11話 心を冷やす色、心を温める人
―― 誰にでも、『触っていい?』と、聞く男!?
ユアは衝撃を受けていた。五七五のリズムを取るほどに、衝撃的であった。
先程のスーパーなでなでご褒美タイムは至福の時間であったが、その後が問題だった。驚くことに他の女にも触りたがり、ユアのいる目の前で他の女に触った後に『邪魔だ、去れ(意訳)』と言い放ったのだ。
本当はマナマの肩にすら触っていないロイズであったが、ユアの位置からだと触っているように見えた。寄りによって、胸らへんを触っているように見えていた。というわけで、大きな勘違いが発生してしまったのだ。
―― 誰とでも、そういうことを、する男!? 誰か嘘だと、言ってください!
軽快なリズム感が、ユアの悲痛さをより深く伝えてくるものの、真実は女性恐怖症を抱えた恋愛ポンコツ魔法バカだ。
ユアは、フレイルの言葉を反芻する。研究室に女を連れ込んでいる、と。もうユアの中では、ロイズとマナマは大人の妖しいアダルティな関係だと確定していた。
―― たった四歳差なのに、経験値が違いすぎるわ……
ユアは十九歳。今年で二十歳になる立派な女性だ。
結婚に処女性を求められないこの国で、五学年の女子生徒の半数以上は既に経験済みであった。
そんな中で、ロイズという憧れの人を見続けていたユアは、そういう男女間の接触を一切経験してこなかった。キスどころかデートさえ未経験だ。そして、経験がないからこそ、かなり興味津々。お年頃だ。
「じゃあ転移実験の続きをやろうか。もう一回、設定距離5mで再現性……は取れないだろうけど、やってみよう」
「は、はい!」
衝撃的な事実という名の大きな勘違いでぼんやりしていた頭を切り替えて、ユアは応接室にスタンバイした。やはり真面目な出席番号1番の優等生だ。
「じゃあいくよ~」
「はい」
応接室の扉の向こうに見えるロイズは、真剣な顔つきをしていた。しかし、ユアは切り替えきれない頭の片隅で『研究には真剣なのに、女を連れ込んで研究室でそういうことをする男……』とか考えていた。
そして一瞬、前方が淡く光ったかと思うと、約5m先にロイズが転移していた。
「『距離測定中……記録5m』。ぇえ? 遠い~。規則性なし?」
「どういうことかしら……何か違いが……あ」
「うん? どうかした?」
「いえ。そもそもに魔力の質を決定付けているものって何なのでしょうか? 学園では教えてもらっていませんが、まだ分かっていないということですか?」
「うーん、それね」
ロイズは腕組みをしながら、椅子代わりの雲に座った。ユアも同じように雲に座ってみた。相変わらずの座り心地の良さだ。
「色々な説がある。大きくは二つ。一つは脳の構成説。でもこれは、色々なシガラミが生んだ流説だと思ってる」
ユアは深く頷いた。
「俺も含めて多くの魔法使いが推してる説は、もう一つの方。血液だ」
「血液の質ということですか?」
「そうだね。そもそもに魔力って言うのは血から湧き出てくるものでしょ。だから、魔力切れは貧血みたいな症状が出るし、たくさん食べたり寝たりすると、身体が血液を作り出して魔力も回復する」
ロイズの説明が面白くて、ユアはこくこくと何度も頷く。そして、「血液……」と小さく呟く。
「でしたら、ロイズ先生。私の血液を採血してみませんか? 何か分かるかも」
「は!? え!? いいの!?」
「はい。脳は取り出せませんが、血液ならいくらでも」
「本当に!? やったぁ! ユラリス、良い子すぎる~!」
―― きゃーん! ロイズ先生が喜んでる! 良い子って言われちゃったぁ!
ユアは喜びで震えた。とんでもない男だと知ってしまったとしても、その身に抱えた燃える恋心は、そうそう消えないものだ。
一方、ロイズも歓喜で震えていた。
魔力相性の研究が進まない主な原因が、魔法使いの採血忌避にある。
魔力とは血だ。その色を見られたり、血を採られることは、魔法使いにとって最大のプライバシーの侵害。採血されるくらいなら裸で街を歩く方がまだマシだ、という価値観を持つ魔法使いも多くいる。
「採血の協力依頼をしたこともあったんだけど、絶対みんな拒否するからさぁ。人工血液を作って実験してたんだ~…………っていうかさ、ユラリスの血液の色って何色なんだ?」
お前の血の色は何色だ、なんて失礼な物言いではあるが、この質問は重要なポイントだ。
この国には人間と魔法使いが、ほぼ同数で共存している。二つの存在が異なる種だと言われている大きな理由が、血液の色の違いだ。
魔法使いの血液の色は、透き通るような青紫色であるのに対し、人間の血液の色は赤。
だから、ロイズの質問は『元人間であり、現魔法使いの血液の色は何色なのか?』という意味である。
「獣討伐実習場の転移システムをかいくぐったのは、血液の色が青紫色じゃないからだよね? あのシステムは、獣の血液で転移がされないように、青紫色しか反応しないようになってるから」
「なるほど、そうだったんですね。ふふふ、色は見てのお楽しみってことで」
ユアが悪戯に笑ってみせると、ロイズは飴色の瞳をキラキラと輝かせて「こっち来て!」と、ユアの腕を引っ張ってくる。
ロイズに引きずられるようにして連れて来られたのが、試験管が並ぶ実験スペースだ。実験テーブルを見ると、ぼんやりとしてサボっていたらしい駒込ペピットが、大慌てで三角フラスコに何かを滴下していた。ポタポタ……と。
「じゃあユラリスは、ここに座ってねー。魔導具でサクッと採血しちゃおう!」
「はい、お願いします」
ユアが椅子に座ると、ロイズは棚から採血魔導具を取り出して浄化の魔法をかける。向き合うようにロイズが座ったタイミングで、ユアは左手の甲を差し出した。採血魔導具は、手の甲に装着してもらい、そこから採血をするのだ。
差し出されたユアの左手を取って、ロイズは「赤かなぁ」とか楽しそうに言いながら、魔導具を装着していた。
そして、三拍ほど置いた後に、左手の甲にチクッと痛みが走ったかと思うと、少しずつ魔力が減っていく感覚がした。
―― 眠くなりそう……
『明日の課題、やってないわ』なんて心配をしていると、魔導具に自分の血液が溜まっていくのが見えた。
「赤紫色……!?」
それを見たロイズが声を上げる。ユアの血液の色は透き通るような赤紫色だった。
「赤紫色……初めて見た」
「生まれたときは赤色でしたが、4歳で魔力を持ったときから赤紫色になりました」
「衝撃」
「お役に立ちそうですか?」
「役立つなんてレベルじゃないよ! ユラリスには感謝しかないよ~、俺の助手になって採血まで協力してくれて、本当にありがとう。研究が一気に進みそう」
ユアは、透き通った赤紫色の血液をぼんやりと眺めながら「良かったです」と言って続けた。
「この赤紫色を見る度に、『自分は何者でもない』と突き付けられているような気がしていました。役に立てることがあって嬉しいです。ここまで頑張ってきて良かった」
ユアは少し俯いてニコッと笑った。
ユアが出席番号1番までのし上がったのは、この赤紫色の秘密があったからだ。
両親も妹も、家族はユアを愛してくれていた。母親は人間であるから、ユアの気持ちも分かるのだろう。大事に大事に育てられた。
でも、この赤紫色を見ると、いつも心が冷える心地がした。もし誰かにバレたら、もし元人間だと何かの拍子に知られたら、手の中にあるもの全てが叩き壊されるんじゃないかと恐怖した。どんなに家族から愛されていても、自分を愛してくれる人たちを含んで、丸ごと全てを崩されるんじゃないかと思うと、怖くてたまらなかった。
だから、もしバレたときに『え? あんな優秀な魔法使いが元人間? 嘘でしょ?』と思われるくらいに頑張らないとならない。そう思って生きてきた。誰かに壊されないために、足元を固く堅くガチガチに守らなければならなかった。愛してくれる人のために、自分が一番頑張らなければ、と。
だから毎日必死に魔法を練習した。元々、少ししかない魔力を全部使って、教えて貰ったことを忠実に反復し、それを倒れるまで繰り返し、毎日毎日練習した。
そうして五学年の今日。心を冷やすことしかなかった赤紫色が、何かの役に立つかもしれないと思ったら、心が踊った。
「綺麗な色だね」
俯くユアに、ぽつりとその言葉が落ちてくる。
「俺は、この色、すごく好きだよ」
パッと顔を上げると、ロイズは赤紫色のそれを大切そうに持っていた。やわらかく微笑んで、彼は言う。
「ユラリスが、すごく頑張ってきた色をしてる。ほら、キラキラ光ってるのは魔力の輝きだよ。よく頑張ったね」
身体の中に流れる赤紫色が、初めて熱を持ったような気がした。心を冷やすことしかなかったその色が、ロイズの言葉でじんわりと温まって、ユアの身体も心もぬくぬくして、その強張りが溶けてほぐれる。
ユアは泣きそうになった。でも、グッと堪えた。
―― この人が好き、大好き……
そして、想いを堪えられずにそう思った。
ロイズ・ロビンの研究室で二人きり。
赤紫色が繋いだ、二人の。その距離、1m。