5話 心音、体温、ピッタリ重なるもの
ロイズとの約束の16時まで、あと20分。
講義終了後、ユアはダッシュで学生寮の自室に帰宅して「うーん」と唸っていた。
「本当は可愛いワンピースとか着て行きたいけど、研究室だもんね。制服一択よね」
どっちでもいい。ロイズはそんなこと気にしない。
「あ、でもいつもよりリップは濃い色でもいいよね」
ロイズは、そんなこと気付かない。
「香水は……ダメダメ、ロイズ先生はきっと嫌いだわ」
確かに香水は嫌いだ。正解。
「髪型を変えるのは? 急に変わってたら変に思われるわよね」
ロイズは、そんなこと何とも思わない。
「……下着は?」
安心してほしい。そのままで大丈夫だ。ロイズは何もしない。
それはもうドキドキとして、ユアは16時を待っていた。これで『憧れです』と言い切るのだから、彼女は本当に賢いのだろう。現実がよく見えている。
そうして、いつもより少し濃いリップを塗ったところで、ユアはふと気になってしまった。
―― 遠くにいても転移されるのかしら?
学生寮は学園の敷地内にある。だからきっと転移されるだろう。しかし、学園の外にいた場合はどうなのだろう。もっと遠く、例えば街中だったら?
考え出したら、ユアは気になってしまった。すぐさま小走りで学生寮を出る。向かったのは、校舎と真反対にある学園の門だ。時間を見ると15時54分。もうすぐロイズの研究室に転移されるはず。
「とりあえず門の外に出てみよう」
怒られちゃうかしらなんて思いながらも、『怒るロイズ先生もステキ』とか下らない想像をしつつ、ドキドキと門の外に出た瞬間。
ふわり、ストン。
「うぎゃっ!」
時間よりも五分前、ユアはロイズの研究室に転移されてしまった。『もしかして学園から出たら自動的に転移される仕組みになっていたのかしら。だとしたら相当複雑な魔法を組み合わせて使っているのね。さすがロイズ先生。大尊敬!』なーんて、考えることも出来なかった。
何故ならば、仮眠ベッドで寝ているロイズに、覆い被さるように転移されてしまったからだ。
ベッドに若い男女が二人、という絵が突然完成した。大変イカガワシイ。
どれくらいイカガワシイかと言えば、ユアの顔はロイズの心臓付近にピタリとくっついていた。もちろん、身体もそこかしこピッタリ。その距離、ゼロだ。
さらに、突然の転移で体勢が大きく変わったことでスカートはめくれていた。こんなことなら、下着をもっと可愛いのにしておけば良かった、とか考えてはいけない。
「~~~~っ!?」
悲鳴を上げそうになったが、既の所で声帯にストップをかけた。ロイズが熟睡していたからだ。
―― ね、寝てる?
ユアを上に乗せたまま、気付くこともなくスヤスヤと寝息を立てるロイズ。ユアは、心底ホッとした。もし、これが起きているロイズであれば、もう恥ずかしすぎて窓から飛び降りて落下しつつも、瞬時に浮遊の魔法陣を描いて、まさに飛んで帰っていたところだ。危なかった。
ホッとしてみると、やたら静かな研究室。彼の心臓の音がドクン……ドクン……と、心地良く聞こえてきた。
―― ロイズ先生の心音、すごく落ち着く
身体だけではなく、心音までもがピタリと重なって溶解して、一つになった心地がした。
ユアは、ロイズの心臓の音を聞きながら、四年前のことを思い出していた。
ユアが初めてロイズを見たのは、彼女の入学式の日。当時のロイズは五学年の生徒であり、入学式の在校生代表祝辞を述べていた。
勿論、『天才魔法使いロイズ・ロビン』の名前はユアも知っていた。有名すぎるほど有名だったし、両親からもその名前を頻繁に聞いていたからだ。
だけど、実物を見るのは初めてだった。
きっと、ユアのどストライクだったのだろう。こんなに魅力的で可愛い感じの素敵な男性だとは、思っていなかった。もっと……筋骨隆々とした猛々しい怖い人だと、勝手に想像していた。
そして、ロイズは、その中身も素敵にどストライクだった。
壇上で祝辞を述べた彼は、姿勢良く一礼した後に、『いっひっひ~』と歯を見せてイタズラな笑顔を浮かべた。大きな声で「入学おめでとう!」と言ったかと思うと、新入生にたくさんの、それはもうお花畑でも追い付かないほどの、たくさんの花を降らせた。
その花は、ユアたちの頭上に降り注ぎ、触ろうとするとスルリと手の中から逃げていくのだ。それでも、何故だか夢中になって掴もうとする新入生たちに、ロイズはこう言った。
『その気持ちを忘れずに、五年間を過ごしてね』と。
そのロイズの楽しそうな顔を見たときから、彼はずっと、ユアの『特別』だった。
入学式から四年間、ユアは一日たりともその気持ちを忘れなかった。何かを必死に掴もうとし続けてきた。魔法に夢中になって、彼のようになりたいと夢を掲げて、それを掴もうとしてきた。
そんな幸せな時間も、あと一年。
ロイズのいる魔法学園に居られる時間は、たったそれだけ。
ユアは、寝ているロイズの上から、そっと降りた。惜しむように、でも起こさないように、そっと。しかし、そこでハッと気付いた。
―― うっそー! リップが! 白衣に!
調子に乗って、普段より濃いリップをしていたのが仇となった。ロイズが着ている真っ白な白衣の胸あたりに、ユアの口紅が付いてしまったのだ。めっちゃくちゃ目立つ! 誰かに見られたら……誰かというか、ロイズに見られたら……
―― やばばばっ!
やばすぎて語彙力がゼロになるユアであった。本当に筆記試験歴代トップなのだろうか。今のところ、その片鱗が見えない。
ユアは慌てて浄化魔法を使おうと、人差し指をピンと立てた。欲望の塊のような濃いリップを、この世から消し去ろうとしたところで、
ジャジャーーン♪ ジャンジャンジャーン♪
謎の大きな音が部屋に鳴り響いた。なにをそんなにジャンジャンしたいのか。
「え、なにこれなにこれ」
当然のことながら、ユアは焦った。どうにかこの音を止めなければと、相当に焦った。止めなければロイズが起きてしまう。起きたらリップは消せない! もう二度と消えない! やばばば、である。
しかし、やっぱり悲劇は起きた。悲劇というか、ロイズが起きた。終わった。
「んーー! 時間だ~。って、うわっ! びっくりしたぁ!」
そして、ユアがいることにも気付いた。終わった。
「あれ、今何時?」
「15時58分です」
ユアは、瞬時に『何も不都合はございません』というような澄ました顔をして即答した。
「へぇ、そう……ユラリスは、この部屋に転移してきた?」
「はい、そうです」
「その時の時間は?」
「15時55分でした」
「転移された位置はどこだった?」
ユアは、一瞬考えた。どう答えるのがベストか。可愛らしく『先生とぴったりくっ付く感じで転移しましたぁ、てへ』か? それとも妖艶に『先生の胸に顔をうずめる感じで転移しました、ふふ』か?
言えるわけもなかった。
「……ここです」
一拍置いた後、ユアはベッドから離れた床をテキトーに指差してサラリと答えた。嘘がお上手なことで。
ロイズは「うーん?」と腕組みをしながら、ユアが指差した一点を見て、考え事をしているようだった。
「もしかして、通常はこんなこと起きないのですか?」
「うーん、そうだね。時間も場所も設定とズレている」
「ロイズ先生。その不具合に、転移前に私がいた位置は関係ありますか?」
「と、言うと~?」
これを言うのは少し恥ずかしくて、ユアは目を逸らしながら事実を告げた。
「実は、学園の門の外に出た瞬間に転移されてしまったのです。その時間が、15時55分でした。なので、学園の外に出ると自動的に転移されるように、ロイズ先生が魔法を設定されていたのかと思いまして……」
瞬間、ロイズの飴色の瞳がキラリンと光った。
「ねぇねぇ、聞いてもいい~?」
「はい」
「なんで学園の外に出たの?」
ユアは少しバツが悪くて、「それは……」と一瞬だけ口ごもった。
「研究室から距離を取った場合に、転移が成されるのか確かめたくなってしまって……申し訳ありません」
「あはは! やっぱり? いいねいいね、その気持ちわかる! 謝らないで大丈夫っ」
ロイズは楽しそうに笑いながら、ガバッと起き上がった。というか、ずっと寝転がりながら話していたのか。ユアがいることに驚いた時点で、瞬時に起き上がるべきだろうに。マイペースな魔法教師だ。
「質問に答えると、その推測はハズレ。学園の外に出ても、国のどこかにいれば、時間通りに転移される設定だったよ~」
「ということは、別の原因があるわけですね」
ユアは少し俯きながら『原因は何だろう?』と考えた。そもそもに学食前で待ち合わせしたときも、転移距離が近かった。ロイズには嘘をついてしまったが、今回はゼロ距離転移であった。
―― 設定時間よりも早く、設定距離よりも近く、転移が起きている。設定時間よりも発動が早まる場合は、時間軸に魔力渦が生じている可能性があると文献で読んだことがあるわ。たまたま魔力渦が発生した? 設定位置のズレはイメージ不足だと言われているけど、ロイズ先生がそんなミスをするとは思えない。魔力渦が設定位置に及ぼす影響……なくはないかも。でも、二回も偶然で起きるとは思えない
驚いた。長文思考で何を言ってるか全く分からんが、大変頭が良さそうだ! 筆記試験ぶっちぎりトップは、伊達ではない。
ユアが色々と考えていると、ベッドの上からクスクスと笑い声が聞こえてきた。ハッと思ってロイズを見ると、彼はユアを見て笑っていた。
「ユラリスはいいね~」
「え!? あ、ありがとうございます?」
―― いやーん! いいねされたぁ!
語彙力は崩壊した。差が激しい。
「転移のズレ。その原因は少し思い当たることがあるよ。ただ、その話は今度にして、本来の目的を果たしたいな~」
「あ、そうでした。私の話ですよね」
ロイズは、『うんうんうん!』と高速に首を動かし、満面の笑みで頷いていた。
「色々、聞かせてね?」