「とんだクレーマーです」と竜にあしらわれた
「それでも」
竜は首をもたげ、しっかりと両方の紅の瞳に俺を捉えて断言する。
「『おまじない』を解くことはできません。」
「元凶の貴女をもってしても?」
どんなに粘っても答えは変わらない。どこか冷めた竜の目は揺らがない。
「えぇ。
アレは人から人へ移るウイルスのようなもの。発生源の私がクシャミをしてバラ撒いたウイルスを、空気中から取り除け。そんな事無理でしょう?貴方がそれを私に強要するなら、悪質なクレーマーです。」
月見乙女の予想は当たっていた訳だ。この呪は無くならない。人々に浸透しすぎた呪はこの竜にも、もうどうにもできない代物となってしまっていた。
「折角ご足労頂いたのに、申し訳ありません。」
教授殿が気の毒そうに言う。彼もあまり『おまじない』を快く思っていないのかもしれない。
「自分で制御も出来ないくせに…何故、あんなものを?私刑の蔓延を貴女は望んでいたのですか?貴女の個人的正義感を他人に押し付け、この世の支配者にでもなったつもりですか!?」
妻の望みを叶えられない事は予想していた。予想はしていたのに、淡い期待を裏切られたショックが大きく、思った以上に攻撃的な言い方になってしまった。竜の逆鱗に触れようがかまわない。この行き場の無い絶望と無力感への苛立ちを発散させたい。そんな気持ちが理性に勝っていた。
「………」
幸い竜は冷静なままだ。パチパチと長いまつ毛をしばたかせている。
「…貴方は、人間の世界を支配する人間が作った法をどう思いますか?」
質問を質問で返された。しかし、竜は俺に返答を求めてはいないようで、のそりと砂浜に起き上がる。
「弱者を弱者たらしめ、強者を強者たらしめ、
被支配者を虐げ、支配者を加護し、
被害者を貶め、加害者を賛美する。
歪んで腐った法を、どう思いますか?」
「外道が跋扈し、聖人が滅び、
悪人が繁栄し、善人が困窮し、
オレオレ詐欺の受け子が処分保留で釈放され、
警察官の奥様が腹の子もろとも命を落とす。
そんな世界の法を、どう思いますか?」
熱弁を振るう割りに、竜の目はこれまでになく冷えきっていた。生きる目標を達成し尽くし、虚ろで生気の無い心が、かつての彼女の思いを『再生』している。抜け殻の中に魂の残響だけがこだましている。そんな空虚が、本来の世界の姿を突きつけてくる。
「人の心に巣食う悪意を病とすれば、これまでの世界の法は悪意によって受けた傷を癒す薬でした。でも、その薬は古びて腐り、傷を癒すことが出来なくなりつつある。だから、私は、根元たる悪意を殺す毒を精錬したのです。」
彼女がこの世界に感じていた理不尽さは、確かに俺も日々感じていた。法で裁ききれない悪に、腸が煮えくり返る思いをしたこともある。幼い命を奪った変態、人を殺してみたかったの一言で面識の無い者を殺めた未成年、死傷者を多数出しながら酒を飲んで覚えてないと否認する運転手。罰を受けるべき咎人が法によって守られる。
その理不尽さに、この女は心を病み、こんな姿になってしまったのだろう。悪意に対する悪意だけを募らせ、悪意そのものに成ってしまった哀れな竜。俺は今、この竜に恐ろしい程の親近感を持っている。己の最悪な未来の可能性を見せられている感覚。直視したくないその姿に、俺の足は勝手に砂辺を後退りする。
「お前は…間違っている!」
虚ろな瞳に、一瞬だけ哀愁の光が灯った気がした。




