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熟した毒と腐った薬  作者: Coral Lagus
『おまじない』の本質と経過観察
15/27

「良かったですね、甲斐性無しさん」と美少女に祝福された。

 ソファーに妻を横たえ、左手を両手で包み込むように握った。2つの指輪がカチリと小さく音を立てた。妻の手は温かい。だが、その温もりが今にも消えてしまいそうで、どうしようもなく不安になった。自然と手に加わる力が強くなる。


「これを。」


 アリアと呼ばれていた弟子が冷蔵庫からスポーツドリンクを持ってきた。熱中症を疑っているらしい。確かに小屋の中は冷房が効いていなかった。


「ありがとう。だが…」

「大丈夫。記憶は、絶対戻らない。」

「え……?」


 蛍光灯の下で見るアリアはやや彫りが深く、ブロンドの髪に緑色の瞳と、日本人離れした容姿をしていた。アリアというのは芸名ではなく、本名のようだ。

 しかし、今、この娘は「記憶は戻らない」と言ったか?


「記憶って…」

「頭の中に思い出す記憶が無い。だから、絶対思い出せない。」


 無表情で機械のような話し方。それでも外国語の訛りがあるわけではない。


「…お嬢さんも、『おまじない』について何か知っているのか?」

「アリアで良い。」


 俺の問いには答えず、ソファーの側に座って妻の前髪を撫で上げた。露出させた額を親指で撫でる。


「これは執行の(しるし)。この印があるなら、記憶は奥さんの中に無い。」


 アリアが撫でるのは丁度、守護霊の手が掴んでいたあたりだ。だが、俺には何も印のようなものは見えない。ゆっくりと妻は目を開け、アリアを見上げる。


「やっぱり…それじゃ……乙女さんの…おでこにあったのは、私のコレと同じ……アリアさんのは…?」


 妻が言っている意味が分らない。だが、アリアには通じたようで、自分の額にかかる前髪を書き上げる。やはり俺には何も見えないが、妻は息をのんだ。


「これは咎人の印。罪が裁かれ、罰を受けた者の刻印。記憶はこの印を持つ者にある。」


 アリアはペットボトルの蓋を開け、妻に差し出した。妻が上体を起こすのを手伝ってやる。スポーツドリンクに口をつけつつ、妻の視線はアリアの額に注がれたままだ。


「つまり、何だ?傷だけじゃなく、被害にあった時の記憶も加害者に移されてるって、そう言うのか?」

「厳密には違う。アレは傷を移している訳ではない。アレは元来、記憶を移すモノ。傷によって生じた記憶が移され、記憶が傷を生む。そういう呪い。」


 被害者の記憶が加害者に移され、傷は副次的に移る。本当にそんなことが起こり得るのか?

 昔、どっかの医者か何かが、死刑囚をモルモットにしてある実験を行ったという。それは、手足を縛り付け、目隠しをして「刃物で手足の動脈を切る」と死刑囚に告げる。刃物の代わりに氷を押し当て、傷口にあたる部分に生暖かい液体を垂らし、桶に落ちる水滴の音を聞かせた。そうして出血し続けていると勘違いさせられた死刑囚は死んでしまった。思い込みだけで。

 だが、この逸話でも、本当に傷口が勝手にできた、なんてことは起こっていない。そもそも、記憶をきれいさっぱりそのまま他人に移植するなんて技術は、科学が進んだ現代においてもまだ夢物語の域を出ない。


「んー、まぁ、記憶を押し付けられた側に傷が出来るってのは一旦良しとしよう。だが、記憶が無くなったからと言って、被害者の傷が無くなるのはおかしいだろう。」

「アレは咎人を裁くだけでなく、被害者の救済もするみたい。どうやってか、は私にも分からない。私は咎人。被救済者ではないから。」


 哀しげな微笑。まだあどけなさを残す彼女だが、その笑みは胸をざわめかせる色気を一瞬放った。


 そこに、月見乙女がやって来た。金色のローブを脱ぎ、黒のタンクトップに短パンという、今にもランニングに出て行きそうな出で立ちだ。明るい所に来ると、キリッとした気の強そうな顔立ちであることが改めてわかる。

 月見乙女は俺を押し退けて妻の手を、正確には手首を取る。


「熱中症ではなさそうだったけど…。」

「あの…大分良くなりました。ご迷惑を…」

「しっ!静かに。」


 起き上がろうとする妻をソファーに押しつけ、目を閉じて触診を続ける。脈を診ているようだ。


「……あら?」


 ぱっと目を開けた月見乙女はニマッと笑い、妻の腹に手を当てた。


「アンタも年なんだ。この甲斐性無しの子のために命を賭けるかどうか、よーくお考え!」

「えっ!?」「はぁっ!?」

「良かったですね!甲斐性無しさん。」


 今流行りの高齢妊娠というものに、妻はなったらしい。

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