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第一話*最期の夢





 逆巻く炎が龍のごとく火柱をあげながら燃え広がっていく。もともと赤い色が広がっていた広大な広間はさらに真っ赤に彩られていた。

 炎の海の中、少数の一団が玉座の間に向かって走り抜けていく。額に汗をにじませながら、懸命に誰かを探すように足を動かしている。熱で熱くなっている扉を背の高い男が蹴破り、一行は王が座する玉座の間に辿り着いた。すでにそこも火の手が回っており、肌を焼くような熱さが体中を襲う。流れる汗を拭って、一人の亜麻色の長い髪の小柄な少女が前に進み出た。ついと顔を上向かせ高い場所に静かに佇む玉座を眺める。炎の爆ぜる音に混じってか細い少女の泣き声が聞こえた。


「そこにいるのですね、リーニャ・リム・ラー」


 凛とした静かな声音で少女が問いかけると泣き声はぴたりと止んだ。すると玉座の陰から見事な刺繍のほどこされた煌びやかな衣を纏った長い黒髪の美しい少女が現れた。緋色の瞳を怒らせ、唇を噛みしめながら彼女は少女をねめつける。

 だが睨まれた少女はただほっと安堵の息を吐き、穏やかな表情でそっと左手を差し出す。


「よかった、無事だったのですね。さあ、私達と共に参りましょう」


 天女のごとき微笑みを浮かべる少女に、それが気に入らないと言わんばかりにリーニャ・リム・ラーと呼ばれた黒髪の少女の怒れる瞳はなお真っ赤に染めあがった。


「無礼者め! 土足でわらわの玉座に上がり込んだ挙句、軽い口を叩くとは。まるでそなたがわらわよりも上であるかのような振る舞い、不愉快じゃ!」


 鈴なりの声が、怒声となって玉座の間に響き渡る。

 少女の顔が悲しげに歪んだ。なにか違う言葉をかけようと少女が口を開きかけると、隣にいた青年が静かにそれを制し、前に進み出る。


「ご無沙汰しております、陛下」

「……ふん、裏切り者のラ・クランではないか。今更わらわに一体なんの用じゃ」

「一度は貴女の元で忠誠を誓った身。ですから、今一度だけ言葉を送りましょう。我々と共にお越しください、そして正当なる裁きを受けるのです」


 ラ・クランと呼ばれた翡翠色の髪の青年は頭を垂れ、静々と言葉を綴ったが、リーニャはそれを鼻で笑った。


「正当な裁きじゃと? わらわが一体何の罪を犯したというのじゃ」

「……そんなことにすら気づいてねぇのか、頭空っぽじゃねぇのこの女」


 吐き出すように言ったのは、逆巻く炎と同じ赤の髪を持つ背の高い青年だった。扉を蹴破ったのも彼である。

 真紅の髪の男の言葉に、リーニャの美しい顔が歪んだ。


「下品な男じゃ、小さき国の姫が従えるに相応しい男じゃな」

「なんだとっ!」

「止めろ、カグ・シャ! 今は言い争っている場合ではない!」

「――くそっ」


 リーニャの嫌味にすぐさま乗せられた真紅の髪の男、カグ・シャを細身の男性が窘めて止める。カグ・シャに獣のような鋭い瞳を向けられてもリーニャは涼しい顔をして立っていた。まるで自分に非などなにもないのだと言いたげに。

 少女はその姿に小さく溜息を吐いた。


「リーニャ・リム・ラー……貴女は、王に相応しくない」


 小さく呟くように言われた言葉を、しかしリーニャは聞き逃さなかった。彼女の顔からすっと表情が消える。


「なるほどな、ラーナ・クゥよ。そなたの望みはわらわの玉座か。他の小さき国々を従えてなお、わらわの大きな椅子を望むのか」


 亜麻色の少女、ラーナ・クゥはいいえ、と首を振った。


「私が望むのは平和だけ。玉座なんていりません」

「玉座なくして平和などありえぬ。大国が大陸を支配してこそ平穏が訪れるというものじゃ。だというのにそなたは、いたずらに戦を起こし、命を刈り取っていったではないか!」

「…………そうですね、その通りです。ですが、民の声の届かぬ支配など真の平和ではありません。人々が苦しんでいるからこそ、彼らは私についてきてくれた。大国の打倒を望んだのです」


 強い眼差しで右手に握りしめた槍をぎゅっと握り返す。ラーナ・クゥが身に纏う衣は粗野でぼろぼろになり、槍の先端の刃には真っ赤な血がこびりついていた。それは彼女が進んできた激動の道を暗に示している。

 対するリーニャは美しかった。何者にも侵されぬ絶対王者の姿。戦も死も餓えも知らない雲の上の人。

 だからこそ、彼女には分からないのだ。自分の罪が。


「民も、そなたも愚かしい。わらわこそ絶対、わらわこそが至高の存在となぜ理解せぬのじゃ」

「リーニャ・リム・ラー、貴女は神ではないわ。私達と同じ人よ」

「わらわは王ぞ」

「王も人。民も、人。ねえ、リーニャ貴女は人を知るべきよ。宮廷に閉じ籠っていたから分からなかっただけ。誰にも教えて貰えなかったのなら今度は私が連れて行くから。だからお願い、私と一緒に――」

「黙れ! 誰がそなたのような卑しい身の者と共に行くか! わらわはここにおる。玉座は誰にも渡さぬ!」

「リーニャ・リム・ラー! 目を覚まして! 貴女は、この国は負けたのよ。炎がもう回っている、このままだと貴女は」

「煩い、黙れっ」


 リーニャ、となおも手を伸ばそうとするラーナ・クゥの白い手をラ・クランが掴んで引き寄せた。


「時間切れです」

「……ラ・クラン、でも」

「義は果たしました、彼女は愚かな道を選んだ。それだけです」


 ラーナ・クゥは悔しげに瞳を閉じると、一泊の後、再び青い瞳を開いた。そこにもう迷いはない。


「リーニャ・リム・ラー、貴女をこのまま野放しにしておくことはできません」


 ラーナ・クゥはすっと槍を構えた。


「これが最後の最後です。私達と共に行くか、ここで私に殺されるか。選んで」

「そなたに……玉座は渡さぬ」

「…………残念です」


 疾風のごとき速さで階段を駆け上ると、ラーナ・クゥはリーニャ・リム・ラーに向かって槍を突き出した。

真っ直ぐに突き進む刃は、見事に肉を貫く。血飛沫が吹き出し、刃を、そして……リーニャの綺麗な顔に飛び散った。


「く……クダラ?」


 ラーナ・クゥの刃に貫かれたのはリーニャではなかった。炎の柱の影から飛び出して来た一人の青年、クダラの腹に刃は突き刺さっている。予想外の事態にラーナ・クゥも驚きの表情を浮かべた。


「クダラ殿……なぜ?」


 ラーナ・クゥは彼とは面識があった。幼い頃、体が弱かった彼女に薬を処方し、熱心に看病してくれた薬師。優しくて穏やかな人物だったと記憶している。

 覚えている面影より幾分か歳を重ね、だいぶやつれた顔をしていたがその優しげな不思議な色合いの眼差しだけは寸分たがわずそこにあった。


「姫様……ご無事ですか?」


 クダラはラーナ・クゥの言葉には答えず、そっと背に庇ったリーニャを見詰めた。クダラの血に染まった顔はそれでもなお美しかったが、緋色の瞳は揺れ、その表情は愕然としていた。


「すみま……せん、お顔を汚して……」


 血を拭おうと手を伸ばしかけた所で、力尽きた彼の体は地に崩れ落ち、ラーナ・クゥは慌てて槍を彼から引き抜いた。鮮血が飛び散り、ラーナ・クゥのぼろぼろの服を汚す。


「ク、クダラ! クダラっ!」


 今、目覚めたかのように猛然とリーニャは横たわったクダラの首に縋りつくと、彼の名を狂ったように叫び始めた。

 いつでも堂々としていた彼女のはじめて見るその悲痛な姿にラーナ・クゥも唇を引き結んだ。

 自身の持つ真っ赤な槍が罪のように思えてくる。


「ラーナ・クゥ!」

「――っ!」


 ラ・クランの叫びに意識を戻したラーナ・クゥは炎に焼かれ崩れ落ちてきた柱を間一髪で避けた。轟々と猛る炎は勢いを増してきており、玉座の間はもう四方を炎で囲まれようとしている。


「退避しましょう、これ以上は無理です」

「ですが……」

「彼女にもう退路はない。生き残ることは不可能、止めを貴女がさす必要はもうありません」

「……分かりました、行きましょう」


 その言葉を合図に彼らは一斉に出口を目指して走り出した。

 ラーナ・クゥは一度だけ彼女を振り返り、そして二度と後ろを向くことはなかった。












 炎の壁に閉ざされた玉座では、いまだリーニャはクダラの首にしがみ付いていた。緋色の瞳からは大粒の涙が零れ、喉はしゃっくりを上げている。まるで小さな子供みたいに泣きじゃくる彼女を震える手でクダラはゆっくりと頭を撫でてやっていた。

 幼い頃、泣いている彼女にしてやったのと同じように。


「姫様……大きくなりましたね、いくつ……でしたっけ?」

「もうろくしたかクダラ……わらわはもう十九じゃ、それになわらわは王、姫ではないと何度言ったら分かってくれる」

「あはは……そうでした、すみません姫様」


 何度言っても修正する気のない彼に仕方がないと苦笑しながらリーニャはどんどん冷たくなっていくクダラの体にぎゅっと抱きついた。


「わらわは…………間違えていたのか?」

「…………」

「ラーナ・クゥは正しかったのか、わらわには分からぬ。わらわは何も知らぬ……なにも分からぬ。ただ、玉座がなくなれば、わらわは生きられぬことくらいしか」


 だから玉座に執着した。自分にはそれしかないとそれだけは知っていたから。


「誰もわらわの傍に残らなかった。誰もがみないなくなった。そなたも……行ってしまったのだと思っていたのに」

「私が? まさか……姫様を置いて……どこに行こうと……いうのですか」


 息も絶え絶えにそれでも優しく微笑むクダラにリーニャは再び泣き出しそうになった。


「最期の最期まで……貴女と共にあります。心残りなのは……貴女を……守りきることが……できなかったことです」

「よい、よい……わらわはもう疲れた。そなたと共に眠れるのならば、それでもうよいのじゃ……」


 炎が迫る中、リーニャはクダラの胸の上に顔を埋め瞳を閉じた。ぎゅっと背にクダラの最期の力がこもる。耳に何かが折れる音が聞こえ、肌を焼く痛みが一瞬襲ってそして意識は真っ暗闇に閉ざされた。







 ――――『思い出して』。

 『貴女が見たのは夢。誰かが見た、彼女の物語。選択権のない、悪役の道』


 誰?

 遠く、遥か彼方から少女の声が木霊する。

 

 ――――『目覚めて』

 『貴女が見るものは現実。貴女がこれから見てゆく、貴女の物語。導のない道。貴女が辿るのは悪役か、それとも――――』













 雷が轟く夜、リーニャは目を覚ました。

 大きな天蓋付きの寝所に絢爛な刺繍の施された寝衣を纏って寝転がっている。そろりと起き出せば、豪華な調度品が並ぶ部屋が広がっていた。柔らかな赤い絨毯を踏み、姿見を覗き込むとそこには幼い自分の姿が映っている。


(十九のわらわ……なわけはない。あれは夢じゃ……わらわはまだ九つなのじゃから)


 ぎゅっと両手で寝衣を握りしめる。

 怖い夢を見た。国を滅ぼされ、火を放たれて、臣下には裏切られ、孤独に宮中を彷徨い、玉座で果てた。

 …………クダラと共に。


 リーニャは夢中で走り出した。最期に見た、優しい彼の笑顔が脳裏にこびりついている。

 暗い回廊を裸足で駆け、薬師が寝泊まりする離れの小さな部屋へ転がり込んだ。不用心なことに鍵はつけられていない。文字通り、転がりながら部屋に入って来たリーニャに書き物をしていた少年が一人、驚いて立ち上がった。


「え? 姫様? こんな夜遅くにいかがいたしましたか?」

「…………姫ではない王じゃ」

「あ、すみません姫様」


 いつものやり取りをしてリーニャはじっと少年を見上げる。夢で見た姿よりもずいぶん幼いが、その不思議な色合いをした優しげな眼差しだけは変わらない。


「クダラっ!」


 勢いつけて飛びつくと、少年クダラは細い体をぐらつかせたがなんとか踏みとどまって彼女を支えた。戸惑いながらも優しく背を撫でてやる。


「どうしました? 雷が怖くなってしまいましたか?」

「……違う……怖い夢を……見たのじゃ。そなたが……いなくなる夢を」


 死ぬ夢、とは言えなかった。言ったら現実になりそうで怖かったから。

 クダラは、そうですかと微笑むとぐずぐずと泣き始めたリーニャの今度は頭を優しく撫でた。


「ほら、私はここにちゃんといますよ。もう、怖くありません」


 夢と違って温かなそのクダラのぬくもりにリーニャは安心して目を閉じた。規則正しい鼓動が聞こえる。生きている。それだけで嬉しかった。


「……夢のようには、させぬ」

「姫様?」


 誰かが見せた夢。知らないはずの未来。それでもリーニャはそれが一度通って来た道だったのだと頭のどこかで理解していた。

 だから、今度は。今度こそ。




 守って、みせる。









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