婚約を破棄されて詰んだわたくし、もう侯爵令嬢に求婚するしかない。
男爵令嬢✕侯爵令嬢百合です。長めの15000字でお送りいたします。
※主人公メリッタの鳴き声「実家安堵」は造語です。領地(本領)安堵に近いですが、そちらでは意味が通らないので。
「実家! 安堵! 実家! 安堵!! 実家ァァァァァ――――――――」
ボロをまとった赤毛の女性が、ほぼ垂直に切り立った崖を、命綱もつけずに登っている。
「安堵ォォォォォ!!」
彼女は手を伸ばし、崖のくぼみに収まっているものを手に取った。
「よし! 〝聖なる炎〟、確保!」
それは消えない火。聖なる炎。原初の熱が未だ冷めやらぬ木片。
もちろん――――とても熱い。
「あっちゃーーーーー! ハッ」
両の手を放してしまった女性は、崖から落下し――――
「まだまだぁ!」
――――腰に下げていた鞭のようなものを手に取り、素早く打った。
黒い縄のようなそれは、彼女より早く落ちようとしていた炎の木片を巻き込んで。
そのまま、崖の中腹からせりだした太い木に絡みついた。
「おわああああああ!!」
悲鳴を上げながら落下した彼女は、木を支点に振り子のように大きく揺られる。
縄が絡まった木は思うより深く根を張っていたのか、折れることなく彼女の身を支えた。
「よかった……〝変幻の鋼〟、様々ですね」
自分を支える手の先の黒い縄と、その中ほどに絡めとられた燃える木片を見て。
彼女はにこやかな笑みを浮かべた。
(これで、あの人の言っていたお宝は五つ全部集まりました。
夏休みもそろそろ終わりですし、早く学園に帰らないと)
〝変幻の鋼〟はするすると伸び、それを掴む彼女をゆっくりと地上に近づけていく。
やがて地面に降りることに成功した彼女は、黒い縄と燃える木片を回収。
木片は、水の入った皮袋におさめられた。
「〝永遠の雫〟と一緒なら、周りも燃えないですね……これで持って帰れそう。
急がなくては」
彼女は崖を背にし、空を見上げる。
その視線は、彼方の祖国に向けられていた。
「我がロゼ男爵家がお取り潰しになる前に!
リーズ様と結婚して、侯爵家にご支援をいただく!!
実家安堵!」
天に掲げられた彼女の指先が。
太陽とは別に浮かぶ、白い球体を指していた。
◇ ◇ ◇
夏季休暇に入る、少し前のこと。
「メリッタ! お前との婚約は破棄だ!」
「なぁ!? 何でですかルコイス様!!」
王都の魔導学園。中庭に呼び出された先の崖登り女性・メリッタは、窮地に立たされていた。
翡翠のような鮮やかな髪と目の色をした男性が、彼女を責め立てている。
「お前の実家! ロゼ男爵家が! 借金を返さないからだ!」
その発言を皮切りに、彼はメリッタをああだこうだと罵倒し始めた。
彼の名はルコイス。ストーン辺境伯家の長男である。
メリッタは一昨年、彼に請われて結婚の約束をしていた。
だが罵倒混じりの発言内容を踏まえるに、どうにも彼は今、大量の金銭を必要としているようだった。
そのためメリッタとの婚約を解消し、彼女の実家から借金を回収する構えのようである。
利子は返済しているし、期限は何年も先だとメリッタは述べたが、彼は聞く耳を持たない。
しかも金が必要なのは……さる令嬢に、贈り物をするためだという。
つまり。
(わたくしはリーズ様に近づくための、ダシにされたということ!?)
侯爵令嬢リーズ。女子寮における、メリッタのルームメイトである。
見目麗しい彼女は、多くの男性に懸想されていた。
ルコイスもまた、その一人というわけである。
メリッタへの罵倒から矛先を変え、リーズがいかに美しいか、それに自分がどれほど相応しいかを語りだすルコイス。
自分のそばにいることこそ、リーズの幸福であるとまで言い出し、メリッタは少々うんざりしてきた。
当の侯爵令嬢リーズは、男性の求婚が殺到する現在の状況に疲弊しており、今はメリッタ以外とはほとんど交流をしなくなっている。
メリッタがそう説明しても。
「俺は辺境伯の息子だぞ!? この年で武勲もある。
それがなぜ会えもしない! 手紙も返されない! あり得ないだろう!
貴様が俺のことを捻じ曲げて、彼女に伝えているに決まっている!
違うというのなら、直接面会させてみろ!」
令息ルコイスはいきり立つばかり。
ついに彼はメリッタの制服の襟首を持ち、がくがくと揺さぶり始めた。
「あいつも、お前も、お高く留まりやがって!
女など、俺の装飾品よろしく大人しくしていれば良いものを!!」
(前からそういうところはありましたが、女性を物としか見ていませんねこの人!)
「聞いているのか、竹女! この役立たずめ!!」
ルコイスがそのように言った瞬間。
彼の手首が、みしりと音を立てた。
メリッタの手が、彼の両の手を掴んで引き剥がしている。
「――――――――今。竹が役立たずだと言いましたか?」
メリッタの豹変ぶりに慄いたのか、ルコイスが手を放して後ずさる。
一方のメリッタはどこからか取り出した青い筒……竹筒を何個も繋ぎ、一本の槍とした。
「竹は槍にヨシ、弓にヨシ、防具にヨシ、食料にもなり、生活備品から家の建築にまで使えるのです。
その竹を、役立たずなど……聞き捨てなりません! 成敗してくれるッ!!」
「そ、そんなことは言っていない!?
くそっ、もういい! こうなれば女子寮に乗り込んで――――」
目を血走らせて迫るメリッタに、弁明しつつ逃げる構えのルコイス。
――――そこへ。
「田舎貴族が息巻いたところで、彼女が応えるものかよ」
刃のような冷たい言葉が投げかけられた。寮へ向かおうとしていたルコイスが、凍り付いたかのように足を止める。
中庭に現れたのは、金髪碧眼の男性。
ルコイスと同じ学生服を纏っているはずなのに、明らかに豪奢な印象を与える貴人。
この国の第一王子、ランド・スケープである。
彼を前にしたルコイスは、平伏する勢いでかしこまった。
「こ、これはこれは。ランド殿下」
「礼などとらんでいい。彼女に見向きもされない男から、そのようなものを受け取ったところで。
……己が惨めになるだけだ」
王子はメリッタに歩み寄り、僅かに微笑みを浮かべる。
メリッタは竹槍を分解して何処かにしまい、遅れて礼をとった。
「彼女が何か必要としているなら、何なりと言い給え。すぐに取り揃えよう」
「ぁ、いえ。贈り物は受け取らないと、リーズ様はそう……」
メリッタが応えると、ランド王子は唇の端を上げ、皮肉げに笑った。
元の顔がいいだけに、身震いのするような顔つきである。
「……知っているとも。彼女が求めているのは五つの至宝だけ。
未だ誰も手に入れられては、いないようだがな。
だが、私は諦めん。この夏の間に、必ず手に入れる」
言うだけ言って、王子はメリッタに背を向け、立ち去る。
(やはりあの方も、リーズ様を狙っておられるのね……)
「…………〝聖なる炎〟の場所なら、分かった。
殿下に遅れをとってしまう。急いで金と人を集めねば」
一方。小さく呟いた、ルコイスは。
「おい、メリッタ。婚約の破棄は、当家からの正式なものだ。
借金もすぐさま取り立てる。覚悟しておけ」
メリッタに向かって一方的に吐き捨て、王子とは別の方向へと歩み去った。
二人が言い争っていた中庭には、メリッタだけが残される。
一人になった彼女は、遅まきながら。
(婚約破棄の上に――――貸しはがし!?)
がっくりと膝をつき、がたがたと震えはじめた。
「実家、潰れる? 実家、潰れる!」
メリッタの実家、ロゼ男爵家はかなり台所事情がひっ迫している。
いきなり借金の返済などさせられては、ひとたまりもない。
一家全滅は、約束されたようなものだった。
(何か手を、考えなくては)
しかし幸か不幸か。メリッタは聡明な女性であった。
絶望的な状況に瀕しても、まだ立ち上がれてしまうほどには。
彼女はふらふらとしながらも、半ば習慣に従うかのように女子寮の自室を目指した。
◆ ◆
少々貧乏で、領地など小さな村落1つと山林があるくらい。
メリッタの実家・ロゼ男爵家は、見事な木っ端貴族であった。
そんな家でメリッタは山や竹林をかけ回り、すくすくと育った。
竹を切っては槍や弓矢を作り、魔物であっても撃退する兵として。
あるいは手先も器用で教養にも明るい、愛くるしい令嬢として。
両親はそんなメリッタのことを暖かく見守り、育んでくれた。
しかしメリッタは家族とは、一線を引いて向き合っていた。
はっきりと、そう言われたことはない。
だがメリッタは、自分が養子であると確信していた。
両親は元より、下の弟とも髪と目の色が違うのだ。
愛情を惜しげもなく注がれており、利発な弟との仲も良好であったが。
メリッタの胸に宿ったのは、愛された幸福感ではなく。
この恩義をなんとしても返さねばならないという、強い使命感であった。
成長したメリッタを、両親は王都の学園に入学させた。
魔法を始めとした知識技術の学び舎である、魔導学園。
貴族の準社交界という側面も強く、嫁入り先を探すのにもうってつけであった。
身分に見合わぬ高い才気を見せ、頭角を現したメリッタは、望外の縁談にも恵まれた。
まさに順風満帆。
これで大恩を返せると、メリッタは息巻いていたのだが。
危機は突然に、訪れた。
◆ ◆
「…………実家…………安堵…………実家…………安堵」
「…………………………………………大丈夫? メリッタ」
「――――――――ハッ。ここは、いったい?」
涼やかな音色が耳朶を打ち、意識を取り戻したメリッタ。
顔を上げた彼女の目には、あきれ顔の女性が映った。
「寮の部屋よ。あなた、帰ってきてからずっと……」
銀髪の女性が、視線を下げる。
メリッタもつられて下を見る。
椅子に座った彼女の膝には……竹槍。
「竹を削って、槍をたくさん作っていたのだけど」
見れば竹槍は床にも転がり、壁にも立てかけられている。
「あー……わたくし、実家が竹林の中にあって。
小さい頃から竹を弄って育ったので、なんか落ち着くというか。
すみません、後で小物にでも直します」
「知ってるし、気持ちはわかるわ。
けど、どうしたの? 何か嫌なことでもあった?」
「リーズ様……」
女性の名は、リーズ。アバカス侯爵令嬢リーズ・バンブー。
王子や高位貴族の令息たち、果ては法皇にまで求婚される、話題の淑女である。
そしてメリッタのルームメイトであった。
彼女に問われた、メリッタは。
「わたくし。婚約を……破棄、されました……」
その瞳を、暗く濁らせた。
「っ! この国の男は、そんなことしたら女がどんな目に遭うのかわかってないのね!
文句言ってやるわ!」
「リーズ様ぁ!?」
リーズがつかつかと部屋の扉へと向かう。
思いのほか怒り心頭な彼女に驚き、メリッタは目を白黒させながら立ち上がって、リーズに追いすがった。
膝から落ちた竹が鳴り、削りカスが舞う。
「ままま、まってまってください! 外に出たらまた人に囲まれますって!!」
「くっ、忌々しいわね……!」
メリッタはなんとか、リーズを部屋の真ん中に押し戻した。
リーズはどういうわけか、老若男女問わず見る者すべてを魅了する。
この学園は魔法の結界が張られていてマシな方ではあるが、彼女が外に出るとすぐ人に取り囲まれるのだ。
「わたくしなら、大丈夫ですから。
それに、よく考えたら最初から計画的だったんです!
そんなのに引っかかった、わたくしが悪いといいますか……」
「……………………どういうことかしら」
「ひっ」
低い声で唸り、鋭く睨む天女のように美しい令嬢を前にし、メリッタは竦み上がる。
妙な弁明をしたことを僅かに後悔しながら、メリッタは問われるままに、先ほどルコイスに言われたことを話した。
「…………そう。私狙いであなたと婚約した、と。
男爵家への貸し付けも、おそらくは言うことを聞かせるためね。
婚約破棄も、最初から織り込み済み……許せない」
「まぁはい。そういうわけなので、そこは諦めて……諦めて…………」
良い考えが思い浮かばず、メリッタは再び椅子に座り。
「これからどうしたら」
瞳を濁らせた。
「天宮の巫女にでも選ばれれば、また違うんでしょうけどね……あははは……」
メリッタは窓の外を、濁ったままの瞳で見る。
雲一つない空の向こうに、白い大きな円があった。
昼夜問わず見える星。天宮と呼ばれているものだ。
そこには都があるらしく、選ばれた者が巫女になって務めに行くのだという。
この魔導学園からは数十年に一度、優秀な者が巫女に選ばれているとのことだった。
しかも巫女となった者の実家には、金銀財宝が送り届けられるという。
確かにメリッタが選ばれれば、この危機的状況は覆るであろう。
「……そうですね、がんばります。
育ててくれた恩は、なんとしてでも返したいですし。
巫女になったら戻ってこれないとも、聞きますけど。
私なんてどうせ、もう嫁の貰い手もないでしょうし――――」
「…………成績順で言えば、選ばれるとすれば私よ。
あなたを巫女にはさせないわ」
虚ろに言葉を垂れ流すメリッタに、鋭い声が刺さる。
否定ではなく。侮りでもなく。
リーズの強い意思と決意を感じさせる、言葉であった。
「リーズ様?」
メリッタをじっと見ていたリーズは、指先に力を込め。
ほのかに光るその指で、そっと宙を撫でる。
彼女の魔法を受け、削りカスが宙を舞い、隅の屑籠に落ちていった。
さらにリーズは歩み寄り、メリッタの髪を撫でる。
「あの? リーズ様……?」
彼女は手櫛でメリッタの赤毛を整えた後、乱れた襟や袖を直し。
その装いが整ったのを見届けてから。
そっとため息を吐いた。
「私の両親に、ロゼ男爵家の支援をお願いしましょう」
「ご縁もないのに、そんなことしていただくわけには!?」
「縁はそうだけど、恩はあるわ。私が人として生活できているのは、あなたがいるからよ? メリッタ」
リーズはどうにも人を魅了してしまうらしく、しかもその不思議な魅力は年を経るごとに増すばかり。
今では出歩くのすら困難になっている。
メリッタが世話し、また外出時は護衛を務めなければ、学園生活を送ることは不可能だろう。
「私のこの妙な魅了にかからないというだけでも、あなたには値千金の価値がある。
絶対路頭に迷わせないから。安心してちょうだい」
「あー……わたくしは単に、リーズ様を見ても問題がないだけですし。
お世話はその、わたくしが好きでそうしているだけですから。
気にしないでください」
「気にするわよ。そうね、縁というなら」
リーズのほっそりとした右手が、メリッタの頬を撫でる。
彼女はぐっと顔を近づけ、メリッタの赤い瞳を覗き込んできた。
「私のお嫁さんにでもなってみる?」
「んなぁ――――――――!?」
「ふふ、冗談よ。まぁ宝物を持ってきてくれたら、考えてもいいけど?」
化粧もしてないのに白磁のように白く、艶やかなリーズの顔が離れ。
メリッタは紅潮しかかる自身の頬の熱を下げるため、無理やりに意識を逸らした。
「お、女同士でもいいんですかそれ!?」
「ん? そうね。条件は宝を持ってくるだけ、だから。
持ってきて、私が本物だって認めればそれで大丈夫。
年齢とか性別は引っかからないわね……」
上ずった声で尋ねるメリッタ。
リーズは口元を押さえ、メリッタに背を向けながら応えた。
「そう、だったんですね……。
た、宝物というとあの五つの?」
「あら。割とやる気? いいけど」
部屋を回り込み、リーズが机のふちに腰をかけた。
彼女は少し楽しげで、白い頬に僅かに朱の差した顔をメリッタに向ける。
その姿がまるで、妖しい魅力を放つ天女のようで。
メリッタは彼女が宝の名を謳い上げるのを、呆然と聞いた。
「天から落ちた五つの星。
〝変幻の鋼〟。
〝大地の衣〟。
〝浄化の玉〟。
〝永遠の雫〟。
それから〝聖なる炎〟ね」
「はぁー……。
魔道具とは違って、不滅の力を持つっていう……おとぎ話の、ですよね。
本当にあるんですか?」
「あるわよ。確かに得るのは難しいけど、さすがに存在しないものを結婚条件にしたりしないわ。
ないものを求婚避けに使ったと思われたら、私恨まれるじゃすまないもの」
リーズに求婚する者は、後を絶たない。
そこで彼女と実家のアバカス侯爵家は、王国経由で聖教会に申し入れを行い、触れを出した。
伝説の五つの宝のいずれかを捧げられれば、リーズはその者と婚姻を結ぶ、と。
冠婚葬祭を広く司る聖教会が、魔法を用い、法皇の名で出した触れの効果は絶大で。
リーズに対する、無尽蔵の求婚はおさまった。
だが。
「もう、逆恨みくらいされてるでしょうけどね。人間って、何でもありだわ。
偽物を持ち込む者多数。悪びれもせず私をだまそうとする者もたくさん。
明らかなガラクタを持ってくるヤツもいるし」
侯爵令嬢の生活は、いまだ平穏からは程遠い。
「リーズ様を一目見たいって輩でしょうね……」
「嫌になるわね。これ、自分の力じゃないみたいだし……暴動とか、起きなきゃいいけど」
投げやりに言うリーズの言葉を聞いて。
メリッタは。
そっと胸を押さえた。
(こんなの、あんまりです)
メリッタはもう二年半近く、この気さくな侯爵令嬢と共に過ごしている。
ゆえに、彼女が。
本当は外に出たいのに、いつも退屈そうにしていることも。
たまには実家に帰りたいのに、それがまったく叶わないと気に病んでいることも。
美辞麗句を並び立てながら、どす黒い欲望を隠しもしない男たちにうんざりしていることも。
何もかも、よく知っているのだ。
(わたくしがなんとか、できれば――――――――あれ?)
自らの胸の内に沸いた想いを、ぼんやりと眺めるうちに。
メリッタは一つの活路を、見出した。
「…………リーズ様って、結婚自体はしたいんですか?」
「いいえ? 婚約も結婚も、裏切られるものだし。
私はただ、ちゃんと約束を守ってくれる普通の人と、過ごしたいだけね」
応えるリーズの顔に、メリッタは。
抑え難い、疲れのようなものを見た。
「そう。私はなんていうか……そっとしておいて、ほしいのよ。
刺激なんて、もういらない。平穏無事が、一番だわ」
「そう、ですか」
メリッタは下唇を一度噛み。
目を強く瞑って、僅かに頷いて。
それから、顔を上げた。
「リーズ様。急ですけどわたくし、夏休みは一度実家に帰ろうかと。
破談のことも、報告しないといけませんし」
「あー……そうよね。そうしないわけにもいかないでしょう。
お父さまとお母さまを呼んでおくわ。
ちょっとお年だけど、頼りになるし。
こちらは気にせず、行ってらっしゃい」
「あ! そうでした。ごめんなさい、リーズ様」
メリッタは自分の考慮不足を痛感し、頭を下げた。
自分がいなければリーズの生活に支障をきたすことを、失念していたのだ。
「いいのよ。…………そんなことより」
リーズの、ほのかに蒼の混じる視線が、少し惑う。
メリッタが見返して待つと。
「帰ってきて、くれるわよね?」
躊躇いがちな呟きが、紡がれた。
「はい、もちろん! ちゃんとお休み中に帰ってきます!」
◇ ◇ ◇
(リーズ様は恋愛には興味がないご様子!
ならばわたくしがすべての宝を独り占めし!
資格を得てリーズ様と結婚し!
ご縁を作って、堂々とご支援いただく!
リーズ様を、煩い男たちの手からも守れる!
婚約破棄もうやむやになり! 実家も助かる!
完璧な計画!)
メリッタはそう考え。
「竹ヨォシ! 実家安堵!!」
大量の竹で武装し、夏季休暇に入るのと同時に旅に出た。
メリッタは。
――――流砂の底で見つけた即身仏と共に祈り、その衣を譲り受け。
「実家!」
――――〝大地の衣〟をまとって火山火口に潜り、その奥で溶けない鉄を見つけ。
「安堵!」
――――〝変幻の鋼〟を持って空を舞う龍と対決し、その逆鱗に埋め込まれていた宝玉を取り除き。
「実家ァ!」
――――〝浄化の玉〟に導かれ、毒霧に包まれた幻の都の謎を解いて、夢幻を作り出す一掬いの水を手に入れた。
「安堵ォォォ!」
そうして神鳥に認められ、その居住たる霊峰で最後の〝聖なる炎〟を手に入れ。
〝永遠の雫〟で包み、これを持ち出した。
道中、王子や他の男たちの妨害に遭いながらも。
メリッタは苦難を乗り越え、すべての宝を手にしたのだ。
(〝聖なる炎〟を手に入れてから、疲れがない。体も軽い!
これなら、夏の間にリーズ様の下へ帰れる!)
馬車も船も使わず、メリッタは己の足で祖国へ急ぐ。
しかし。
彼女はその、夏の終わりに。
奇妙なものを、見た。
◇ ◇ ◇
「なん、です。あれ」
スケープ王国の王都まで戻ってきたメリッタ。
夜間のことであったが……王都の空は、昼間のように光に満ちていた。
(あれはまさか――――天宮!?)
メリッタは空と王都を見比べる。
いつも見えている、天の円がない。
王都の上空にいるのは、円盤のような〝天宮〟だった。
『…………成績順で言えば、選ばれるとすれば私よ。
あなたを巫女にはさせないわ』
呆然と空の円を見ていたメリッタは、ふと。
休暇前、リーズが零した言葉を思い出した。
メリッタは胸騒ぎを感じ……同時に確信する。
「リーズ様が……つれて、いかれる?」
メリッタがいない間に。
リーズが天宮の巫女に選ばれたのだ、と。
(――――リーズ様!)
メリッタは無我夢中で駆け出す。〝聖なる炎〟の加護を受け、文字通り飛ぶように走る。
天宮の巫女は、はっきりとしたことがあまり知られていない。
しかし、語られるものの一つには。
〝巫女になった者は、二度と地上には戻ってこない〟という噂があった。
◆ ◆
学園に入学したメリッタは、ルームメイトに恐れおののいた。
田舎男爵令嬢のメリッタにとって、侯爵家のお嬢様など雲の上の存在である。
だがリーズは非常に気さくで、メリッタはどうにも自分に似たところのある彼女に、強く惹きつけられた。
入学間もなく彼女の〝魅了〟は発揮され、メリッタはその対処に奔走することとなった。
リーズの世話、外出時の護衛、男たちや学園側との折衝。
忙しかったが……苦ではなかった。
寮の部屋でほっとくつろいでいるリーズを見るのが、メリッタはとても好きだった。
心が洗われるような、報われるような、そんな気がするからだ。
いつしかメリッタは、リーズの願いを叶えることに喜びを見出すようになっていた。
小さなことでも。いつか外に出たいという願いも。そっとしておいてほしいという、切なる願いも。
自分の手で叶えてあげたいと。メリッタはそう、強く想っているのだ。
◆ ◆
天宮は学園の真上にいた。
そして学園周辺は……惨憺たる有様だった。
気力を失い、倒れ伏す多くの兵士や騎士。
貴族の令息ばかりか、メリッタは途中で法皇らしき人物も見た。
近づくにつれ、やけどを負って治療を受けている者や。
何かに切り刻まれて、血を流して倒れている者。
腕がどす黒く染まり、それでも前に進もうとする王子。
そしてその向こう、学園の屋根には。
「行くなァ! 我が娘よ!!」
「ハチク殿! これ以上はいけませぬ!」
「離せザクロ! 娘が、リーズが!」
初老の男性が二人。近くにはその妻と思しき女性もまた、二人。
(お父さまとお母さま!? あ、じゃああちらはひょっとしてリーズ様の?
それにあれは)
屋根のさらに上空。
小さな白い円盤らしきものに、人が幾人か乗っている。
(天宮の使者が、リーズ様を連れていこうとしている?
皆、これを防ごうと奮闘し……天の力で阻まれているのですね)
メリッタはそう理解し、自らもまた屋根を目指して跳ぶ。
時折熱波や斬撃、不浄の気と思しきものが体をかすめるが。
〝永遠の雫〟や〝大地の衣〟、〝浄化の玉〟がその身を守った。
屋根に上がり、メリッタは円盤をもう一度見据える。
その中央には。
「リーズ様!」
メリッタは思わず叫んだ。
二組の男女、そして……円盤の上の彼女が、メリッタを見る。
「メリッタ!?」
自分の名を呼ぶ父を見ながら。
(リーズ様は〝そっとしておいてほしい〟と、そう言った!
こんなふうに天に連れ出されることなど、望んでおられない!)
メリッタは僅かな時間で、覚悟を決めた。
彼女は懐から、一本の竹筒を取り出した。
皮袋の中の〝聖なる炎〟の先端を少しだし、筒から出た寄り紐をあぶる。
火が付いたのを見届けて――――
「実家! 安堵ォ!!」
白い円盤に向かって、高く投げつけた。
〝聖なる炎〟を含め、五つの星の加護を受けた彼女の一投は。
天高く浮かぶ円盤の底に、確かに竹筒を届けた。
――――刹那。
空に火炎の華が、咲いた。
爆発、閃光と轟音がまき散らされ、遠くの者の肌まで強く揺らす。
天が震え、地が鳴動し、空が金切り声を上げるかのように荒れた。
土煙が、ゆっくりと晴れ。
空に円盤は、顕在。
揺れた円盤が、水平を取り戻したところで。そのふちまでリーズがやってきた。
天の使者が彼女を引き剥がし、連れ戻そうとするも。
リーズは懸命に、地上に向かって手を伸ばしている。
「リーズ様は! 天に行きたいのですか!!」
声の届く距離ではない。
だが。
――――――――私は! 帰りたくない!!
メリッタの声に、確かに応答があった。
(その願い、このわたくしが叶えます!)
メリッタは黙し、頷く。
腰に下げた〝変幻の鋼〟を手に取り。
「お父さま! わたくしを飛ばしてくださいまし!」
父に向かって、しならせて放った。
その自在に曲がる鉄は、初老の偉丈夫の腕に絡みつき。
「メリッタ!」「娘を頼む!」
二人の紳士によって、大きく振り回された。
鞭が父親たちの腕を離れ。
メリッタの小さな体が、天に向かって昇る。
熱、風、毒の圧が強く迫るものの。
(溶岩の中はもっと熱かったし!
龍と飛ぶ空はもっと荒れていた!
幻の都は、目も開けられないほどの汚濁に包まれていた!
この程度で、わたくしは止まらない!!
リーズ様は!!)
メリッタは驚くべき速さで、天へと昇る。
(渡しません!!)
今も上空へ向かう円盤に、猛然と近づき。
メリッタは天に、左手を掲げる。
「リーズ様!」
「メリッタ!」
互いの声が行き交う。
リーズが必死に、手を伸ばす。
しかし。
円盤に至る前に。
メリッタは止まった。
星に人の手は。
届かない。
「 ま だ ま だ ァ !!!!」
メリッタが右手に持った黒い鞭が、再びしなる。
地上の星が。
「実家ァ!」
見事に天女の腕を、捉えた。
「安堵ォォォ!!」
力任せに引かれた鋼が、リーズを円盤から引きずり下ろす。
彼女を一気に手元まで引き寄せた、メリッタは。
リーズを抱いたまま、大地に向かって墜落した。
「なんて無茶をするの、あなたは!」
「ん……ご無事そうで何よりです、リーズ様」
メリッタは可憐な怒り声に刺激され、目を覚ました。墜落の衝撃で、気を失っていたようである。
「あんな高いところから落ちて……落ちて…………あら? なんで無事なの、メリッタ」
「これのおかげですね」
呆然とするリーズに向かって、メリッタは自身を包むマント……ボロ布をつまんで見せる。
「〝大地の布〟!? まさか、本当に」
「はい。全部集めてきました」
「はぁ!?」
メリッタは紐を結んで首から下げている〝浄化の玉〟や、手に持っていた〝変幻の鋼〟。
それから皮袋の中の〝永遠の雫〟と〝聖なる炎〟を見せた。
「本当に、星具が五つある……どうして」
「そりゃあ、その。リーズ様に、ご結婚いただこうかと」
メリッタの赤い視線に見つめられる中で。
リーズの白い頬が、夜闇でもはっきりとわかるくらい、赤く染まる。
「へ? ほんとに? いいの? え、でも一つでよかったのに……」
「何を仰いますか、リーズ様。
一つ持ってきて結婚した後、別のを持ってきた人がいたらどうしたんです?」
メリッタも考え無しに全部集めたわけではない。
聞いた話がそのまま正しければ、リーズは五人と重婚させられることになる、と考えたのだ。
「それは――――――――「おい、メリッタ。どういうことだ」」
リーズの言葉に、男の声が割り込んだ。
「あれ、ルコイスさ――――おっぷ」
「なぜお前が! お前如きが! 俺の宝を持っている!」
緑髪の男……辺境伯令息で、メリッタの元婚約者・ルコイスが、メリッタの襟首をつかんで体を引き上げ、ゆする。
そして彼女の胸元で揺れる宝玉を、強引に引きちぎって手に取った。
「あ、それダメです!? あなたのではありません!」
「いいから寄越せ! 宝は! リーズは俺の、俺のものだ!!」
「ふぐっ」
メリッタは地面に叩きつけられた。
ルコイスは宝玉を掲げ、空の円盤に透かすように見ている。
「くくく……やったぞ! これで俺は一生安泰だ。
天女を娶ったとあれば、誰もが崇め奉るだろうよ!」
伏せて咽るメリッタに、リーズが寄る。
そこにルコイスが手を伸ばし――――
「さぁリーズ、俺の妻とな――――ごぼ?」
だが。
勝利を確信したかのような、その顔が。
水に、包まれた。
「ごぼぼぼぼばっぼぼあぼあぼ!?」
「それは龍神から譲り受けたものなんです! わたくし以外の方が持ったらダメです!」
水に包まれてもがくルコイスは、メリッタの言葉が聞こえたのか、宝玉を手放した。
途端、彼の顔の水はなくなる。
「っはぁ! じゃあこいつを――――うわぁ!?」
次いでマントを引きちぎろうとしたルコイスの指先は……ボロボロと崩れた。
彼は転倒し、痛みに転げ回った。
「あー……後で魔法で治してもらうといいでしょう。
即身仏のかけるまじないなんて、治るかわかりませんが」
「こんな、なん、なんで!?」
「彼女は星に手を伸ばし、勝ち取った。
我々は女を欲しがるだけの惨めな豚だった。
それだけのことだろう」
両の腕が黒く変色し、動かせない様子の男……第一王子のランドが現れた。
彼の後ろには、たいまつを掲げた兵や騎士たちもいる。
メリッタは上体を起こし、背中にそっとリーズを庇った。
(ルコイス様程度なら洒落で済みますが、これはちょっとまずい……。
力づくでリーズ様を奪いにかかられた、場合)
〝大地の衣〟の下に手を入れたメリッタは指先で、マントの中に下げた竹筒を確認した。
(〝聖なる炎〟の力で作った聖竹爆弾、残弾3。
リーズ様を抱えての突破には、心もとない……けど、やるしか!)
別の男性の肩を借りていたランド王子は、自らの足で立ち、メリッタに近寄る。
僅かにあとずさりながら、メリッタは密かにマントの中で爆弾の準備を始めた。
「見事なものだ。メリッタ、だったか」
王子は口の片端を上げ、いつかのような凶相を浮かべる。
「しかし、こうして改めて見ると――――」
彼の青い瞳が、リーズに向けられた。
「天女も、言うほどは美しくないな」
そうして彼は肩を竦め、視線を外した。
王子の意外な言動に、メリッタは〝聖なる炎〟に近づけていた導線を、手で握り込んだ。
明らかに彼の目が、後ろの兵士や騎士たちも、そしてルコイスでさえ。
誰も、リーズを見ていない。
以前ならば、考えられなかったことだ。
「……………………あれ?
もしかしてランド殿下、魅了が解けていらっしゃる?
リーズ様見てもなんともないのです?」
「そのようだ。以前の湧き上がるような情動が、まったくない。
伴侶が決まったと、そういうことなのだろうな」
「そん、な」
王子の言葉に、ルコイスが痛みに悶えながらがっくりとうなだれる。
「伴侶が決まった」とは。聖教会が定めた触れが満たされ、しかもリーズがそれを承諾したということ。
触れは広く魔法によって定められたものであり……間違いは、ない。
メリッタとリーズは、顔を見合わせて。
リーズが顔を赤くして、俯いた。
『良いのですか? 巫女リーズ』
そこへ、波打つような声が響く。
円盤が、近くまで降りてきていた。
身構えるメリッタを押しとどめ……リーズが立ち上がる。
『あなたの罪は、あがなわれました。
今なら元の世界に、帰れるのですよ?』
(元の世界?)
天宮の使者の言葉に、メリッタは首を傾げた。
メリッタは視線を上げ、天女の横顔を見る。
彼女はふっと目元を緩め、弱く首を振った。
「あそこに戻っても、私を裏切った者たちがいるだけ。お断りよ。
それに、契約は結ばれた。
どのみち天宮には、いけないのでは?」
『天宮の巫女となれるのは、未婚の乙女のみ。確かにその通りです。
…………あなたも、よろしいのですね?』
なぜか問いかけられたメリッタは、立ち上がり。
リーズの隣に立って、無意識に彼女の手を取った。
「わたくしがいるべき場所は、ここなので」
答えたメリッタを一瞥し、使者は円盤の中央へ戻る。
円は浮き上がり、天宮へと昇っていった。
やがて天宮自体も、王都の空からさらに高みへと、帰っていく。
メリッタはリーズの手を離し、その様子をぼんやりと眺めた。
「さて、我々も退散するとしよう。竹で追い立てられては敵わん」
「ぁ。ランド殿下。その……」
リーズが王子に向かって、おずおずと話しかけている。
おおごとになって迷惑をかけたと思っているような、恐縮した様子だ。
だが王子は何かを察したのか、首を横に振った。
「リーズ嬢。今更お前たちを邪魔する気はないし、私の国で無粋な真似はさせん。
同性で結ばれる法はないが、父をせっついて私の治世までには変えさせるとしよう。
教会に逆らうわけにもいかんしな」
(やったわたくしが言うことではありませんが、それでいいのですか王国)
王子は兵を、ついでにルコイスを引っ立てて去っていく。
メリッタは何とも言えない表情で、その様子を見送った。
たいまつの灯りが遠ざかり、天の円だけが地上を照らす。
「……………………今更だけど、メリッタ。
ほんとにあなた、私とその、結婚するの?」
メリッタの横合いから、涼やかな音が耳朶を打つ。
囁くような、か細い声に。
メリッタは笑顔で応える。
「はい。ご縁ができれば、堂々と実家をご支援いただけますし……あいだぁ!?」
そして思いっきり引っ叩かれた。
◇ ◇ ◇
「え。ほんとはわたくしが、天に帰るお話だったんですか?」
しばらくし。騒ぎも落ち着き、静かに学園生活を送れるようになった頃。
いつもの寮の部屋で、まったりと竹を削っていたメリッタは。
ふと天宮騒ぎを思い出し、自分がいない間に何があったのかを、リーズに尋ねた。
そして聞かれたリーズは――――思いもよらない〝真実〟を語りだした。
この世界は、ある物語の中であると。
転生してきた〝ヒロイン〟が、前世の罪を償うために善行を積み、その過程で愛を知り。
最終的には天宮の巫女となって、強引に元の世界……地球に連れ戻されていく、という筋書きなのだと。
「そ。私じゃないのよ」
「え、リーズ様はどうなるんです?」
「ヒロインに嫉妬し、身を落として悪役令嬢となる。
最終的には、婚約を破棄されるわね」
「死んでしまうではないですか!?」
メリッタの言い様は、決して大げさではない。
この世界で婚約を破棄された令嬢は、たいがい家を追い出される。
そうしないと家の方が信用を失い、没落してしまうからだ。
とはいえ追い出された女性の方は当然に……一人で生きていくのは、難しい。
「そうね。ゲームでも間もなく亡くなってるわ。
私はそれが嫌で、婚約や結婚そのものを回避することにしたの。
あとはお淑やかにしてればいい思ったのだけど……もっと大変なことになってしまったわね」
「わたくしの代わりに、リーズ様が〝ヒロイン〟の道を歩んだかのようですね」
話を聞いたメリッタは、そのように感じた。
無理難題を設けて婚約を拒否したリーズは、その好かれようにしろ、巫女に選ばれることにしろ。
まるで「ヒロイン」になってしまったかのようである。
「本当ね。急に巫女に選ばれたときは驚いたわ。ゲームでは春ごろのイベントのはずだったし。
お父さまに帰りたくないと零したら、あんな騒ぎになってしまって……みなさんには、申し訳ないことをしたわね」
リーズが天宮に連れ去られるという話は、あっという間に広まったのだそうだ。
彼女を守るために、王国ばかりか、聖教会からも兵力が派遣された。
皆、リーズを帰すまいと戦ったが、結果は先日の通りである。
もしもメリッタがいなければ、リーズは天に連れていかれたであろう。
だが彼女の活躍で、天女は地に堕ち。
天の使者は、都に帰っていった。
傷ついた者たちはそれぞれ治療を受け、リーズへの熱狂を忘れたかのように己の日常に戻っている。
「さんざんリーズ様を苦しめたのだから、あの男たちは自業自得です」
手のひらを返したかのように、リーズに興味を失った者たちを思い出し。
かなり腹が立つのか、メリッタは頬を膨らませてむくれた。
元婚約者のルコイスなど、宝を探すためにかなりの借金をしたらしく。
首が回らないからと、メリッタと寄りを戻そうとやってきたりもした。
リーズに叩きだされてはいたものの――――その程度で、メリッタの溜飲は下がらない。
(本当。結局わたくしたちは、周りに散々振り回されたのですね)
あの後分かったことではあるが。
なんとメリッタの両親と、リーズの両親は知己であった。
どころか、魅了絡みでロゼ男爵は東奔西走していたそうで、実家が表向き困窮していたのはそのせいだという。
アバカス侯爵家にはもとより支援を受けており……つまるところ、メリッタの奮闘は完全に無駄骨であった。
実家を救うという、その目的においては。
知らなかったとはいえ、それを聞かされたメリッタは、顔から火が出るような羞恥を覚えた。
その時のことを思い出し、メリッタは一人でさらに憤慨する。
「あれは、私が周りを無差別に魅了していたせいでしょう。
確かに散々な目に遭いましたが、自業自得というなら何より私自身よ」
そんな彼女の顔色の変化が面白いのか、リーズは穏やかな微笑みを浮かべていた。
メリッタとしては……そのほっとしたような顔が見られるのは、とても嬉しいが。
それはそれとして、なんとも怒りがおさまらない。
「そんなことはありません、リーズ様は悪くないです。
誰も彼も、魅了如きで我を失って! 恥を知ってほしいものです」
「誰もがあなたのように、影響を受けないわけでは――――」
「影響ならわたくしだって受けていました!
なのに男どもときたら……………………ぁ」
「……………………はい?」
言ってから、メリッタは口元を手でふさぐ。
憤慨のあまり……口にすまいと思っていたことを、つい零してしまっていた。
だが思い直して彼女は、その左手を――――薬指に指輪が光るその手を、下げる。
(そう、でした。もう誰も、リーズ様を娶れる者は、いないのです。
宝をすべて手にした、このわたくしを除いては。
この間、誤魔化したら怒られてしまいましたし。
なら…………もう言い訳は、要りませんね)
確かに、実家の窮地を救うためでもあった。
だがメリッタが、遠く冒険の旅に出たのは。
何よりも……天女のささやかな願いを、叶えるためである。
「このわたくしを、軟弱な者どもと一緒にしないでくださいまし。
〝見ても問題がない〟とは言いましたが、魅了されていないとは言っていません」
五つの星を身に着ける、もう一人の天女がほほ笑んだ。
「メリッタ……」
「あなたの幸せを願わない者たちが、あなたにたかるのが嫌でした。
魅了を言い訳に、さもあなたに想いを寄せているように振る舞う者たちが嫌でした」
確かに約束を果たし、リーズに静かな暮らしを与えたメリッタは。
「真にあなたに魅了され、その虜となり、すべてを捧げる者は。
このわたくし一人で、良いのです」
顔を赤くする伴侶を、胸を張って真っ直ぐに見つめる。
「やっとあなたを独り占めできますね? リーズ様」
メリッタ曰く。
〝魅了〟は出会ったころからずっと。
今もなお、しっかりと効いており。
――――終生解けることは、なかったという。