6話 研究室で、君の秘密を半分こ
「とりあえず部屋を移動しよっか」
そう言って、ロイズは仮眠室の扉を開けて、部屋を出るようにユアを促した。ユアが仮眠室を出ると、そこにはパラダイスが広がっていた。
「わぁ、これがロイズ先生の研究室……?」
「そう、これがロイズ先生の研究室です。ようこそいらっしゃいませ~」
―― ユラリスの目、爛々としてる。魔法が好きなんだろうな、楽しそうだぁ~
ロイズの研究室は広い。ここは東側校舎三階の一番端であるが、一番端と言ってもフロアの半分はロイズが占領していた。破格の待遇ではあるものの、彼の研究は多岐に渡るため、妥当であると言える。
研究室では、色んなものが活発に動いていた。
手前には何やらフラスコ、ビーカー、試験管と言ったガラス器具の中に、色とりどりの液体が並べられ、コポコポと音を立てていた。駒込ピペットが、時々思い出したようにフラスコに何かを滴下して、また色が変わったりしていた。
その反対側には、魔導具が所狭しと並べられていた。魔導具たちが協力しあって、新しい魔導具をせっせと組み立てている。働き者の良い魔導具だ。
奥に進むと、今度は木箱から煙が出たり入ったり、時には木箱がピカッと光ったり、ちょっと動いたり転んだり、木箱と木箱が支え合っていたりした。何の木箱だろうか。
そして、その反対側。一番目を引くのが、密集した魔法陣たちだ。
魔法陣が密集しているその箇所は、壁に置いてある大きなスクリーンに向かって、魔法が自動発動していた。大きなスクリーンは放たれた魔法を自動で記録して、A4サイズくらいの紙にそのまま転写し、記録が保管されるようになっていた。便利だ。
興味津々と言った表情で、あっちにこっちに目を泳がせているユアを見て、ロイズはまたもや笑いが漏れてしまった。
「楽しい~?」
「もっちろんです!」
ユアは両手の拳を握り締めて、力いっぱいに答えてくれた。
「後で説明してあげる。ここじゃあ話は出来ないから、こっち来て」
ロイズはスタスタと研究室を横切って、仮眠室の真反対にある扉を開ける。そこには別のパラダイスがあった。
「わー、綺麗……」
その部屋は、まるで空の上を切り取ったような部屋だった。天井も床も境目が分からない青空だ。その中を、色鮮やかな雲がもくもくと漂っていた。
太陽はないのに明るくて、暑すぎず寒すぎず、とっても心地良い部屋だ。
「入っていいよ~」
「え、でも、何だか落ちそうです……」
一歩部屋に入ったら落下してしまうのでは、と思うくらいに、その部屋は空の上であった。浮遊魔法で飛ぶことの出来るユアでさえ、少し足が竦んでいる様子。
「落ちないからだいじょーぶ!」
ロイズが声をかけると、ユアは頷いてから部屋に一歩入ってくれた。
それでも、手を広げてバランスを取るように恐る恐る歩く彼女。固い感触はなく、まるでグミみたいな感触で出来ている床だ。
「わ、見てください、歩けます。柔らかい……です。うわぁ、ぐにぐにしてます。うわぁ」
―― うっわー! いい! またもや良い反応!
ロイズは、さっきからずっとユアの反応が初々しくて面白くて仕方がなかった。マジックショーで驚いている客を見て楽しむ、マジシャンの気持ちだ。してやったり、的な。噛み殺しきれない笑いを飲み込んでは、小さく吹き出していた。
「ここは元々応接室なんだけどね。何か殺風景でつまんなかったから、空っぽくしてみたんだ~」
「空っぽく」
「雲が椅子代わりだから、好きな雲に座ってね」
「は、はい」
雲に特別な好みはないユアは、一番近くにあったオレンジ色の雲に座った。ふわっともふっと座り心地抜群の雲具合だ。
「雲が、もくもくです……うわぁ、いい……」
―― うわぁ、いい!
ユアの反応が面白くて、もはやロイズが一番楽しんでいた。とは言え、応接室アトラクションを味わって貰うために呼んだわけではない。
ユアが座っている雲の近くの雲に座って、彼女に向き直った。
「さて、食堂での話の続きを聞きたいんだけど、冷静になってみると、俺が聞いて良い話なのかなって思ったんだよね。ユラリス的には、どうなの?」
「その……ロイズ先生なら、大丈夫です。信じてます」
ユアの言葉に、ロイズはニコッと笑って右手を挙げた。
「『ロイズ・ロビンがロイズ・ロビンに命ずる。これから、この部屋で聞くユア・ユラリスの話は、本人の許可なく一切他言しないこと』」
ユアは、驚いて目を見開いた。
「え、命令の魔法……!? 禁忌ですよ!?」
「え? 自分にかけてるんだからいいんじゃない~?」
「ぇえ、いいのかしら、ダメな気がしますけど、バレなければいいのかしら。というか、バレないのかしら? ……でも、それよりも、禁忌の魔法も魔法陣なしで発動できるんですね。それに驚きました」
「あはは! そっち!? ユラリス、面白いね~。でも、これで絶対に他言できなくなったから、安心してね?」
「は、はい。そこまでして頂かなくても」
「信じてくれるユラリスに、誠意を返すのは当たり前だよ」
「……ありがとう、ございます」
少し俯きながらチラリと見てくるユアに、ロイズはニコッと笑顔で返した。
「さて、じゃあ質問していっていい~? 嫌な質問とか、答えたくないのは答えなくていいからね」
「はい、大丈夫です」
「ユラリスは生まれたときから魔力量が少なかったの?」
「はい。あ、いいえ。えっと、はい?」
ユアの困惑したような返事に、ロイズは小さく笑って「ゆっくり話していいよ」と優しく促した。
「あの……、四歳くらいから学園に入学するまでは、魔力量はほとんどありませんでした。本当に僅かな魔力で……」
「なるほど。四歳より前は? 生まれたときは、逆に魔力量が多かったの?」
ロイズの質問に、ユアは小さく首を振った。
「生まれてから四歳までは……魔力は、全くありませんでした」
「ん? 魔力が無い?」
ロイズが首を傾げると、彼女は何かを怖がるように目をギュッと瞑った。願いをかけるように両手を組んでいて、その手は震えている。彼女のまとう空気は、生け贄が祈りを捧げるかのような悲痛さがあった。
ユアは、ゆっくりと口を開く。
「私、元々魔法使いではないんです。生まれたときは……人間でした」
その言葉は、ロイズの頭を空っぽにした。あまりの衝撃に、思考も、感情も、その全てが抜け落ちたのだ。
「え……人間だった……?」
「……はい」
「え、待って。人間から魔法使いに変化したってこと?」
「はい」
ロイズは、震える手で口元を覆う。言葉が出てこなかった。
この国には魔法使いと人間が共存している。見た目は変わらないが、魔法使いは魔法使い、人間は人間、生物学的に『異なる種』だとされている。
そして、この二つの種族には、明確な上下関係が存在している。魔法使いが上で、人間が下。その上下関係が覆ったことは一度としてない。
酷い場合だと『人間忌避』と言って、やたらと人間を嫌がる魔法使いもいる。
それほどに、二つの種族は似て非なるもの。人間から魔法使いになることはないし、魔法使いから人間になることはない。それがこれまでの定説であった。
ユアの存在は、この定説を覆す。これは国を揺るがすレベルの『秘密』だ。
「いや、想定以上で、……驚いた。なるほど、これは……秘密にするべき内容だね。ユラリスの判断は、正しい」
「……気持ち悪いって思いますか?」
「え? きもちわるい? なにが?」
思ってもみない質問だったから、無神経な天才魔法使いは「あはは!」と笑ってしまった。
「素敵なことだな~と思ったよ」
「素敵……?」
「だって、どんな魔法も『人間を魔法使いに変える』なんてことはできない。魔法でもできなかったことが、現実に起きてる。それって奇跡でしょ?」
ロイズの言葉は、十五年間ずっと恐怖と共に生きていたユアを、その昏々と深まった沼から一気に救い出した。
心をふわりと救われたユアは、「良かったぁ」と少し掠れた声で呟いた。そして、もう一度「良かった……」と噛み締めるように呟いて、心底嬉しそうな顔ではにかんだ。
それを見たロイズは、少し胸がザワッとした。
―― ん?
「あの、そう言って頂けて、心が軽くなりました。はぁ、良かったです。ロイズ先生なら大丈夫だろうと思っていましたが、やっぱり怖くて」
「あ、うん、全然へいき……」
「先生?」
「え、あ、ごめん。何でもない」
ロイズはハッとして、軽く咳払いをした。
「コホン。えっと、生まれたときは人間で、四歳で魔力がわずかに発生した、と。何かキッカケとかあったの?」
「それが分からないんです……が、一つだけ」
「うん?」
「両親の魔力量の事なんですけど。父は魔法省に勤めていて、非常に魔力量が多いです。現在は、第一魔法師団の師団長を担ってます。ですが、母は……人間なんです」
「へぇ! 珍しいね。魔法使いと人間で結婚したの?」
「はい、公にはしていませんが……」
色々としがらみがあるのだろう。今の社会構造からすると、それは想像が容易かった。
「なので、ハーフみたいなものなのかなと思っていました」
「うーん。それはどうかなぁ。あ、ユラリスに兄弟姉妹はいる?」
「はい、妹が三学年に在籍しています。妹は生まれたときから魔法使いでした」
「ほーう、なるほど。ユラリスは魔法使いからは必ず魔法使いが生まれて、人間からは必ず人間が生まれるって思ってる?」
「は、はい。周りのことを見聞きすると、そうなのかなと思っていましたが……」
「確かに、その例が多いけどね。でも、そこに確実な遺伝性はないんだ。実際、国の出生記録を見ると、必ずしもそうとは言えないんだよ~」
ユアは驚いて「そうなんですか!?」と聞き返した。
「極稀に、魔法使いから人間が生まれたり、人間から魔法使いが生まれたりしているのが事実。それを魔法省は認めていないし、公にもされていないけどね」
「知りませんでした。ということは、人間と魔法使いは違う種族ではなく、同一種族ということなんですか?」
ロイズは、満足そうに深く頷いた。
「実はね、俺の両親はどちらも人間なんだ」
「ぇえ!? ……なるほど、だから……」
今度はユアが目玉飛び出るくらいに驚いて、そして深く納得していた。
「俺は、その最たる例だね~。ロイズ・ロビンは、国一番の魔法使いだとか言われてるけどさぁ。それを生んで育てたのは、他でもない人間ってこと。笑っちゃうよね~」
ロイズは、ニヤリと意地悪な笑顔を浮かべて、思い起こされる『そういう魔法使い』に向かって冷ややかな目を向ける。
「あ、そうそう。入学後から魔力量が増え出したって言ってたよね?」
「はい、そうです」
「そのキッカケはあったの?」
「ありません」
「トレーニング方法は?」
「特別なことは何も。先生に教えて頂いたことを毎日忠実にやっていただけです」
「ふーん、謎だぁ」
ロイズはふわりと雲に背を預け、天井……ではなく部屋の上空を見上げて思いを巡らせた。
―― 欲しいなぁ。まさかの元人間の魔法使い! しかも魔力相性も最高と来たもんだ。喧嘩することもなく、仲良し師弟関係を築ける。欲しい欲しすぎる……!
だが、しかし。
―― だけど女の子だもんなぁ。ちょっとイヤだなぁ、なるべく関わり合いたくないぃー。研究助手じゃなくて、協力依頼くらいで留めておくべきかなぁ~
ロイズ・ロビンは、女性が大の苦手であった。
残念なことに、彼は童顔で中性的な可愛い感じの容姿をしていたため、男としてモテるということは全くなかった。
しかし、天才魔法使いとしてそういう誘いは多かった、いや多すぎた。ストレートに言ってしまえば、魔法使いの遺伝性という俗説を信じたお馬鹿な女が、ロイズの子供を欲しがるのだ。
魔法使いの文化は完全能力主義だ。魔法学園の出席番号が成績順であることも、その一例。
秀でた魔力を子供に持たせることが出来るかどうかは、自身の能力が低い魔法使いにとって最後の賭けでもある。ギラギラとした目で、手段を選ばずに迫ってくる女の姿は、正直恐怖でしかなかった。全て手酷く返り討ちにしていたが、鳥肌ものだ。
元々、全力魔法バカ。恋愛にまったく興味もなかったし、性欲的にもスーパー草食メンズ。それにも関わらず、十五歳以降、ずーっとそんな環境に身を置かされてきたものだから、もはやそういう女には恐怖や嫌悪しか感じない。
例え、害がなさそうな女であっても、女というだけで近寄られたり触られたりすると、ゾワゾワと鳥肌が立つ。軽い女性恐怖症とも言えるだろう。
ドロドロとした女の欲を、一方的にぶん投げられ続けたサンドバック男の成れの果てである。南無阿弥陀仏。
―― でも、ユラリスは、そういう感じしないんだよなぁ。あぁ~、欲しい~、迷うぅ
下着をどうするか悩んだり、寝ているロイズの心音をここぞとばかりに味わうくらいには、バッキバキにそういう欲を持っているユアであったが、それは全く露呈されていなかった。吉報だ。
そんな風にふわふわと雲の上で迷っていると、ロイズはふと思い出した。マナマが『ユア・ユラリスはザッカスが好き』とか何とか言っていたことを。
―― ザッカスが好きなら大丈夫かなぁ
好きな男がちゃんといるならば、お互いにビジネスライクな関係が築けると、ロイズは思った。元人間だなんて、夢のような人材が目の前にいる今、こんな情報だけで、ロイズの天秤は大きく傾いてしまった。ガッターンと。
しかし、マナマの情報は、四年も前のものである。古すぎる。これをカウントしてしまうあたり、恋愛に関してぽんこつ感が否めない。
ロイズは心の中で大きく傾いた天秤の勢いをそのままに、ガバッと身を起こした。
「よし、決めた!」
そう言って、ロイズはスッと立ち上がって、ユアの前に屈んだ。
「ユラリス。俺の助手になってほしい」