表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

未来の話

作者: 紫木さくま

少女の考え方が少し特殊です。雰囲気も独特なので、フィーリングに合う方がいてくだされば幸いです。

残酷な描写や重い人間関係の描写もなく、ソフトな内容だとは思います。

暇つぶしにでもしていただければと思います。

 8月になり、夏の暑さも本格的になってきた。こうも暑いと、セミの声ですら遠くに聞こえてくるようだ。

 礼一は履き古したサンダルで、蜃気楼の揺れるアスファルトを歩いていた。

 目的地は、20年前から通っている駄菓子屋だ。歳月が経てば、日々や物事は移り変わるものだが、変わらないものだってある。礼一にとって、それが駄菓子屋だった。

全開になっている、建付けの悪い扉をくぐると、扇風機が礼一を迎えてくれた。礼一の青白い肌を一筋の汗が伝う。

「来たよ、おじちゃん」

 首にタオルを巻いたおじちゃんは、染み付いた目元のシワをさらに深くさせた。

「あぁ、オマエさんかい。本当、飽きないねぇ」

「俺が唯一の常連だろ。そういう客は大切にするもんだぜ」

 いつものように水あめを手に取って、おじちゃんの前に置くと、おじちゃんは昔からの、機嫌が悪そうな口元を和らげる。力が抜けたようなおじちゃんの表情は、どこか安心しているようにも見えた。

「水あめ、好きだねぇ」

「うん。おじちゃんの分も買ってやるよ。そんで俺が混ぜてあげる。俺が混ぜると、他の奴らが混ぜるよりうまいんだぜ」

「そんなことありゃせんよ」

「これだから年寄りは。何でも否定から入るからまいっちまう」

 お金を渡し、透明な水あめを混ぜ始める礼一。念入りに混ぜ、おじちゃんにそれを渡すと、おじちゃんは水あめの絡まった棒を見つめてから一口食べた。

 しばらく黙り込んで、おじちゃんがしぼんだ口を開く。

「みどりが死んだんだ」

 礼一の心臓がドクリと鳴る。

「……なんで?」

 絞り出できた言葉は、随分と情けない声をしていた。

 みどりとは、駄菓子屋で飼っているハスキー犬だ。礼一が子供のころ、どこからか貰ってきたというみどりは、馬鹿だが人懐っこい犬で、たしか、今年で17になるはずだ。いや、なるはずだったと言うべきか。

 そうか、死んだのか。記憶の中のみどりは元気なのに、死んだのか……。

「もう年だったしな。この暑さでぽっくり逝っちまったのさ」

 おじちゃんが、払ったお金を礼一の手に握らせた。

「金はいい。他の駄菓子も好きなだけもっていきな。もう、この店も閉じることにしたんだ」

 信じられなくて、礼一は50円を握った手をただ眺める。かける言葉が見つからないのが、自分が動揺しているという事実を突きつけているようで、さらに嫌になった。

「そうか。でも……、たしかにみどりのことは残念だったよな。だから店もしまっちまうのか?」

「もういいんだ。命と同じで、この店も潮時がきたのさ」

「俺はどうなんだよ」

「甘ったれんな。まずは安定した仕事に就くことだ」

 礼一は言い返すことができなかった。それもそうだ。まともな就職先に就かないまま、この年までぶらぶらしていたのだから。おじちゃんの言う通り、自立した態度をとるべきなのだ。

 この場所に通っていたのだって、昔の影を追いかけていたからに他ならない。そのことに礼一も気づいていた。気づいていたから、駄菓子屋が無くなると言われて、動揺した自分が受け入れがたかった。

「いつか俺だって……」

 礼一は言葉を詰まらせる。そのいつかが来ないことぐらい理解できたからだ。

 礼一はおじちゃんに背を向けて、ポケットに入るだけ駄菓子を詰め込んだ。ポケットが膨らめば膨らむほど、あのころが手から零れ落ちていくような気がした。

 おじちゃんは、そんな礼一の姿を見て満足そうに息を吐く。

「もう来るんじゃないぞ」

「最後なのに、つれないなおじちゃん」

「俺は昔からこんなもんだ。せいぜい頑張りな、礼一」

 これがおじちゃんに会う最後になると礼一は思った。たぶん、おじちゃんが死ぬまで、自分がおじちゃんにまた会いに来ることは無いのだろう。

 店を出ると、礼一は振り返らないようにして、無心に歩いた。

気づくと見慣れた建物の前に来ており、投げやりな気分になっている礼一を見下ろすのは、家賃を滞納している6畳一間のボロアパートだった。

 大家さんに見つかる前に、足音を忍ばせて階段を上る。礼一の部屋は角部屋の一個前だが、その近くに人影が二つ見えた。近づくにつれ、その影が子供であることに気づく。そして、溢れかえったポストの部屋が見えないことから、子供たちの寄りかかっている部屋が、礼一の部屋であることが分かった。

 大きなバッグを持った方の子供が礼一に気づくと、まるで知り合いに向けるような笑顔で、礼一のもとに駆けてくる。灰色がかった目の色の、高校生ぐらいの女の子だった。その後ろについてきたのは、もう一人の子供で、こちらは小学4年生ぐらいの男の子だ。

「おじさん、もしかして小鳥遊礼一でしょ?」

 子供にフルネームを名指しされて不快になる。

なぜ自分のことを知っているのか、当然、礼一は疑問に思ったが、それよりも今は放っておいてほしかった。

「いたずらなら他でやれ。おじさんは忙しいんだ」

 子供を無視して鍵のかかっていない自室へ入ると、子供たちも無断に足を踏み入れる。

「鍵をかけていないなんて、不用心だよおじさん!」

「おい、勝手に入ってくるな! 帰れ、帰れ!」

 手を払うようにして追い出そうとするが、少女は引き下がらなかった。

「ちょっと! 話ぐらい聞いてもらわなきゃ、こっちだって困るんだからね。私たち、帰る場所が無いの。おじさんしか頼れないんだよ?」

 自分しか頼る人がいないというが、子供たちとは知り合いでも何でもない。それどころかこれが初対面だ。

「ホントに、何の冗談だよ。家出でもしたのか? 俺を頼るのはお門違いだぜ。金なんか持ってないし、お前らをどうこうしてやるつもりもない」

「とにかく! 話をさせてよ。長くなるから中で話したいの」

「ヤだね。居座るつもりだろ。帰れる家があるなら、親が心配する前に帰れ」

「だから、その家が無いんだってば!」

 そう言い切る少女に、礼一は面倒くさくなって、諦めて子供たちを部屋に入れてやることにした。

 座布団もないので、布団を代わりに座った少女は、自分たちの事情を話し始めた。

それを聞くには、二人は未来からやってきた、礼一の孫だという。もちろんそんな突拍子のない話を信じたわけではないが、今更、それを否定したところでどうにもならない。だから礼一は少女が満足するまで、黙って話を聞いてやった。

 ひとしきり少女たちの事情を聴いたところで、礼一はてきとうに相槌をうって、立ち上がり玄関を開ける。

「そうか、それは大変だったな。それじゃあ、とっとと帰ってくれ」

「私の話、聞いてなかったでしょ!」

「聞いてたって。あれだろ? 未来がどうとかこうとか」

「そうだよ! このままだと地球は滅亡しちゃうの! それを何とか出来るのはおじさんしかいないんだよ」

「地球が終わる前に、お前らに人生終わらせられちまう。このままじゃ、俺は誘拐犯だ」

 少女はしばらく黙って、礼一をどう説得するか考えているようだった。

 ずっと落ち着きがないようにしている少年は、心配そうに少女を見つめている。

 そして、少女が口を開いた。

「おじさん、お金に困ってるでしょ」

 礼一は眉を寄せる。

図星だった。こんなボロアパートに住んでいれば予想もつくだろうが、少女の余裕そうな表情がとにかく癇に障った。不快に少女を見下ろすだけで、礼一は何も言いはしない。

 礼一がお金に困っているからといって、それを少女たちが解決できるはずはない。しかし、少女は、考えがあるとでも言いたげな顔をしていた。

「おじさんの借金が返済できるように、私たちならどうにかできるよ」

「え………」

 今すぐにでも、少女たちを追い出そうとしている自分の気持ちが切り替わる音がした。礼一は、自分を情けなく思いながらも、かすかな期待感に少女の言葉を待っていた。

「それにね、地球を救う、いくつかのミッションのうち、おじさんの借金返済は必要事項なの」

 少女は、持ってきていた大きなバッグのチャックをあけて、礼一の前に開いてみせる。

「これ全部、おじさんにあげる」

 差し出されたのは、借金の額をはるかに超える大金だった。

 礼一の喉が上下する。目のくらむような金がバックに敷き詰められている。喉から手が出るような気持ちをなんとか押し殺し、礼一は一度ドアを閉めた。

「……自分が何をしているのかわかっているのか?」

 違う。言うべきことが、こんな言葉でないことは、礼一も頭の隅で理解している。

やってはいけないことをしている自覚はあるのか、なぜ少女がこんな大金を持っているのか、少女は何者なのか、それを聞くべきなのだ。

しかし、礼一の頭には、間違いを叱って、正しい判断に導いてやる大人としての当然の思考は、選択として持ち合わせていなかった。それほどまでに、大金に目がくらんでいた。

「こんな大金、受け取れない」

 こう言えば、少女の次の言葉など容易に想像できた。

「私たちは家族なんだから、気にしなくていいんだよ。受け取って、おじさん」

「い、いいのか?」

「いいんだよ」

 少女は、大金の入ったバックを礼一の胸元にさらに近づける。礼一は微かに口元を緩めた。

 意味の分からない家族ごっこに付き合うには、十分すぎる褒美じゃないか。本人が貰えというなら断る理由もないし、これは犯罪でもなければ、悪いことでもない。

 自分は借金が返せて、少女たちは少しのあいだ息抜きをするだけだ。本当の家族であろうが、なかろうが関係ない。生意気で世間知らずの子供を、少しくらい面倒見てやったって罰は当たらないだろう。

 礼一はバックを受け取る。

「わ、悪いな……。まぁ、駄菓子ぐらいしか用意できないけど、少しくらいゆっくりしていけよ」

 いったい自分はどんな顔をしているのだろう。礼一は確かめたくても、少女の瞳を直視することはできなかった。

「たしか、お前たちは俺の孫……なんだよな?」

 ごまかすように礼一が質問すると、少女は少年の肩を抱いて前に立たせる。

「自己紹介がまだだったね。ほら、自分の名前を言って」

 少年は、握っていた手の力を少しだけ緩めて、か細い声を出した。

「小鳥遊満です」

「そっか、俺の孫だから、小鳥遊なのか。君の名前は?」

 礼一が少女に聞くと、少女はいたずらっぽく笑った。

「私の名前はおじいちゃんが付けたの。だから、ここでは言わないでおくね。いつかその時が来たら、おじさんがきちんと考えて、私の名前を付けて」

「……そうか。あぁ、わかったよ」

 あまりにも少女が自然に接してくるものだから、礼一はなんだが本当にこの少女たちと家族になったような気がしてくる。

 変な子達だと、礼一は心の中でつぶやいた。

「じゃあ、君をなんて呼べばいい?」

「仮の名前は付けないで。君とかお前とか、そうやって呼んでくれればいいよ」

「そうか」

 改めて少女は向き直ると、「人類救済計画書」という、たいそうな名前のついた紙を礼一に見せてきた。

 「人類救済計画書」という文字も、その下に書かれている項目も、おそらく少女が手書きしたものだとわかる。計画書の下には、注意事項として「国家機密」と、これまた丸っこい字で書かれていた。

「国家機密にしては、随分とずさんな計画書だな」

「計画書らしい計画書なんて作ったら、悪い人たちにバレちゃうでしょ。これはカモフラージュなんです」

 いったい、悪い人たちとはだれなのか、はたまた組織にでも狙われているつもりなのか。子供らしい設定だ。

「それじゃあ、ここに載っている項目もカモフラージュか?」

 礼一が聞くと、少女は、何を言っているのかわからないという顔をした。ごまかしているわけではなく、本当に礼一の質問の意図が分かっていない様子だった。

 礼一は、計画書に書かれている項目の内容を読み上げる。


地球を守るためにやるべきこと


1 礼一おじいちゃんの借金をどうにかすること

2 壊されちゃったよもぎ公園へ調査しに行くこと

3 花火をすること


簡単に書かれた項目は、これまた子供じみた、メモ程度の内容だった。文字が書かれているところよりも余白の方が目立っている。それに、この3つをどうにかできたとして、地球を救うなんて、大げさなことはできやしない。

「もういいさ。金はあるんだ、公園へ行って、その帰りに花火でも買おう」

 礼一にとって、少女たちが何者で、本当の目的は何かなんて聞く必要がなかった。少女たちが望むことも、けして難しいことじゃないのだから、今すぐにでも実現させてやることはできる。

「お金はいつ、返しに行くの?」

 満が礼一に聞く。

「あぁ、そうだった。まぁ、それは後ででもいいだろう。どのみち、返せるだけのお金はあるんだからな」

 満は納得したようだったが、少女はあきれたように礼一を見た。礼一はその視線に気づいていないようだったが、隠れて吐いた、少女の小さなため息には憐みに似た哀愁があった。

 束から抜いた、いくらかのお金とマッチをポケットに入れて、礼一は少女たちと一緒によもぎ公園へ向った。その道中で、少女たちは礼一にもらったお菓子を食べ歩く。駄菓子を食べるのは初めてのようで、少女たちは笑顔を見せて喜んでいた。

 公園につくと、満はかけ出し、勢いよくブランコに乗る。そして、足で地面をけって、吊るされたイスを揺らし始めた。計画書では「調査」と書かれていたが、やはり遊びに来ただけだったようだ。

満のはしゃいでいる様子が小学生らしくて、礼一は子供のころを思い出す。大人になって何事にも関心が向かなくなってしまったが、公園で友達と遊んでいた頃は、何をやっても刺激的だった気がする。子供はあきやすく、移り変わりも早いが、そのかわり、大人が感じられなくなってしまった感動を拾うのがうまい。

若さとはそれ自体が彩となる。良くも悪くも色あせはしないし、何も知らないがゆえに、何でもできるような気がしていた。

 少女が満の背を押してやる。夕焼けに照らされて赤く焼けた地面に、満の影が伸びたり縮んだりした。2人とも、未来から来たなんて思えないほど、この景色によくなじんでいた。

「おじさん!」

 少女が礼一に手を振っている。

「おじさんのことも押してあげる!」

 いつもであれば、断っていただろう少女の誘いに、礼一は黙ってブランコに腰掛けた。すると少女は、本当に礼一の背中を押してくれた。少年の陰に加わった自分の影が、心なしか楽しそうにしていた。

「…………」

 ブランコが一番高いところまで来ると、少しだけ公園が広々と見える。空中にいるときの浮遊感が心を軽くするようで、無心でブランコをこいでいた、あの頃の自分がフラッシュバックする。

 いつの間にか礼一の背を押す手が増えて、振り向くと満も後ろに立っていた。

 子供が2人、いい年をした大人のブランコを押している。公園を通りがかった子連れの主婦が、礼一に奇怪な視線を送った。

「あはは」

 礼一の口から乾いた笑いがもれる。しかし、その表情はまんざらでもなさそうだった。

「いい気分だな」

 少女と満は、礼一が笑ってくれたのが嬉しいようで、さらに2人の押す手が強くなる。

「おじさん楽しい?」

 少女が聞く。

「ああ、楽しいたのしい」

「ほんとう?」

 こんどは少年が確かめた。

「なんだか、これが現実なんじゃないかって思えるんだ」

 礼一は、ブランコの鎖を掴む手の力をほとんどなくした。

「今までのことが夢で、この瞬間だけが現実なんだ」

 少女は可笑しそうにして、またあきれた視線を礼一へ送った。

「変なの。おじさんは本当、子供みたい」

 ブランコのあと3人は、滑り台を滑ったり、シーソーに乗ったりした。そうしているうちに日も暮れてきたので、礼一たちはスーパーで一番大きい花火セットとバケツを買い、澄美川へと向かった。

 到着するころには、すっかり夜になっていて、空には金星が輝きだす。夜の川は暗い藍色をしていて、静かなこの場所だと、水の流れる音がよく聞こえてくる。

 少女がマッチに火をつけて、満の花火に着火してやる。

「わぁ!みてみて!すごいきれい!」

 ぱちぱちと音を立てる青白い光を眺める満は、円を描くようにして腕を振る。光の残像が楕円を描き、満の顔をほのかに照らした。興奮して、ピンク色になった頬が丸くて可愛らしかった。

「ほら、おじさんも」

 少女が火をつけた花火を渡してきたので、礼一はそれを受け取る。こうして3人で花火なんかしていると、なんだか不思議な気分になる。

「未来の俺は、どんな感じなんだ?」

 感傷的になっているからかもしれない。礼一は、少女がどう答えるのか気になって、そんなことを聞いてしまった。

「未来のおじさん? そうだな、うーん……」

 少女は少し考えて、ひらめいたように答えた。

「誰よりも素晴らしい人だよ。優しくて、よく笑っていて、いつも私たちにお菓子をくれるの。それでね、何事にも前向きで、努力を惜しまない人」

 礼一は渋い顔をする。少女の語る自分は、まるで今の自分からは想像できない人物だった。

「それはホントか?」

「信じる者は救われるって言うじゃない。確かめようもないことだし、悪い気はしないでしょ」

 なるほど、少女の言うことは確かにその通りだ。少女の話が嘘だったとしても、礼一が損することなどないし、悪口を聞くよりは気分もいい。

そもそも、前提として、少女たちが自分の孫などと信じていない礼一にとって、「回答を聞く」ということ以上のものは求めていないのだ。

「そうだな。ああ、信じるさ」

 次の花火に火をつける満を見ながら、礼一は消えた花火をバケツの中に入れた。

「今日、みどりが死んだんだ」

 唐突な話に、少女はひどく驚いた顔をする。礼一はそれを確かめてから、話をつづけた。

「人間じゃないぜ? 駄菓子屋のおじちゃんが飼っていた、ハスキー犬の名前な。当時は、ハスキー犬ってのは物珍しい犬種だったんだ。子犬だったこともあって、俺はずっと柴犬だと思ってたな。目の灰色が、少し緑色っぽかったから“みどり”なんて安直に名前つけちまったけど、どうせならシャーロットとか、エリザベスとか、そういう名前を付けてやればよかったなぁ。ほら、外国の犬だからさ」

「……みどりちゃん、死んじゃったの?」

 見たこともない犬に同情したのか、少女は真剣な表情だ。

「もうすぐで17になれたのにな。動物はすぐに死ぬ」

 あと1日だった。あと1日で、みどりの誕生日だった。正確に生まれた日は知らないが、礼一が名前を決めた日がみどりの誕生日になったのだ。

「そうだね……、この話が何なの?」

「俺がどんな人間になろうと、いずれは死ぬ。そう思うと、もう、何もかもがどうでもいいように思えてな」

 少女は花火に火を灯し続けるが、礼一が花火を握ることはなかった。

「おじさんには何もないんだね」

 虚しい気持ちが礼一の胸を占める。虚しいなら虚しいなりに、空っぽになってくれればいいのにと思った。少女の一言に傷つくくらいには、まだ心は死んでないらしかった。

「おじさんの言うことは、誰しもが思うようなことで、つまらないし生産性もない」

 辛辣に言い捨てた少女は繰り返す。

「凡庸すぎてつまらない。だから死ぬんだよ、命じゃなくて、心がね。ぼぉっと生きて、何も得られなかったことを悲観しているだけ。これからだって、何もする気がないくせに。ふふ、本当、おじさんは可愛いね」

 少女の花火が燃え尽きた。

「ねぇ、おじさん。おじさんは私に何を求めているの?」

 礼一は目を見開く。地面を向いていた視線を少女に移すと、少女は溶けるような愉悦の笑みを浮かべていた。

「怖がらないでおじさん。私がおじさんを愛してあげる。だってほら、私たちは家族だから」

 礼一は、少女の言葉が上手く理解できなかった。いったい何のことを言っているのかわからなくて、やはりもう一度花火を付けた。


 数日がたち、子供たちとの生活が嘘のように馴染んでしまった頃だった。礼一のアパートに、スーツを着た、物騒な男たちがやってきた。

「小鳥遊さーん、いるんでしょう?ドアを開けてくださいよー」

 丁寧な言葉遣いとは裏腹に、粗悪な響きを持つ若い声だった。叩かれる扉の音も乱暴で、礼一の頬を冷や汗が伝う。心臓が嫌な音をたて、お金は用意できているというのに、今までの恐怖の記憶を、緊張の糸が体へと伝達した。

 満は顔を真っ青にさせて、少女に体をくっつけていた。

「あぁっ!はい!」

 上ずった情けない声が喉から出る。礼一はお金を入れた封筒を持って、急いで玄関を開けた。すると、見慣れたサングラスの男が二人たっている。

「おお、出てきてくれてよかったですよ、小鳥遊さん。鬼ごっこをするのは、こちらとしてはやぶさかではないんですけどね、いい加減にけじめはつけましょうよ」

「す、すみません……」

「いや、いいんです。で? お金は用意できてるんですよね?」

「あ、はい…」

封筒を渡すと、男たちは驚いている様子だった。当然用意しているだろうなと圧をかけておいて、本当に払えるなんて思ってもいなかったのだろう。

きちんと金が入っているか確かめて、男たちは満足そうに帰っていった。

黒塗りの車が去っていったのを見届け、礼一はドアを閉める。力が抜けてその場にへたり込むと、どっとした疲れが体を襲った。いつの間にか手には汗が滲んでいて、安堵して息を吐く。

「もう! 本当に信じられない! まさか闇金に手を出してたなんて!」

 少女は、何度目かの呆れたため息をついた。

「自分の人生設計を少しは真面目に考えてよね」

「仕方なかったんだよ……」

「仕方がないのはおじさんの頭でしょ。こんなんじゃ、おじさんをひとり、置いていけないじゃん」

 そこで礼一はハッとする。そうか、少女たちはいつか帰ってしまうのか。

 それは当然だし、望んでいたことでもあるのに、いざいなくなってしまうとなると感じるものもある。

「そういえば、オマエたちはいつ帰るんだ?」

 すると少女は、得意げに息まき、わざとらしい口調で語りだした。

「ご苦労様でしたおじさん! これですべての項目が達成しました。貴方のおかげで、この世界は救われたのです! 褒美は貴方の新しい未来ということで、私たちは元の世界に帰りたいと思います」

 演技かかった少女の言葉は演劇のセリフのようで、礼一は拍子抜けした。

―こんなんで世界が救われたのか?

的外れな感想を抱く礼一に対し、少女は満足そうに笑い、満は胸に手を置いて、嬉しそうに笑みを浮かべていた。

しつこく礼一に食い下がって、何日も我が物顔で居候していたくせに、少女たちはあっけなく出て行ってしまった。

「バイバイ」

 それだけ言って、まるで遊びに来ていた友達が家に帰っていくように、少女たちは行ってしまった。

「なんだったんだよ、いったい……」

 誰もいなくなった部屋で、礼一は少女たちとの日々を思い返す。日常というには、短く、奇妙なものだった。

今になって冷静に考えると、自分はとんでもないことをしてしまったのではないかと思い至った。しかし、過ぎてしまったことをとやかく言うのは礼一の性分じゃなかった。

 しばらく吸えなかった煙草に火をつけ、礼一は窓の外を眺める。空はあの日と同じような赤で染められ、カラスが数羽、鳴いていた。そこにはもう、少女たちの影はなかった。




澄み切った淡い青と、太陽の金色で満ちた空を、美登利は小高い丘の上から見ていた。

「おねぇちゃん! おねぇちゃん……!」

 満は美登利に抱き着いて、どうしようもないくらいに泣きじゃくる。懸命に美登利の服を握りしめて、生きたいという欲求と、死にたくないという懇願を訴えかけるようにして、泣き叫んでいた。

 美登利は満を哀れに思った。こんな子供では、死とはどういうものか、まだ理解できないだろうに。それでもこの子は死ななければならないのだ。

「大丈夫、おねぇちゃんが守ってあげるからね」

 そう嘘をついたのは、満に対する最後の優しさだった。

 もうすぐ地球は滅亡する。逃げられるところなどなく、ただ、最後を待つしかない。

「なかなか、悪くないじゃないか」

 独り言のように美登利がつぶやく。映画なんかでは悲惨な描かれ方をするのもだが、こうして本当に地球の最後に立ち会ってみると、これはこれで美しい眺めだった。

 彫刻が割れるように地面が崩壊して、宇宙に融解していくように黄色と赤の光が散乱する。あとは、青の中に溶け込んでいくだけだ。

 窒息死か、はたまた外傷によって死ぬのか。痛くないならどうでもいい。できるだけ緩やかな死の感覚が感じられればそれでいい。

16年、今年で17年になるが、それだけ美登利はずっと生きてきた。それに比べて、死というものはどうだろう。人生にたった一度、一瞬しか訪れないのだ。だから美登利は、この一度を大切にしたかった。

 

ああ! 何十億年と歴史を刻んだこの惑星と、一緒に終わることができるなんて! なんて、なんて素敵で、ロマンチックなことだろう……!


 きっと、何度生まれ変わったとしても、こんな最後に巡り合うことはもうないに違いない。

 満の悲惨な悲鳴と、人々の絶望が交差する中で、美登利は子供のような笑みを浮かべていた。

 今日、どうやら地球は終わったらしい。


私の見た夢がネタで書きました。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ