47話 その約束を、ぎゅっと守る
ぴろぴろりん♪ぴろぴろりん♪ぴろ♪
調子外れの愛しい終鈴が耳元で鳴った瞬間、生徒たちは「やっほーい!!」と飛び上がった。
「はーい、じゃあ授業はここまで。明日からの夏休み、楽しんでね。あ、毎日のトレーニングと課題、忘れずにね。計画的にやらないと大変なことになるから頑張って~」
「夏休みだー!!」
「今、なんかサラッと怖いこと言ってなかった?」
「気のせいじゃね」
「遊びまくりだー!!」
「いやっほーい!」
手放しで盛り上がっている生徒たちであったが、夏休み後半に悲鳴を上げる者が続出することになるのだった……くわばらくわばら。
「ユラリス、ちょっといい?」
「はい」
ロイズが呼ぶと、ユアは帰り支度をしていた手を止めて、教壇に立つロイズの前に移動した。普段はあまり感じさせない『教師と生徒』の境目が、如実に現れる瞬間である。
「今日は学期末のながーいながーい職員会議があるから実験はナシにするね。ユラリスもお休みで~」
「そうなんですね、分かりました。明日からは、いつもの土日と同じ時間帯で大丈夫ですか?」
「そうだね~。あ、でもちゃんと休日は確保しようね。せっかくの夏休みだから」
ユアは『そんなのいらないのに』と思いながら、無言の笑顔で返した。
「あ、そうだ! 経時変化の観察の方、ちょっと面白いことが分かってきたから、明日お楽しみに~」
ロイズが悪戯にニヤリと笑うと、ユアは恋するドキドキと研究に対する好奇心で胸がいっぱいになった。
「気になりますー! 楽しみにしてますね」
「あはは! じゃあまた明日ね~」
そして翌日。
『距離測定中……8:51、距離0cm』
転移をしてきたユアをふわりと支えるだけのロイズは、人間都市の社会科見学以降、毎度『ぎゅっとしてほしい』がリフレインしていた。しかし、毎度キレイにスルーをすることで、どうにか意識を保っていた。特に、ユアからも求められないことも幸いであった。
だがしかし。
「おはようございます、(大好きな)ロイズ先生」
「お、おはよう」
「夏休み中もビシバシよろしくお願いしますね」
「コチラコソ」
「もう外は暑くて溶けちゃいそうですよ」
「ソウナンダ」
「みんな帰省して、寮も人が疎らですし」
「ソウナンダ」
「あ、そう言えば、私も帰省して、実家から研究室に伺おうかなと思うんですが、それでも良いですか?」
「ヨイデス」
「ありがとうございます。今日は先生のお家ですか? ここですか?」
「ココデス」
「昨日、経時変化の観察で面白いことが分かったって言ってましたものね! どんなことですか?」
ユアはパッと離れて、淡いピンク色のワンピースの上から白衣を着始めた。
ここまでの二人の会話。ユアはずーーーっとロイズに抱き付いたままだった。人間都市での一件以来、毎日こうである。恋する乙女は、全力爆走中であった。勘違いをさせた罪は結構重かった。
―― 毎日毎日、なんで抱き付いたまま喋るの!? 19歳わからん!
さすがのロイズも、これが異常なことだと分かっていたが、完全キャパオーバー。何をどう伝えて良いかわからなかった。
―― 抱きつかないでね、とか言っていいのかな。でもそれだと、俺がユラリスのことを嫌ってると思われるかな……別にイヤというわけではないし誤解されたくない。倫理上の問題ということを、どう伝えていいものか
ロイズはどうにか伝えてみようかと思い、手をギュッと握りしめて意気込んでみた。
「あ、あのさ、ユラリス」
「はぁい?」
「……えーっと、なんでもない~」
ニコッと笑って返事をしてくれるユアを見て、ロイズの手はふにゃんふにゃんに緩まった。意気込みは、緩んだ手の隙間から零れてなくなった。
―― うん、誰も困ってないし、とてもイカガワシイわけでもないし、一旦捨て置こう。これは親愛のハグだと思おう。師弟愛であり親子愛のような……そう、俺は師匠であり、師匠は人生における父親みたいなものだ。そうだ、ユラリスは愛助手で愛娘だ!
たった4歳差の親子が爆誕した。
「よし! 経時変化の観察の結果を見よう! 今すぐに!」
ロイズはやたら大きな声を出しながら、ユアの赤紫色の血液を取り出した。
さて、恋だの愛だのだけではいられない。真面目な魔法研究のことを思い出して頂きたい。
約二ヶ月前、ユアの赤紫色の血液が突然青みを増した謎の一件だ。その原因を探るべく、ユアは二日置きに採血を行い、それを分析してきた。
「時系列ごとにメモを並べてみようか。まず0~4歳までは赤色っと」
「はい」
「次に4~15歳までは同じ赤紫色」
「お父さんが言ってましたね」
「19歳の4月15日に、俺が初めて採血したのがこれ。次に、5月10日の採血がこれ。このときに青みが増してることに気付いた」
「それで、観察を続けること今日まで約二ヶ月と少し」
ロイズとユアはメモを置きながら、時系列に並べ始めた。ユアは『経時変化観察の赤紫色』を見て考え込んだが、よく分からなかった。
「見た目では分かりませんが……」
「肉眼ではね。でも、この『色が数字でわかる魔導具』を使って色を数値化してみたら……じゃーん!」
「……え!? これ青みが増してるんですか!?」
ロイズが取り出した『色が数字でわかる魔導具』。その名の通り、色を数値化する魔導具だ。もちろん市販品なわけもなく、ロイズの開発品である。
「元々の赤紫色を基点として、どれくらい色が変わっているのか調べてみたところ、毎日毎日少しずつ青みが増していた。肉眼では気付かないくらい少しずつね」
「5月10日は数値的にも一気に青みが増してますね」
「これくらい変化があると肉眼でも分かるんだね~」
まとめると以下となる。
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0~4歳 赤色(人間)
4歳の8月 赤紫色(魔法使い)
4~15歳 赤紫色(父親確認)
15~19歳 赤紫色?(採血未実施)
19歳4月 赤紫色
19歳5月 青みが増した赤紫色
以降、経時変化の観察を実施。
19歳5月10日~7月20日 僅かに青みが増している
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「これは俺の推測だけど、15~19歳の間も、徐々に青みが増してたんじゃないかなぁ。ゼアさんもそんな風に証言してたよね。入学時に魔力量が殆ど無くて、徐々に増えたことと関係があると思う」
「青みが増すことで、魔力量が上がった……?」
「そう。何か心当たりはある?」
ユアは少し迷うように視線を彷徨わせてから、「ロイズ先生……?」と言った。
「うん?」
「ロイズ先生が関係あるという可能性はありませんか? 入学前後で大きな違いがあるとしたら、それくらいかなと思うのですが」
「魔力相性が異常に良い俺が、ユラリスの近くにいたから魔力量が上がったってこと?」
「はい」
「俺もそれは思った~。でも、ユラリスが入学してから五学年になるまで、俺たちに接点なんてなかったでしょ? 常に近くにいたわけでもないし」
「ち、近くにはいませんでしたね」
ユアは、ロイズに憧れて事ある毎にガン見していた四年間を思い出し、ご本人様からの『接点がなかった』という正確無慈悲なワードを頂戴し、心の柔らかい場所をザクッと抉られた。天才魔法使いの無自覚な煽り体質が容赦なく抉ってきた。
「俺なんて、ユラリスのこと全然知らなかったもん」
「……全然、ですか」
ザクザク。
「魔力の質は見たら分かるんだけど、ちゃんと相手を認識しないと感じ取れないからさぁ。ユラリスのこと、全く認識してなかったから、全然気付かなかったし~」
「なるほど、全く、全然、認識していなかった……」
ザックザック。
「だから、その可能性は低いかなぁと思ってる。それに」
「あ、もう大丈夫です。把握しました」
ユアは結構泣きそうだった。何の努力もせずに、ただずっと見ていただけだ。当たり前だ。でも、全くかすりもしていなかった四年間の自分が可哀想で、情けなくて痛ましくて恥ずかしくて、割と泣きそうだった。
「!!? ユラリス、どうかした……?」
―― 突然、悲しそうな顔をしているーー!?
ロイズは、内心大慌ての大焦りであった。二人で大盛り上がりの楽しい推論会を開いていたはずなのに、いつの間にか、愛助手が涙を堪えてプルプルと震えていたのだから。
「いえ、なんでもないです、大丈夫です。続けましょう。えーっと、入学前後での違いですよね」
「う、うん……」
「魔力量トレーニングは父に教わって入学前からやってましたし、違いと言えば、実家を出て寮に入ったことくらいかしら……うーん、思い付かないです」
「そ、そう」
―― え、さっきの泣きそうな顔は何だったんだろ? このままスルーしていいものなのかな……?
「もう少し考えてみますね! 宿題にさせて下さい」
「あ、うん、お願いします」
ロイズは迷っていた。このままスルーべきか、踏み込むべきか。これまでのロイズであれば、本人が大丈夫と言っているわけだから、その言葉通りにスルーの一択であっただろう。
でも、なんとなくこのまま流したくなかった。その距離を、一歩踏み込んでみたくなった。
「あのさ、ユラリス」
「はい、なんですか?」
並べられた赤紫色を見つつ、ユアはニコッと笑って返事をしてくれた。
「あの……なんでさっき泣きそうな顔……してたの?」
ロイズは左下に視線を置きながら、小さな声でそう言った。やたら静かな研究室。ロイズの呟きのような声が、ぽつんと落とされた。
他人の心の内に踏み込むことは、自分の心の内に他人を入れることと同義だ。その小さな呟きで、彼女を自分の心の内に入れた。
ユアはきょとんとした顔をした後に、恥ずかしそうに顔の前で軽く手を振って、否定の意を示した。
「違うんです、ご心配おかけしてごめんなさい」
「それはいいんだけど、なんでかなって」
「ふふっ、ちょっと悲しかったことを思い出しただけです」
目の前の男に泣かされました~、なんて言えるわけもない。先程の泣きそうな顔はどこ吹く風。恥ずかしそうに答えるユアの顔に、陰りは一つもなかった。
「もう大丈夫ですよ」
大丈夫と言うのだから大丈夫なのだろう。でも、ロイズはそう割り切れなかった。
彼女を一つも悲しませたくないと思った。『大丈夫』なんて言葉を言わなくてもいいくらいに、幸せそうにニコニコと笑っていて欲しいと思った。
もし、自分が原因で悲しんでいるなら、理由を知りたい。理解したい。そして、慰めたい。ロイズはそう思った。
思い返せば、いつも彼女はそうだった。綺麗な姿勢で、何でもない風に涼やかに笑う姿は、彼女がロイズに何かを求めているわけではない、ということなのだろう。『私の悲しみに、あなたは関わらなくていいんです』と、言われている気がした。
―― もっと関わらせて欲しいなぁ
ユアは、好きなものや嬉しいこと、楽しかったことをすぐに教えてくれる。でも、それだけじゃなくて、嫌いなものや悲しかったこと、苦しかったことも全部教えて欲しいと、このときロイズはうっかりと思ってしまった。
―― そしたら、慰めることだって出来るのに。もっと甘えてほしいなぁ……
そう思った瞬間、ロイズは「あ」と思い出した。甘えさせてあげる約束をしていたじゃないか、と。慰めるのに丁度良い約束が会ったじゃないか、と。
「ロイズ先生、どうかしました?」
「ユラリス、ちょっと移動していい?」
「はい、いいですけど……」
「研究室にいる全員、家、転移」
ふわり、ストン。
「お家に用事ですか?」
「用事というか、えーっと、その」
「???」
「や、やくそく!」
「約束?」
「転移魔法ができたお祝いの約束……です」
ロイズが気恥ずかしそうに小声でそういうと、ユアはぽかんとした顔をした後に、一瞬でパァっと輝く笑顔を見せた。瞳はキラキラとしていたし、テンション爆上がりで頬はピンクに染まっていた。
―― あ、すごく嬉しそう
嬉しそうな彼女を見たら、ロイズもじんわりと滲むように、あったかい気持ちが広がった。まるで大きな花が開花するように、心の何かが開く感覚がした。
「じゃあこの前よりも長い距離を転移しますね。たぶん出来るはず……! 毎日練習してるんです」
ユアは意気込んでそういうと、浮遊の魔法陣を描いて軽く浮いた。そのまま海の上にスーッと移動すると、ちょうど30mくらい先にぷかりと浮かび上がった。
そこからユアが手を振るものだから、彼女の白い腕がやたら眩しくて、ロイズは手を振り返す代わりに、それを翳した。夏の日差しが熱くて眩しくて、じりじりと何かを焦がしていた。
そして、その眩しさに慣れないうちに、目の前が淡く光ったかと思うと、いつものようにギュッと抱きしめられた。この体温にも柔らかさにも、いつまで経っても全然慣れないものだから、ロイズはいつも身体をビクッとさせて、ガチガチに固まる。
人生は慣れないことだらけだ。
「やったぁ、成功です!」
ユアが少し顔をあげて嬉しそうにニコッと笑うのを間近で見て、心の中にある何かが開いたままのロイズは、思わず腕が動いた。ガチガチだった腕が、魔法に掛かっているかのようにふわふわと浮いて彼女の背中に回った。そのまま華奢な背中をぐいっと引き寄せた。
引き寄せてみたら、すごく幸せな感触があって、彼女が自分一人だけのものになったような錯覚を起こした。その錯覚は、魔法バカの頭をひどく混乱させた。
ユアの焦げ茶色の柔らかな髪が、サラリとロイズの頬に触れて、やたら美味しそうな香りと日差しの暑さに目眩がした。
―― あ……これ、まずいな
そう思って、ロイズは慌てて「よくできました」なんて先生らしいことを言ってみた。腕を解かずに、ぎゅっと抱き締めたままで。心を開いたままで。
海の真ん中、白い家。
寄せる波の音が大きく響いた。
小さな砂浜で、二つの心音が引き寄せられるように重なった。重なり合うから強め合う。強め合うから引き寄せ合う。
ロイズは、心の中で言い訳をした。
流れる血と心臓が、異常な魔力相性が、自分をそうさせる。生まれたときから決まってる、抵抗なんて出来ない、と。
だから仕方がない。特別なことじゃない。魔法使いなら誰だってこうなる。この感情は、相性のせいだから仕方がない。
ロイズは、そう言い聞かせた。それを理由にした。
魔力相性を言い訳にした教師と、その腕の中にいる生徒。その距離、見た目は0cm。




