218
◆雪沢智仁
僕は雪沢智仁。
煌爛学園高等部の一年だ。
僕には婚約者がいる。名前は夜月澄香。
彼女の事は、あまり公にはしていない。
それは彼女が引っ込み思案な性格なためだ。
大々的に周知すると、彼女のストレスになりかねないので最低限に知らせるに留めている。
そんな彼女であったが、ある時から友人が増えて性格にも変化があった。
少しずつだけど、積極的な性格へ変わっているのだ。
きっと周囲の友人たちから良い影響を受けているのだろう。
そんな彼女が高校から煌爛学園へ入学してきた。
てっきり中学まで通っていた学校の高等部へ進学すると思っていただけに驚きだ。
多分、煌爛学園に新しく出来た友人がいるからだろう。
もし、変更理由に自分が居ることも含まれているのであれば嬉しいけれど……。
今日は、そんな彼女の自宅で久しぶりに勉強会を行うこととなった。
以前、彼女の家にお邪魔したのは中学校に入った直後くらいだろうか。
それ以降は外で遊ぶか、僕の自宅で勉強会をしていた。
彼女の家が選択肢から外れたことに、特に何か大きな理由があったわけではない。
強いて上げるなら、お互いの立地的な都合の良さを考えて自然とそうなったのかもしれない。
今回は、彼女から家族旅行のお土産を頂いたので、そのお礼をご両親に伝えるのも兼ねた訪問となっていた。
僕はご両親に挨拶を済ませ、澄香さんと共に彼女の部屋へ向かう。
彼女の部屋の印象は記憶に残っている。
日の光と緑で彩られた内装が特徴的だった。
様々な観葉植物が配されており、壁には絵本の原画が飾ってあった。
澄香さんの性格が反映され、とても落ち着いた雰囲気の部屋だった。
ベッドの側のコルクボードには、僕と遊びに行った時に撮った写真が飾ってあり、お互い顔を見合わせて照れくさくなってしまったのが懐かしい。
そんな事を考えていると、澄香さんが扉を開けて入室を促してくれる。
笑顔で応じた僕は部屋へ入り――。
「え?」
――目を見開いた。
驚いた理由……。
それは部屋全体にポスターが隙間なく張られていたためだ。
観葉植物と絵本の原画は全て撤去され、天井まで隙間なくポスターで埋められている。
僕は部屋の変貌ぶりに驚き、一時停止してしまう。
以前の部屋の記憶が残っていたせいで、変化の振れ幅が大きく感じられてしまったためだ。
我に返った僕は、改めて張られたポスターに目を向ける。
ポスターは全て九白真緒さんがメインのポートレートだった。
え、なんで九白さん?
有名な俳優やアイドルなら、まだ分かる。なんで彼女なんだろう。
僕は九白さんのことをよく知らない。顔と名前を知る程度だ。
もしかして、凄く人気者だったりするのだろうか……。
それにしても、全てのポスターの映りがよくない。
画像は鮮明だが、構図が素人臭いのだ。
何より、視線がおかしい。
カメラに対して顔を逸らしているのに、視線だけこちらを見ているポスターばかり。
非常に不自然だ。
まるで、隠し撮りに気づいたのに、撮影を受け入れているかのような……。
ポスターを見終え、よくよく部屋の中を見ると他にも怪しげなグッズが散見された。
机の上には数種のアクリルスタンド。ベッドには抱き枕と大小様々なぬいぐるみ達。
……全部、九白さんだ。
と、僕が部屋のレイアウトを見ていることに気づいた澄香さんが、ポスターの一枚一枚、グッズの一つずつについて詳しく説明してくれる。
その際、彼女が九白さんのことをマオお姉様と呼ぶのが気になった。
僕たちと九白さんは同い年。なんで、お姉さま呼び?
そんな疑問を感じている間も、彼女の解説は続く。
これはどこで撮影されたものだとか、これはどういった記念で作られたものだとか。
嬉々として読経するかの如くスラスラと早口で教えてくれた。
なんだろう、独特のリズムで話されるせいか、脳に刻み込まれるかのようだ……。
大して面識もない九白さんの情報が蓄積され、彼女について異常に詳しくなっていく。
このままだと勉強会を終える頃には、僕は九白さんファンの一人になっていそうな気さえする。
その後、勉強の休憩時の話題は、全て九白さんに関することだった。
どうやら澄香さんは、雲上院さんのサロンに参加するようになってから、九白さんのファンになったみたいだ。
しかし、話に集中できない。
別に九白さんの話題が退屈だからではない。
部屋の真ん中でお茶をしていると、全方位から九白さんに見られている気がして落ち着かないためだ。
しかし澄香さんは、この位置にいるのが一番良いと、うっとりした顔で言う。
そ、そうなんだ……。
そうなるように綿密に計算して配置したと力説されてしまえば、こちらとしては納得するしかない。
それにしても、澄香さんの新たな一面を見た感じだ。
きっとアイドルのファンになるのと同じような感覚なのだろう。
あれ……?
彼女が煌爛学園に入学した理由って、もしかして……。
ある可能性に気づいた僕の胸にモヤッとした気持ちが湧く。
…………まさかね。
――それからしばらく後。
また澄香さんの家で、勉強会をすることになった。
いつもなら僕の家になるところだけど、今回は彼女たっての希望だった。
前回は彼女の部屋の変貌ぶりに戸惑い、顔に出てしまった。
今考えると失礼なリアクションだったと猛省する。
だけど今度は大丈夫。もう耐性はついた。九白さんの話題も、どんと来いだ。
しっかりと心の準備を終え、部屋へ入る。
「え?」
――すると内装が一変していた。
以前訪れた際は全面にポスターが張られてはいたが、部屋のレイアウトには昔の名残りがあった。
しかし、今回は微塵も残っていない。
ポスターが全て撤去され、写真を大きく引き伸ばしたものが一つだけ額に入れて飾ってある。
しかし、問題はそこではない。
家具の大半が無くなっているのだ。
なんでも、この部屋は勉強部屋になり、寝室は別になったという。
「べ、勉強部屋?」
部屋の状態を見た僕は、つい聞き返してしまう。
「はい」と、笑顔で応える澄香さん。
僕には、この部屋が勉強部屋には見えなかった。
どこをどう見ても、トレーニングルームにしか見えないのだ。
彼女は、こちらの疑問を誤解して解釈し、殺風景になったでしょと苦笑いで返す。
それに対して僕は整理が行き届いていて綺麗だと思う、と返すしかなかった。
とにかく、ここに来たのは勉強するためだ。別に内装が変化していようと関係ない。
そう思い、勉強を始めるようとする。
しかし、机の配置がおかしい。
どう見ても、ランニングマシンに接続されている……。
まさか……。
机の配置に違和感を覚えた僕の予想は的中した。
どうやら今日は走りながら勉強するようだ。
彼女曰く、血液循環がよくなり勉強がはかどるという。
本当かな?
物は試しと、ランニングマシンに乗って勉強を始める。
――速攻で息が上がった。
とてもじゃないが、勉強どころではない。
しかし、隣の彼女は全速力で走りながら、数式を解いていた。
彼女は、血行を促進しながらやると効率がいいと笑顔で言う。
残念ながら僕には難しいので、歩く速度でやらせてもらった。
しかし彼女は物足りないと言い出し、足にウエイトを付けて走り出す。
僕はそんな彼女の変貌ぶりに驚くばかりだ。
澄香さんは体を動かすことが好きな方ではなかった。
どちらかというと、本を読んだり、絵を描いたりするのが好きだったはず。
そのことが気になった僕は、色々と尋ねてみた。
すると、サロンでトレーニングが流行っているのが原因だと知る。
な、なるほど……。
ランニングしながら勉強する彼女の顔は、とても生き生きとしていた。
非常に楽しそうである。
まあ、それならいいか……。
むしろ、僕が付いて行けないと彼女に気を遣わせてしまう。
となると、僕も走り込みを始めた方がいいのかもしれない。
明日から、早朝ランニングでも始めようかな……。




