を教えた事は数回しかない。しかもそれは最低限の知識、文字の読み書き程度で帝王学などの学問は一切触れてすらいなかった。

 勉学など不用。宰相の言葉に頷いた一人が彼である。


「陛下が書庫とは珍しい。誰か探しておられるのですか?」


 人の良さそうな笑顔で言ってくるが、その細い瞳はじっと何かを探るようにリーニャを見てくる。


(知恵を得たい……などと言えば何かにつけて阻止しようとするじゃろうな……)


 そう考えたリーニャは笑顔で嘘を吐くことにした。


「本を探しに来たのじゃ。心躍るような恋愛ものが読みたくての」


 その無邪気な返答にクバ・ラハはあからさまにほっとした様子で機嫌よく頷いた。


「そうですか、そうですか。ちまたで流行の小説なども書庫には置いてありますからな。心行くまでお楽しみ下され」


 そう言うと、深々と礼をして去っていった。

 彼の姿が見えなくなった所で小さく息を吐いたリーニャは入口に女官を留まらせて、一人書庫へと足を踏み入れた。

 宰相の息は女官にまで及んでいる。彼の意に反する行動を彼女達が赦すはずもない。面倒になることは目に見えているので彼女達を同行させることはできなかった。


「相変わらず広い書庫じゃ」


 ぐるりと書庫を見回して、圧倒されんばかりの光景に溜息が出る。

 さて、ここからどうやって知恵を得ようか。本を読むだけでも違うのだろうかと、とりあえず国について書かれている書籍を探す為、常駐しているはずの書庫の管理人を訪ねた。

 入り口近くにある長机に一人の少年が座っている。その他に人の気配はなく、仕方がないのでリーニャは彼に管理人の所在を聞くことにした。


「そなた、少し聞きたいことがあるの……じゃが……」


 問いかけて、顔を上げた少年の姿にリーニャは息を呑んだ。

 翡翠色の髪に黄金の瞳、氷のように冷たい双眸がこちらを観察するように鋭く見詰めてくる。目鼻立ちの整った優美な容姿の少年だったが、リーニャが息を呑んだのは彼の美しさのせいではない。

 震える唇を噛みしめ、両手には無意識に力がこもる。


「……ラ・クラン」


 裏切り者め。

 口から出そうになったが、なんとか呑み込んだ。夢の中でラーナ・クゥと行動を共にし、リーニャを討とうとした男。あの姿よりずいぶん若いが、面立ちがそっくりそのままだ。間違えようがなかった。

 名を呼ばれた少年、ラ・クランは驚いたように口を開く。


「陛下がわたくしなどの名をご存じとは思いませんでした」

「…………たまたまじゃ。最年少で科挙を主席及第した天才……とな」


 前代未聞の十四歳で科挙を及第した天才少年の話は、女官達の口から聞いたことがあった。年若くて頭もよく、顔も美しいと専らの評判であったのだ。縁談の話も雪崩の如くあったらしいが、そのすべてを蹴っ飛ばして高官達の反感を買ったとか。


(その頭脳、放っておくと危険か。裏切る前に殺すべきじゃろうか)


 夢の中の出来事とはいえ、彼は国をリーニャを裏切り、ラーナ・クゥについた男だ。どうするのが正解なのか考えあぐねていると、ラ・クランは黙ってしまった彼女に不思議そうに首を傾げた。


「陛下、書庫で何かお探しですか?」

「あ、ああそうじゃ。管理人を知らぬか? 見当たらぬのじゃが」

「管理人は……わたくしです」

「……なんじゃと?」


 一瞬、目を泳がせてラ・クランはそう言った。

 かりにも科挙を主席及第した者がこんな薄暗い書庫で本と戯れているというのか。本来ならば六部のどれかに配属され、ばりばりと働いていなくてはならない時期だというのに。


「……嫌がらせか」

「まあ、そうなんでしょうね」


 疲れたように呟く彼の顔からは苦労の色が滲み出る。自業自得とはいえ、さすがにリーニャも不憫に思った。


「わらわが言ってやろうか、そなたをきちんと六部へと」

「お止め下さい」

「なぜじゃ?」


 書庫の管理人などという端の仕事に不満を持っているようなのに、ラ・クランはリーニャの申し出をきっぱりと断った。冷えた双眸が力強く光る。


「王が一個人に肩入れしてはいけません。貴女の言葉は王の言葉。それをどうか御自覚くださいませ」


 その言葉にぐっと息が詰まった。

 今までずっと考えてこなかった自分の言葉の重み。普段なら好き放題言って周囲を翻弄していたりしていたが、あの夢を見て、『王』たるとはいったいなんなのか考えるようになった。

 だからだろうか、こんなにもラ・クランの言葉が重い。


「ラ・クランよ。わらわは『王』に相応しいだろうか」


 零れるように出た言葉に、リーニャははっとしたがもう遅かった。言葉はラ・クランの耳に届き彼は驚いたような顔をしている。リーニャは訂正しようかとも思ったが、考えて止めた。彼ならばまっすぐに正直なことを話すと思った。

 しばしの沈黙の後。ラ・クランは重い口をゆっくりと開いた。


「わたくしは嘘を申し上げることができない性分です。陛下に言葉をつくろう事もできません」

「よい、申せ許す」


 彼は一度、深く深呼吸すると覚悟を決めたようにすっと黄金の瞳をリーニャの緋色の瞳に重ね合わせる。


「今の貴女は『王』失格と、わたくしは思います」


 貫かれるような衝撃が心臓を襲った気がした。冷たい氷を飲んだように喉が冷たくて痛い。体が小刻みに震えたが、それに気が付いているのかいないのか、ラ・クランは言葉を続ける。


「毎日毎日、派手に宴を催しては遊び呆け、税を湯水のように使い尽くしている。民は重税に苦しみ、治安も悪くなっています。わたくしはそんな世を変えたくて官吏になったと言ってもいい」


 言葉の刃が何度もリーニャの胸を抉る。自分はどこか間違っているのではないかと、このままでいいのかと不安があったが、まさかここまではっきりと切り込んでくるとは思わなかった。

 震える体を抑えながら、リーニャは彼の目を見返すことができず俯いた。


「ラ・クラン。わらわはどうすればいい。分からぬのだ……なにも」

「分からないのなら知ればいい。貴女には知恵を得る為の頭と目と口があるのですから」

「だが、わらわは……その簡単な読み書きしかできぬのじゃ。こんな難しそうな書、読めるかどうか」


 その言葉にラ・クランは驚いたように目を見開いた。


「礼部尚書は? 貴女の教育係は確か彼でしたよね?」

「奴はなにも教えぬ。わらわに勉学は必要ないと言ってな」

「…………なんてことだ」


 愕然とした表情を浮かべた彼に、リーニャは恥ずかしくなって穴に埋まってしまいたかった。無学がこんなにも辛い。

 沈黙が痛く、居た堪れなくなってきた頃、バンッと音を立ててラ・クランは机を思い切り叩いた。


「陛下、勉学をする気はございますか?」


 子供とは思えない地を這うような低音にびくつきながら、リーニャがこくりと頷くと、ラ・クランは鋭い双眸を見開き、彼女の緋色の瞳を捉えた。


「よろしければわたくしがお教えましょう。わたくしが持ちえるすべての知識を貴女に与えるとお約束します!」


 冷たい双眸のはずなのにどこか熱気がこもっている瞳に気圧されてリーニャはまるで人形のように何度も頷いた。


「し、しかし良いのか? そなたにも仕事が……」

「ははははは、どうせ書庫に籠って本と戯れるくらいしか今はやることがありませんから! それよりも陛下の教育の方が大事ですともっ」

「そ、そうか……。あと、これは宰相や彼の息のかかっているものには内密に頼む。露見すれば止められる恐れがあるゆえ」

「分かっています。やつらに邪魔はさせません、大丈夫ですよ陛下、全部わたくしに任せてください。学問は人生の友! 必ずや将来に役立ちますから!」

「そ、それではよろしく頼む。ラ・クラン」


 年相応にはしゃいでいるように見える彼に苦笑しながらリーニャは胸のあたりをぎゅっと強く握った。

 いつか裏切ると知りながら、それでも彼に知恵を教わることはきっとあの未来とは違う場所に続いてくれていると信じたかった。









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