逝く者は斯くのごときかな昼夜は舎かず
鼻孔に流れ込んでくる空気には不思議な匂いがあった。それは今までに感じたことがあるようで無いような、そんな匂い。
乾いた羽毛布団の様な匂い。果物の様な甘い匂い。そして、本の匂いや香水みたいな匂い。
俺はゆっくり目を開ける。
最初に映ったのは木で組まれた天井だった。それを見て俺は誰かに連れてこられたのだと認識できた。
未だ少しの頭痛や気怠さがあったがヒナカの無事をいち早く確認したかった。そして思い切り起き上がろうとしたとこで赤髪の少女が目に入ったが、慌てたようにすぐ視界から消えてしまった。
なんだろうか?と思いつつ、俺は周りを見渡して、ヒナカがいないとわかると木で出来ているであろうベッドから立ち上がった。
「ここはどこだよ…」
扉から出ようとドアを開けたと同時に軽い衝撃を受ける。さきほどの赤髪の少女が俺にぶつかってきたのだ。
「エウロー、イスシェスベウアイフォムライケルレィゲン!?」
(は?コイツ何言ってんだ……?)
父さんが使ってたドイツ語やフランス語を無理やり混ぜたような言語で話されて俺は焦燥感に駆られ、一抹の不安が脳裏をよぎった。
(もしかしてここは外国なのか……?)
もしそうだとしたら俺らはパスポートを使わずに入国したため、密入国者扱い、つまり犯罪者として捕まることになる。
(おいおい…嘘だろ…)
そんな焦燥を無視してか、開けたドアから、今度は紫色の髪をした婆さんが入ってくる。
髪色からして外国でも珍しい部類に入るのだろう。今時染髪なんて珍しくはないが、家族?揃って髪色が違うというのもオシャレなのだろうか。
そんな考えにしばし浸っていると、婆さんはいきなり、手に持っていて杖で俺の頭を小突く。
「おい、何を…ッ!?」
お婆さんの行動を責めようとしたとこで、突如として頭痛が走る。
意識が遠のきそうになるほどの強烈でいて、鈍器で殴られたような痛み。
「ぁ、ぁあああ!?」
頭を抱え悶える苦しむ俺に赤紙の少女はまたもや慌てたように部屋から出てどこかへと行ってしまう。
婆さんは俺の背中をさすりながら何事かを呟いている。
よくわからない言語に戸惑いながら頭が割れそうなほどの痛みに耐え抜く。
暫くすると意識が段々落ち着き、話せるまでには調子が戻った。
俺は婆さんに文句のひとつでも言おうとしたが、不思議なことに不快感や怒りが一切湧き出てこなかったのだ。
自分の心情に少しの疑問を持ちつつ、情報を聞き出すために口を開く。
あきらかに日本ではないらしいから、「ここは英語で話せば大丈夫かな」どと違った意味で冷静に分析している自分に少しだけ畏怖しつつ、不慣れな英語の自己紹介を脳内で組み立てる。
「ナイストゥミートゥー」簡単な英語で話しかける。若干英語で喋ることに気恥ずかしさを感じたが、意味は伝わっただろうか。
だがそんな思いも次の一言で断ち切られた。
「お前さんはヒナカと似てるのぉ。ヒナカも同じことをやっとったわい」
驚愕、その一言に尽きる。
紫色の髪をした、いかにもな外国人の老婆が綺麗な日本語で喋り、尚且つヒナカの名前を口に出したことだ。
(ヒナも同じことしたのか…ま、そりゃそうか)
ヒナカの無事が確認できたことに安堵し、老婆の孫を見るような目と言葉使いから一切の敵意は感じられないため警戒を緩める。
俺が警戒心を緩めたのがわかったのか、お婆さんは一歩前に出て手を差し伸べる。
「まずは自己紹介じゃな──アタシはシィムハット・アルケファン。エルフじゃよ」
「──は?」
「お前さん…ヒナカと同じ対応をとらんでくれ…」
「あ、ああ、悪い。俺は城里祐だ。こっちだとユウ・シロサトって言ったほうがいいのか」
軽い握手を交わすと、老婆は杖を壁に立てかけ赤髪の少女を前に押し出す。
「ほうほう、ユウが名前じゃな──んでこっちの娘はメイナ。ハーフエルフじゃ」
いつの間に戻ったのか、メイナと呼ばれた少女は少し頬を赤らめながら軽くお辞儀をした。
どうやら彼女は俺の反応に心配したらしく、濡れた布と薬(?)を両手に持っていた。
それを有り難く受け取り、顔を拭いてつぶ状の薬と思われるモノを飲み込む。
(薬なのに甘いだと…不思議だ)
不思議といえば。
「…エルフってあの耳がトンガった色白の妖精みたいな奴のことか?それはコスチュームプレイか何かか?」
自称エルフの老婆に疑問を投げる。
だが、予想外なのは、俺の疑問に信じられないことを聞いたかのように。目を瞬かせているメイナとシィムハット。
三人揃ってしばらくの沈黙が続いたあと、開いていた扉から制服から珍しい服に着替えたヒナカが入ってきた。
「ユウ!起きたんだね!よかった!本当に良かった…」
ヒナカは泣いていた。コイツが泣くのを見るのはかなり久々な気がする。
どういった対応を取ればいいのかオロオロしている俺にヒナカは抱きついてきて泣きじゃくった。
「ヒナカから大抵の話は聞いてある。さっき送った魔法は言語がわかるようにアタシの知識を少し流してやったのじゃ。どうやらお前さんたちは呪いを受けた状態でこちらの世界、アルケアースに迷い込んだ人間族。異世界人のようじゃな。あとお前さんは──二日間眠っておったんじゃよ?」
その話を聞いた途端、俺は眩暈がした。
(魔法?呪い?こちらの世界?アルケアース?二日眠っていた?)
頭がオーバーヒートしそうだ。
(いくらなんでも日常から非日常に変わるスイッチが押しやすくないか?)
というよりそんなことを誰が信じろって言うんだよ、と思ったところで先程の言語が理解できなかったのが、理解できるようになったことは納得せざるを得ない。
だがそんな俺に不安と焦燥感が襲い、疑問が口から出そうになった。
──俺らは帰ることができるのか?
それを聞いて何になる。
希望が絶望に変わる時の苦しさは一番自分が理解している。多分、今まで呼んだ本、それと老婆の顔を見ればわかる。
そして何よりも、異世界と聞いたときにさらに泣いたヒナカを見れば大抵の人物なら安易に想像できるであろう。
もしかしなくとも俺たちは帰ることができない、と。
そんな思いは的中して欲しくはないが・・・。
「ヒナカにも言ったが、お前さんたちは暫く元の世界に帰ることはできない。いや、寧ろ帰る方法がないのじゃ」
最初に覚悟していたおかげかなんとか耐えることができた。よくある小説の物語に「貴方は勇者様、世界を救ってくださいませ」などと理不尽極まりないことを言われる場面があるが、それよりかは幾分かはマシである。
それでもこれからどうすればいいのか分からず、悩んでいると、お喋りなのか心配なのかシィムハットさんは喋り始める。
「お前さんたち、行く宛が無いのならアタシの家で過ごすかい?聞きたいこともまだあるしのぉ」
それは願ったり叶ったりってやつだ。これは心を探るより一緒に暮らして仲良くなったほうが得策かもしれない。それと、俺の性分ゆえ、ここにある古びた本に興味があるし、第一にヒナカの安全を考えると、選択肢がひとつしかなかった。幸いヒナカと同じぐらいの女の子もいることだし。
「それはありがたいかな。世話になります」
「フォッフォ。若者は素直が一番じゃ」
何が愉快なのだろうか、この婆さんはよく笑う。
いつの間にか泣き止んでいたヒナカはあの一件、地蔵の時からずっと怯えてる感じがする。
時々震える肩がよく物語っている。
そうだ、シィムハットさんに地蔵ついて聞いてみればわかるかもしれない。
俺はそう思い声をかけようとしたとこでまたもシィムハットさんに割ってはいられる。
「お前さんが聞きたいであろうオジゾーさんというのはヒナカから聞いておるよ。それは魔術師が術式を組んだ魔体物かもしれんのぉ。お前さんたちは何かの拍子にその封印を説いたのじゃろう。アタシが生まれて数年の呪いがお前さんたちにかかっておったからのぉ。アタシに遭わずに彼処に放置されていたら、ヘタしたら、いや確実にお前さんたちはあの世逝きじゃ」
俺はその時に「また救われたのか」と思い、昔の出来事を思い出して笑った。
それをシィムハットがどう受け取ったのかわからないけど、シィムハットは安堵して微笑んでいた。その表情を見て俺は素直に頭を下げた。感謝してもしきれない。命を助けてもらったのだから。
「助けていただき、ありがとうございます」
少し話に間が空いたとこでさっきから気になっていたのかヒナカが話をふった。
「さっき聞いたことを復唱するようで悪いんですけど、エルフとは耳がトンガって色白の金髪で長生きできる妖精みたいな存在じゃないんですか?」
シィムハットはヒナカの疑問を聞いて吹き出していた。そりゃもう盛大に。さっきは笑わず沈黙だったのに。
横で影が薄れかかっているメイナも笑っている。
俺は間違ったことを聞いただろうか?ヒナカも首を掲げている。
「すくなくともこの世界のエルフに、耳がトンガっている奴はいないよ。お前さんたちの世界にいるエルフは耳がトンガって色白の金髪で長生きできる妖精みたいな存在だったのかい?」
「いや、俺たちの世界にはエルフはおろか魔法なんてものは存在しないし、人間族だけで構成されているよ」
そう言うとシィムハットはさも興味津々な目で此方を見つめ話を聞きたそうにしていた。
いや、それにしてもこの世界で魔法だけで言葉が通じるというのも凄いものだ。第一、異世界では俺たちの存在は珍しいのは尤もで、俺たちの世界からしたら此方の世界も珍しい。
俺たちの世界では当たり前のことでも、此方の世界では当たり前じゃないのかもしれない。
現に電子機器類は見当たらないし、横文字は通じなかった。靴も俺たちのようなスニーカーや運動靴ではなく、革靴、ブーツのようなものを履いている。
服装は俺が制服でヒナカは此方の世界の派手っぽい服、傍から見れば民族衣装にも見えなくもない。
改めて見るとシィムハットさんは白装束のシスターのような服装で白の外套を着ている。メイナは髪にあった赤い外套を着ていた。
と、そこまで俺が観察しているとシィムハットさんは微笑んで俺たちを欲へと誘う。
「積もる話もあるじゃろう。だがお前さんたちはお腹がすいてるだろう?これから飯を作るからその後にでも話を聞こうかのぉ」
俺とヒナカは此方の世界に来て初めて笑えた気がした。
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