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明けましておめでとうございます

2014年5月19日深夜、教えていただいた誤字を訂正するついでにちょこっと漢字だったり説明を付け足したりしました。

「新年、明けましておめでとうございます」

「おめでとうございます」


 新しい年を迎え、家族で向かい合い新年の挨拶をする。それが三上家の決まりで、千香ちかは学生の頃からスキー旅行だの、テーマパークのカウントダウンだの、有名アーティストのカウントダウンライブといった誘惑を断ってきた。

 それには理由わけがある。


「では、それぞれが今年の目標を書にしたためるように」

「はい」

「はい」


 書家である父の言葉で、唯一家に残っている末っ子の千香と母親の香織かおりが筆を取った。

 この書は、父の書斎に一年間飾られることになる。来客の多い父の書斎に飾られるというのは大変なプレッシャーだ。しかも『婚活』だの『減量』などと書いては自分の恥を晒すことになる。それゆえ、千香は毎年無難に『資格を取る』といったようなことを書いてきた。ちなみに、母は決まって『家内安全』だ。

 だが、今年の千香は少し違う。今年の誕生日を迎えると25歳、四捨五入すればもはやアラサーの仲間入り。

 今年は思い切って、兼ねてより考えていたことを書くのだと心に決めていた。

 書道は幼い頃より父に見てもらっているのでそれなりに自信がある。が、父曰く教科書通りで個性がなく、繊細さも大胆さもないと言われ、書道の道を仕事にするのは諦めた。


「父さん。今年はコレでいきたいと思います」


 千香の言葉に母の書を見ていた父が視線を寄越し、目を丸くした。


「……ん? 一人暮らし……? おい、お前……“あの件”か?」


 てっきり父が頭ごなしに反対するかと思っていた千香は意外な父の反応に驚いた。

 過保護な父親の反対にあい、就職してからも今まで家を出る事は許されなかったのだがこれはどういう事だろう。

 だが、通勤だけで往復2時間かかるのは正直辛い。姉夫婦のカフェを手伝っている千香は拘束時間こそ長いものの給料は高くない。しかも、ボーナス? なにそれ美味しいの? 状態なのだ。

 それを、短大を卒業してからというものこの五年間でコツコツとお金を貯めて来たのだ。

 親を頼らずに自立する、そう言えば過保護な父をも説得できると思ったのだが――。


「“あの件”って?」

「いえ、あなた……。この場で言おうと思って千香にはまだ言ってませんよ」

「ねえ、“あの件”って何?」

「千香、あのね。お隣の八重樫さんとこの息子さん、覚えてる?」

「お隣? しょうの事?」


 書道教室を兼ねている三上家はいわゆる昔ながらの日本家屋で、広いが古い年代物だ。対してお隣の八重樫家は雰囲気のある洋館で、美術商をしている八重樫やえがし龍真りゅうまの御眼鏡に適ったアンティークの家具が揃えられている豪邸だ。

 八重樫家には3人の息子が居る。英国人の母親の血を色濃く受け継ぐ3人は近所でも評判のイケメン兄弟だった。その中の真ん中――次男の翔真しょうまが、千香と同い年なのである。


「そう。その翔くん」


 母親が嬉しそうに手をパチンと合わせた。


「ほら、お隣、お兄ちゃんの和真かずまさんがご結婚されて最近大々的にリフォームされて二世帯でお住まいでしょ? 翔真くんは一人暮らしだし、拓真くんは学校を休学して留学中だし……」


 母が一体何を言いたいのか、千香にはよく分からないが、景気が悪い景気が悪いと言う世間の声はお隣には関係がないようだ。休学して留学している末っ子に、結婚のために豪邸を二世帯用にリフォームした兄。その兄夫婦の同居に遠慮して家を出た次男――お金というものは、ある所にはあるものだ。わが家だってそれなりに味がある家ではあるが、1月の底冷えする寒さが板の間で正座する身に堪える。千香がぶるりと身体を震わせたのに気付き、やっと父がリビングへの移動を促してくれた。


「これ以上は向こうで話そうか」

「そうしましょう。さすがに寒いわ」


 いそいそと広い家を移動する。古い日本家屋というのは見る者にはとても風流に映るだろうが、実際暮らしてみるとなかなかに大変だ。たてつけが悪いためあちこちから隙間風が入る。冬は居間と、各自が自分の部屋にヒーターを入れてしのいでいた。

(うちもリフォームできたらいいけど……このご時世じゃあねぇ……)

 昔は習いごとブームがあり、たくさんの生徒さんがいたのだが、最近ではめっきり減ってしまった。

 それでも最近の書家ブームやらで、大人の生徒さんが増えたのだが、なにせ皆さん仕事や家事が本業だ。突然のドタキャンもよくあり、定収入とは言えなかった。以前は父の書をいたく気に入り目をかけてくれた企業の会長さんがいたのだが、数年前に亡くなってしまい、父の書も売れなくなってしまった。


「世知辛い世の中じゃのう……」


 母が淹れてくれたインスタントコーヒーを飲みながら、千香は思わず呟いた。


「なあに。新年早々嫌なこと言うわね」


 顔を顰める母に、千香は少し肩を竦めて見せた。

 母はそのまま向かいのソファに座る父の隣に腰を下ろす。

 千香は「おや?」と思った。いつもなら自分の横に座るものを――これじゃまるで面接モードだ。父が先程言いかけた“あの件”とは、厄介な話なのだろうか……思わず背筋を伸ばす。


「千香。お前、一人暮らしとは言うが、物件は探しているのか」

「ううん。それはまだよ。でもこの5年で結構貯まったし、正月休みが明けたら早速探そうかなって思ってるけど……」


 一人暮らしをお世話になっているカフェのオーナーであり義兄でもある熊埜御堂くまのみどうに相談したら、少し無理をしてもセキュリティがしっかりしている部屋がいいと言われ、2年の予定だった準備期間を5年に延ばして頑張ってきたのだ。


「そうか……」


 千香の言葉に父は難しい顔をする。

 そんな父の様子が気になったが、口を開いたのは母だった。


「その翔真くんがね、由香のカフェの近くに住んでるんですって。それでエレナについつい千香がそのカフェで働いてるんだけど、通勤に時間がかかって大変なのよーって話をしたのよ」


 ちなみに、由香とは千香の姉で結婚して熊埜御堂となった。そしてエレナとは、お隣の奥様でジュエリーデザイナーとして自分でも成功を収めている人だ。だが、とても気さくな人物で、庶民的な母との仲も良好である。疎遠になったとはいえ、お隣のイケメン3兄弟の情報が入ってくるのはこの為だ。

 千香が働いているカフェの近辺は数年前に駅の東側が都市開発のため、大きなシネタウンを備えた大型ショッピングセンターを中心に、公共施設、タワーマンションが形成されている。その奥の山手には閑静な住宅街だ。片や西側は古いアーケードが特徴的な古き良き商店街がある庶民的な街だ。考えるまでもなく、翔真が暮らしているのは東側だろう。


「そうだねー。へえ。翔ってばあの街に住んでたんだ。翔は確かシルバーアクセサリーのブランドを友達と立ち上げてたよね?」


 あの辺りにそんなお店あったかな? そんな事を考えていた千香の思考が続いて発せられた母の言葉に遮断された。


「そうなの。そしたらエレナも偶然ねって。翔真くんのお家、お部屋空いてるからどうかしらって言ってくださってね」

「えっ!?」


 千香はとんでもないことを耳にした気がした。この母は一体何を言っているのだろう。今、男との同居を一人娘に勧めやしなかったか?


「あらぁ、さすがに悪いわぁって言ったんだけどね。何でも翔真くんあの容姿でしょう。女性のトラブルが絶えないらしいのよ。それで、相当参ってるらしいの」

「だからって、どうして!?」

「あら。ダメ? 千香と翔真くんあんなに仲が良かったのに」


 確かに仲は良かったと思う。が、それは小学生までの話だ。

 幼稚園、小学校と、2人は家の近くの私立学院に通った。千香が幼い頃、三上家にはまだたくさんの生徒さんも、一番のスポンサーである会長さんも存命だった。仲の良い幼馴染と私学へ……そんな思いもあったのだろう。だが、中学から千香だけが公立中学へと進路を変え、翔真とはそれから疎遠になってしまった。たまに姿を見かけることはあっても、2人とも思春期真っ只中。幼い頃はいつも手を繋いでいたし、可愛らしいキスなんてものもしょっちゅうしていたというのに、声を掛けることが何とも恥ずかしくなっていた。それに、憧れていた中等部の制服を翔真だけが着ているという事実も、幼心に千香を傷つけた。ちなみに、和真と同い年である姉の由香は中学まで仲良く和真と私学に通った。そのため一層制服への憧れも強かったのに……隠れて由香の制服を借りて着た過去を思い出し、千香は少し悲しくなった。


「そんな昔のこと……一緒に遊んだのだって、小学校までよ?」

「でも、翔真くん中学が別になってもよくうちを訪ねて来てたわよ? 千香がバレー部に入って毎日帰りが遅いからそれも段々数が減ったけど」


 そんな事は初耳だ。あの当時は同じ小学校から公立中学に入った子は他に居なくて、周りに馴染むのに必死だったのだ。だから苦手なスポーツも頑張ろうと思って部活に入ったのに……結局背が低い千香はマネージャーになった。なんだか中学から千香の歯車は狂ってしまったような気がする。


「だからって……。ねぇ、父さんは反対でしょう?」

「でもお前、今年は家を出るのが目標なんだろう? どうせ巣立たせるなら、まったく一人になるのはお父さん心配だな」

「それにね。お隣のご主人、お仕事を拡大して海外のお客様用に日本美術も取り扱うようになったらしいのよ……それを、和真くんが担当するんですって。それでね……実は、お父さんの書をギャラリーにいくつか置きたいって言ってくれているの」


 大人の事情というヤツか……北風でカタカタと煩いガラス戸の音が虚しい。お隣はきっとすきま風なんて全くなく、全館暖房で廊下すら常春なのだろう。

 父としては、これは久しぶりのチャンスだ。日頃から自分の書に没頭したい父だ。家計のために書道教室をしているが、自分の作品を評価され、買いたいと言われたのだから嬉しいだろう。


「それは、まさか私が同居する事が条件とかじゃ、ないわよね?」

「勿論よ! それは全く別の話。私もねぇ、嫁入り前の娘がねえって思ったんだけど、あの翔真くんに限って変なことにはならないだろうって信用はあるのよ」

「……まあね。翔なら選り取り見取りだろうから」

「やだ。そんな意味じゃないのよ? あの子はしっかりしてるし礼儀正しいし、それにご両親もよく知る方々だしね。そういう意味での信用よ」

「それに、他の方も良い方らしいぞ。初めての一人暮らしともなると、ご近所さん問題も色々心配だろう。翔真くんならよく知ってるし、それなら父さん認めるぞ」

「え? 他の……? 女性もいる?」


 その問いに、2人は大きく頷いた。

 他にも人がいるとなると、今流行りのシェアハウスというヤツだろうか……。それなら確かに物件探しでもシェアハウスは候補に入れようと思っていたから問題ないだろうと思えた。それに、その中に女性がいるなら、その人に想いを寄せられているのかもしれない。壁一枚しか隔てる物がないのだ。想いに応える気がないのなら、それは気が滅入るだろう。


「うんー……。分かった。でも、翔がいいって言ったらよ?」

「大丈夫! エレナがもう聞いてくれたんだけど、『ちぃならいいよ』って言ってたんですって」


 母は笑顔でそう言うと、ゴソゴソとスカートのポケットを探り出した。


「ハイ! 鍵!」


 なんて展開の早い……呆れながらも鍵を受け取った千香だったが、翔真がまだ千香のことを昔の呼び名で呼んでいると知って、少し嬉しかった。



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