仙人、それから…
「ユリィ…また説明なしで連れてきやがったな?」
地面に転がる少女を見ながら、俺は思わずそんな言葉を溢した。
美しく広がった金糸の長髪、夏の空を思わせる濃い青の瞳、驚くほど整った顔立ち。そして、鼻に付く鉄錆のような臭い。不躾ながら身体の方に目を向ければ、白磁の柔肌に無数の擦り傷や切り傷が走っていた。
(あーはいはい…胸糞なやつね)
屑籠の世界…そう呼称される、呼称しているこの世界は、あらゆる世界の疎まれ人が流れ着く掃き溜めのような場所だ。当然のごとく、非道な目に合わされた人が流れ着くことも多い。
世界数多あれど、どの世界でも人間なんて同じようななもの。この見目麗しい少女がいったいどんな仕打ちを受けていたのかなんて、考えなくても分かることだ。
「………?」
そんなことを考えていると少女の虚ろな瞳が俺を弛く捉えていた。どうも色々聞きたそうな顔をしている。
まあ、色々説明してあげるのが俺の仕事なのでそれは全然してあげるのだが、その前に定例文というかお決まりというか………とにかく言わなければならないことを言っておこう。
「ここは嫌われ者たちの楽園、或いは全ての世界の掃き溜め。ようこそ屑籠の世界へ。歓迎するよ、どこかの世界の嫌われ者さん」
「???」
…ですよね。
意味わかんないよね、知ってた。
この職に就いて長いが、この言葉を聞いて納得顔を浮かべてくれた奴は片手の指の数くらいしかいない。
なら文言変えろよって話なんだけど………それはまあ、ほら………ね?
何が「ね?」なのかは俺もイマイチ分からんが、つまりそういうことだ。
…いやそんなくだらないことを考えている場合ではない。
「とにかく立てるか? 一応案内とかしながら諸々説明したいんだけど」
「立てます」
「………肩貸そうか?」
「結構です」
いやそんなこと言われても…。
少女は腕を突いて懸命に立ち上がろうとするが、突いた腕の傷から血がプシュッと吹き出すくらいには満身創痍だ。ついには肘が体重に負けて地面に倒れ伏す始末。
「………はぁ」
仕方がないので、腕を引っ張って肩を無理やり貸す。思ったよりも重いなと思った。
(いやセクハラじゃないよ? 筋肉質でとっても良いカラダだなって思っただけだから! …いやそれセクハラじゃねーか!)
そんな最高にくだらないことを考えていると、少女は顎から血だか汗だか涙だかを垂らしながらボソボソと呟き始めた。
「一人でも十分立てました」
「いやどう見ても仰向けからうつ伏せになっただけだったから」
「………それより、貴方は?」
「さては会話のキャッチボール下手だな、オメー?」
照れ隠しなのか弱々しい力で首を圧迫してくる。
ははは、美少女にそんなことされても気持ち良く………は、ならねぇな。普通に血でヌメヌメして気持ち悪いわ。
このまま歩くのはさすがに面倒なので、立ち上がらせた少女をおんぶする。
「不要です。即刻下ろしてください」
「俺には必要なの。この後色々回らなきゃいけないから、ちまちま歩いてられないんだよ」
「………」
遠回しにお前のせいで大変だ、みたいなことをいって無理やり納得させる。
女の子を巧みな話術で騙くらかすのはたまんねぇぜ、グヘヘ…
「何か不快なこと考えられた気がするのですが…気のせいでしょうか?」
「…女の勘ってやつかな」
心を読むタイプの能力かと思って心臓キュッてなったわ。
心を読むタイプの能力ってめっちゃ他人に嫌われやすいから、そういう奴は結構な頻度で来るんだよね。
「私はアリス…アリス・アルリディアです。騎士………ではもうないので、だから、えっと………何者でもありません」
「ああそう。じゃあ、この世界でその『何者か』ってやつに成れると良いな」
「………」
他人事極まる俺の言葉にアリスはすっかりと沈黙した。
あー、あれかな? 騎士とかいう心踊る響きの職業に誇りを感じてたみたいな。
つまり、アイデンティティクライシスってやつ。そういう状態で来る奴もたまにいる。
「俺はミツト。この世界に拉致られてきた奴の案内人をやってる」
「拉致? 私は望んでここへ来ましたが?」
「でも、どうせユリィは碌な説明もしてくれなかっただろ? そんなもん、実質拉致だわ」
「それは…まあ…」
ほらみたことか。アイツ今度会ったらオシオキしたろ。
「一応案内人って体だし、質問があるなら受け付けるよ。まだ少し歩くし」
山林の不規則な凹凸を慎重に踏破しながら歩みを進めていく。分厚い雲のせいで詳しくは分からないが、たぶん日没まで一刻あるかないかくらいだと思う。
少し歩くと言ったものの、急がなければ。
「ここは…この世界は何なんですか?」
「言ったろ? ここは嫌われ者たちの楽園、或いは全ての世界の掃き溜め。俺たちは自虐込みで『屑籠の世界』って呼んでる」
「その言い方だと…まるで世界が幾つもあるというふうに聞こえます」
「まるでどころかその通りだ。世界ってものは幾つもある…らしい」
「…らしい?」
「俺も正直よく分かってない。一応ルールでこの世界は無闇に出入りしちゃいけないってことになってるし、そもそも世界間跳躍なんてユリィしか出来ないし」
「なるほど…」
アリスは今言ったことを必死に整理しているようだった。
…出来てるかは知らないけど。だって普通に言ってることムズいし。言ってる俺もあんま理解してないし。
「では次はその『ルール』とやらを教えて下さい?」
「それは『ルール』って言葉の意味を教えてほしいってこと?」
「馬鹿にしてます?」
「…今のはライトなジョークだよ」
こわっ、普通に殺気を感じたんだけど。
…普通に殺気を感じるってなんだよ。
「ルールって便宜上言ったけど、あんなのあってなきようなものだよ。罪の定義も決まってなければ、それに対する罰も決まってないくらい」
そもそもルールとか法律とか、あっても守らない奴ばっかだ。さすがは『屑籠』。中にいる奴もゴミばっかだぜ。
「では………そういえば、今はどこに向かっているのですか?」
「山の中腹に住んでる仙人の家。顔合わせするなら最初は常識人の方が良いし、治療の技能も持ってるからね」
「仙人…物語では聞いたことがありますが、実在するのですね」
「俺からすれば騎士の方が物語の存在だけどな」
さて、薄暗くなってきた。別に真っ暗になっても山道くらい普通に歩けるが、明るいに越したことはないので少し急ぐか。
なんて考えているうちに質素な家が一軒見えてきた。
森に呑まれた…というよりは森と共にある、と表現すべきその家こそ、目的の仙人の家である。
「さて、在宅かな?」
正直半々といったところだ。
彼女は家の中で修行しているか、外で修行しているかの二択なので運が悪ければ山をひっくり返しても見付からない。
「胡輦! 居る?」
木戸を軽めの力で三度叩く。一拍待つとゆっくりと戸が開き、アッシュグレイの髪をボブにした少女が姿を現した。
「良く来たねミツト。背中の子は…君が乱暴したのかな?」
…何で最初にそんな想像が出てくるんですかね?
「もしそうだったら、乱暴した相手を背負って自分の師匠の下に赴いた俺の鋼すぎるメンタルを誉めてほしいよ」
「私が暴漢ごときを誉めることは天地がひっくり返ってもあり得ないけどね」
まあ、それもそうか。胡輦はそういう人だ。
「これはアリス・アルリディア。さっきこの世界に来たばかりなんだ。挨拶周り兼治療をお願いしに来たってこと」
「なるほど」
胡輦はそう言うと、戸の前から退いて視線で入れと促してきた。俺はそれに従って中に入り、背中のアリスを適当な椅子に下ろす。
胡輦はアリスの前に腰掛け、そのボロボロの腕を両手で優しく包んだ。
「よろしくアリス。私は胡輦という者だ。同郷のよしみでミツトの師匠もやっている」
「同郷? 確かに、同じ人種の顔ですね」
「あー…同郷といっても同じ世界の出身なだけで、国は違うんだけどな」
まあ、確かに見分けるのは難しいとは思うが。
そもそも、この世界において、出身は世界単位で語るもので、生まれた国なんてどうでも良いことなのだ。
「……これはっ!?」
実はそんなこんなをしている間に、アリスの怪我が凄い勢いで再生していた。胡輦が触れている場所を起点に腕から肩へ、肩から胸へ、胸から全身へと傷が治っていく。
最終的には、アリスの肌は傷一つないつやつやな柔肌に戻っていた。
「…魔力を全く感知できませんでした。魔法ではないのですか?」
「仙人だからね。使ったのは仙術だよ。体内を巡る生命力を使う術だから、魔法を感知するのとは勝手が違うんだろう」
凄いだろう、仙術は!
と、ドヤ顔を晒していたら胡輦に呆れ混じりの視線を頂いた。はいはい、俺はまだ仙術使えませんよー。
「はぁ………さて、治療は終わったけど、君たちはこれからどうするんだい?」
「マリンの家に行く。諸々依頼したいこともあるし」
「そうか。それが良いだろうね」
「ああ、今日はいきなりで悪かった」
「いきなりなのはユリィだろう?」
「違いない」
おいてけぼりになっているアリスの腕を引き、小屋の出口へ向かう。が、すっかり快調になったアリスは俺の手を振り払って、自力で歩き始めた。
そんなわざわざ振り払らわなくてもいいじゃん…。
「胡輦…お世話になりました」
「ああ、また後でな、アリス」
「また後で?」
「…ああ、そうだった。胡輦、いつもの場所で日没後ね」
「分かってる」
何だか呆れたような苦笑いを浮かべながら、胡輦は柔らかに答えた。そして、仙人の家の戸は再び閉ざされる。
「よしっ、行くぞ」
マリンの家は近いっちゃ近いが遠いんだよな。つまり、ここから一番近い家ではあるが、距離的には結構遠いということ。
少し薄暗くなった山道を先導して歩いていく。アリスは…大丈夫みたいだな。運動神経はそうとう良いらしい。さすがは騎士さま………今は違うんだったか。
「ミツト」
「ん?」
「胡輦が言っていた、『また後で』とは何のことだったんですか?」
「ああ、宴会だよ宴会だよ。この世界に新しい奴が来たら、適当に集まって適当に宴会するのが通例なんだ」
「宴会…そこまでして歓迎していただかなくても結構ですが…」
「それは大丈夫。そういうんじゃないから。アイツら酒飲んで騒ぎたいだけで、歓迎だとか何だとかは全部口実なんだよ。昨日は『久し振りに晴れたから』って宴会したし、一昨日は『三日連続雨だから』って宴会したくらい」
もはや口実とか建前とかも適当だ。馬鹿ばっかだな。
「そうですか………そういえば、ミツトは胡輦の弟子だ、と言っていましたね」
「ああ、言ったな」
「ではミツトも仙術を?」
「いや、仙術は使えない。生命力…霊力ともいうけど、それを使って身体を強化するのが修行の第一歩なんだそうで。俺はまだそこ」
「そうですか」
俺には興味ないですか?ってくらい淡白な返事を頂いてしまった。コイツコミュ障だな。
そして、それきりアリスは押し黙ってしまい、気まずい沈黙の帳が下りてくる。
ちなみに俺はこの時━━
(こういう静寂って何か気になるし…でも急に喋ると逆に不自然だったりするし…こういうときってどうするのが正解なんだろう? 勇気を出して話を振る? それともやはり沈黙は金なのか? でも雄弁は銀とも言うしなぁ…。そりゃ金の方が価値は高いんだろうけど、銀の方が高価だったこともあるし…つまりどういうことだ?)
━━などと本当に下らないことを考えながら黙々と歩いていた。コミュ障は俺ですねどうもありがとうございます。
「…お前の今後だけどさ、お前はどうしたい?」
本物のコミュ障は、最終的に沈黙に耐えきれなくなって口を開いてしまうらしい。俺は一つ賢くなった。
「どうしたい、とは?」
「具体的には衣・食・住だね。より正確に言うなら仕事と家について。家については、小さい里があったりするんだけど、大体はそこに住むかな」
ちなみに胡輦や俺、そして今から会いに行くマリンはその『大体』から外れていたりする。
というかその里も、かつてこの世界に来た奴らの子孫が暮らしている場所だから、外界から来た奴は村に住まない奴の方が多い。
「仕事については……あんま求職ないんだよねこの世界。もっぱら、自分の出来ることをやってるって奴ばかりかな」
「私に出来ること………」
そう言ってアリスは自分の両手に視線を落とした。
「胡輦みたいに食わなくても生きていけるなら、働かないって選択肢もあるけどね」
「胡輦は食事を必要としないのですか?」
「勿論。仙人は霞を食って生きてるんだよ」
「霞を…」
アリスの働かない表情筋がほんの少しだけ動いた。さすがのアリスも驚いたらしい。
「驚いたか? 俺も驚いてるさ。霞なんてあるんだかないんだか分からん物食ってるくせに、なんであんな巨乳なんだろう………お前もそう思ったんだろ?」
「違います」
ちなみに、胡輦は結構たゆんたゆんだ。野暮ったい漢服の上からでもめちゃくちゃ揺れるのだ。修行中めっちゃ気が散る。
俺が仙術を習得出来ないのはそれのせい………ということにしておこう。誰だって自分の才能は信じておきたい。
「そうやって人のせいにするから、成長しないんだぞ」と、心の中で胡輦師匠にありがたい説教を頂いた。
「まあ、家云々仕事云々に関しては考えておいてくれ。今はとりあえず……ほらっ、着いたぞ」
俺が指で示したのは一軒の家だった。
自然と調和した胡輦の家とは対照的な、石造りの洋風建築。ガラスの張られた窓からはランプの光が漏れている。
「良かった、家にいるみたいだな」
窓の灯りを確認して、胡輦の小屋の戸より大分重厚なドアを気持ち強めに三度叩く。
「はいはーい」
がちゃりと開けられた扉からは、ショートボブにした銀の髪に黒いヘッドドレスを付けた少女だった。
少女━━マリンは、名前通りの海色の瞳でまず俺を捉え、続いて後ろのアリスを捉る。そして、少女のように愛らしい顔ににっこりと笑顔を浮かべて、形の良い口を開いた。
「ようこそ魔女の家へ。お望みは何かしら?」