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ゴブレイの敗北 〜腹黒後輩と怠惰な先輩の大学生活〜

掲載日:2026/08/09

『ゴブレイ頼む!! メシ奢ります』

 枕元で鳴ったスマホに手を伸ばせば、ラインの新着メッセージが光った。カーテンの隙間から差し込む容赦ない陽の光との合わせ技に、思わず目を細める。

 スマホの示す時刻は、13時20分。昨日、必修の試験のために一夜漬けしたわりには、悪くない時間だ。肝心の試験のデキは怪しいが……こんな時間に起きられるなんて、まだまだ本気じゃなかったのだろうか。三回生にもなって必修の取り直しになったら、目も当てられないというのに。

 もう取り戻せない試験の後悔に想いを馳せつつ、寝返りを打つ。でも、一度覚めた眠気は一向に戻ってくる気配がない。意を決して私はムクリと起き上がった。


「うぅー……今日も暑くなりそう……」

 下宿の部屋は、半地下に近い一階にある。冬は底冷えするけれど、そのぶん夏は快適……というのがここを勧めた不動産屋の説明だったはずだ。それが魅力的で、女の子が一階なんて、と渋る親を説き伏せてここに決めたのだから。

 だというのに、七月中旬の今の時点で室内は十分に暑い。このまま家でゴロゴロするにしてもクーラーをつける必要はあるだろう。

 どうしようかな、と迷ったタイミングで追撃のラインが来た。


『ゴブレイ、無理そ??』

 送信者は確認するまでもない。大学の友人、というか悪友の神谷だ。さらに間を置かず、ポコン、ポコン、と『お願い』と『待ってます』のスタンプが連投される。ヤツには似合わない、可愛らしいキャラクターのスタンプ。それを見て、仕方ないなぁと笑いが漏れた。

 ——そこまで求められてるのなら、行ってやりますか。


*****


「いやー、ガチで助かったわ! 下位2賞が出ないだけでもアツイってのに、まさかA賞B賞まで一個ずつ出してくれるとは。さすがのゴブレイ、オヤツも付けますわ」

「はっはっは。もっと褒めたまえ、讃えたまえ。そしてオヤツを貢ぎたまえ」


 ——一時間後。

 無事任務を済ませた私は、神谷の言葉に全力でそっくり返りながらメンチカツサンドDX(生協価格680円)に喰らいついた。もちろん、当初の約束通り神谷の奢りである。

 このカツサンドは私の生協お気に入りメニューのひとつだ。DXと銘打つだけあって満足感もたっぷりだし、千切りキャベツに絡められたピリ辛ソースがスパイシーでとても美味しい。

 ただし、いかんせん680円は貧乏な大学生には少しばかり高すぎる。奢りだからこそ食べられるシロモノといえるだろう。という訳で、私は正当な報酬として同じ貧乏大学生の神谷に容赦なくこれを奢らせたのであった。



「お疲れさまでーす。……また、ゴブレイですか?」

 私たち以外ひと気のなかった部室に、3人目の声が響いた。口の中いっぱいに入っていたメンチカツを咀嚼し、しっかりと飲み込んでから振り返る。

「葵ちゃん、お疲れー。そっちはもう、試験終わった?」

「まだまだ山のように残ってますよ。暇な文系の先輩と一緒にしないでください」


 む、と唇を尖らせて睨む私の反応をまるで意に介せず、そう言って生意気な後輩は向かいの椅子に腰を下ろした。

 彼の名前は、西脇……いや、西原だったかな、とにかく西ナントカ葵。工学部の二回生で、このボードゲームサークルにおける私の後輩だ。苗字が長くて覚えにくいので、私は彼を葵ちゃんと呼んでいる。

 腹が立つことに、彼は私より頭が良くて口が達者で背が高い。それが先輩としての威厳の危機に感じられて、私は彼の前ではつい先輩風を吹かせて虚勢を張ってしまうのであった。……それすらも大体は冷たくあしらわれるのが、また腹立たしいのだけれど。


「まぁ試験の話は良いや。それよりこれ見てよ、これ。今回の私のゴブレイの成果! 今日ホント調子良くてさ、A賞もB賞も獲得したんだから。ね、神谷?」

「おう。マジ、あまりの運の良さに店員もちょっと引いてたよな。ま、不正を疑われても何も出ないんだけど」

「どう? すごいっしょ」

 鼻高々に私は戦利品を披露する。アクリルスタンドがいくつかと、オリジナルミニハンカチが五つ、そしてキャラクター付きのビアグラスと、さらに上位賞のフィギュア二体。一番くじの結果としては、錚々(そうそう)たるものだろう。

 だというのに、葵は少しも感心した様子を見せない。それどころか「ゴブレイねぇ……」と呆れたような声で首を振ったのだった。



「五分五分以上の割合をほぼ確定で当たりに引き上げる五分ブレイカー、ですか。何のオカルトかと思いますよ、まったく」

「あれ、まだ信じてない感じ?」

「いや、これだけ実績を見せられて否定はしないですけど。でも、その能力を発揮するのが一番くじとは、なんとも無駄っぽいというか」

「しょーがないじゃん。意外と五割超えるくじってないし、五割未満の確率じゃ私、別に強いわけじゃないもん。一番くじだって、下の賞が捌けて五割超えるタイミング探さないとダメだから、意外と難しいんだぞ?」


 な、と神谷に同意を求める。ゴブレイは使いどころの調整が重要なのだ。

「ゴブレイがあるから神谷の欲しいキャラクターグッズを代わりにゲットできてるわけだし、無駄ではないって。ご飯も奢ってもらえるしさ。……そうそう、神谷、この一番くじの作品って今度アニメになるヤツだよね? 私、アレ気になっててさ。どう——」

「悪ぃ、俺、ちょっと用事できた」

 突然、神谷が話の腰を折るかのように口を挟んだ。

「? そうなの?」

 普段は部室でいつまでもくだらない話を駄弁って時間を潰しているというのに、珍しいことだ。そう思って首を傾げるが、神谷は妙にソワソワとした様子で目を合わせずに帰り支度を始める。もちろん、勝ち取ったばかりの賞品たちも忘れない。丁寧にバッグに詰めていく。

「悪いな、夏休み前だから色々立て込んでて。今日はもう帰るわ。お疲れー」

「あ、うん。じゃあ」

「はい、お疲れ様です」

 バタン、と慌ただしくドアが閉まり、神谷が出て行く。そして、少し気まずい空気が残る中、私は葵と二人きり残されたのであった。



「ちぇ、つまんないの。今日はカタンやりたいと思ってたのに。誰か来ないかなぁ」

「こう暑いと誰も来ないんじゃないですか。早い人だともう夏休み始まってますし、始まってない人は試験対策で忙しいでしょうし」

「葵ちゃんも?」

「俺はもう大体対策終わってます」

「生意気な!」

 涼しい顔で返す彼に届かないデコピンを放ち、私は勢いよく立ち上がった。仕方ない、この憤りを晴らすには方法はひとつだ。

「よし、決めた。これから部活動開始。カタンやろう、カタン」

「えぇー、二人カタンですか。不毛だなぁ」

「文句は受け付けない。先輩の指示なんだから大人しく従いなさい」

 渋々、と言った顔で葵が準備を始める。それを見て、私は「よろしい」と先輩らしく鷹揚に頷いたのだった。


*****


 カタンはサイコロを使ったボードゲームだ。サイコロの出た目に合わせて自分の陣地の資源を獲得していき、その資源を使って陣地を広げてポイントを稼ぐ戦略ゲーム。サイコロ主体のゲームなのでひとマスあたりの確率は低めで、私のゴブレイが輝く場面はあまりない。

 ——それどころか。


「ダメだ、ここから勝てるビジョンが何も見えない……」

 進出したいルートをことごとく潰されたゲームボードを眺め、私は力なく項垂れていた。

 ゲーム開始から二十分。まだポイントこそ差はついていないものの、私の盤面は早くも絶望的な状況に陥っていた。

「ねぇ、その持ってる『麦』交換しようよ。私の『鉄』を二枚あげるからさぁ……」

「二人プレイで交渉に応じるわけないでしょう。大体なんで序盤からそんな『鉄』ばっかり狙ったんですか。そりゃ伸び悩みもしますよ」

「うぅ〜意地悪……」

 カタンの面白い点のひとつに、プレイヤー同士の取引が可能というのが挙げられる。だが葵の言葉通り、それは他に敵が居る時にのみ有効な手段。お互い相手しか敵が居ない以上、交渉が成立する余地はなかった。

「先輩が苦しんでるのを見るの、楽しいですねぇ」

「なんで! こういう時ばっかり! 良い笑顔を見せるんだ!!」

 『腹黒』という言葉は、コイツのために作られた単語に違いない。せめて盗賊を当てられれば、と祈るようにサイコロを振る。

 ——私の絶望の呻き声が洩れたのは、それから三秒後のことであった。



 そういえば、と葵が何気ない調子で切り出したのは、お互い口数も少なくなってきたゲーム終盤のことであった。

「明日は夏の大祭ですね。今年も行くんです?」

「えっ明日!? うわ本当だ、忘れてた……」

 思わずゲームの手が止まった。

 そろそろポイント管理を慎重にやらないと一気に負けるタイミング。でも、そんなことより彼の言っていたお祭りの方が気になって仕方ない。


 夏の大祭は、この地域で一番の大きなお祭りだ。街なかの大通りを何本も封鎖して地元の山車をたくさん並べ、最終日には練り歩く有名なイベント。

 私はこのお祭りが好きで、一回生の時からサークルの皆を誘って繰り出すのが恒例であった。今年ももちろん行くつもりだったというのに、それを忘れてたなんて……。


「えぇー、なんで皆言ってくれなかったんだろう……去年も一昨年も一緒に行ったのにー」

「なんか女子大の方達と合コンがてら祭りに行くらしいですよ。絶対彼女作る、って部長意気込んでましたから」

「え、合コン?」

 ——今度こそ完全に思考が停止した。

 ボードゲームサークルのメンバーは全員、気持ちの良いナイスガイたちだ。もちろん、私は本気でそう思っている。紹介してくれ、と友達に頼まれたら、全力でオススメするくらいには良い人たちの集まりだ。

 ただ黒髪・メガネ・Tシャツ・ジーンズのナイスガイたちと合コンという単語の組み合わせがあまりに予想外すぎて……。


「なんか……びっくり。まぁでも合コンかぁ……それじゃ仕方ないよね」

 うん、仕方ない、ともう一度口の中で繰り返して、なんとか先ほどの衝撃を飲み込もうとする。だが、視線を盤上に戻してもゲームの状況は全然頭に入ってこなかった。

「先輩は恋人とか作らないんですか?」

 会話を止めようとしない葵に、一旦ゲームのことを考えるのは忘れて顔を上げる。

「私は……そういうのは良いかなぁ。別に今のままで、じゅーぶん楽しいし」

 少し考えてから、きっぱり首を振った。


「恋人を作るために合コンとか、なんかワザとらしいし面倒くさいよ。なんかこう……自然にできたら、それは良いかもしれないけど」

「お子ちゃまですねぇ」

「ええい、年下に言われたくはないわ。逆に、葵ちゃんはどうなのさ? 彼女いるの?」

「居ませんし、合コンにも興味ありませんね」

 思いがけないバッサリとした強い断定に、思わずパチクリと目を瞬かせた。

「あ、ごめん。もしかして無神経なこと言っちゃった? その、恋愛対象が違うとか……」

「なんで気遣うところがそこなんですか……俺は至ってノーマルですよ。ただ、合コンに興味がないってだけで。先輩と同じですよ。恋人を作りたいんじゃなくて、好きな人に好きになってもらいたいんです」

「あ、そういうことね。それならわかるよ。まぁ葵ちゃんなら大丈夫じゃない? うちのサークルの中では一番オシャレだし、気遣い上手だし、話も面白いし。……先輩への態度は、もう少し殊勝な方が良いとは思うけど」

 その言い方だと好きな人は居るんだな、と察しつつも踏み込めなくて私はふんわりと相槌を打つ。気にはなるけど、サシで恋バナをするのはなんだか背中がむずむずして、ちょっと耐えられそうになかった。


「そいつは、どーも。まぁ俺の方は気長にやるんで、どうでも良くて。——話戻りますけど、祭りどうします? 俺で良ければ付き合いますけど」

「え、良いの?」

 今しがた好きな人の存在を匂わせていたというのに、そっちは良いのだろうか。そんなことが一瞬気になりはしたけれど、それよりも明日の予定の方が大事で私の思考は一瞬で祭りに転んだ。

「行こう、行こう。わー、行く人誰も居ないと思ってたから、嬉しい」

 言ってから一人、付き合いの良い悪友の存在を忘れていたことに気がつく。

「そうだ、神谷も誘う? なんか忙しいって言ってたから、誘っても無駄かもしれないけど」



「神谷先輩ですか……」

 普段は歯に衣着せずズバズバと要らぬ発言ばっかり口にする葵が、何故か言いづらそうに言い淀んだ。

「その、これは先輩に伝えようか迷ってたんですけど……」

「そう切り出すってことは、もう言うって決めてるんでしょ。良いよ、言っちゃって。……何、神谷にも彼女?」

 軽い口調で返しながらも、だとしたら神谷との付き合い方も見直さないとな、という考えがよぎった。

 なにしろヤツとは頻繁にご飯を一緒に食べに行ったり、ゴブレイ稼ぎに行ったり、カラオケに行ったりする仲なのだ。もちろんただの友達ではあるけれど、恋人が異性の友人と頻繁に出かけるというのは嫌だろう。そこは弁えなくては。

 そんな覚悟を決めるが、「そうではなくて……」と葵はスマホを弄りながら首を振る。

「これ、神谷先輩じゃないかと思って」


 出されたのは、フリマアプリのページだった。ユーザーのアイコン画像は神谷のラインアイコンと同じ、夕焼けと電線の写真。そしてユーザー名は「kami-gobrei」。

 確かに神谷のアカウントっぽいけど何が問題なのだろう、と言いかけたところで、新規出品一覧が目に入った。

「え、コレって……」

「まさかこの短時間で答え合わせができるとは……やはり神谷先輩でしたか」


 そこに並ぶ出品されたばかりの商品は、どれも見覚えのあるものばかりだった。アクリルスタンド、オリジナルミニハンカチ、ビアグラス……そしてフィギュアが二つ。

「え、アイツまさか私に引かせたくじを転売してるってこと……? うわ、あのビアグラスが6000円!?」

 震える手で、商品ページをスクロールする。過去に遡ってもそこにあるのは同じ、私がかつて神谷のために勝ち取ったくじ賞品の数々。

「しかも全部売ってるってことはアイツ、原作が好きとかじゃなくて完全に転売目的じゃん……」

 だから、私が原作の話をしかけた途端、慌てて帰って行ったわけだ。嫌なところで謎が解けてしまった。


「うわぁ、腹立つー。そりゃお金払ったのは神谷だし、私もちゃんとお礼してもらってるし、文句言うことじゃないかもだけどさぁ……」

「モラルの問題ですよね。お行儀が悪いというか」

「そう、それ!」

 私のモヤモヤした気持ちを言い当てられ、大きく頷いた。最初から転売目的と知っていたら——協力したかは置いておいて——ここまで忌避感は覚えなかったことだろう。だが、こうして露見した今では、彼に対して軽蔑の感情しか湧かない。

「なんか気持ちの整理つかないし、神谷は誘わないことにするよ。お祭り、二人でも良い?」

「もちろん。俺は最初からそのつもりでしたし。あ、後、これで俺の勝ちです」

「え?」


 私のカウントでは、まだ葵も勝利点には届かないはず。だが唐突な勝利宣言を口にした葵はおもむろに伏せていた手札をひっくり返す。

「はい、『街道建設』のカードの効果で道を拡張。その先に『家』を建てて、これで10ポイント」

「あ、え……?」

 淡々と処理を進め、まだ敗北に気持ちが追いついていない私に葵はにこやか、かつ一方的に言い放った。

「じゃ、負けた罰ゲームってことで明日、先輩は浴衣で来てくださいよ。楽しみにしてますから」


*****


 というわけで、翌日の夏祭り当日。私は慣れない浴衣姿で待ち合わせ場所に現れていたのだった。

 夕方になって陽も傾きはじめたというのに、まだまだ蒸し暑さは弱まる様子もない。手元の扇子で必死に仰ぐが、生ぬるい風は却って不快感を増しただけだった。

 そもそも、浴衣というのが涼しげな見た目に反して夏の暑さに向いていないのだ。風は通らないし、汗は吸わないし、露出も低いし。それだけでなく、着るのだって一人では難しい。

 ここまで苦労したのだから、この格好を褒めなかったら怒るからな——人混みの中から葵の姿を見つけて、私は胸の内で決心したのだった。


「わぁ、先輩、ホントに浴衣着てくれたんですね」

「なんだ、その反応。着なくても良かったんかい」

 最初のセリフが褒め言葉でなかった時点で、暑さに苛々していた私の返事はツンケンしたものとなった。だが、冷たい私の反応にもめげず、葵はふにゃりと笑う。

「いや、ダメ元で言ってみたんで嬉しくって。浴衣、すげー似合ってます。先輩、カワイイ」

「そ、そう?」

 単純なもので、それを聞いた途端私の機嫌は急上昇した。

 ——ていうか、葵ちゃんってそんな風に笑うことあるんだ。初めて見る気の抜けた笑い顔を、意外な気持ちで眺める。普段私には、意地悪な笑みしか見せないくせに。


「去年サークルで祭り行ったときは先輩、普段着だったじゃないですか。一回生のときは浴衣だったって聞いてたんで、ずっと気になってたんです」

「まぁねー。浴衣はお祭り気分が上がるけど、面倒くさくってさ。一度やって、もう良いかなって思っちゃったんだよね。皆もわりと反応薄かったし」

「そりゃ周りの見る目がないとしか。こんなに似合ってるのに」

「だよね、やっぱりお祭りって言ったら浴衣だよね? 葵ちゃん、わかってんじゃんー」

「なんか、噛み合ってない気がします……」

 そう? と首を傾げながらも私は特に気にすることなく歩き出す。

「ま、喜んでくれたなら着て良かったよ。さ、早く行こ」

 ——なにせ、祭りの喧騒が「早く来い」と私を呼んでいるのだから。



「で、あの山車が珍しいカラクリ細工の山車で……」

 そうして、一時間後。ほうほう、と頷く葵を引き連れながら、私は意気揚々とお祭りを練り歩いていた。

 先ほどからずっと歩き詰めだし語りっぱなしだが、これでもまだまだ話し足りないし見足りない。この祭りは色々とチェックするべきポイントが多いのだ。

 それぞれの山車の特徴やモチーフ、自慢の芸術品は実物をちゃんと見せながら説明したいし、祭事全体の話も前提として必要だし、今しか見られないお屋敷の中だって見て回りたい。そんなこんなで私は、息をつく間すらないほどお祭りの空気に高揚していた。


 意外に聞き上手な葵は、そんな私を楽しそうに眺めながら首を振る。

「いやぁお祭りなんて出店冷かして山車を遠くから眺めて終わりだと思ってたんで、こんなに色々見るものがあるとは思いませんでした」

「まぁ実際、去年はそんな感じだったもんね。大人数で回っちゃうとどうしても深い話はしにくいよなー。特にほら、去年はアニメのコスプレしてる人が多くて、サークルの皆で元ネタが何かで盛り上がっちゃったから。あ、私、一方的に喋ってばっかりだけど大丈夫? 退屈してない?」

「全然。先輩の話、すっごい面白いです。俺は理系だから今まで聞いたことのない話ばっかりで、新鮮」


 なんだ、この後輩。普段は生意気なくせにカワイイところもあるじゃないか。そう言うことなら、私が彼を全力で楽しませてやらねば——。私のギアが、さらに一段上がった。

「そうそう、さっきの山車だけどちょうどこの位置からだと仕掛けが……」

 言いながら、振り返る。それを避けようとした通行人とガン、と肩が当たった。

「あ、すみません」

 反射的に謝罪を口にしながらも、足がたたらを踏む。

 ——あ、これマズイ。浴衣に合わせて慣れないヒールのサンダルを履いてきた所為で、バランスがとれそうにない。身体がぐらりと(かし)ぐ……。

「っと。大丈夫ですか、先輩」

「あ、ありがと。危なかった……」

 ガシッと力強い腕に支えられて、私はホッと安堵の息をついた。縋り付くようにして立ち上がり、恐る恐る足首を確かめる。

 ——良かった。変に捻ったりはしなかったようだ。


「解説はありがたいですけど、ちゃんと前見てないからそうなるんですよ。——ほら」

 差し出された手の意味がわからなくてキョトンとしていると、私の察しの悪さに葵はため息をついた。

「人も増えてきましたし先輩もコケそうですから、手を繋ぐんですよ」

「ああ、うん……?」

 促されて、手を握る。

 ——何だろう、コレ。なんかすごい恥ずかしい。あちこちを歩いていくカップルと同じことをしているみたいだ。どう振る舞えば良いかわからない。

「ほら。これなら(はぐ)れないでしょう」

「ああ、うん。そだね……」


 いや、わかってる。彼に変なつもりはなくて、ただ先輩である私を案じてこうしてるだけってことは。でもこの手繋ぎって、大人になってやると物凄く居た堪れない気持ちになるのだ。落ち着かない私を尻目に、向こうだけ涼しい顔をしているのが腹立たしい。

 ——あ、でも私に合わせて歩くのをゆっくりにしてくれてるのは嬉しいかも。

「先輩? 次の山車は何か逸話あるんです?」

「ああ、次はね……」

 ——後、手おっきいな。まぁ背も高いもんね。

 ほぼ上の空ではあったけれど、私の口は自動的に会話を開始する。……でも。

 さっきまで何気なく見ていた隣の彼の顔は、見られなくなっていた。


*****


 ()()は、お祭りもあらかた見終わって語ることもなくなってきた頃、私の耳に届いた。シャララララ、と風に乗って届く、透明な波のような音。お祭りの賑わいに塗り潰されながらも、その澄んだ音色は私の心を惹きつける。

「ねぇ、何の音だろう」

「音、ですか?」

「そう。こっち」

 不思議そうな反応を見せる葵を引っ張って、小路(こうじ)へと入った。大通りを一本曲がるだけで、祭りの喧騒はぐんと遠くへ去っていく。

「ほら」

 しーと唇に指を当てる。しばらく耳を澄ませると、ふわりと吹いた夜風に乗ってもう一度澄んだ音が響いた。——さっきよりも近い。

「えーと……多分こっち!」

 もう一度、角を曲がる。どっちから来たのかはわからなくなったけど、そこはまぁ何とかなるだろう。いざとなれば、スマホもあるし。


「……ほら」

 目的の場所を見つけたというのに、呟いた声は気弱な囁きになってしまった。でも、それを揶揄う声はない。きっと、葵も目の前の何処となく異質な光景に言葉が出なかったのだろう。

 遠くから聞こえてくる騒めきは、却ってこの場の静寂を浮き彫りにする。その静けさの中に佇むのは真っ暗な神社と——そして、暗闇に取り残された、明るい小さな屋台。


 それはなんてことない取り合わせなのに、奇妙なチグハグ感のある光景で。私はふとルネ・マグリットの『光の帝国』を思い出した。非現実的で不安定な気持ちを呼び起こされるのに、何故か目が離せなくなる不思議な美しさを感じる。

 テント内部からは、人工的な明かりが煌々と漏れていた。その光が建物に吊り下がる何かに反射して、無秩序に光の粒をばら撒いている。あれは、一体何だろう。

 いつの間にか立ち尽くしていた私の背を押すように、緩やかな風が吹いた。途端、屋台に並んだそれが一斉に音を鳴らしはじめる。涼やかで凛とした、私の心を引きつけるあの音。あれは。


「風鈴……?」

「おや、お客さんかい」

 ぎくりと肩が跳ねて、思わず葵の手をギュッと握り締めた。

 唖然と棒立ちになっていた私たちの前に、小さなお爺さんが屋台から姿を現す。身長は私の胸ほどまでしかなくて、皺だらけの顔には人の良さそうな笑みが浮かんでいた。

「いらっしゃい。お祭りの人が来てくれるなんて、珍しいね」

「あの、キレイな音が気になって……」

「おや、それは嬉しいねぇ。素人の手遊(てすさ)びだけど、音色にはこだわったから。良ければ見て行ってくれ」


 促されて、おずおずと前に出る。屋台の光が届くところまで近寄ると先ほど感じた異様な雰囲気は消えていって、人知れず安堵の息をついた。

「気になる品があったら、手にとってくれて構わないからね」

 優しく言われるが、お金のない大学生が工芸品なんて買えるはずもない。冷やかしなのが申し訳なくて、お爺さんの視線から逃げるように熱心に風鈴を眺めるフリをした。手を繋いだままの葵には、私の手が緊張でじっとりしていることが伝わったに違いない。

 さて、どうやって角を立てずにこの場を立ち去ろうか——自分から近づいたくせにそんなことを考えつつ作品に目を走らせる。それなのにある風鈴が目に入った途端、私の視線はそんな思考とは関係なくそれに吸い寄せられていった。


「それが気に入ったのかな」

「あ、いえ、えっと……」

 私が答えるよりも先に、お爺さんはサッと風鈴を降ろしてしまった。

「少し小ぶりで音は小さいけれど、涼やかでしょう」

 差し出されて、反射的につい受け取ってしまう。

 すりガラスの少し不透明感のある色合いに、緩くカーブを描いた青いラインと小さな水玉模様。まるでお祭りのヨーヨーのようなデザインだ。遠目から見た時にも思ったけれど、やっぱりカワイイ。

「確かに先輩に似合うデザインですね。さっきヨーヨー釣りの屋台通り過ぎる時も、見惚れてましたもんね」

 ——えぇい、お前は一旦黙っとれ。

 葵の言葉は無視して、そっと値札に目を走らせる。3,200円。……え、本当に? 3万円の見間違いじゃなくて?

 今度はもう少ししっかりと値札を直視した。掠れたゼロが隠れていないか念入りに見るが、やはり数字は同じに見える。


 ——3,200円。もちろん、それでも一人暮らしの大学生には大きな数字だ。だが、まだ現実的なライン。これくらいなら戦える。……何と戦うのかって? それはもちろん、生活と。

「これ、ください」

 まだ戦う決心はついていなかったというのに、気づけば私の口からはスルリと勝手に言葉が飛び出していた。葵の意外なものを見る視線には気づかないフリをして、なんてことない表情を必死で装う。

 ——ああ、つい言ってしまった。でも、後悔しても仕方ない。それだけ欲しいと感じてしまったのだから。

 とはいえ、これからしばらくご飯を質素にするか抜くかしなければならないだろう。確か乾燥ワカメがあったはずだから、それでお腹を膨らませて……。


「はい、ありがとう。簡単にしか包んでないから気をつけて持って返ってね」

 そんな涙ぐましい思考に没頭しているうちに、お爺さんは包装を終えていた。

 手渡された紙袋の中を覗けば、割れ防止のためか風鈴は紙コップに入れられている。そのちょっと雑な感じが、逆に手作りの証のようで唇が緩んだ。

「ありがとうございます、大切にします」

 ペコリと頭を下げて、屋台を後にする。胸の内を占めるのは、気に入ったものを手に入れた満足感と、後先考えない購入のやっちまった感のせめぎ合い。

 ——もう、当初感じていた屋台の異質さのことなんてすっかり吹き飛んでいた。


*****


「わざわざ送ってくれてありがとー。今日はめっちゃ楽しかったよ。お互い良い夏休みを過ごせると良いね。……それじゃ」

 風鈴屋さんを最後に、私のお祭りはそうしてしっとりと終わった。

 大勢でワイワイ、とはいかなかったけれど、例年以上に満喫できた感のある今年のお祭り。良い日だったな、と思いながら葵に預けていた風鈴に手を伸ばす。——部屋に戻ったら、早速どこに飾るか考えなくちゃ。


「もし良かったら風鈴、取り付けるところまでやりましょうか? 先輩じゃ色々と届かないでしょ」

「む、ヒトをチビみたいに言うな。女性で160あったら別に小さくはないぞ」

 一見親切なように見せながら可愛くないことを言い出した後輩に、口を尖らせた。……本当のところは160cmまで2cmほど足りていないのだが、そこは秘密だ。

「俺とほぼ20cmくらい差があるじゃないですか。先輩カワイイー」

「ええい、わしゃわしゃするない!」

 頭を撫でるなんて、先輩をなんだと思っているのか。腹が立ってその手を振り払い、相手を睨みつける。

 ……なるほど。確かに、あらためて見てみると普段の私の目線は彼の肩あたりまでしかない。睨みつける視線は、どうしても上目遣いになってしまった。ちょっと悔しい。

「そこまで言うならその身長、使わせてもらおうじゃないか!」

 イラっとしたので、彼の挑発に乗ることにした。ええい、ワザと高いところをリクエストしてこき使ってやる。


 ——だが。現実は、非情だった。

「うわ、ガチで簡単に届くんだ……」

「ね。だから俺を頼った方が良いって言ったでしょ」

 踏み台も使わずに軽々とカーテンレールに風鈴を取り付け、葵はしたり顔で言う。チリン、と風鈴が同意するように鳴った。これ以上この話題を続けるのが面白くなくて、私は風鈴に視線を移す。

「うん、やっぱり良い音。思い切って買って良かった」

「正直買うと思ってなかったんで意外でした。先輩、屋台のメシ買うのだって随分悩んでたのに」

「まぁ一目で気に入っちゃったからねぇ。3,000円なら、少しの間ご飯を我慢すればなんとかなるし。しばらくはうどんに乾燥わかめ入れてやり過ごそうかと」

 えぇ……とドン引きした顔をされるが、仕方ない。ない袖は振れないのだ。

「すみません。喉乾いたんですけど、何かあります?」

「はいはい。今日はお世話になったし、先輩が手ずからお茶を淹れてやろう。ちょっと待ってなさい」

 部屋を後にして、廊下にあるキッチンへ向かう。その背後でリン、という風鈴の音が聞こえて私は笑みを洩らした。——なんだ、葵も気に入ってるんじゃないか。



「先輩、勝負をしません?」

 そう葵が持ち掛けてきたのは、私が淹れたお茶を二人で飲み終えた後のことであった。

 突然の提案に、私は首を傾げる。彼の方からそんなことを言ってくるなんて、珍しい。

「良いけど、何の勝負?」

「夏休みの、メシの勝負です。先輩が勝ったら、俺は夏休みの間先輩の好きな時にメシを奢ります。回数は問いません。その代わり、俺が勝ったら週に2回くらいメシを作ってくれませんか。材料費は出しますから」

 ——はて。随分唐突な話だ。

「回数問わないって、葵ちゃん破産しちゃうよ?」

「先輩、意外と常識人ですからそんなことにはならないでしょ。多分、俺が負けても週イチで学食奢らせるくらいじゃないですか」


 葵の返しがあまりに的確で、言い返せなかった。確かに私の感覚だと、それくらいに落ち着きそうな感じはする。いくら勝負の結果とはいえ、後輩にそこまでタカるようなマネはしたくないし。……いや、もちろん、奢ってもらえるチャンスを無かったことにすることもないけれど。

 対して、負けた時のことを考える。別に料理自体は苦手ではないし、手間はかかるけど材料費を出してもらえるのであれば……そこまで考えてから、気がついた。

「え、負けた場合の作った料理って、私も一緒に食べて良いんだよね?」

「警戒心があるのは結構なことですが、俺もそんな意地悪いことは言いませんよ。もちろん、一緒に食べて大丈夫です。作ってもらうんですから、場所も先輩の家で良いですよ」

「ほう、ほう」

 それなら別に、負けてもそこまで悪いことにはならなそうだ。

「うん、良いよ。勝負は何にする?」


「そうですね……」

 言いながら、葵はポケットからサイコロを二つ取り出した。ボドゲサークルの部員は、大概ポケットにサイコロを忍ばせているものなのだ。私も筆箱にいくつか入れている。

 先ほどまで風鈴の入っていた紙コップをその上に被せ、葵はガチャガチャと中が見えない状態でサイコロを振る。おもむろに立ち上がり、リン、と風鈴を鳴らしたのは何かの儀式だろうか。

「このコップの中に入ってるサイコロの目の合計が偶数か奇数か当てる勝負にしましょう。偶数だったら丁、奇数だったら半で」

「いや、丁半博打くらい知ってるけど……それ、ゴブレイの対象だよ? 良いの? もしかして勝つ気ない感じ?」

 あまりに杜撰な提案に、私の方が心配になる。何を狙っているのかがわからない。

「いいえ? 勝てる自信があるから言ってるんですよ」

 混乱する私をよそに、もう一度ダメ押しのようにガチャガチャと紙コップを振り、葵はにこやかに聞く。

「さあ、一回勝負です。丁ですか? 半ですか?」

「……半だけど。本当に良いの?」


 ゴブレイが発動した時は、妙な確信がある。中を見なくても、結果が半であることは私にとって揺るぎない事実であった。

「じゃあ、見てみましょうか」

 思わせぶりに葵がゆっくりと紙コップを上げていくが、私はいっそ無感動なほどの眼差しを向ける。答えがわかりきっている結果発表ほどつまらないものはないのだから。……それなのに。

「え……?」

 そこに現れたサイコロの目は二と四。()()()()()()()()()()()()()()()()()

「はい、俺の勝ちですね」

「嘘、なんで!? 絶対半だと思ったのに!」


 これが普通のゲームだったら、ここまで狼狽えることもなかっただろう。私はゲームが別に強くはないから。でも、ゴブレイだけは別だ。これだけは、絶対に間違えないはずなのに。

 オロオロする私を前に、葵はのんびりした口調で切り出す。

「さっき風鈴を買った場所、物々しい雰囲気ありましたよね」

「? まぁ確かに。異界みたいな怪しさがあったかも」

 だからといって、それがこの結果とどう関係あるというのか。

「先輩、風鈴はもともと魔除けに使われていたって話、知ってます?」

「まあ聞いたことはあるけど……」

「あの音聞いて、思ったんですよね。この風鈴の音は先輩のゴブレイを打ち消せるかもしれない、って。根拠はないんですけど、本当になんとなく」

「まさか、それで私負けたの……?」


 理屈も何もあったものではないが、それを言ったらそもそもゴブレイがそういうものだ。そんなこともあるのかもしれない。

「先輩が認められないっていうなら、なかったことにしても良いですけど……」

「いや、良いよ。先輩に二言はない。これは、私の負けだ」

 キッパリと首を振る。——まさか、私のゴブレイが負けるとは思わなかったけど。しかも、自分で買った風鈴なんかの所為で。

「材料費出してくれるなら、私も助かるし。葵ちゃんのおかげで健康的な食生活が送れるって考えれば、むしろありがたいのかも。夏休みの間、よろしくね」

「こちらこそ、ありがとうございます。前、花見の時に先輩が持ってきてくれたおかず美味しかったですし、期待してます」

 キラキラした笑顔で言われれば、私だって悪い気はしない。自分一人だったら絶対やらないけれど、この夏は自炊を頑張れそうだ。

「じゃあ先輩の家行く日程はまた連絡するんで。今日は帰ります、おやすみなさい。戸締り、しっかりしてくださいね」

「うん、わかってる。おやすみー」



 「おやすみ」なんて挨拶、久々に口にしたな——閉まったドアを眺めながら、私はそんな感慨に耽ってしまった。普段の別れの挨拶は大体「お疲れ」一択だ。そんな挨拶一つとっても、今日の経験で葵ちゃんとの距離は一歩親しくなった感じがする。

 ドアの閉まる風圧で、チリンと遠慮がちに風鈴が揺れた。その音を聞いて私はふと思い出す。

「そうだ、試してみよう」


 筆箱の中からサイコロを取り出し、紙コップを探す。……あれ、さっきのコップがない。葵ちゃん、わざわざ持って帰ってくれたのかな。

 仕方がないので手のひらで塞いでサイコロを転がした。

「……半」

 そっと手を退ければ、ゴブレイの通りサイコロの目は奇数になっている。立ち上がって風鈴を揺らし、再度試した。……もう一度。

 何度やっても、私のゴブレイはちゃんと発動した。それはもう、呆気ないくらいいつも通りに。

「自分でやっても意味ないのかなぁ?」

 諦めて、ベッドに転がる。

「まぁ負けた理由はよくわからないけど、夏休みに誰かと会えるのは楽しみかも」

 大学生の夏休みは長すぎるのだ。どんな理由であれ、そこに予定ができるのであれば嬉しい。最初はどんなご飯を作ろうか——そんなことを考えながら、私はいつの間にか浴衣から着替えもせずに眠りについていたのであった。


*****


 一方、その頃。

「……やっぱり、異性として意識はされてないよなー」

 今日のことを振り返りながら、西浦葵はしみじみと呟いていた。

 別に、予想していた通りの結論だ。今更傷つきはしない。葵にとって大切なのは、「これから」なのだから。


 彼の想い人である先輩は、意外に……いや、意外でもないか、よくモテる。

 誰にでも気さくで飾らず、素直で元気な性格で周囲を明るくする魅力的な人なのだ。それも無理はない。サークルのメンバーのほとんどが彼女に対して仄かな恋心を抱いている、と言っても過言ではないだろう。そして、すでにその中の何人かは玉砕済みであった。

 かねてから観察していた通り、どうやら今のところ彼女にはそういった恋愛方向の意識は薄いらしい。だがだからと言って、いつまで先輩がそういった告白を断り続けているかを傍観している余裕はなかった。


 だからこそ、葵は動きはじめたのだ。具体的には、そこまで本気ではないサークルメンバーには「相談」という(てい)で彼女が好きなことを告げ、牽制をした。そして恋に恋しているだけでしかない多くのメンバーには、高校の頃のツテで合コンを用意してあてがった。

 もっとも厄介だったのが、先輩と一番近しかった神谷だ。悪友というポジションで彼女の隣を勝ち取り、虎視眈々とそれ以上の関係を狙っていた、目の上のたんこぶ。このままいけば、先輩の恋人の座に一番近かったのは彼だったろう。でも、それももう過去の話。

「本当、あんなことしなければ良かったのにね」

 独白とともに、うっそりと笑う。そこまで経済状況の良いわけではない神谷がどうして一番くじに散財できるのか——それを掘った結果が、まさか転売だったとは。

 もともとの動機はゴブレイにかこつけて彼女と遊びたかったからなのだろうが、そこを慮ってやる必要などない。先輩からの信頼を失った彼はこれから理由もわからぬまま距離を置かれるのだと思うと、胸がすく思いがした。


 後は、この夏休みでどれだけ先輩に近づけるか、だけである。そしてそれも、今日の反応から見るに決して望み薄ではないことが分かった。先輩は意外と押しに弱いし、雰囲気に乗せられるところがあるし、寂しがり屋だ。つまり、言葉を選ばずに言えば、割とチョロい。

 夏休みの間定期的に顔を合わせていれば彼女にとって一番親しい存在は自分にすり替わるだろうし、こちらが積極的に働きかければ異性としての意識も芽生えてくるだろう。勝算は十分にある。


 それにしても。

「ゴブレイっていうのは、本当に恐ろしい才能ですねぇ……」

 このコップの中に入ってるサイコロの目の合計が偶数か奇数か当てる勝負——あの時自分が彼女に説明した言葉を思い返す。

「風鈴を理由にするのはちょっと無理があったけど、納得させられて良かった。ま、超能力なんて理屈じゃ説明できないもんな」

 ちゃっかりと回収した紙コップを裏返す。


 ——そこには。1()()()()()()()()()()()()()()()()()()が、貼り付けられていたのだった。


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