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祓い屋先輩シリーズ

高校生の頃にやっていたバイトの話

作者: 千夜みぞれ

 これはわたしが高校生の頃にやったバイトの話です。

 高校一年生の頃、実家が貧しかったわたしは学校から夏休みの間だけバイトをする許可を貰いました。

 普通ならコンビニのバイトなどをするのでしょう。でもわたしは生まれつき飽きっぽい性格で、ひとつのことが長続きしません。

 そんなとき、短期間で稼げるというネットの求人を見つけたのでした。


◇◆◇


 湖畔(こはん)の微かに湿った空気が、まだ眠りから覚めきらないわたしの頬を撫でた。

 スマートフォンの画面に表示された簡素な地図アプリを頼りに、人気(ひとけ)のない湖に続く道を歩く。草の露が朝日を受けて、頼りない光を放っている。

 ネットで見つけた「湖の監視員」というアルバイト。奇妙な響きは否定できないけれど、提示された金額はわたしの僅かな理性に蓋をするには十分すぎた。

 まさかこんな早朝に、こんな場所で一人佇むことになるとは想像もしていなかったけれど。


 湖面は静かで、まるで深い眠りについているようだった。

 風の音だけが、遠くの山々からゆっくりと運ばれてくる。

 監視と言っても、具体的に何をすればいいのかはよくわからない。ただ、ここにいるだけでいいのだろうか。そんな曖昧さが、この状況全体をより一層奇妙なものに感じさせた。

 それでもこの静けさは嫌いじゃなかった。むしろ、雑多な喧騒から隔絶されたこの場所は、静かで悪くないのかもしれないと、ぼんやりと思った。


 最初の違和感は、日が完全に昇りきった頃に訪れた。

 湖の中央、遠くに見えるはずの小さな島影が、見当たらないのだ。

 昨夜、念のために確認したはずなのに。まさか、見間違いだっただろうか。そう思おうとしたけれど、頭の片隅で何かが引っかかる。

 まるで記憶の方が曖昧で、現実の方が正しいと言われているような、そんな不確かな感覚。


 それからも湖畔の遊歩道を歩いていると、昨日まではなかったはずの古いボートが、岸に打ち上げられているのを見つけた。

 木製のそれは、長い年月を経たような風合いで、蔦が絡みつき、どこか物言わぬ幽霊のようだった。

 こんなものが、いつからここにあったのだろう。周囲を見回しても、人の気配はない。ただ、湖面を渡る風が、ボートの古びた木材を軋ませる音だけが聞こえる。


 時間が経つにつれて、奇妙な出来事は小さな波紋のように、わたしの周りに広がり始めた。

 監視小屋に置いておいたはずの自分の飲み物が、いつの間にか見知らぬミネラルウォーターに変わっていたり、誰もいないはずの湖面から、微かな歌声のようなものが聞こえてくる気がしたり。

 それらは全てが曖昧で、気のせいと言ってしまえばそれまでだった。けれど、それらが積み重なるたびに、わたしは言いようのない不安に包まれていった。


 翌日の夕暮れ時、湖面が不自然なほど静まり返っていた。

 波一つ立たず、まるで鏡のように空の色を映している。そんな湖の中央付近から、ゆっくりと、しかし確実に、何かが浮上してくるのが見えた。

 最初はただの大きな影かと思ったけれど、それはみるみるうちに形を成していく。白い、肌のようなもの。そして細長く伸びた、まるで腕のようなものが、いくつも水面から現れては消える。


 わたしは息を呑んだ。気のせいだ、きっと光の加減だ、と自分に言い聞かせようとした。

 しかしその影はまるでわたしを誘うかのように、ゆっくりと岸辺へと近づいてくる。

 水面に現れたその「腕」は、まるでこちらへ手を伸ばしているように見えた。恐怖で足がすくみ、逃げ出したいのに一歩も動けない。


 その瞬間、湖面から冷たい風が吹き、わたしの頬を撫でた。その風は、どこか甘く、しかし腐敗したような匂いを運んできた。そして、はっきりと、微かな囁きが聞こえた気がしたのだ。


「……こっちに来て……」


 女性のすすり泣くような不気味な声だった。

 その声が聞こえた途端、わたしは走った。声から逃げるように。自宅へと向かって。


 気がつくと自室のベッドに倒れ込んでいた。

 まるで溺れたように全身に冷や汗がにじみ、身体が震えていた。


 翌日、わたしは同級生の家を尋ねた。

 霊感が強いとか、そういったモノが見えるとか噂の幼なじみの家だ。

 わたしは彼女に起こったことをすべて伝えた。すると彼女は、「ふうん」と何でも無いように呟いた。


 それから一緒に湖へと向かうことになった。

 スマートフォンや着替えなど、監視小屋に忘れてきているからだ。

 自転車で二十分ほどかけてようやくたどり着いた湖を見て、わたしは目を見開いた。


「えっあれ、なんで?」


 他には何も言えなかった。

 湖があった場所は、枯れ果てて草も生えないような窪地(くぼち)になっていたのだ。

 呆然とその光景を見ていると、幼なじみがスマートフォンと着替えなどの荷物を持ってきてくれた。

 どうやら近くの廃屋(はいおく)に落ちていたらしい。


「水に入らなくてよかったね。戻れなくなってたかも」


 幼なじみの涼しげな声に、わたしはゾッとすると同時に安堵感(あんどかん)のようなものを感じて腰が抜けそうになった。

 あの湖は夢だったのだろうか。それとも、現実だったのだろうか。

祓い屋先輩シリーズです。

他も良ければ見てください。

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