62
◆雲上院昭一郎
混乱していたせいか、どの程度車に乗っていたか分からない。
気が付くと揺れを感じない。いつの間にか停車していたようだ。
「着いたぞ。降りろ、雲上院」
車外に連れ出され、男に手を引かれてしばらく歩く。
湿気を帯びた空気や音の反響から、屋内にいることが分かった。
しばらくして、目隠しを取られた。周囲を見回す。
最低限の照明が照らす、何も無い薄暗い空間。どこかの空き倉庫のようだ。
「ようやく来たようね」
声の主はよく知った顔だった。紫前増美だ。まさか私を誘拐するとは。
彼女の周りを知らない男達が固めている。
後ろ暗い事をしている自覚があるのか、息子は連れてきていないようだった。
「娘の命が惜しければ、これにサインなさい」
紫前の態度に辟易しながら差し出された用紙に目を向ける。
サインしろというのだから契約書の類いだろう。
不思議なことに用紙につづられた文字が光っていた。
これは真緒ちゃんから聞いた、強制力がある契約書ではないだろうか。
まさか、相手が霊術師でなくても機能するのか。
目の前のテーブルに置かれた用紙を拘束された状態で読み、内容を確認する。
娘の命を狙わない代わりに、全財産を紫前増美に譲渡するという内容だ。
書かれているのは、娘の命のみ。私の命に関する記載は無い。
契約書の拘束力で財産を全て取り上げた後に、私も殺すつもりか……。
こんなものにサインしたら、全てが終わってしまう。
だが、拘束されているし、抵抗するには人数が多い。
せめて両手が自由なら、何とかなったかもしれないが……。
ここは残された今野と田村が行動してくれることを期待して、会話で少しでも時間を稼ぐか。
「どうしたの! 早くしなさい!」
「私を攫えても、礼香を攫えはしまい。娘の警備は万全だ。つまり、こんなものにサインしなくても、娘の安全は保証されている」
「あはは! それはどうかしら! 連れてきなさい!」
紫前の声が倉庫内に響く。すると、扉を開けて男が入ってきた。
肩に人を担いでいる。
男がその人物を無造作に地面に転がした瞬間、誰か判明する。
「礼香!」
それは間違いなく自分の娘だった。
こちらの呼びかけに応答はなく、目は閉じられたままだ。
「安心なさい。まだ死んではいないわ。ただ、サインしないなら、ここで死ぬかもしれないわね」
「汚い真似を……」
私は紫前を睨みつけた。
いくらなんでも行動が常軌を逸している。
今の彼女なら娘の命を奪うかもしれない……。そう思わせてしまうほど異常だ。
「こんなことはやめろ! お前は一体何を考えているんだ!」
「うるさい黙れ! 無属性が私に指図をするな!」
「ぐあ!」
激昂した紫前は、椅子に座っていた私を押し倒した。
拘束されていたため抵抗する事も出来ず、地面に叩きつけられてしまう。
「この私が無属性の子を産むなど、恥の極み。あってはならないことなのよ!」
「……ッ」
紫前が倒れた私を何度も踏みつけてきた。
「目障りでも今までは見逃してきたわ。それなのに、コレは調子付いて私の周りを羽虫のようにチョロチョロと!」
紫前が今まで溜まっていたストレスを吐き出すかのように、罵声を上げる。
そして、そのたびに私を蹴りつけた。
華奢な体をした者の力とは思えない威力だ。多分、霊力を使っているのだろう。
そんな蹴りの一発が、頭部に当たってしまう。
途端に意識が朦朧とし、上手く体を動かせなくなった。
それが気に食わなかったのだろう。紫前は攻撃の対象を、反応を示さなくなった私から礼香へ変更しようとする。
「や……、やめろ!」
まともに動けない私は、声を出すことしか抗う手段が無い。
その声も、度重なる蹴りのダメージが蓄積したせいか、うまく発声できていない。
「や……めろ! サイン……する!」
私は力を振り絞り、サインする旨を紫前に伝えた。
「無能の分際で口答えなどするからよ! はじめから素直に従っていればいいのに! そこで自分がどういう立場なのか、思い知るがいいわ」
しかし、紫前は私から離れ、礼香の方へ向かっていく。
何としても止めなくては!
「やめ……ろ! 礼香に……手を出すな! やるなら……私を……やれ!」
「そう? なら、お望みどおりにしてあげるわ!」
こちらの言葉に釣られ、攻撃の対象が私に戻った。
これで礼香が傷つけられることは無い。
後はサインすれば、娘の命が狙われることもない。
「ッ! ッ! 礼香、大丈夫だからな!」
蹴りを受けながら、礼香に必死で呼びかける。
もし意識が覚醒していれば、現状を見て恐怖してしまうに違いない。
とにかく娘を安心させなければ。
「いつまで這いつくばっているの!」
「ぐあ……」
紫前は私の髪を掴み、強引に立たせた。
く、なんて力なんだ。
「ほら、さっさとサインしろ!」
「う……」
力任せに椅子へ座らされ、サインを強要される。
紫前は、私の髪を掴んだまま、その顔を耳元に近づけた。
「娘の命は助けてやる。そういう契約だ。だが、お前は全てが終わったら殺す。覚悟しておけ。ほら、さっさと書け!」
ここまでか……。
私が死んだ後、礼香はどうなってしまうのだろう。
助かるのは命だけ。そういう契約だ。どんな目に遭うかわからない。
……誰か、娘を助けてくれ。……どうか娘を。
私は未だハッキリしない意識の中、なんとかペンを握る。
サインしようと、ふらつく腕に力を込めペンを紙に近づけた。
そして、ペンが紙に接し、いよいよ文字を書こうとしたその瞬間、――――声が聞こえた。
「…………その人に従う必要なんてありませんわ」
私は無意識に反応し、声の主の方へ視線を向けた。
声の主は娘の礼香だった。
「こんなもの」
立ち上がった礼香は、霊装から霊気を放出し手錠を断ち切った。
鎖の断面が赤熱し、朱色に輝いている。
「な!?」
「霊術の初歩ですわ」
驚く紫前に礼香が涼しい顔で言う。
「生意気な!」
その態度が気に食わなかったのか、紫前が叫んだ。
礼香の行為と紫前の大声により、周囲の視線が二人に集中している。
今が好機だ。
私は頭を振って強引に覚醒を促して立ち上がると、側に立つ男を殴った。
「ぐあ!」
男は腹を押さえてうずくまる。
行動不能に陥った男のポケットを漁り、目当ての鍵を手に入れる。
それを使って、自身を拘束する手錠を解錠した。
「お前が鍵を持っているのは知っていた。これで両手と両足が自由に動かせる」
「だからどうした!」
「もう一度、捕まえるだけだ!」
私の言葉を聞き、周囲に居た数名が飛び掛ってきた。
◆
対する男は二人。それに対してこちらは一人。
だが、雲上院昭一郎はうろたえない。
力みの無い自然な動作で構え、男達の攻撃をかわしてカウンターを当てていく。
「うがっ」
「ぐっ」
攻撃が外れた上に、カウンターを貰った男達はバランスを崩してその場に倒れた。
「普段警護されているのは、私が非力だからではない。犯罪を思いとどまらせるため。相手をその気にさせないためだ」
昭一郎は、特殊な家に生まれたため、こういった状況に対応する術も学ばされていた。
幼少期から叩き込まれた技術はプロ顔負けの領域にあり、それを錆び付かせない努力も惜しんでいなかった。
初めは娘を人質に取られて取り乱したが、落ち着きを取り戻せば、この程度どうとでもなる。
「何をやっているの! さっさと捕らえないか!」
紫前の言葉に、残りの誘拐犯たちが昭一郎へ襲い掛かる。
が、昭一郎の動きは的確だった。
襲い来る男達を複数同時に相手にしない為、一旦大きく逃げる。
そして、一対一の状況を擬似的に作り出し、一人ずつ確実に倒していく。
追う誘拐犯たちは昭一郎に翻弄され、うまく機能していなかった。
結果、次々とダウンを奪われ、行動不能者が続出する。
「どうした? こんな傷だらけの者を相手に大勢でかかってその程度なのか」
昭一郎は、娘から注意をそらそうと、あえて挑発を行った。
「……なら、娘を人質に」
が、昭一郎の意図に反し、誘拐犯の一人が礼香へ襲い掛かる。
「礼香!」
慌てて叫ぶが遅かった。男達を相手にする為に距離を空けたのが仇となり、礼香とは随分と離れてしまっていた。これでは、近づくことも出来ない。
しかし、礼香は怯えた様子など一切見せず、襲い来る男に立ち向かった。
「無駄ですわ」
冷静な一言と共に、男を投げ飛ばしてしまう。
「お父様、こちらのことはお気になさらず。自分で対処できますの」
「……ああ。すぐに済ませて、そちらに行く」
「もたもたするな! 早く捕まえてサインさせないか!」
苛立った紫前が昭一郎の拘束に加勢しようとする。
「行かせませんわ」
が、そこで礼香が紫前の前に立ちはだかった。
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