休みの終わり
ご無沙汰してます。
その日はしんしんと粉雪が舞っていた。
いつもと変わらない雪国の一日だ。
中学2年になった本条七希は、いよいよ自身の性別を誤魔化しきれなくなっていた。
凛と背筋を伸ばしてサクサクと雪道を歩く七希は珍しく意識散漫に空を眺めていた。
病院には何度も通ったし(ただし、実験動物扱いになるので事情は伏せて)、原因という原因を探し回ったが解決の目途は無し。
出た結論と言えば出生届が間違いだったのではないかという現実のみ。
そんなはずがないのは家族みんなが知っていたし、藤間由紀も知っていた。
「……」
そんな七希の後ろ姿に声を掛けることもできずに、由紀は下校を共にしていた。
学校の方には既に出生届間違いということで連絡済みだ。
少々取っ付き難い事もある七希ではあるが文武両道のうえ、女子の黄色い声も止まない美少年でもあった。
しかしその認識も一変した。
ファンタジー小説のように都合よく皆の認識が書き換わっていれば主人公は楽だろうが、本条七希の場合はそうもいかなかった。
事なかれ主義の学校も、まだ思春期で未熟な周りも、すべてが七希を色眼鏡で見るようになった。
つまり、男のフリをした変な女――
そんな毎日を、本条七希は淡々と過ごしている。
相変わらずの文武両道で。
七希は一度も弱音を吐いたことはないし、事実周りが思う以上に気にしていない可能性もある。
ただし、そうでない可能性も、もちろんある。
幼馴染の藤間由紀は、それが心配で仕方なかった。
そしてその日は、由紀の心臓が破裂しそうになった。
ぼんやりと、七希が青信号を渡っていた時、トラックが突っ込んで来たのだ。
普段であれば例え青信号であろうと本条七希が周囲の注意を怠る事などあり得ない。
本条七希は緩慢な様子で首を巡らせて、漫然とその様子を眺めていた。
――この時の本条七希の気持ちを、藤間由紀は未だに聞けたことがない。
あれはまさか、ワザとではなかったのかと。
結局悲鳴を上げて庇おうと飛び出した由紀を抱えて、七希がとんでもない反射神経と運動神経を駆使して回避した。
――ため息をつきながら。
◇■◇■◇
「は~、やっぱ故郷だからか変な事思い出しちゃった」
藤間由紀は実家の部屋のベッドに寝転んだ。
しばらく天井を眺めていたが、顔を腕で覆って目を瞑る。
高虎に告白された事も相まって感傷的になっていると自覚する。
3年前のあの日から、七希は別に変っていない。
もっと言えば、ずっと昔から七希は七希のままだ。
由紀の大好きな七希のままなのである。
変わったのは周りの環境。
ちらりと机に立てかけている写真立てを見る。
そこにはもっと幼い頃の七希と由紀と高虎の写真が収まっていた。
仏頂面をする七希の両側から由紀と高虎が寄りかかって満面の笑みでピースサインをしている。
小学校の頃の臨海学校の写真だったと思う。
七希にくっついている自分の顔をよく見ると、思わず笑う。
明らかに恋する乙女である。何気ない笑顔だが、視る人が視れば一目瞭然だ。
人間その時その時で思う事、考え方は変わる。それは当たり前だと思う。
だがそう理解する由紀の中にも、なかなか変わらないものもあるらしい。
――ドクンと自覚するたびに心臓が大きく跳ねた。
「……七ちゃんの、ば~か」
枕元にあった小さなぬいぐるみを、写真立てに投げる。
見事命中した写真立てはぐらぐらしながら、パタンと倒れた。
「由紀~、七ちゃんが迎えに来てるわよ~」
母親の声が階下から聞こえてきた。
今日で里帰りも終わりである。
明日から、またあの賑やかな都会の暮らしが始まる。
「は~い、今降りる~」
ベッドがら飛び降りて、荷物をまとめたバッグを肩にかける。
部屋を出ようとした所で振り返る。
「じゃあね」
倒れた写真立てに一声かけてから、由紀はゆっくりと部屋を出た。
◇■◇■◇
なかなかイベントも多かった帰省から帰ってきた七希を迎えたのは、ソファーに積みあがったこんもりした衣類の山と荒れ果てた部屋だった。
帰省1週間でこれだけ散らかせる事に感心してしまう。
ため息をこらえて、本条七希はソファーのこんもりした衣類をはぎ取った。底から出てきたのはすやすや寝ている姉、本条一華である。
ひどい恰好だ。
タンクトップにパンツだけ、髪はボサボサで爆発しているし足元にはビールの空き缶が散乱している。
「ただいま、一姉」
「ん、ん~~?」
寝惚けた声で伸びをする姉は目のやり場に困るあられもない姿である。
「冬にその恰好は無いぞ、一姉」
「あ~、な~んか寒いと思った~」
大きな欠伸をしながら本条一華は起き上がる。
一応かかっていた暖房にボサボサの髪が揺れている。スラリとした病的なまでに白い身体はどこか艶めかしく、ズボラな割に大人の色気を纏っている。
「おか~り、なな~」
「抱き着くな、酒臭い」
「んふふ~、これが~忙しい社会人のリアルな休みだよ~」
「知りたくなかったな」
寝惚けているのか六花のような話し方である。
抱き枕を見つけたとばかりに抱き着いてくる姉を器用に剥がして、手早く足元の缶を拾っていく。あぁん、と艶めかしいため息をついてソファーに崩れ落ちた姉を尻目に七希はテキパキと部屋の片づけを進めていく。
床の空き缶と散乱している机のカップ麺、携帯食、おつまみにお菓子の袋、それを処理して換気のために窓を開ける。
「ちょっとおねーちゃん、下着なんだけど~」
ぴえん、と騒ぐ一華を放置してまとめた衣類を洗濯機に放り込む。
「掃除機かける」
「うっそでしょ……」
頭に響くと絶望している一華を放って、コードレス掃除機でさっさと床のごみを吸っていく。1時間もかからないうちに元の几帳面でピカピカの部屋に戻ったのを確認して七希は満足そうに頷いた。
「も~酔い覚めちゃったよ七」
「まだ午前中なんだが、なんで既に酔ってるんだ?」
「そらついさっきまで夜通しリモート飲み会やってたからよ。地元の子たちとね」
トントンとノートパソコンを叩いてまだ入っているビールの缶を振って見せてくる。
一華は七希より遥かに社交的な人間である。
昔からの付き合いも大切にするし、新しい出会いも怖がることなく切り開ていく。
深くて特別狭い人間関係を常とする七希には真似できない生き方である。
「ま、いいや」
一華は時計を確認した。時刻はもう間もなく12時を回るところ。
「あんたご飯食べた?」
「いや。一姉もまだなら何か作るか?」
「いいわよ、あんた帰ってきたばっかりじゃないの。出前でも頼もうかしら」
「まあ、それでもいいが」
スマホを持ち出して高速でポチポチし始めた一華は短時間で適当に何かを注文してスマホを放り出した。
「母さん元気だった?」
「ああ、なんか子供が産まれるらしい」
「ははは、あんた知らなかったでしょ?」
「一姉は知っていたのか?」
「まあね、あんたもっと母さんと父さんに連絡してあげなさいよ」
「む、善処する」
「しなさいしなさい」
後よろしくと言わんばかりにまたソファーに寝転んでしまう一華。
七希は苦笑して、掛布団をかけてやる。
本条一華は別にだらしのない人間という訳ではない。この惨状ではそう思わないかもしれないが普段は出来るお姉様なのである。
オンオフのギャップが激しいとは思うが、休みの日がいつもこうである訳でもない。
どうやら年末の仕事がよほど忙しかったようで、自分の中で上手くそれを発散させているのだろう。
なので本条一華は常に感情を一定にしているし、極めてふり幅が少ない。
そういう切り替えは素直に凄いと感心するばかりだ。
時々だらしなくも見えるが、少しばかり歳の離れた姉はやはり大人だなと尊敬もしている。
しばらくして、出前が来たのか呼び鈴が鳴った。
しかし、受け取りに向かった七希はその光景を見て口をへの字に歪めた。
「本条さんですか? ラーメン2つと餃子5人前、からあげ5人前にチャーハン2つ、おまちどーさまでぇす」
「おっと、うちも良いかい? 寿司盛り合わせ5人前になりまぁす」
「41アイスです、受け取りお願いしまーす」
食えるか。
本条七希は今日一番のため息を盛大についたのだった。




