「それ、セクハラですよ?」と看護師に警告された。
入院した「俺」は『おまじない』について考え始めます。
背中を7針縫った。怪我の程度は軽いが、念のため検査入院することとなった。ここは四人部屋だが、他の患者は対角の窓際のベッドに足を包帯でぐるぐる巻きにされた若い女性一人だけ。先ほど妻を連れ立って退室した看護師が閉めてくれればよかったものを、何故か俺のベッドのカーテンも女性のベッドのカーテンも全開だ。しかも俺は背中を怪我しているので横向きに寝かされている。視界には窓か隣の空きベッドか彼女しか入らない。度々目が会って気まずい。
「…ごほん…。えっと、どうも…。」
耐えきれなくなった俺はわざとらしい咳払いで気を引いて挨拶をした。女性も小さい声で応える。
「骨折…ですか?」
「はい。自転車で…事故って…。」
最近多いからな。健康志向で自転車に乗る人が増えたが、マナーやルールがなってなくて事故に遭ったり遭わせたりしてしまう、なんてこと。
「…貴方は?」
返答に困る。お袋を騙そうとしたオレオレ詐欺の受け子の男に切られた、とは答えられない。捜査員が五人もいながら一般市民に怪我をさせたのだ。警察の面子丸潰れである。治療費は全額出すから黙っていてくれと言われた。お袋のために来てくれたイマイたち捜査員たちへの恩義もある。
「自分も事故で背中をちょっと。」
「それは大変ですね。」
背中をちょっと。という表現は勘違いを産んだようだ。背骨を負傷した思ったらしい女性がものすごい哀れみの視線を寄越す。
「あー、いや、ちょっとしたかすり傷程度なので、明日には退院ですよ。」
あっ、と小さく声を発し、女性は少し頬を赤らめる。フォローしようと余計な言葉が口をついた。
「いやー、せっかくこんな美人さんと相部屋になったのに……」
「それ、セクハラですよ。」
タイミング良く(悪く?)小太りな看護士が入ってきた。血圧計を女性のベッドへ運びながら俺の言葉を遮る。ベテランの風格を漂わせる看護士は最後に二度と彼女に話しかけるなと言わんばかりに恐ろしい形相で睨みつけ、レールを壊しそうな勢いで女性のベッドのカーテンを引いた。
入院が一日だけで良かったと心から思う。
捜査員に、お袋、俺の証言から、妻は腹部を中心に精密検査を受けた。結果は人並み以上に健康。刺傷も掠り傷も打撲も何も負っていなかった。
「みんな見間違えただけじゃないのー?」
「みんなって、お前と受け子以外の4人が全員が、か?馬鹿言え。」
確かに俺と捜査員たちはそれぞれ妻と受け子の背中しか見えなかったが、お袋は真横から全て見ていた。受け子の持つナイフの刃が、しっかりと妻の腹に刺さる光景を。お袋は先ほどカウンセリングを受け、精神安定剤を飲んで警察が用意したホテルで休んでいるらしい。
「でもさ、本人が刺されてないって言ってて、実際に外傷が全く見受けられないんだから、見間違いだよ。受け子の男の子がナイフを逆向きに持っちゃって、自分に刺さっちゃったんじゃないの?」
妻は俺が背中を切られた後から目覚めるまでの記憶がすっぽり抜けているようだ。というか、ナイフを逆に持っちゃうなんてドジ、踏むか?普通…。
「そうそう、あの子、命は助かったみたい。」
良かった良かったと真顔で呟く妻の顔をじっと見つめる。被害当時の記憶を失う被害者、返り討ちに遭う加害者、赤い手を伝って移る光、守護霊、『おまじない』。ありえない仮説が展開されていく。そんな馬鹿な、魔法じゃあるまいし。だが、俺は頭の中を占めつつあるその考えを口に出さずにはいられなかった。
「…スズ。もしかしたら、『おまじない』が効いたのかも知れない。」