73話 フレイル・フライスの片思い 【五学年の過去編】
ロイズが採血サンプルのガラス容器を片付けたり、心臓波形のデータをチェックしていると、リグトから「ロイズ先生」と呼びかけられた。
「なーにー?」
「さっき、店の外で聞いた異常値のペアを探す話ですけど、俺はやります」
「……デメリットの件は平気? もう少し悩んでもいいよ?」
ロイズは、ユアをチラッと見てしまう。
このとき、ロイズはトンチンカンなことを考えていた。リグトはユアのことを好きなのかもしれないとか。
だって、さっきも『赤紫色を死守する』とか超格好良いことをサラっと言っていたし、恋愛偏差値30のロイズの目には、とても仲が良い男女にしか見えない。
リグトがユアにデコピンをした瞬間なんて、『なに今の気軽な感じ!? 超羨ましいんですけど!』と嫉妬丸出し。担任教師が生徒二人をチラチラと見すぎだ。こんなんだからユアへの気持ちをマリーに気付かれるのだ。
だが、相手は金の亡者のフラグクラッシャー。ユアへの気持ちなどあるわけもない。
「いえ、デメリットのことは大丈夫です。今は彼女もいませんし、異常値のペアとそうなったらなったで構いません。それよりも、魔力枯渇症になる可能性を潰しておきたいです」
その淡々とした答えを聞いて、リグトの気持ちがよく分からなくなったロイズであるが、リグトが魔法省勤めを希望していることを思い返して、それならば魔力は大事だろうと、とりあえず頷いた。
「じゃあ、本格的にリグオールの異常値のペア探しをしようね」
「はい、お願いします。フレイルはどうする?」
リグトが何の気なしに、横にいたフレイルに話を向けると、フレイルは迷うようにリグトに視線を返した。いや、リグトの向こう側にいるユアを視界に入れた。
―― 異常値のペアに会って、この気持ちが消えるならそれでもいいか
フレイルは努力が好きではない。無理目なことは早々に諦めて生きてきた。それで困ったことはないし、悩んだりすることもなかった。
先程、店の外でロイズを問い質した時の答え。ユアと恋人関係になるか、という質問に対するロイズの『ノーコメント』
察しの良いフレイルは悟ってしまった。卒業後、二人はそういう関係になるのだろう。現時点で恋人関係ではないものの、もう心は通わせているのかもしれない。
このままユアには何も言わず、黙って器用に諦めることも、たぶん簡単に出来るのだろう。だって、ずっとそうやって安全地帯で生きてきたから。
―― でも、じゃあ……ユアを好きだった2年って、一体何の意味があったんだろ
心臓波形のデータを見ながらカリカリとペンを走らせているユアを見ながら、少しため息をつく。こうやってフレイルが彼女を見ていたって、ガリ勉女は全く気付くこともない。いつだって、そうだった。
―― 相変わらず可愛くねぇ女。昔っからカリカリカリカリ、勉強ばっかしやがって
入学から4年。彼女はいつだってそうだった。カリカリと音を立てて、姿勢良くペンを走らせる姿は、いつだって――
◇◇◇◇◇
【4年前】
時は遡り、フレイルやユアたちが入学してすぐの頃の話になる。
温かい春の光が差し込む一学年の講義室。これから苦楽を共にする40人のクラスメートが、出席番号順に自己紹介をしていた。
「出席番号2番、リグト・リグオール。悲惨な程に貧乏なので、食べ物を恵んでくれる人と友達になりたいと思っています。何卒よろしく」
―― すげぇ自己紹介だな。面白いやつ
明け透けな自己紹介に、フレイルは笑いそうになりながら、思わず後ろの席を振り返って顔を確認した。太ましい食いしん坊の残念な感じを想像していたが。
―― どちゃくそイケメンじゃねぇか!
黒髪のイケメンだった。たぶん、一学年のクラスメート全員が『イケメンじゃねぇか』と、心の中で突っ込んだに違いない。
思い返せば、このリグトの自己紹介。フレイルたち4人が仲良くなるきっかけだったかもしれない。
「次、フライスの番だぞ」
「はーい」
当時一学年の担任魔法教師に急かされて、フレイルは面倒そうに立ち上がる。窓から入り込んだ柔らかな風が金色の髪を靡かせた。
「フレイル・フライス、出席番号1番。実家はパン屋なので、売れ残りのパンでよければ幾らでも。よろしくー」
軽く後ろを振り向くと、ガチのキメ顔で「リグトだ。よろしく、フレイル」と、許可なくファーストネーム呼びで返される。さすがに笑った。
そうして終わったホームルーム。ふぁっとあくびをしていると、なにやら後ろの席が賑わう。
「リグト、何よあの恥ずかしい自己紹介は!」
焦げ茶色の髪の女の子が、怪訝な顔つきでリグトに話し掛けていた。
「恥ずかしくとも良い。俺は実益を重んじる」
「実益って俺のこと?」
フレイルが笑いながら話に加わると、その女子生徒は1番のパン屋さんねと微笑む。
「フレイル・フライス君よね。出席番号39番のユア・ユラリスです。よろしくね」
「フレイルでいいよ、ユラリスさん?」
「ユアでいいわ」
―― 39番か、超ギリギリ入学って感じ。来年はいないかもなー
「ユアとリグトは友達?」
「幼なじみってやつだ」
「家が隣同士なのよ」
「へぇ、二人揃って上級魔法学園に入学なんてすげぇじゃん」
「成績は雲泥の差だけどな」
リグトが意地悪そうにユアを見下すと、ユアはキッとリグトを睨み返していた。
「今に見てなさいよ? 5年間でぶち抜いてやるわ」
闘志とガッツが溢れる姿を見て。
―― すげぇ可愛くねぇ女だな
残念ながら、それしか思わなかった。
勿論、平々凡々な容姿のユアに一目惚れするなんてこともない。フレイルにとって、ユアは『リグトの幼なじみ』でしかなかった。これがフレイルとユアのファーストコンタクトである。
この後、39番のユアと40番のカリラがやたら意気投合して、カリラとフレイルもやたら気が合ったことから、自然と4人で話すことが増えたのだ。
そんな一学年の一学期。初めての実技試験前のことだった。
毎日練習に励むクラスメートを横目に、フレイルは特に何もしていなかった。実技試験はパン屋で鍛えた得意の火魔法だったし、練習する必要もなければ、そもそも成績に拘る必要もない。
だって、彼はただのパン屋の息子。それでも首席入学なのだから、やはりフレイルは天才であったわけだが。
みんなが練習を終えた19時頃。学食で夕食を食べ終えた早寝のフレイルは、寝支度をしようと部屋に帰った。
身体や服を浄化していると、窓の外に人影が。教本片手に魔法練習場の方へ歩いていくユアの姿だ。
「こんな時間に練習? ガリ勉女って感じー」
悪態をついて、その日は寝た。
翌日、また同じくらいの時間にユアを見た。その翌日も。フレイルは『そんなに練習するかぁ?』と不思議に思う。
そして更に翌日、少し気になったフレイルは、出席番号39番の実力だけでも見てやろうと、魔法練習場に赴いた。
魔法練習は寮から少し距離がある。ユアは歩いていたが、フレイルなら浮遊魔法でひとっ飛び。
―― 暗っ!
ふわりと行ってみると、そこは真っ暗。なんで魔法灯を点けないんだろうと思い、近くの魔法灯の一つに魔力を注いで灯りを点ける。深みのある艶っぽい橙色の光がパッと彼女の横顔を照らすと、それに驚いたユアと目が合った。
「フレイル? あぁ、ビックリした」
「暗いとこで何やってんの?」
浮遊して近付くと、ユアは「魔法の練習よ」と見たまんまの答えを返してくる。
「そりゃそうだろうけど、毎日この時間に練習してんだろ? ただの火魔法にそこまで練習が必要かぁ?」
出席番号1番が39番を見下ろしながら心底不思議そうにするわけで、いつも明るいユアが少しうつむいていたとしても仕方ないだろう。
「私、あんまり魔法が使えないから、毎日練習しないといけないのよ」
「はぁ? ここは上級だろ? 下級の生徒なら分かるけど」
「私、魔力量が少ないから」
言っている意味がよくわからなくて、フレイルはきょとん顔。ユアは少し笑っていた。
「魔法灯を点けるのも勿体ないくらいに、魔力量がないのよ」
「へ? よくわからん。どうやって入学したんだよ。まさか裏口?」
「ふふっ、まさか! 筆記試験で点数を稼いだの」
「筆記試験で!?」
「一問だけ間違えたのが悔やまれるわね」
「ほぼ満点じゃねぇか」
―― こいつ、本物のガリ勉だ!!
これにはかなり驚いた。上級魔法学園の筆記試験は非常に難しく、ふるいにかけるための試験だ。点数を稼げるような試験ではない。
フレイルは魔法実技で群を抜く点数を叩き出していたものの、筆記試験だけを切り取れば上級ギリギリレベルであった。
「魔力量が少ないってどれくらい?」
「うーん、魔力量100%で治癒魔法10回が限界かなぁ」
「10回!? 幼児レベルじゃん!」
「失礼ね。これでもトレーニング毎日頑張ってるんだから。入学してから調子良いしね! 今にフレイルだってぶち抜いてやるわよ、ふふん」
「無理だろ……来年は中級落ちかもなぁ。南無阿弥陀仏」
「もー! 練習の邪魔しないでよね!」
そう言いながら、ユアはなけなしの魔力を使って魔法陣を描く。指先に集められた魔力が青紫色に光って、少し暗い練習場がぼんやりと灯った。
―― うわ、魔法陣描くの速っ。めっちゃ綺麗じゃん
ものすごく練習しているのが、その迷いのない指先から伝わる。
魔法は見事発動したものの、魔力量が少ないのだろう。とても小さな火だった。灯火みたいな。
「うーん、もっと使用効率を上げないとダメね……うーん」
「なぁ、なんでそこまでして上級魔法学園にこだわるんだよ? 別に下級でもいいじゃん。あ、家が厳しいとか?」
フレイルがズケズケと聞くと、ユアは首を振って否定をしつつ、少し恥ずかしそうに教本を開いたり閉じたりして、もじもじとし始めた。
「……えっと、憧れてる人がいて……」
「急に恋バナ始まった?」
「違うわよ、ただの憧れ! 五学年のロイズ・ロビン先輩なんだけど……知ってる?」
「そりゃ、みんな知ってるだろ」
「私、ずっと憧れててね、同じ学園に通ってみたくて……少しでも近付けたらなぁって」
「おいおい、驚いたな。39番が高望みしすぎじゃね? 本当に頭良きかよ、お前」
ここにも煽り体質の天才魔法使いがいた。
「もー! 本当に失礼ね。憧れるのは私の勝手でしょ? 練習するから話しかけないで!」
「はいはい。39番さん、がんばってー。1番は帰りまーす」
フレイルはそう言って浮遊で帰った。
ユアはフレイルが点けた魔法灯一つで、ずっとずっと練習を続けた。門限ギリギリまで、ずっと。
この時点で、フレイルはユアに好意らしいものを一切持っていなかった。むしろ、ガリ勉のつまんない女というカテゴリーに配していたくらいだ。
ただ、ユアが描く魔法陣は正確で速くて綺麗だなという印象だけは残っていた。
フレイルがユアを意識し始めたのは、二学年に上がってからだ。たった一年で、ユアは29人抜きの出席番号10番になっていた。




