3話 獣討伐実習と、気になる彼女
開始早々、ワラワラと森に入っていく五学年の生徒たち。その背中を見送って、ロイズはぼんやりと涼んでいた。
鈍い太陽の光が、高く伸びる木と木の間からゆらりとこぼれ落ちる。健やかな森林浴だ。時折、聞こえてくる獣の声が心地良い。
「はー、落ち着くなぁ」
でも、そんな和やかな森林浴ができたのも、ひとときだけ。
―― あ、転移される感じだ。誰か怪我したかな?
ロイズの天才的センサーが、転移を事前に検知する。そして、三拍後。
ふわり、ストン。
「ぎゃぁぁぁあああ! むりぃいいい!」
ロイズが転移した五メートル先には、ユアの友人カリラ・カリストンが、大号泣しながら走っていた。なんか、イノシシ的なものに追い掛けられている。
ロイズが、少し距離を取って浮遊しながら追い掛けると、カリラは「あ、先生だぁ♪」と言いながら走り続けている。彼女が追いかけっこをしている相手は、空も飛べないただの獣だ。魔獣とかそういうヤヤコシイやつじゃない、ごく普通の獣。
「大丈夫~? 浮遊すればいいと思うんだけど、できる?」
「むりぃいい! 手が痛いよぉ~、びえーーん!」
よく見てみると、手の甲から青紫色の血が出ていた。
青紫色。
そう、魔法使いの血液は、透き通るような青紫色である。少し気持ち悪いが、事実なのだから仕方がない。
「わたし、リタイアするぅ~!」
「え、もう!? うーん、まあ初日だしね。じゃあ、出席番号と名前とリタイア宣言を大きな声でどうぞ~」
「出席番号40番、カリラ・カリストンんんー! りたいぁぁあ!」
「はい、分かりました~」
ロイズはカリラを浮遊させ、予め仕掛けられている転移の魔法陣にポイッと投げ入れた。
カリラは「ぎゃっ!」と小さな悲鳴を上げて、魔法陣の向こうに消えていく。行き先は、魔法学園の保健室。安心な森である。
「ふぅ、大した怪我じゃなくて良かった~。『記録、出席番号40番、リタイア』っと。……あ、また転移されそう」
またもや天才的センサーが動いて、ふわりストン。からの、リタイアと出席番号記録。もう、転移の連続であった。
魔法を発動できる生徒たちであっても、動く獣にそれを当てるのは難しい。初めての獣討伐実習であれば、こんなものだろう。あっちで呼ばれて、こっちで呼ばれて、ロイズは大忙しだ。
「ぎゃぁぁああ!」
転移をしてみると、またもや何故か走り回る生徒。よく見ると、先ほどのイノシシ的なやつに追い掛けられていた。再会だ。
ロイズは、『浮遊すればいいのになぁ』と思いながら声を掛けようとすると、上方から攻撃魔法が来る予感がした。生徒の邪魔をしてはならないため、瞬時に浮遊速度を落とす。すると、人影がロイズを通り越していった。
「炎の追跡弾!」
ロイズが飛んでいたよりも高い位置、かなり上空から声がした。木々の間をすり抜けるように軌道の読めない弾丸が数十発ほど放たれる。
炎の弾丸は、イノシシ的な獣に命中。焦げるようにして倒れ、赤い血が流れる。
「わぉ、すごい命中~」
ロイズが拍手をすると、弾丸を放った男子生徒がスーッと降りてきた。
「あ、確か講義室の左端三番目に座ってたよね? ということは、出席番号3番かぁ。さすがだね~」
「フレイル・フライス。先生、一年間ヨロシクー」
「よろしく~。今の魔法、オリジナルだよね?」
「さっき作った。座学より獣討伐のがラクでいいよなぁ」
出席番号は成績順だ。出席番号3番ともなると、抜き打ちの獣討伐もラクラクなのだろう。フレイルは、余裕綽々で軽く手を振って、また浮遊で獣を追い掛けていった。
「元気だな~」
◇◇◇
一方、その頃。
ユアは、フラフラと森をさ迷っていた。
「土の槍! ……はぁ、はぁ、ぜぇぜぇ……何のこれしき。獣討伐なんて、余裕綽々よ!」
一限目の岩壁チャレンジの後、フレイルのパンを食べてはいたものの、それだけで魔力が全回復するわけもない。フレイルの余裕綽々具合と比べると、まあ酷い。
荒い息と共に粗めの魔法を放ちまくっていると、どこからともなく『ぐ~』という音が。
「お腹が減ったわね。こんなこともあろうかと、フレイルのパンを懐に忍ばせておいて良かったわ」
ロイズが五学年全員を転移させる直前、ユアは一瞬でパンを取り出して、制服のジャケットの中に押し込んでいたのだ。判断力が凄い。
パンを片手にふわりと浮遊魔法を発動し、頑丈そうな木の枝に腰掛ける。もぐもぐムシャムシャと、それを食べ始めた。
「はぁ、まさか獣討伐実習とはね……」
―― こんなことなら、岩壁チャレンジを本気でやらなければ良かったかしら。いや、でも、ロイズ先生とのランチ! 絶対絶対絶対、譲れない! このまま実習を乗り切れば、ランチタイムよ。どうすれば、先生とランチをご一緒できるかしら……うーん
なーんて、ぼんやりしていたのがマズかった。後ろに気配を感じた瞬間、何者かに肩を切り裂かれたのだ。
「くっ……!」
そこは出席番号1番の実力だ。ユアは一瞬で魔法陣を描き上げ、「風のナイフ!」と言いながら発動した。ユアの魔法を正面から食らった何者かは、「ウキぃっ!」と叫び声を上げて、木から落ちていく。真下を見ると、サル的な獣がパンを掲げて走り去っていった。
「パンを盗られた……」
ガクッとうなだれて、「パン……」と呟いたところで、肩に激烈な痛みが走る。
―― あ、怪我してる! 大変、ロイズ先生が来る!
肩から血が出ている。ユアは浄化魔法で血を消し去り、肩の傷を手で覆い隠す。
「こ、来ない……?」
―― 他の生徒で立て込んでいるのかしら……? とにかく、今のうちに!
キョロキョロと周りを見回し、一目散に茂みに入って身を隠した。
◇◇◇
ユアが茂みで隠蔽工作をしている間、ロイズは転移しまくっていた。ふわりストンを繰り返しているうちに、ようやく実習終了の時間。
ロイズが集合場所に戻ってみると。
―― リタイアしなかったのは、九人か
見事に分かりやすい結果だ。出席番号一桁台の生徒だけが残っていた。さすが上級魔法学園の成績上位者。顔色一つ変えずに、初めての獣討伐実習を終えるとは。
ロイズは記録を取りながら、生徒の名前と出席番号を確認する。もちろん、成績に反映されるからだ。
「えっと、最後は……あ、岩壁チャレンジのユラリスだね~」
「はい、出席番号1番、ユア・ユラリスです」
ユアがペコリと軽く頭を下げたとき、制服の肩の部分が破れているのが目に入った。
「肩のところ、制服破れてるよ。大丈夫だった?」
ロイズが指摘すると、ユアは一瞬焦ったように肩の部分を押さえた。手を固くして、隠すように覆っている。
「あ……、はい、大丈夫です」
「怪我はしてない~? 結構、バッサリいってるみたいだけど」
「ほんの少し引っ掛けただけです。先生が来る前に、自分で治癒しました」
「……そう?」
「はい」
ニコリと笑顔で返されて、ロイズもニコリと笑って「大したことなくて良かった」と答えておいた。
―― 自分で治癒した……?
この森では、怪我をしたら自動的に教師が転移される魔法が掛かっている。その判定は非常に厳しく、青紫色の血が一滴でも流れたら、それを検知して即転移がされてしまう。例外はない。
―― うーん、血が出なかった? でも、制服がバッサリいくほどの傷。血は出るよなぁ。気になるなぁ
ぴろぴろりん♪ ぴろぴろりん♪ ぴろ♪
そこで、可愛らしい音が耳元で鳴り響く。
十五歳で上級学園に入学、二十歳で卒業、そのままストレートに母校の教師に就職して丸三年。ロイズが、何度も何度も聞いた調子の外れた終鈴。この調子外れの感じが、うーん、堪らない。
ロイズは終鈴に合わせて「獣討伐実習は終了~」と告げ、近くにあった切り株を指差す。
「切り株に立って、足元に魔力を込めながら『ただいま~』と言えば、学園に帰れるよ。じゃあ、また午後の講義でね。解散~」
そう言うと、生徒たちは、おずおずと切り株に立って、「た、ただいま?」と言いながら転移していった。ちょっと恥ずかしい文言に、困惑顔であった。
もちろん、この切り株に転移の魔法陣が設置されているのだが、それにしても、もうちょっと格好良い文言に出来なかったのだろうか。魔法教師の悪ふざけだ。
もう昼休み。ロイズもランチにしようと思って、そこで学食奢りの約束を思い出した。
「待って、ユラリス」
『ただいま転移』をしそうになっていたユアを引き止めると、ユアはパッと顔を明るくする。
「学食奢りの約束があったよね~?」
「は、はい!」
「ちょっと用事があるから、学食前集合でいい?」
「もちろんです」
優等生よろしくユアの微笑みに、ロイズもニコリと微笑みを返した。その微笑みの裏で、ロイズは驚愕していた。
―― やっぱり……! ユラリスと俺の魔力相性……なにこれ……?
ロイズ・ロビンは、国一番と言われている有名な天才魔法使いだ。ゆるゆるの間延びした雰囲気があるが、その実、ものすっごく強い。
十五歳のときから二十三歳の現在まで、ロイズ・ロビンの名前は、多くの魔法使いの嫉妬の対象であった。その渦の真ん中に鎮座してきた絶対的存在が、彼だ。
そんな天才魔法使いは、ユアを見たときから彼女の『魔力の質』が気になっていた。
魔力の質。それは人間でいうところの性質や性格みたいなものだ。これには合う、合わないが明確にある。それを魔法使い用語で『魔力相性』と呼んでいる。
現在、それを診断する術は確立されていない。人間同士でも、気の合う合わないというのはイマイチ分からない。それと同じことだ。
しかし、稀有なことに、ロイズは見ただけで相性が分かってしまう。数値化できるものではないし、説明も難しい。それでも彼には『分かる』のだ。
そして、初講義の今日。ユアを初めて認識したときから、自分と彼女の魔力相性が異常に良いような気がしていた。こうやって面と向かって確認してみると、それは確信に変わる。
―― うわぁ……いや、これ……すごい。めちゃくちゃ相性が良い。桁違いに良すぎる。なんでこんな異常値が? なんかのバグ?
ロイズは、内心で驚きまくっていた。
一つ誤解のないように重要な説明を加えると、魔力相性が良いからと言って、必ず特別な感情が生まれるというわけではない。いくらウマが合うからと言って、誰もが恋に落ちるわけではない、ということだ。
例えばそれは、年の差があれば師弟、年が近ければ親友と言った仲良しこよしの関係になりやすい面はある。でも、絶対ではない。よって、関係が深まるかどうかは、本人たち次第なのだ。
森から転移をし、ロイズは荷物を置きに教員室に戻った。そこでは、魔法教師たちが楽しそうに午前中の講義の話をしている。新年度初日の今日、教師だってウキウキそわそわするものだ。
「あ、来た来た。聞いたわよ~? 今年は岩壁に穴を開けた子がいたそうじゃない。初めてよね」
一学年の担任教師であるマナマ・マナルドが、興味津々にそう聞いてきたので、ロイズは物理的にかなり距離を取りつつ答えた。
「そうだよ、ユア・ユラリス」
「ぇえ!? 嘘でしょ?」
「本当だけど……どういう意味? 五学年の出席番号1番だよ?」
「え、1番!? あの娘、そこまで伸びたの?」
マナマは、目を大きく見開いて驚いていた。ロイズが首を少し傾けてみせると、彼女は「あ、そうよね」と言いながら説明をした。
「ユア・ユラリスは、入学時は下から二番目の成績で、ほとんど魔力がない状態だったのよ。でもねぇ、とっても頭が良くてね、筆記はぶっちぎりの歴代トップ。それでギリギリ上級学園に入れたんですって」
なんと、ユアは頭が良かったのだ! 今のところ、割とお馬鹿さんな雰囲気であるが、まさかの筆記トップ。優秀だ。
「え!? それ、本当?」
「本当よ。私たちが五学年のときに彼女が入学してきたのよね。当時、色々と調べたから覚えてるわ」
ロイズとマナマは、元同級生にして現同僚という関係であった。マナマが自信満々に一歩近付いてきたので、ロイズは微かに眉間に皺を寄せて、また一歩遠ざかる。
「なんでユラリスのことを調べてたの?」
「あの娘、ザッカスのことをずっと見てたのよ! そりゃあもう熱烈な目でね」
「へー、そうなんだぁ」
ザッカスとは、マナマやロイズの元同級生。マナマは長年ザッカスに恋慕を抱いているため、ライバルだと認定したユアの事を調査したのだろう。
―― へ~、ユラリスはザッカスが好きなのかぁ。さすがザッカスはモテるな~
ここで大きな勘違いが発生してしまった。真実を言えば、ユアが見ていたのは、ザッカスと行動を共にすることが多かったロイズの方だ。
なんということだろうか、マナマの思い込みの強さのせいでこんなことに。
しかし、ロイズは、そんな事はどうでも良かった。ユアとザッカスがどうとか心底どーでもいい。それよりも何よりも、先程の衝撃的な事実が気になって仕方がない。床の一点を見つめて思考を巡らせた。
―― 魔力がほとんどない状態で入学して、四年間であそこまで?
この情報は、ロイズに深く突き刺さった。
彼は、この魔法学園の教師をしながらとある研究を重ねていた。その研究内容から、ユアの情報にひどく惹かれたのだ。またも、天才魔法使いロイズ・ロビンのセンサーが大きく振れた。
―― 岩壁に穴を開けた初めての生徒。獣討伐実習場の転移システムが効かない謎。たった四年間で三十八人抜きの出席番号1番。魔力相性の異常値。……くぅー、気になるっ!
深まる謎に、ロイズは静かに興奮していた。
「あ! ロイズ先生、ちょっと良いですかな?」
そこで、三学年の担任に話しかけられる。
「カサンガ先生。なんですか~?」
「人間地区の魔力補充の件ですが、今月も魔法省から打診がありましたよ。いかがなさいます?」
ロイズは、一拍置いた後に「やりますよ」と、にこやかに答えた。
この国には、魔法使いだけでなく、普通の人間も住んでいる。人間は魔力を持たないため、魔法使いが補充した魔力で生活をしているのだ。それを魔力補充と呼んでいて、ロイズが赴くことが多かった。
「おぉ、ロイズ先生は心が広くてらっしゃる。僕なんか人間地区に入ると気分が悪くなるもんでねぇ。人間なんかのために魔力を使うなんて、鳥肌が立ちますよ」
「ハハハ、ソウデスカ」
ロイズは笑っていない目で返事をして、カサンガの背中を陰々滅々たる雰囲気で見送った。
「カサンガ先生、相変わらずの人間忌避よねぇ」
「ある意味、病気だよ。あー、お腹減ったぁ。あ、そうだった! ユラリスを待たせてるんだった。じゃあね~」
「あ、ちょっと!」
待ったをかけるマナマを無視して、「学食出入り口前のユア・ユラリス、転移」と呟く。一瞬の光と共に転移をした。