2話 ユア・ユラリスは、秘めやかに
「ぜぇぜぇぜぇ……死ぬ…」
にこやかに壁に穴を開けた女子生徒、ユア・ユラリスは死にそうになっていた。
「全力出しすぎだろ、馬鹿かよ」
「うけるぅ、ユアの顔青い~、ぷるぷる震えてるぅ♪」
ユアは友人二人に抱えられて、どうにか講義室に戻ることが出来た。魔力切れギリギリのところであった。
魔法練習場では、気合いでギリッギリ微笑みを浮かべていたが、その実、魂をお空に浮かべそうだった。調子の外れた終鈴と共に、ほんの少ーしだけあの世を見た。
そして、ロイズが転移で去って行った瞬間。ユアは、青白い顔で地面に膝を着いていた。少し多めにあの世を見た。戻れて良かった。
「魔力補充をぉ、誰か……食べ物をぉ」
「お菓子あるよ~!」
「仕方ねぇな、パンやるよ」
「有り難し。もぐもぐ……!」
「咀嚼が速ぇな」
魔法使いが魔力切れを起こすと、意識を無くして倒れてしまう。魔力を補充するためには、他の魔法使いから魔力を流し込んでもらうのが手っ取り早い。
しかし、魔力には『合う』『合わない』と言った相性がある。そのため、闇雲に魔力を共有することは、危険視されているのだ。
よって、魔力を補充するためには、よく寝てよく食べる。それが一番であった。
「いくらあのロイズ・ロビンの初講義だからって、魔力切れギリギリまでやるかぁ? 相変わらず気が触れてんなぁ?」
呆れたように冷ややかな目で見てくる、五学年の友人フレイル・フライス。ユアは、口の中のお菓子をゴクリと飲み込んで、ギロリと睨んだ。
「あのね、ロイズ先生が『壁に穴を開けたら学食を奢ってあげる』って言ったのよ、ちゃんと聞いてた?」
「確かに言ってたな」
「それ即ち、ロイズ先生とランチタイムを過ごせるということではなくて?」
その自慢気な物言いに、フレイルは大きく首を傾げている。
「奢ってくれるだけで、一緒には食べないんじゃね?」
「その発想はなかった! がーーん!」
「ユアの口大きい~♪」
顎が外れるんじゃないかというほどに、口を開けるユア。同じく、友人のカリラ・カリストンは、ユアの大きな口にポイポイとパンを詰め込みはじめる。ユアは負けじと、もぐもぐ食べていた。咀嚼が速い。
咀嚼して飲み込む毎に、視界と頭が正常に働くのを実感しつつ、ユアはフレイルの言葉をパンと共に噛み砕いた。
「フレイル、確かに貴方の言う通りね……でも、私は負けないわ。絶対にロイズ先生とランチをご一緒してみせる!」
「何の戦いだよ」
ぱんぴろりん♪ ぱんぴろりん♪ ぱん♪
そこで、二限目の始まりを告げる本鈴が鳴り響いた。示し合わせたかのように、ガラガラガラ、とドアの音をかぶせて入ってくるロイズに、ユアは熱っぽい視線を向ける。
「はい、じゃあ二限目の講義に入るね~」
ロイズは、そんなユアの視線に気付くわけもなく、やたらニコニコとしていた。
「二限目は、初めての獣討伐実習だよ~」
「え!?」
五学年の生徒たちは、目玉が飛び出て天地がひっくり返るほどに驚いた。獣討伐と言えば、獣と戦って討伐するやつだ。
「先生、何の準備もなく、いきなり獣討伐ですか!?」
「そうだよ~。五学年って、そういう感じなんだよね」
「新年度初日ですけどー!?」
「あはは! 分かる、驚くよね~」
「初耳です!」
「初めて言ったよ~」
五学年の講義室が、シーンと静まり返る。勿論、ユアも静かだった。
―― これから獣討伐実習!? え、さっき魔力切れギリギリまで、魔力使ったんですけどー!?
静かに死を覚悟した。思わず、二つ後ろの席を見ると、フレイルがグッドラックと親指を立てていた。良い笑顔だ。
「じゃあ、準備はいい~?『五学年講義室の全員、獣討伐実習場、転移』」
準備が良いわけもなく。ふわり、ストン。
ピチチチチ……ヒュオォオ、キエーー、ガサガサ……。
「はい、というわけで、ここが魔法学園所有の獣討伐実習場です~」
各々、五学年の生徒が見渡すと、緑豊か……というと聞こえが良いが、深い緑がやたら豊富な、茂みだらけの森の中であった。なんかよく分からん獣の鳴き声とか、謎のガサガサ音とか聞こえる感じの森だ。
「森だわ」
「森だな」
ザワザワと「森だ」という言葉が囁かれる。ぴゅーっと風が吹いて、森がザワザワと返事をしてくれた。
「まぁ、ここにいる獣たちは、そんなに凶暴ではないから大丈夫だよ~。簡単な攻撃魔法を当てることが出来れば、コロリと倒せるレベルしかいないから。安心してね!」
空気の読めない魔法教師は、ニコニコ淡々と説明を始める。一方で、優秀である上級魔法学園の生徒たちは、頭と気持ちを切り替えて、ロイズの説明に聞き入った。
「あと、安全管理のために、もし怪我をしたら、先生が自動転移されるような魔法が掛けられるからね。危なくなったら俺が助けに行くので、悪しからず~」
その言葉に、幾らかホッとする生徒たち。
でも、ユアだけは違った。
―― 怪我をしたら……ロイズ先生が来る……? うそでしょ!?
血の気が引いた。
ユアには秘密がある。彼女にとって、その身に抱えるには大きすぎる秘密だ。
もしも秘密が露見してしまったら……と想像すると、足が竦んで心拍数が早まる。ふーっと大きく息をして、息を吸って、心臓の早鐘を幾らか収める。
大丈夫、怪我をしなければ良い。そうやって自分に言い聞かせ、気持ちをストンと落ち着かせた。今までだって、切り抜けてきたんだから。
「おい、ユア」
「げふっ」
深呼吸をしていると、背中に軽めのグーパンチが入れられた。振り返ると、案の定、リグトが睨んでいた。
リグト・リグオール。先ほどの初講義で、岩壁に火の槍をビヨーンと突き刺した黒髪男子である。ガメツい美男子だ。
「しくじるなよ?」
他の誰にも聞こえないような小声で、リグトはユアに釘をさす。
「わかってるわよ」
「言い方を変えよう。俺に迷惑をかけるなよ?」
「わかってるってば」
「ならば良し。もし迷惑をかけた場合は、学食奢りだからな?」
「相変わらず、ガメツい」
「お互い様」
明け透けに飛び交う言葉たち。
リグトとユアは幼なじみだった。お互いに恋愛感情はまっさらに皆無。フラグも立ちそうにない、このサバサバとした雰囲気。
でも、いくらドライな関係であったとしても、生まれたときから一緒にいるのだ。リグトは、ユアの秘密を知っていた。
「怪我、するなよ?」
「心配無用よ」
リグトとユアが睨み合うように視線をぶつけると同時に、ロイズが開始の合図を送った。
「じゃあ、獣討伐実習。始め~」
ロイズの間延びした掛け声と共に、実習スタート。ユアは気合い十分、森の茂みに入っていった。