繋がる線、終わらない夏の夢
初投稿です。企画に応募するための作品です。
小説を書くのが初めてで拙い文章かと思いますが、多くの人の目に触れることができれば幸いです。
この作品は「カクヨム」様でも公開しています。
https://kakuyomu.jp/works/16817330666871555437
「オーライ、オーライ!」
太陽が照り付ける真夏のグラウンドに、一人の少女の声がこだまする。
「ふっ……よっ!」
グローブにおさまった白球は矢のようにダイヤモンドへと返される。
「よーし、今日も絶好調だね!」
白い歯を見せつつ周りの黄色い声援を浴びながらホームに戻ってくる。小麦色の肌が太陽と相まって輝かしく見える。強肩を見せつけたのは小林華凜。二年生だ。胸のCマークがきらりと光っている。
時は二〇五〇年。AI審判の導入は数年前に行われ、あらゆるジャッジは公正になり、野球は一気に人気スポーツの座へと返り咲いた。現在では男子のみならず女子にも注目され、女子プロ野球のメディア展開など飛躍的な進化を遂げている。
そんな華凜が父の傍でじっと見ていた女子プロ野球。いつの間にか熱狂的なファンになり、いつしか私も大舞台に立ちたいとい感情が芽生えた。中学で女子野球クラブに所属し、野球を始めた。活発、運動も好きで気さくな性格の華凜はすぐにチームにも馴染み、純粋に野球を楽しむことができた。はじめは投手をやらせてもらったが、その肩の強さから外野のポジションを任され、見事に才能が開花。高校進学時にも女子野球がある私立高校へと進学を決め、順調にプロへの一歩を進んでいった。
ここ晴嵐高等学校は、数々の女子野球選手を生み出してきた名門校だ。華凜もまたスターを夢見る一人の野球選手である。
「うへぇ、これが……」
初めて高校の門を叩いた時は、次元が違うかと思った。キャッチボールからレベルが違って、追いつけるかどうか不安でしょうがなかった……だけど、アタシはやるときはやるからね!日々の努力は裏切らないから!
……とは思ったものの……始めの練習ではランニングでもヘトヘト、やっとボールに触れたと思ったら守備練習で圧倒され……ついていけるのかなって思っちゃった。
……ポジティブなアタシがちょっとばかしネガティブになっちゃった瞬間。
それからの努力は今でも信じられないくらい。とにかくひたすらに走りこんで、投げて、走りこんで、転んで…倒れこんで練習に参加できない時もあったけど、それでも絶対に成功してやるっていう執念と……とにかく根性!
根性論って嫌いな人もいるけど、アタシは通用すると思う……脳筋だからかなぁ。
あんまりバッティングは自信ないけど、努力する姿勢と能力を買われてキャプテンにも指名されちゃった……頑張るよ!
「よーし、今日もお疲れ様!」
円陣の真ん中に立って華凜がミーティングの中心に立つ。いつもと変わりない光景の中に、ひとり見慣れない姿があった。誰だろう?と思っている華凜たちに監督は告げる。
ふわりとした髪質に一七〇cmは超えているだろうルックス。とてもではないが野球をしているとは思えない程の美貌だった。
メンバーがざわつく。監督は手で静止し、続いて話す。
「今日から加入した輝山だ。紹介を」
「……はい」
すっと一歩、円陣から足を踏み出し、辺りの注目を引く。
「輝山皐月です。紹介して頂いた通り、今日から野球部に選手として加入することになりました。よろしくお願いします」
ぺこり、と丁寧にお辞儀をする。
それと同時に、おおっと小さくざわめきが起こる。
皐月と名乗る女は華凜に握手を求めるように手を差し出した。おそらくCマークに気づいたのだろう。
「おま……アンタはどこから来たんだ?」
「公立の。……家庭の事情でこちらに」
ゆっくりと、握手を交わす。
「これからよろしくお願いしますね」
華凜もゆっくりと、そして強く手を握った。周りからひときわ大きな歓声が上がる。
「部屋はー……そうだな。華凜、確かまだ二人分空いていたな?」
「あー、はい。……入れるんですか?」
「ああ。しばらくはそっちに」
「……わかりました」
しぶしぶ承知することになったが、華凜は物静かな彼女をあまり快く受け入れられない様子だった。
皐月のポジションは華凜と同じく外野だった。走り込みも、守備練習も難なくこなし、平然と涼しい表情をする彼女を、華凜はどこか自分と比べるように見つめていた。
(アイツ、あんな図体してるクセにキレイに送球できんのなー……)
彼女をぼうっと見つめる。土臭いという言葉が似合わないのになぜあんなにも野球をしているのか。
「華凜、いっくよー?」
「……んぇっ、お、おう!」
ホームからの掛け声にも意識が向いていなかったからか、不意にも目測を誤ってしまった。その後も拙守を連発し、あまり失策をしない華凜をチームメイトたちは不思議そうに見ていた。
「今日の華凜、なんか変だったよ。どうかしたの?」
帰寮したのち、ルームメイトが気になって声を掛けてきた。
「いや、何でもない、大丈夫だから……」
「本当?体調面で何かあったら困るから、些細なことでも言ってよね」
「う、うん、心配ありがと。でも何にもないから大丈夫!明日からまた頑張るよ!」
「……」
皐月はその一つ隣でじっと聞いているだけだった。
女子にも夏の甲子園的な大会は存在している。毎年、新潟県に新設された球技場(両翼八五メートル)にて全国四七都道府県から勝ち上がってきた強豪たちがぶつかり合う球児たちの戦い。そんな晴嵐高校は県でも強豪校に指定されている。言うなれば勝って当たり前。そのプレッシャーは誰にとっても大きいものだった。ついに始まる地方大会一回戦。あの一日のスランプが嘘のようになくなった華凜はついに試合出場を決めた。スターティングメンバーに名を連ねるのは初めてだった。
『七番、レフト、小林さん』
「おーうっ!」
勢いよく飛び出した彼女に、場内から大きな拍手が送られる。
(ついに始まるんだっ……)
ふかふかの芝、高いフェンス。守備位置に就くとホームがやたら遠く見える。高揚感と緊張感が混ざり合った、不思議な感覚。来る勝負に心を昂らせていた。
皐月は四番、ライトで出場していた。どこか試合慣れしているような、冷静な態度。彼女は守備位置に就くとスタンドに向かってぺこりとお辞儀をした。
シード権を有する晴嵐高校は負けるわけにはいかない一回戦。試合はリードし、七回で四対〇と、完全に晴嵐ペースだった――
ところが八回。一死二、三塁のピンチ。初出場で疲労も溜まっている華凜は内心来ないでくれ、と焦っていた。相手の左打者がスライスした打球は華凜のいる方向の逆、ライン際へ飛んできた。
(やっべ、こっちきた!ええーと……ふ、っ……!)
勢いに任せて打球へとダイビングしたが、これが裏目に出てしまった。切り出しが遅れ、打球はボール一個分左に切れ後方へ転々とする。
(くっ、やっちまっ……)
ボールの行方を呆然と見つめる華凜。カバーに入ったセンターが処理したが、既に打者走者は三塁へと達していた。四対二、一死三塁。流れがわからなくなった一打だった。その後も打ちこまれ、結果は四対六。まさかの敗戦だった。
私のせいで、こんな……。私のせいだ。あのとき後退して安全圏で守ってれば……防げたかも。……あんまりこういうこと考えたくないけど、私の力じゃ通じないのかな……。
皐月は四打数三安打二打点。私は四打数一安打……一度の結果で一喜一憂すんなっていう方が無理だっつーの……もう一年しかなくなっちゃったわけだし――
「あーもう!」
試合後、日も暮れてひとりだけの寮室で枕に怒りをぶつける。
「お疲れ様でした」
「……」
ばっ、と顔を上げたが確認するや直ぐに枕に突っ伏する。
「どうしたのですか」
無機質な声が耳の中を通る。
「……悔しいんだよ」
「気持ちはわかります。ですが勝負ですから……貴方も」
「アンタにはわからないだろ!」
がんっ、とベッドの柵を叩く。一瞬感情的になってしまい、はっとしてまた伏せる。
「何がでしょう」
「……アタシ、野球向いてないんじゃねぇかって」
ぽつりと独り言のように呟く。
「なんで野球ばっかこんなに必死でやってるかわかんない……わかんないんだよ」
枕に一筋の涙が零れる。
「そのくせアンタはアタシより打てて、守れて、落ち着いてて……居場所がなくなった感じがしたんだ」
「勝負の世界では必ず上には上がいるんです。私は努力の甲斐あって……」
「……それはわかってるさ」
「……」
「アタシは必死に取り組んでるのに、全然うまくならなくて。本当に、このままでいいのかなって……」
「ですが、華凜さん、その、貴方の……」
「アタシ、散歩いくから」
「……ぁっ……」
理由を言うより早く、華凜は部屋を後にしてしまった。
寮を出てあてもなく寮の周辺を歩き回る。
夕暮れ時のヒグラシの鳴き声、沈んでいく夕日、伸びる背影…グラウンドから響く、練習に取り組む球児たちの掛け声、打球音、捕球音。
(野球……アタシにとって、何なんだろ……)
華凜にとって野球とは何なのか。夢見たあの日々を思い出す。
(……プロ野球選手になるって、こんなアタシが……?なれるわけないよ……)
背を曲げて歩く姿は、ちっぽけな存在のように見えた。
三年生にもなるとチームメイトの形相も変わってくる。レギュラーの座をつかみ取るため、皆必死に練習しているのだ。
華凜もルームメイトの支えもあって現在は練習のみ参加している。あの試合で完全に自信喪失に陥ってしまったためである。その反面、皐月はのびのびと練習に励んでいた。
それでも華凜は必死に練習に励んでいた。ただガムシャラに、何かに縋るように。練習後のミーティングでも”いつもの”華凜に戻っていた、そんな時。
「華凜、後で監督室に来るように」
「え、あ……?はい、わかりました……」
突然の呼び出しだった。チームメイトたちは不穏な表情を浮かべる者と目を輝かせて機体の眼差しを送る者と半々だ。
監督は笑っている。その笑顔が何を意味しているかは全く読めなかった。
「華凜、どうして呼び出されたかわかるか?」
監督の座る長椅子の隣には皐月もいた。にこやかな表情を保っている。
「えっと、わかりません。もしかしてキャプテン剥奪っすか……?」
監督は首を横に振る。
「違う。そうだな……皐月、代わりにお前が言ってくれ」
「はい」
無機質な声に心臓が跳ねる。これから言われることに覚悟を決めた。
が、それは意外なものだった。
「華凜さん、投手に転向してみてはどうでしょうか」
「……え?」
素っ頓狂な声が漏れた。二人ともくすくす笑っている。
「華凜さんの今の気持ちも考えて。肩の強さなら、投手もいけるんじゃないかって」
「あっ、え、でもアタシ、中学以来投げてないですし」
手を前に出して全力否定のポーズ。その手をがしっと皐月が握ってきた。
「華凜さん、去年の試合後、覚えていますか?」
「あぁ……まぁ、何となく」
思い出したくない。ぶつかり合ったあの日だ。
「あの日はごめんなさい。私、屁理屈を言っているようになってしまって……」
「いいよ、アタシもなんか、混ざってわかんなくなっちゃってたし……ごめん」
「……私、華凜さんが必要です」
「……」
皐月が目を見つめる。綺麗な瞳でじっと見つめられると、つい目をそらしてしまう。
「野球に取り組む姿勢、気さくな明るさ……私に足りないきらめきです」
「……はぁ……?」
監督が補足に入る。
「華凜、お前は自分が思っている以上に必要とされている存在なんだ。チームメイトも憧憬してるやつもいる。野球の技術どうこうじゃないんだ」
一年次からベンチ入りして温めていた理由がわかった気がする。
「アタシの存在……ですか」
「そ。まぁ、あの試合で守備がトラウマになっていることもわかっているし、無理に試合に出させようとは思わない。だが、華凜のいない野球なんて、な」
監督の不敵な笑みがこちらへ向けられる。
「華凜さんがいないミーティング、しっかりしすぎて疲れるくらいでしたから」
「こら、皐月」
「ふふ、ごめんなさい」
(投手、かぁ……)
ぐっと左腕に力が入る。久しぶりに”楽しさ”が体中を巡っていく感覚。野球をまた、楽しめる……
「まぁまぁ、直ぐに決めなくてもいいさ。覚悟が決まったら――」
「アタシ、やります!」
勢いよく立ち上がり、左腕を突き上げる。突然の動作に皐月がびくっと跳ねる。
「アタシ、皆から必要とされてること、わかんなかったです……でも、アタシがいなきゃって。夢、景色、目標……そんなんじゃなくてアタシを束縛してるのはチームメイトなんだなって」
捉え方によっては苦しそうに聞こえるが、監督も皐月も重々承知していた。彼女は、本気だ。
「アタシ、生まれ変わります!」
監督も皐月もその意気に立ち上がった。
「よーし、それじゃ来月から投手練習な。できるところまでやってみよう」
「はいっ!」
彼女の目に、迷いはなかった。
投手のトレーニング場は劇的な進化を遂げていた。トラッキングシステムの導入はもちろん、個々に合った投げ方、測位を促進させている。ビッグデータの活用は野球界にも浸透している。
見慣れたチームメイトがいる。皆投手転向は把握しており、ほとんどが二刀流だ。
「投手としてだが……華凜にはまず抑えとして育ってほしい」
「抑えですか……」
抑えは九回に登板するゲームを締めくくる役割だ。重要性は重々把握している。
軽くキャッチボールを終えた後は早速捕手を座らせて投球に入る。次の日が筋肉痛になろうと、知らない。中学以来となるピッチングに心を躍らせていた。
「よーしっ、いくよー!」
ばしばしとグローブを叩いて捕手に合図する。腕を回し、気合は十分だ。
「……ふー……いっ!」
脚を大きく上げ、高く上げた左腕を真上から真っすぐ振り下ろす。矢のように伸びた球は勢いよく捕手ミットへ吸い込まれた。
マスクを脱いだ捕手は一球受けただけで唖然としていた。監督もほう、と感嘆の息を漏らしている。表示球速は……一一五キロだ。プロ級のスピードだ。
「華凜……」
「へへ、アタシ向いてるかもしれないっすね」
無邪気に笑う華凜。その秘めたる能力は途轍もないものだと悟ったのだった。
夏がやってきた。高校の最終年。晴嵐高校は華凜抜きで県大会を突破。華凜はベンチにもおらず、トレーニングを続けていた。キャプテンがいない中、頑張ってくれている。その期待に応えられるよう、全力で体作りに勤しんでいた。
吉報が入ってきたのは夕方だった。皐月からの電送ホログラムだ。笑顔でピースしている。
(よーし、アタシも頑張らないと……!)
その日は日が暮れるまで投球練習を続けた。
「華凜、全国行きだ」
「はい!」
皆のキャプテン、我らのキャプテンが生まれ変わって帰ってきた。予選では登板しなかった選手が全国大会へ行くのは異例の事態だ。それだけ、期待は絶大だ。ついに華凜の、晴嵐の集大成が始まるーー
三回戦まで順調に強豪を破り、準決勝まで華凜の登板はなし。皐月をはじめ打線が活発に働き、すべての試合で二桁安打を記録。投手陣も先発が二試合完封勝利と、決勝に向けて着々と勝ちを積み重ねていった。
「次の相手は鳥山学園だそうだ」
ホテルの食堂で監督が告げる。鳥山学園は強打がウリの公立高校だ。なんでも、これまでの試合はすべて二桁得点だとか。
「そこでなんだが……華凜」
「は、はい!」
「先発、できるか?」
「……えっ」
「打線が強力だから、未知の力を見せつけた方がいいと思ってな」
はじめは抑えのために練習をこなしてきた。フィジカル中心、投げ込みは先発の半数。しかし今の華凜は熱量が違う。
「なんでもやってやりますよ!どんとこいってんだ!」
「うむ、そう言ってくれると思った。それじゃあ明後日は先発で行くからな」
「おーっす!」
興奮して言葉遣いも忘れてしまったようだ。それくらい気合の入っている証拠である。栄冠は一人の少女に託された。
当日。快晴で雲一つない青空が広がっている。マウンドに立った華凜は投球練習をせずに祈るように目を閉じている。
(これまでの成果……十分発揮してやろうじゃないか。気合と根性!)
「おし!」
「気合が入っていますね、ピッチャーサウスポーの小林」
『あれくらい気合が入ってないと滅入っちゃいますよ、はは』
「さて、一番の白鳥、バッターボックスに入りました」
『彼女の投球、未知の領域ですが期待しましょう』
「脚を大きく上げ……投げました!判定はストライク!低め……おおっ!?一一六キロです!」
『……速いですね』
「場内からどよめきが起こります!早いテンポで……投げました、打ち上げた、これは内野フライ!九番、ショートの南風、捕りました」
『いや、これだけ速い選手は見たことないです』
「そうですねー、これはいい投手戦になりそうです」
一進一退の攻防が続く。回は五回を迎え、二アウトをとったところでコーチがマウンドへ向かう。球数は六〇を超えた。
「華凜、いけそうか?」
「まだまだ平気です、あと半分以上は投げられます」
「そうか、無理だったらタイム取ってくれ」
「わかりました!」
回は七回。一死一塁。
「輝山は今日はどうでしょうか」
『今日はノーヒットですが、兆しは見えています』
「カウントツーボールツーストライクから六球目!インコースの低めのカーブを打った!ライト下がる!輝山はもう右手を掲げている!スタンドに入ったー!ついに均衡破れた!いまホームイン!先制点は晴嵐!二対〇としました!」
『いやー、難しい球でしたけど、うまく打ちましたね』
「先発の小林とハイタッチをしました、より一層小林の士気が高まります!」
「小林は既に八十球を超えていますが、投げさせますか?」
『余程のことがない限りは投げさせると思います』
「そうですか、小林がどれだけ投げれるか、注目ですね」
……
「九回まできました、あと一回のところなんですが、小林は息が上がっています。球数も百一球を超えています」
『ここまできたら完封を狙ってほしいですね』
(いける……ここまでできたんだから……クッソ、腕が痛い……でも、根性根性……!)
「無理をしているようにも見えますが、どうなんでしょう」
『本人次第だと思います』
((いよっしゃあ!))
「実況席まで聞こえてきましたよ?」
『ははは、気合十分ですね』
「そうですね。この回は四番の神薙から始まります!」
……
「六番衣笠、初球を打ち上げた!センターが下がる!こちらを向いた!掴みました、晴嵐高校決勝進出!ガッツポーズが出た小林!この大会、なんと同校から三人目の完封投手です!」
『見事な投球でしたね、少々無理をしても、根性で乗り切った感じですね』
「見事な投球だった、華凜」
試合後のミーティング。華凜の力投はチーム全体が称賛した。
「えっへへー……ありがとです」
練習でも投げたことのないくらいの球数だった。一一六球。さすがに腕が痛い。
「監督、アタシの出番ってもうないんですか?」
ふと疑問に思った。投手としてだったらもう出番はないのだろうか。監督は手を顎に当てて考えている。
「そうだな……抑えとして、投げる覚悟はしておいてくれ」
「……わかりましたぁ!」
大声で緊張を解す。……監督は恐らく投げさせる。最終回を任せるはずだ。
「各個人、決勝までの三日間を怠らないように」
「「「はい!」」」
決勝まであと三日。悔いの残らないよう仕上げに入る一同だったが、華凜は少し不安がっていた。
迎えた決勝戦。対戦相手は屈指の名門校、西行寺学苑。公立のお嬢様学校だ。精神力を野球で鍛えるという精神の基、徐々に強化されていった実力校だ。
「……あっ」
皐月は相手ベンチを見て不安そうな表情を浮かべる。
「どうした?」
「い、いえ、何でも……」
何か言いたげな彼女に対して力強く肩に腕を回す。そういえば……スターティングメンバーに彼女の名前がない。
「大丈夫だって!皐月!アタシらなら勝てる!」
「はい、わかっていますが……その」
「何が言いたいかわかんねーけど……勝負なんだからさ。これで滅入っちゃったらだめだかんね!」
「……はい」
一同はベンチを出て円陣を組む。
「相手がどうだろうと、勝たなきゃいけない相手がいる。アタシたちは勝てるよ!晴嵐ファイトー!」
「「「おーっ!」」」
ベンチに戻るナインたちの表情は生き生きしている。最終決戦、華凜はベンチから元気に声を出す。
「始まりました、決勝戦。晴嵐高校対西行寺学苑」
『ついに決まりますね、今年の優勝校が』
「ええ、楽しみです。晴嵐の先発を任されたのは初戦で三安打完封勝ちを収めた西條」
『彼女もタフな投手ですよね』
「西行寺サイドは既に最高潮。気合が入っています」
「いま、火ぶたが切られました!」
……
「どうだ、一二塁間破った!二塁ランナーどうする!走った走った!ライト輝山からのバックホーム!すごい返球だ!ノーバウンド滑り込んだがアウト!アウト!見事に差しましたライトの輝山!流れを渡しませんでした!」
『強い肩ですね……はは、いやぁ、お見事です』
「三回ピンチを防いだ西條!〇対〇、変わらずです!」
……
「下手から……投げましたアウトコースバットが空を切りました三振!今日八つ目の三振を奪いました西行寺の速水」
「ゲームは五回を回って〇対〇、平衡を保っています」
……
「七回立ち上がりの西條はどう見ますか?」
『そうですね、まだまだ安定していると思います』
「西條が四番、柳生に対して投げました!高め空振り、ストライクです」
「まだ平衡を保っているゲーム、どう切り出しましょう」
『一発に期待するしかないと思いますね、両者ともいいピッチングです』
「二球目を投げた、打った!高めの球!センターどうだ!見送ったか!?入りましたバックスクリーン!西條がっくり!先制点は西行寺!四番のバットからうまれました一点先制!」
「うわっ……!くっそー……まだまだこれからだよ!あきらめんなー!!」
ベンチから励ましの声を送る。一心に。必死に自分なりに考えた。今、アタシにできることはこれくらい。何とか祈ることしかできないんだ……!
……
「最終回、表の晴嵐の攻撃は七番の楠から始まります」
『下位から上位につなげて、何とか同点に追いつきたい場面ですね』
「西行寺サイドは抑えの服部をつぎ込んできました。これまで四試合で無失点です」
……
「二遊間!詰まりましたが強引につなぎました無死一塁!」
「続いて八番の相模、バントの構えをしています」
「初球からフェアグラウンドに転がしました!キャッチャー捕って一塁へ送ります、一死二塁へと変わりました!」
「……」
監督が戦況を見守る中、華凜の方を見やる。
「……そうだな。華凜、打席に立て」
「え……?」
突然の宣言だった。ベンチを温めていた華凜に打席に立て、と。目をぱちくりさせていた。
「迷ってる暇はないぞ、はやく」
「……わかりました!おーし!」
心に火が点いたような感覚。バットを握ると、燃えてきた。
この勝負、いける気がする!
「ここで晴嵐、九番南風のところで代打を送ります」
「小林です!昨日力投を披露した小林が打席に立ちます!」
『ほう……』
「バットをぶんぶん回しています。気合が伝わってきます」
「セットポジションから服部、投げました!インコースボール!僅かに外れました」
『よく見れていますね』
「はい。二球目投げました!フルスイングした打球はバックネットを超えてファウルです」
『振れていますね、当たれば飛びそうですよ』
「三球目を……投げた!右中間!右中間!破った破った!三塁コーチどうする腕を回した回した回した!バックホーーームはどうだホームイーン!二塁上でガッツポーズが出た小林!最終回、土壇場でなんとか追いつきました晴嵐!」
「「「やったーっ!」」」
ベンチは大騒ぎだ。華凜の一振りで流れは変わった。その後、追加点は入らなかったものの希望は繋ぐことができた。
「ひひ、よっしゃ!」
ベンチに戻った華凜を皆が迎える。皐月もほっと胸をなでおろし、ハイタッチ。笑顔が浮かんだ。
「監督」
「ん、何だ?」
「アタシにピッチャー、やらせてください!」
監督は諦めがついたようにため息をついた。
「そういうと思った。……無理はしてないんだな?」
「あったりまえですよ!」
腕まくりをして元気を押し付ける。
「よし、じゃあいってらっしゃい」
軽く背中を押す。それに応えるようにマウンドへダッシュした。
「ここで晴嵐……なんと、小林をマウンドへ上げます!」
『驚きましたね、先発、代打、抑え……しかし疲れが見えませんね』
「球速も上がっているように見えます。恐ろしいプレイヤーです……!」
抑えとして上がった華凜が、ついに牙を剥く。
「三番の長門、打席に入ります」
『今日は無安打、しっかり繋いでいきたいですね』
「大きなモーションから小林が……投げました!低めストライク!一二一キロ!これには手が出ないか……!」
『速い……こんなに速い高校生は見たことありません』
「早いテンポで二球目!カーブを打ち上げた、これは完全に打ち取られました。ライトの輝山、抑えています一死!」
「四番の柳生がバッターボックスに入ります。先ほどの打席ではバックスクリーンにホームランを放っています」
『勝負どころですね、まずは初球に注目です』
「一球目投げた!インコースに投げ込みましたカーブでしょうか?ストライクです」
『ちょっと危ない球ですよね』
「少し変化球に頼ると危険かもしれませんね。二球目はカーブを続けてファウルになっています」
「三球目!っっっと……!ボールです!一一九キロいっぱいです!」
『いいコースでしたけど、これはバッターがよく見切ってますね、次のボールが大切です』
「四球目を投げた!高めを引っ張った!下がる!輝山下がって!見送ったか!?フェンスの向こう側だ!入ったー!サヨナラホームラン!この試合二本目はサヨナラホームランで優勝決定!」
「キャプテン!」「華凜!」「華凜さん!」
ナインが一同に駆け寄る。ライト方向の空、打球の行方を見ながら呆然と立ち尽くしていた。
「……やっぱ、打たれちゃった」
その顔に悔しさはなかった。笑顔で、全力を出し切った表情。皆も安心したように頬を緩める。
「……やっぱ野球って楽しいもんだな」
こうして華凜たちの夏は幕を閉じたのだった。
プロから声が掛かった華凜と皐月は別チームながらもお互いのことを励まし切磋琢磨しながらもっと厳しいプロ野球への世界へと足を踏み入れた。
華凜は屈指の抑えとして歩みを進め、皐月は走攻守揃った外野手として歩き出した。
「そういえばさ」
「何でしょうか?」
ホログラムで映し出された等身に話しかける。
「なんでアンタは晴嵐に来たんだ?」
「それはですね……」
間を置いて、皐月が喋りだす。
「単に、ポジションがなくなったからですよ」
「ほう?どーしてだ?」
「私、捕手をやってたんですけど……既に三人いて、空いてなくって。少しバツが悪かったんです。ほら、決勝戦の相手……」
部屋着にしていたのは西行寺のユニフォームだった。
「……なるほどな、だからあの時も」
「ふふ、すこし気持ちが乗らなくって……」
「そういうことだったんだな」
少し沈黙の時間が流れ、華凜が笑いだす。
「……ま、アタシたちプロから声かかったんだしさ。そこからまた伸ばせるかもしれないしさ。アタシみたいに変われるかもしんねーし」
「……そうですね」
険しいプロの道を歩む二人。
自分が変われるかもしれない環境下に置かれることは重要なことかもしれない。
華凜はそれを自分の力で見出すことができなかった。皐月が、監督が違ったら夢は潰えてしまっていたかもしれない。
ひとつの転入生から始まった奇跡の物語は、終わりを迎えない。これから新たなスタートとなるのだ。二人の運命の線は切れることはない。