外様の星
私立光陵館学園。
小等部よりレベルの高い一貫教育を施すことにより、卒業生に多数の成功者を出している由緒正しい学園である。
そこに入学するにはコネやお金だけではどうにもならず、運動、勉強、文化、芸術など、あらゆる分野で本人の資質のみが判断基準となっている。
中等部、高等部からの編入生ももちろん受け入れるが、小等部からのエリート意識の強い学生たちからは外様の編入生は冷たくされる。
よそ者には冷たい。
集団というものは実に厄介なのである。
しかしこの春、そこに一陣の風が吹いた。
「本条、七希ぃぃっ~~!!」
革張りのソファ、一枚板の大きなデスク、一流企業の社長室かと見紛うばかりの生徒会室で、一人の女生徒が歯ぎしりしていた。
彼女の名は四楓院みやび。
金髪ロングのクルクル巻き毛、色白で瞳の色も青。
ハーフの彼女は海外出身の母の影響が顕著に出ている美少女だ。
そしてこの春、光陵館学園高等部入学試験を次席で突破した才女である。
小等部からの純粋培養エリートで、ついでに言うと理事長の姪という立場でもある。
約束された勝利の道を往く彼女は、しかし七光りだけでこの場所に居る訳ではなかった。
理事長の姪という立場に関係なく、トップの成績で小等部から頂点を極め続けていた彼女にとって生まれて初めて味わった敗北の味。
「ふんっ!」
みやびは個人情報が書き込まれた部外秘の資料から七希の写真入りプロフィールを引き千切って丸めて捨てた。
切れやすいお年頃である。
「地方からのこのこやって来た下賤な輩が、認めませんわ!」
認めるも認めまいも結果は出ているという事実は無視である。
ちなみに光陵館学園の座右の銘は清廉潔白。
不正とは無縁なのがこの学園なのだ。
つまり完全敗北である。
「見ていなさい、本条七希! このわたくし、四楓院みやびがあなたに敗北という辛酸を舐めさせてさしあげてよ!」
逆に舐めさせられた訳だが、頑張ってほしい。
良くも悪くも出る杭は人気者なのだった。
◇■◇■◇
本条七希の朝は早い。
今でも欠かさず鍛錬を続けている事もあり、その分登校も早くなる。
ただ登校が早いのには理由もある。
視線が煩わしいからだ。
朝の忙しない通勤通学時間だというのに、どうしても人目を惹いてしまうのが七希の頭痛の種でもある。
その結果、世の男性機能抹消の狼煙が上がったわけだが。
人が常に賢者タイムなら争いは起こらないという大義名分のもと、七希は立ち上がろうとしていた。
そんな訳で、まだ人もまばらな時間帯に登校した七希が下駄箱を開けると、そこにはピンクの可愛らしい手紙が上履きの上に置いてあった。
残念ながらというべきか、良くある事である。
七希はその手紙を手に取って、その場で破ってポケットにしまった。
本当ならすぐに捨てたいが、ちゃんとゴミ箱に捨てないと掃除の迷惑である。
もっとも、ゴミ箱に捨てられても送った相手は死ぬほど迷惑を被る訳だが。
更に好奇心旺盛な学生にそのラヴなレターが発見されたりすれば、ひと時の噂のネタになって大変である。
「直接口で伝えられなかった貴様の負けだ」
七希は深く頷いた。
慈悲は無い。
本条七希、直接告げられれば話くらいは聞いてやる心の広さは持ち合わせていた。
そうしてつい先日、勇気を振り絞った男が屋上で散った訳だが。
「――七希さん、おはよう!!」
朝から暑苦しいほど爽やかな声に眉をひそめながら振り向くと、桐生なにがしと言う件の男子が背筋を伸ばして突っ立っていた。
「き、昨日は、その、来てくれてありが――はぐぁっ!」
桐生くん、突然想い人にアイアンクローされる。
「おい、お前は物忘れが激しいのか? 名前で呼ぶな、鳥野郎」
「いてててててっ! ご、ごめん! 割れる割れる!?」
ため息を吐いて七希は桐生を解放した。
握力は武道を志すものなら必須項目である。
七希は昔、団十郎を昇天させかけたこともある握力の持ち主だった。
「それで何だ? もう話は終わったと理解しているが」
「うん……」
桐生は切なそうに笑った。
実はこの桐生誠也、サッカー部期待のホープであり、しかも爽やかな見た目の性格イケメンと女子人気の高い将来有望っ子である。
少なくとも七希にはどうでも良い事だったが。
「昨日ずっと屋上で寝転がって、星を見ながら考えてたんだ」
そして施錠が完了し、一晩屋上で寝て過ごした訳だが。
延々とどうしようもない問題を考えながらの春の夜なべはさぞ辛かっただろう。
「やっぱり俺、七……本条さんの事あきらめられないって! 迷惑をかけるつもりはないんだ。でも、好きだって気持ちは変えられないよ……だから、その、好きなままで居させて欲しい」
「……」
乙女かと七希は舌を巻いた。
桐生は忙しなく視線を動かしながら、頬を紅潮させて、声も振るわせて思いを伝えてくる。
勇気を振り絞った事にはそれ相応に報いるべき、義には義を。
七希の信条である。
「……おい、桐生、と言ったな?」
「は、はい!」
面接官の前に出た就活生のように背筋を伸ばす桐生。
もちろん、同級生である。
「お前の物忘れのひどさには付き合いきれない。いちいち訂正するのも疲れた、私の事は好きに呼べばいい、ではな」
さっさと七希は踵を返した。
その後、一拍の間を置いて後ろが騒がしくなった事に、七希は少々頭痛を覚えた。
ただ別に後悔は無い。
やるべきことをしたまでだ。
30人10クラスのこの学園で、とりあえず由紀以外の顔見知りができたというだけの話。
そもそも七希は桐生が何組なのかも知らなかったが。
「――相変わらず男前だねぇ、ななちゃん!」
1年1組の教室に入ると、珍しく先に来ていたらしい由紀が寄ってきた。
「由紀か。おはよう、めずらしく早いな」
「おはよ~、ななちゃん! そんなに綺麗に成長した上に、誰にも真似できないその男らしさ! 反則だよ!」
「やかましい、覗き見するな」
男と男の友情がどうこう言う前に七希の男は終わりを迎えたので、正直複雑な気分なのだった。
「あ~あ、ななちゃんと結婚して幸せな家庭を築いて行こうと思ったあたしの将来設計を返して欲しいよ」
「勝手に人を巻き込んだ将来設計を立てるな」
「ところでななちゃんは桐生くんと付き合うの?」
「自由な奴だな」
藤間由紀は七希が凄もうが怒ろうが動じたりしない。
筋金入りの幼馴染の本領である。
「付き合う訳がないだろう」
七希は入口際で通せんぼをする幼馴染を押し込めて教室に入り、自分の席に着いた。
由紀もその後ろをついてくる。
わんこみたいである。
そもそもこの学園を受ける事にした七希の後を、同じようについてきたという筋金入りのわんこである。
由紀の学力では相当厳しかったのだが、勉強してます! 頑張ってます! という雰囲気を微塵も出さず笑顔で乗り切ってしまうのがこの藤間由紀という少女だった。
つらい事もあっただろうが、そういう由紀の事を七希は本当に尊敬できる人間だと思っている。
「でもさ、昔のななちゃんを知るあたしにとって、桐生くんとななちゃんが付き合うって事は……禁断のあたし得展開、なんだよね!!」
「馬鹿野郎ばっかりか」
七希はスマホを取り出して、株価諸々の情報をチェックしていく。
今日は売り時かな、そんな事を考えながら適当に由紀と会話していると教室がざわめいた。
「あー四楓院さんだ。取り巻き凄いね」
「四楓院?」
どうやら廊下の方が騒がしいようだが、七希は振り向きもせずスマホをいじっていた。
「ななちゃん、興味なさすぎぃ……」
しっかりしてよという由紀の言葉にようやく顔をあげて教室の入口を見ると、何やら挑発的な視線を向けてくる四楓院と七希の視線が交錯した。
はて? 一体どうしたものかと七希が首を傾げていると、はん、と鼻で笑ったかのようにふんぞり返った四楓院が取り巻きと共に去って行った。
「由紀、あれはいったい何だ?」
「ななちゃん、嫌われるより無関心の方が辛い事って、あるんだよ?」
「ほう? 由紀の言葉は含蓄に富んでいるな」
「そうでもないんだけどねー」
今日も本条七希は通常運転だった。
◇■◇■◇
その日の夕刻。
四楓院みやびは屋上で待っていた。
待ち続けていた。
授業が終わった後、すぐに屋上にやってきて早3時間。
空にはとっくに一番星が輝いている。
「ちょ、な、何なのあの女! この四楓院みやびをこんなに待たせるなんて! ありえませんわ!! くしゅんっ」
まだまだ肌寒い季節である。
ここで夜なべをしても元気一杯だった桐生はさすがの健康優良児だと言える。
「ふ、ふん、怖気づいたのね、あの女! 口ほどにもありませんわ! ……でも入れ違いになったら可哀想ですから、もうちょっと待ってさしあげようかしら」
実に心の綺麗な少女だった。
小等部からのエリート意識を持ったプライドの高い所はあるが、学園の教え通り、清廉潔白を地で行く素晴らしいお嬢さんである。
「うぅ、寒い、ですわ……手紙、ちゃんと読みましたわよね?」
一度も読まれず、焼却炉で燃えていた。
そもそもピンク色の封筒やその雰囲気から女子からのものだとわかるのだから、中身くらい確認してほしい。
「う、うぅうぅぅ~っ いつになったら来るんですの! 本条、七希いぃぃぃぃ!!!」
その叫びは虚しく星空に吸い込まれていった。
本条七希と四楓院みやび。
二人の出会いはもうちょっと先の事だった。