10話 お触りロイズの転移実験
「正式に助手申請が通ったということで、今日からよろしく~」
「はい、よろしくお願いします!」
翌週、ロイズは研究室にユアを招いていた。いや、もう招くという表現ではなくなる。ユアの都合が付く限り、ロイズのお手伝いをしてもらうのだ。
「ユラリスはどれくらいのペースで研究室に来れる?」
「放課後は特に用事もありませんし、毎日でも大丈夫です。お邪魔でなければ土日も大丈夫です」
「本当!? え、そしたら毎日呼ぶけど大丈夫? 上辺だけのやる気とかではなく?」
「本気で大丈夫です。平日は寮の門限まで、土日は朝から晩までビシバシお願いします。用事があるときは事前にご連絡しますね。あと、試験前は手加減して頂けると嬉しいです」
さすが出席番号1番。恋心があったとしても、魔法研究に対するこのみなぎるやる気。ガッツがありまくる。彼女は、この心意気で成績を伸ばしたのだ。
この回答に対して、ロイズは心が浮き立つような嬉しさを感じた。
―― めっちゃ研究進むじゃん! ユラリス良い子!
もちろん、こういう嬉しさではあるが。
「ユラリスにお願いして良かった~」
「私の方こそ、尊敬するロイズ先生のお手伝いだなんて夢みたいです」
「そんけいするせんせい!?」
―― 響きがいい! ユラリスめっちゃ良い子!
ロイズは、単純であった。
「さて、早速だけど、今日は転移の時間と位置ズレの件を修正しておきたい。えっと……まあ、不便だからね。出来れば毎日定刻に予約転移で来てほしいし」
ロイズは、先週の『俺の上にユラリス転移事件』を浅い闇から少し拾い上げそうになったが、捨て置いた。二人きりの研究室、思い出してはならない気がした。
ちなみに、予約転移でユアに来てほしいというのは他でもない。ロイズの魔力を使用した場合に、厳重にかけられた侵入禁止の魔法を通り抜けることが出来るからだ。ロイズとしては、必要なとき以外は解除したくなかった。
「結局、転移のズレの原因は何だったのでしょうか?」
「魔力の質の相性が原因だと推測してるよ」
「『魔力相性』と呼ばれているものですよね?」
「さすが、良く知ってるね~」
「ロイズ先生と私の相性は悪いですか? 良いですか?」
ユアがやたら血走った目で聞いてくる。そんなこと気にもせず、ロイズは「良いよ~」と笑顔で返す。
「むしろ桁違いに良過ぎて、魔力が干渉してるんだと思う~。現状把握してみようか。ユラリスは応接室に行って。俺はここから転移するから。設定距離は1mとする」
ユアは応接室に入り、扉を開けたまま合図を送ってくれた。ロイズは、ユアから1mの距離を脳内で設定して「応接室にいるユア・ユラリス、転移」と呟いた。
ふわり、ストン。
―― 近い。転移直後、やっぱり引っ張られる感覚がある
「ち、近いですね」
少し視線を下げると、目の前たった20cmの距離。ユアの青紫色の瞳と視線がぶつかった。
「『距離測定中……記録20cm』。うーん、もう一回。次は、いつも通りの設定距離5mにしてみよう」
「はい」
二人とも、まずは距離をとろうか。20cmの距離で話す内容だろうか。やはり両者とも魔法バカであった。
「じゃあ行くよ、転移後は絶対に動かないようにね。距離を測定するから。記録を取ったら動いていいからね」
「はい!」
ロイズは距離を5mに脳内設定して「応接室にいるユア・ユラリス、転移」と呟いた。
ふわり、ストン。
「~~っ!?」
「ごめん、動かないで」
なんと今度は、目の前5cmの距離にユアがいた。
―― さっきより近い。どういうことだろ?
「『距離測定中……記録5cm』」
「縮まってますね」
「謎だ~。よし、もう一回。次も設定距離5mで再現性の確認をしよう」
「はい」
まずは距離を取ろうとか、もう言わない。彼らは研究のために5cmの距離のまま話しているのだから。邪な感情ではないのだから!
ロイズは研究室の端に立ち、ユアに目配せで開始の合図をする。「応接室にいるユア・ユラリス、転移」と呟くと。
ふわり、ストン。
「!?」
ぴったりと、ゼロ距離だ。
お互いに手は下ろしたままだから、抱き合っているわけではない。でも、何らかの柔らかさが白衣越しに伝わって、ロイズはぐわっと顔に熱が集まった。
―― やわらかっ……なにこれ!
さすがに反射的に離れようとしたが、先程自分が動かないでと言ったのだから、どうにか堪えた。早口で『距離測定中……記録0cm』と記録を取り、すぐに身体を離した。
「だ、大丈夫?」
彼女は「大丈夫です」と苦笑いで答える。
「軽く額をぶつけちゃいました、ごめんなさい。大丈夫でしたか?」
「うん、全然平気~。……あれ? ……あ、うん、全然へいき」
ロイズは、そこで初めて気付いた。鳥肌が立たないのだ。女性であるユアに近付いても、触れても、全く肌がゾワゾワしなかった。嫌悪すら感じない。一切、負の感情が生じなかった。
―― 魔力相性のおかげかな? それともユラリスが良い子だからかなー。気になる!
気になっちゃった魔法バカは、とんでもないことを言い出した。
「ちょっと触ってみてもいい?」
「!? はい、どこからでもどうぞ。ウェルカムです」
こんなセクハラ一発アウトな発言にも関わらず、ノリノリで即答するユア。そして、そんな彼女を疑問に思うこともなく、ロイズはユアの肩に手を置いた。そして、次はユアの腕。
―― わぁ、全然平気だ。嘘みたい
ロイズはワクワクしてきた。十九歳の女子生徒をお触りできてワクワクしたのではない。魔力の相性が良いというだけで、こんな効果まで得られるということに、だ。研究の可能性にワクワクが止まらなかった。
その探究心をそのままに、次にユアの頭に手を置いてみる。ふわりとした柔らかい髪が手の平をくすぐっても、鳥肌は立たない。そのまま滑らすように髪を撫でる。触り心地が良かったので、また彼女の頭に手を戻した。
―― 恐怖で鳥肌が立つ理由が動物的な威嚇行動だとすると、魔力相性が良い相手には威嚇しなくても大丈夫だと、俺が勝手に認識しているってことかなぁ? 魔力相性と身体の反射反応に関連性が? 他にも触れてみないと何とも言えないか、うーん。誰かサンプルが必要だな
「あの、先生……?」
ロイズが沈思黙考していると、遠慮がちなユアの声が耳に入ってきた。ハッと気付いて自分の手を見てみたら、無意識にユアの頭をなでなでしていた。
「わ! ごめん、考え事してた!」
―― 何やってんだ俺はぁああ! ずっと撫でてたぁああ!
「あの、いえ、大丈夫……です」
顔を真っ赤にして小さく答えるユアに、ロイズは胸のあたりがザワザワとする。
―― ん?
ちりりりりんぴんぽん♪ ちりりりりんぴんぽん♪
そこで可愛らしいベルの音が鳴り響く。
「あ、来客だ」
「可愛いベル音ですね」
応接室には二つ扉がある。研究室へ続く扉の他に、廊下への出入り口だ。ロイズは基本的に転移でしか移動しないため、ここは開かずの扉だが。
ロイズはその扉の前に立ち「どちらさまですか~?」と問い掛けた。
「マナマよ」
訪問客は、ロイズの元同級生、マナマ・マナルドであった。ロイズは、淡々と「何の用~?」と返す。
「発注していた品物が届いたから、持ってきてあげたのよ」
「発注……あ、届いたんだ! ナイスタイミング~」
荷物を受け取るために、ユアを連れて廊下に転移する。荷物の受け渡しくらいで、研究室に施されている侵入禁止魔法を解除したくないからだ。
「おまたせ~」
「もー、ロイズの研究室って物質転送も届かないから不便なのよねぇ。どうにかならないの?」
「変なものを勝手に送られたらイヤだから、どうにかする気ない。荷物ちょうだい」
そう淡々と言いながら荷物を受け取って、マナマからサッと距離を取る。そこで、マナマはユアに視線を向ける。
「あら、来客? 研究室に生徒を入れるなんて珍しいわね」
「こんにちは、マナマ先生。五学年のユア・ユラリスと申します」
「知ってる知ってる、出席番号1番でしょ? 岩壁に穴あけたんですってね~。なんでロイズの研究室に?」
「はい、お手伝いさせて頂いております」
ニコリと笑って挨拶をするユアのすぐ隣に立って、ロイズは『にんまり』と笑った。
「助手申請、通しちゃった~」
「は!? 助手申請したの? いつの間に!」
「早い者勝ちだからね」
教師は全員、教鞭を持つ傍らで何らかの研究をしている研究者でもあった。そして、五学年の生徒に対してのみ、ユアのようにお手伝いをお願いすることが出来るのだ。それを助手申請と呼んでいる。
ロイズは、教師になってから五学年しか受け持ったことはないが、今まで教え子に助手申請をしたことは一度もなかった。必要ないからだ。ユアが、初の助手である。
それに対して、他の教師は、毎年のように助手申請をして、お手伝い人材を確保していたのだ。
助手は無償労働であるから、そもそも生徒側に断られることの方が多い。その中で、五学年の出席番号1番だなんて競争率が高い人材を、新年度開始からわずか一週間でゲットしたロイズ。マナマは、苦虫を噛み潰していた。
「油断していたわ。早速、2番以降に話を持ち掛けなきゃ!」
「あ、その前にちょっと手伝って欲しいことがあるんだ。三分だけいい?」
ロイズは、先程の魔力相性と女性恐怖症の関係について考えていた。マナマとは、割と魔力相性が良い。サンプルとして使えるだろうと、ロイズは思ったのだ。
「いいけど、何するのよ?」
「(肩に)触っていい?」
「(ロイズに興味ないから)別にいいわよ」
マナマがサラリと了承したので、ロイズは触ろうとした。……が。
―― あ、無理だ
手と肩の距離が、10cmのところで鳥肌が立った。
「ありがと、マナマ。もういいや」
「もういいの?」
「大丈夫。荷物ありがとね、(実験の)邪魔だからバイバーイ」
ワケが分からないという顔をしながらも、別にロイズに触られたいわけではないマナマは、サッサと帰って行った。
ロイズは転移で応接室に戻り、荷物を開けながらユアに話しかける。
「ユラリス用に白衣を頼んでおいたんだ~。実験で汚れるかもしれないから、適当に何着か……」
そこでチラリとユアを見ると、何やら思い詰めたような顔をしている。眉をひそめているし、顔色も悪い。
「ユラリス、どうかした?」
「あの、ロイズ先生。変なことを聞いても大丈夫ですか?」
「うん?」
「マナマ先生とは、かなり親しい間柄なのでしょうか?」
「あぁ、マナマは同級生だったからね~」
「仲良しなんですね。よくこちらには、いらっしゃるんですか?」
思い起こしてみると、荷物の受取担当がマナマであり、研究室に持ってきて貰うことが多かった。他の教師と比較すると、訪れる回数は確かに多い。……月に一回とか。
「まぁ割と来るかな~」
「割と……なるほど」
顎に手を当てながら何やら考えているユアを見て、ロイズは『おぉ、魔力相性のことを考察してるのか。偉いなぁ』なんて思いながら、のん気に真新しい白衣のチェックをしていた。
そして、その一方でユア・ユラリスの考えていることは、そんなのん気なことではなかった。