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春の芽吹き

 「付き合ってください!」

 「断る」


 夕方の校舎は寂寥感が伴う。

 昼と夕方では学園という場所は別世界になる。

 校舎から響いてくる吹奏楽部の音楽は童話の中に紛れ込んだかのような錯覚を誘うし、グラウンドから放たれる運動部のかけ声はある者にはマイノリティを自覚させる。

 良い悪いの話ではなく、それこそが普遍的な学園の様相であり、またそうであるからこそそこに安心感がある。

 決められた事を決められた通り遂行するだけの昼間のお澄ましと違って、放課後からの活動はある意味監獄から解放された学生たちの本来の姿を映し出しているのだ。

 文科系、運動系、帰宅部と毛色が違ったとしても、だ。

 そして今、この光陵館学園こうりょうかんがくえんの屋上でも普遍的な男女のそれが繰り広げられていた。

 額に汗をかきながら緊張の面持ちを隠せないのは、藍色のブレザーと灰色のスラックスを身に着けた男子生徒。

 対するは同い年とは思えない泰然自若な雰囲気の女子生徒。

 彼女は春風に流れる腰までかかる黒髪を手で押さえ、藍色のブレザーとチェック柄の赤いスカートに身を包み、モデルと見紛う様なすらりとしたその足に黒のニーソックスをはいて、絵画の中から切り取られたかのようにそこに君臨していた。


 「理由は!? 七希さん、好きな人いるんですか!?」

 「勝手に名前で呼ぶな、握りつぶすぞ種馬野郎」


 天使のような女生徒のまさかの言葉に男子生徒固まる。

 しかしなぜか頬を染めた種馬野郎、もとい同級生というだけの見ず知らずの男子生徒に女生徒、本条七希ほんじょうななきは気持ち悪くなって後ずさった。

 カシャンと背中に固いフェンスの感触がした。

 丘の上に立つこの学園の屋上は街並みを一望できる絶好のロケーションになっている。

 盛りのついたオス共の勝負の場所と言う訳だ。

 七希としては、年がら年中よくやるなといったところだが。


 「あ~、桐生?」

 「桐生誠也きりゅうせいやです!」


 聞いてない。


 「では桐生誠也。私は今初めて対面した他人に心を許す趣味はない。加えて私は私事で精一杯で恋だの愛だのにうつつをぬかすつもりは今のところ全くない。つまり君の告白を受け入れる余地はミジンコが分裂して増えるほどありえない。分かったか? 分かったなら回れ右して家に帰って自分の右手に慰めてもらったらいい」


 遠慮容赦なく暴言を吐き散らし、七希は自らの長い黒髪をかきあげた。

 これが七希の後ろめたいと思っている時にやる癖だということを知っているのは、ごくごく一部の人間だけだ。

 ただし、その所作が凛とした本条七希の雰囲気とモデルの様に整った容貌とスタイルに相まって絵になっており、玉砕した男子生徒の間で語り継がれていることは知る由もない。


 「ならせめて、友達に――」

 「結構だ。私は交友関係が狭いことを誇っている。求められればプレゼンだろうが接客だろうが人前に出ることも厭わないが、今の所わらわら集まって愛想笑いに興じる趣味はない」


 本条七希に友人は少ない。

 というか、恐らく幼馴染と呼べる人物ただ一人である。

 さすがに狭過ぎである。

 ただ本人は気にしていない。


 「俺……諦めきれない! こんなに人を好きになったの、初めてなんです!」

 「気にするな、それは一時の錯覚だ。すぐ覚める」

 「……女になれたら、七希さんと友達になれるのかな」

 「名前で呼ぶな、カマ野郎」


 女になれたら?

 気軽に言ってくれる。

 目の前の女々しい男に、七希はあきれ果てた。


 「とにかくこれ以上話すことはない。君は失敗した。なに、よくある人生の失敗のうちの一つに過ぎない。この程度乗り越えられないようでどうする。まだ失敗という奈落の蓋は開いたばかりだぞ」


 ではな、と手を適当に振りながら、七希は桐生と名乗る男子生徒の横を通り過ぎた。


 「ま、待って――!」


 桐生は反射的に手を出してしまった。

 それは生まれて初めての本気の恋と本気の告白を済ませた、坊やの最後の抵抗だった。


 「――!」


 後ろから肩に伸ばされた手の気配を感じ、七希は鋭く反応した。

 身体を沈ませて肩に触れるはずだった手をやり過ごし、そのまま袖を掴み、腕を抱え込む。


 「――え?」


 面食らう桐生なにがしの素っ頓狂な声を置き去りに、七希は風の様に動いた。

 のんきに突っ立っている桐生の肩幅に開いた足の間に身体を滑り込ませ、相手の腹を腰に乗せ、巻き込むように担ぐ。


 「おあっ!?」


 回転の力を使った見事な一本背負いで自分よりはるかに体格の良い男子生徒を投げ捨てる。

 いや、捨てはしなかった。

 流石に良心が働いたらしく、コンクリートの屋上に叩き付ける寸前で袖を引いて、頭と背中が叩き付けられないように守ってやった。

 地面に寝転んで、冷や汗をかきながら桐生が目を見開いている。


 「私に後ろから触れようとするな。家が道場をやっている。反射でつい身体が動いてしまうんだ」


 桐生は目を見開いたまま、微動だにしない。

 胆の小さな男だな、びびったか?

 七希がため息をついて放って帰ろうと袖を離すと、桐生が一言呟いた。


 「……黒」

 「……」

 「へぎゃぶっ!!?」


 天を見上げる桐生なにがしの顔を上履きのまま思いっきり踏みつけてから、七希は屋上を後にした。

 夕映えする七希の後姿を為す術なく見送って、そのまま誰もいなくなった屋上で大の字に寝そべりながら、桐生は苦しく、もどかしい心を吐き出すように、大きなため息をついた。


 ――本条七希。


 光陵館学園1年首席入学、運動神経抜群、モデルのようなスタイルに、10人が10人振り返るのではないかという神様に愛された容姿。

 冗談みたいなスペックに、まだ入学したての春先だというのに玉砕覚悟の告白が後を絶たない。

 そしてついに桐生もその一人になってしまった。

 オドオドすることのない凛とした姿勢。

 言うべきことをはっきり言う勇気。

 初めて話した彼女は、憧れた幻想そのままの魅力を持っていた。

 いや、もっと魅力的だった。


 「……諦めきれないよ」


 一本背負いで屋上に転がされた瞬間、桐生に電流走る。

 強く、賢く、美しく。

 今まで以上に惚れた。

 桐生は恋煩いという人類共通の悩みにどっぷり浸かってしまった。

 青少年は深い苦悩を滲ませて、気の済むまで屋上に転がっていた。

 見上げた空は夕方の紅から宝石が散りばめられた琥珀色に変わりつつあった。

 二つの色が入り混じる空から流れる春風に頬を撫でられて、桐生は思わず叫び出したくなった。

 15歳の春。

 性の悩みは尽きないお年頃である。


 ――見上げたスカートの中身は黒かったのだから、仕方ないのかもしれない。




 ◇■◇■◇


 本条七希は苦悩していた。

 校門を出て、徒歩30分の我が家に急ぎながら思考を巡らす。

 彼女が他人とすれ違う度に、ある人はため息を、ある人はあからさまに視線を向けて、またある人は千載一遇のチャンスかと声を掛けようとし、そしてその圧倒的なオーラに尻込みして止めていた。

 そんな周りの状況など意にも介さず、七希は見事に植えられた桜並木の学園通りを一歩一歩踏みしめながら考える。

 舞い散る花びらを尻目に、七希は真剣に検討していたのだ。


 「研究者になろう。そして種馬共の生殖機能を抹消する発明だ」

 「人類滅びるよ、ななちゃん」


 思考に没頭していた七希の隣に、いつの間にか幼馴染の少女が寄り添っていた。

 武の心得のある七希の懐にすっと入って来られる、恐らく世界でただ一人の少女。

 肩口まで伸ばした柔らかな栗色の髪が似合う優しげな雰囲気の少女だ。

 藤間由紀とうまゆき

 家がお隣の筋金入りの幼馴染である。


 「由紀、高校になったらその呼び方はやめて欲しいと言ったはずだ」

 「聞いたよ?」


 由紀はにこにこ人懐っこい笑顔を崩さずに、それが何か? と首を傾げた。

 どうやら改める気はないらしい。

 良い性格をしているものだと七希も感心したり呆れたり。

 そんな七希の内心を見透かしたように、由紀はくすりと笑った。


 「ななちゃん、さっきまた屋上で告白されてたでしょ? 憎いねえ、この男殺し! さすが男の子の事は知り尽くしてるだけあるね!」

 「やめろ気色悪い。いいか由紀、金輪際男と男が艶めかしげに絡み合う本を持ち歩くな。BだかLだか知らないが、そんなもので男を知ろうとするな、凄く迷惑だ」


 七希は今朝のHRの抜き打ち荷物検査で没収された由紀のBとLの本をカバンから取り出して突き返した。

 はっきり言って高校生活丸ごと棒に振るレベルの恥さらしである。

 ただし、明るく優しい由紀はそれを笑い話で済ませられる人徳を持っていたのでクラスで浮いたりはしなかった。


 「はは~! ありがとうございまする! やっぱり持つべきものは生徒を牛耳る会に入っている幼馴染だよね!」


 大げさにお礼を言って、由紀はいかがわしい本を受け取って自分のカバンに仕舞いこんだ。

 そう、入学して早々だが七希は生徒会所属となっている。

 それは首席入学の特権であり、義務であった。

 今の所何が特権かも分からない七希は単なる義務で生徒会に顔を出すだけで、積極的に関わろうとはしていない。

 それでも少しくらいの融通は利くもので、HRで没収された品物の一部をちょろまかす事くらいは可能だ。

 七希は成績も優秀で運動神経も抜群、特に問題を起こす生徒でもないが、優等生という訳でもなかった。

 燃やしてしまわなかったのは幼馴染の情けだ。


 「こき使われているだけだ。不穏な表現で黒幕に仕立て上げようとするんじゃない」


 肩を竦めて足を速める。

 それに由紀が慌てて追いすがってくる。


 「ごめんごめん、怒らないでよななちゃん。ところでやっぱりななちゃんも男子に抱かれたくないの? 因みにあたし調べでは、この春、光陵館学園で抱きたい女子NO1に輝いちゃってるけど」


 何がちゃってるけどかと。


 「そのふざけた統計を取った馬鹿どもは後日つるし上げるとして、あり得るはずがないだろう」

 「やっぱりまだ心は染まってないの? そんなに女の子女の子してるのに」


 女の子女の子という言葉に眩暈を覚えた七希だったが、気を取り直して幼馴染に宣言する。

 もう何度も何度も言ってきたことを。

 そう、本条七希には秘密がある。

 今更何をどうすることもできない、重大な秘密が。


 「当たり前だ、私は――男だ!!」


 ある朝、本条七希は男から女になってしまったのだった。

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