「仕事を探しているなら、人体実験のモルモットになったらどうですか?」と少女に勧められた。
ついに「おまじない」が登場です。
皆さんは、誰にも見られていないか周囲を警戒しながら自宅に帰ったことがあるだろうか?あまりない経験だろうと俺は思う。昼下がりの団地の公園で女子児童に声をかけ、自宅に連れ込むという、通報されてもおかしくない行為を今、俺はしている。あー、もう帰りたい。いや、帰っていはいるのだが、この少女を伴わずに帰りたい。何で俺がこんな事を…
無事に5階まで階段(エレベーターは防犯カメラがついているために諦めた)を上りきり、突当りの自宅のインターホンを押した。
『はーい。』
「俺だ。連れて来た。早く入れてくれ。」
『あのねー、「俺だ」じゃ誰か分からないでしょ?オレオレ詐欺じゃな…』
「カメラで顔見えてるだろっ!ふざけてないでさっさと入れろ!」
ご近所さん、どうかお出かけ中であってくれ!そして今帰って来ないで!
『んもー。冗談が通じないんだから…。』
鍵とチェーンを外す音がして、ようやく俺は自宅に逃げ込むことに成功した。
「お邪魔します!初めまして。旦那さんにはお世話になっております。」
「はい。初めまして。お行儀の良い子だね~。」
元気よく挨拶すると、妻はとても優しい笑顔で少女を出迎えた。しかし、その笑顔も、俺に視線を移した際にはとっくに消えていた。
「おかえり。かなめちゃん。」
「ふいぃ~…冷や冷やしたわ…。ただいま。」
ジュースかお茶かと聞かれてお茶を所望した少女に麦茶を出し、妻は向かいの席、俺の隣に座った。
「さて。今日来てもらったのはね、おまじないについてお話を聞きたいからなの。」
妻はこんなに優しい喋り方ができたのか。10年一緒にいるが、知らなかった。
「はい。そう伺ってます。」
「このオジサンで試そうとしたおまじないが、連続児童誘拐死亡事件と関係があるって聞いたんだけど。」
連続児童誘拐事件。今年に入ってから頻発している非常に不可解な事件だ。
普段大人しく、内向的な若い男が、小学生くらいの少女をわいせつ目的で誘拐、という所までは近年増えている幼女趣味の悪党による犯罪と同じだ。だが、最近の事件は過去の事件とは大きく異なる点がある。死亡して発見されるのだ。犯人が。その後、時間をおかずに誘拐された少女は無傷で保護される。しかも、少女たちは誘拐された時点からの記憶を一切持っていない。犯人も被害者も誰も何が起こったのか知らないため、犯人たちの死の真相は闇の中。
世間では少女たちは記憶喪失を装っているだけで、犯人を返り討ちにしているのではないかとも囁かれている。しかし、死亡した犯人の一人は身の丈190cmの巨漢。柔道経験者の彼を死に至らしめるほどの反撃を小学生低学年の女子生徒にできるとは到底思えない。
それならばヒーロー気取りの誰かが誘拐事件の犯人を独自に探り当て、断罪しているのだろうという説もある。この説があまり支持されていない理由は二つ。警察が100人態勢で捜索しても見つからない犯人に一般人がたどり着けるのはおかしいという理由が一つ。もう一つは事件発生現場同士が非常に遠いということだ。北は北陸、南は沖縄。遠く離れた地域で同時進行していた事件もあり、ヒーローが全国に複数人いるか影分身、瞬間移動の類が出来ない限り両方を解決することなど物理的に不可能だ。
そんな訳で迷宮入りしかかっている事件なのだ。最近ニュースなどでよく聞く単語を覚えて、意味はわからないが使いたい年頃なのだろう。この少女は。
「ヒカリちゃんのお友だちに事件の被害者がいるのかな?その子から聞いたのかな?」
「いいえ、この町ではまだそーゆー事件は起こってないので、アタシが被害者さんとお友だちと言うわけではありません。」
ちなみにヒカリというのは、さきほど聞き出したこの少女の名前だ。
「そっか。じゃあ、そのおまじないは、事件とどう関係するのかな?」
「被害者さんたちは、このおまじないをかけてもらっていたから、嫌なことをされなくて済んだのです。おまじないで憑いた守護霊さんが被害者さんたちを守ってくれて、悪者を退治してくれたのです!」
守護霊ねぇ。そういや妻から以前聞いたことがある。これくらいの歳の女の子というのは一度は守護霊だの魔法だの、そういう不思議な力が自分を守ってくれていると幻想世界に浸るものだと。もちろん、妻にもそのような時期があり、彼女は銀色に輝く美しい駿馬が己の眷属として守護してくれていると本気で思っていたとか。可愛い時分もあったんだなぁ。…あ、いやこんなことを口にでもしたら、今も充分可愛いよとフォローしなくてはならなくなるが。
「守護霊…。ふーん。それは凄いね!
ところでヒカリちゃんは誰からそのおまじないをかけてもらったの?」
頭っから否定せずに最後まで話を引き出す。扱いが上手いな。流石。
「クラスのお友だちです。その子は隣のクラスの友だちからかけてもらって、その子はお姉ちゃんにかけてもらって、そのお姉ちゃんは水泳教室のお友だちからかけてもらったそうです。」
一人が二人に、二人が四人にかけていき、最早ヒカリの学校ではかけてもらっていない子はいないほど流行っているそうだ。そうやって一つの学校で飽和すると、習い事や塾で会う他校の子どもに飛び火して更に流行する。鼠算式におまじないは広がりを見せているようだ。
「へぇ!守護霊さんっていっぱいいるんだね。」
「違います。守護霊さんの欠片をもらっているだけで、守護霊さんは一人です!」
そう聞いて、俺がイメージしたのはプラナリアという生物だ。綺麗に切断すれば2匹にも3匹にも分裂する。ツチノコみたいな形をした生物。いや、伝説の生物に形が似ている、という表現はイマイチか。
「それじゃあ、その一人の守護霊さんがいくつもの事件で悪者を殺が…懲らしめているってこと?」
「はい。」
「でも、ヒカリちゃんはそのおまじないが本当に効果があるのか信じられなくて、かなめちゃんで試そうとした?」
「はい、その通りです!」
「何で俺なんだよ…」
チラッとこちらを睨み付けて黙らせ、妻は腕を組んで真剣な表情になる。おいおい、信じちゃってたりしないよなぁ?
「…そのおまじない、私にもかけてみてくれない?」
「はぁあ!?」
「いいですよ!」
「えぇえ!!?」
妻よ、何か大きなストレスでも抱えているのか…?あ、俺が無職のぷーだからか??
テレビの前、カーペットの上に妻とヒカリは向き合って正座した。ヒカリが深々とお辞儀したので、妻も返す。最早突っ込む気力もない俺はダイニングの椅子に座ったままその光景を眺めていた。
「それではお名前を教えてください。」
「ニシモリ スズです。」
「ニシモリ スズさん、これから貴女の魂とアタシの魂を結びます。髪の毛を一本抜いてください。」
言われた通り、ニシモリ スズさんは束ねた髪の中から一本髪の毛を抜いてヒカリに渡した。ヒカリも自らの髪を一本抜き、妻の髪と自分の髪をチョチョイと結んだ。
「これを白い紙に挟んで枕の下に置いて一晩寝てください。守護霊が貴女をお守りくださるでしょう。」
あっという間に、おまじないは終了したようだ。あまりの呆気なさに頬杖で支えていた顎がガクッとずり落ちる。いや、待て、子どもの遊びに何を俺は期待していたんだ?こんなものだろうと思いながらも聞かずにはいられなかった。
「え?終わりか?」
「はい!今夜枕の下に置いて寝れば、ですけど。」
髪の束を渡された妻はポカンとしていたが、偉そうに踏ん反りがえるヒカリを見て「可愛い…」と口を押えながらも心の声を漏らしている。
「んー、でも確かに、ヒカリちゃんが効果があるのか確かめたくなっちゃう理由、分かったかもなぁ。明日の朝になったら何か実感とかあるのかな?」
「無いからテストしようと思ったんじゃないですかー。」
「…だからってそこらの男に自分を襲えなんて言って回っちゃ危ないだろうが。」
すっかりおまじないに舞いあがっている妻に本来の目的を思い出させるためにも、多少強引にお説教を始める。妻もはっとして俺に続いた。
「そうそう、昨日はかなめちゃんみたいなヘタレが相手だったから良かったけど、本当に危ない人だっていっぱいいるんだからね?確かめたくっても、自分から危ないことに首を突っ込んじゃダメ。分かった?」
「はーい…。」
誰がヘタレじゃ!
「はい。これでお話はおしまい。今日は来てくれてありがとうね。」
「いえいえ、こちらこそお構いもせず、ありがとうございます。」
ヒカリの中途半端なボキャブラリーが不思議な会話を生じさせている。それは客を迎えた側のセリフだろうが。
とにもかくにも、麦茶を飲みほしたヒカリは帰り支度を済ませ、家を出た。妻とヒカリと三人でエレベーターに乗り込む。一階に着くまで楽しそうにおしゃべりする二人。俺たちに子どもがいたら、こんな感じだったのだろうか?そんな柄でもない事を考える。
マンションのエントランスまで来て、ヒカリはくるりと振り返り、ここまでで良いとお辞儀をした。こちらもお辞儀を返し、手を振って見送る。と、最後の最後にヒカリは一つ、爆弾を投下して団地の方へ歩いて行った。
「あ、そうだ。おじさん、仕事を探しているなら、スズさんの人体実験のモルモットになったらどうですか?そういうお仕事ってお給料が良いって聞きますよ?スズさん、テストの結果、分かったら教えてくださいね!それじゃ、さよーなら!」
どこでそんな生々しい話聞いたんだ、あのガキは…。またインターネット情報だろうか…。本当にヒカリの親御さんにはアクセス制限をかけて頂きたいものだ。アイツのためにも、俺のためにも。
「さ、夕飯の買出しにでも行…」
日常に戻ろうと妻の顔を見ると、妻はとてもニコニコしている。うわ、これは何かよからぬ事を考えているときの顔だ。
「ヒカリちゃん、良いこと言ってたね~。私、明日も非番だし、かなめちゃん、モルモッてくれるよね?」
嫌だ、とは言えない雰囲気だった…。