第79話 予兆
――時は現在に戻る――
セントエレナ号は風を捉え軽快に進み予定時刻よりも早く昼前には目的の海域に到着する事ができた。
「アオイ兄ちゃん、ルヴィス姉ちゃん、ここまで来ればさすがに話してもええやろ」
ムイは出港の直前に話していた火薬を話題にあげた。
「この間船に乗った時からや。なんやきな臭いがずっとしててな。それがずっと気になってたんや」
「僕にはわからなかったな。その匂い」
「それは驚きや。あんな匂うのにアオイ兄ちゃんにはわからんかったか。ルヴィス姉ちゃんたちはどや?」
ルヴィスたちはお互いの顔を見合わせるとそれぞれ首を横に振った。
「私たちもわからなかったわ」
「ありゃ。匂うんはウチだけか」
「それはもしかしたらムイちゃんの鼻がものすごく効くからではないですか?」
「え? ウチの鼻が?」
ムイのような獣人族の中には五感の一部が特化した種が多数存在するといいムイはその中で嗅覚に優れているのではないかとクラニは言った。
「クラニ姉ちゃんの言う通りかもしれへん。だからウチしか気づかんかったんやな」
ムイには思い当たる節があるようでクラニの言葉に納得した様子だった。
「まぁそんなんでな。みんなより先に来て匂いの元を探ってたんや。したらな、やっぱりあったんよ火薬が。どこにあった思う?」
それは当然倉庫だろうと僕が答えるとムイはゆっくりと首を横に振った。
「ちゃうちゃう。あったんは船底や。目立たんように布を被した3本の樽があってな。どれも目一杯火薬が詰まっとった」
ムイは顔をしかめ話しを続ける。
「考えとうないが……ウォッカのおっちゃん。もしかすると船、沈める気でおるかもしれへん」
「えぇ⁉︎ なんでまたそんな事を?」
「理由はわからへん。けどなウォッカのおっちゃんがそないな事を考えるとしたら答えは1つ。金儲けや」
ムイが言うにはウォッカは自分に利があると踏めば手段を選ばないといい今回この船を沈めることが彼にとって何かの利を生み出すとすればそういうこともやりかねないという。
「今の話しはあくまで憶測や。けど万が一にもおっちゃんがそない危ないことを考えとるとしたら火薬を船底に置きっぱなしにするわけにはいかへん。だから運び出しておいたで」
ムイの指差した先には僕たちが乗船した時にムイが座っていた樽が見えた。
「あー! アレか!……て、ちょっと待って。ムイちゃんまさかアレを1人で運んだなんて言わないよね?」
「へ? 運んだで。あんなん別にウチ1人で十分やからな」
「……そ、そっか。ありがとうムイちゃん」
「ンフフン♪ どういたしまして」
「アオイ〜! みんなもこっち来て来て〜!」
先程まで船の手すりに頬杖をつきぼぉーっと海を眺めていたルヴィスが興奮した様子で僕たちを手招きで集めると海上を指差した。
「どうしたの? ルヴィス」
「ほらあそこ! 何かの群れよ! かわいい〜!」
ルヴィスの指差した先には船と並んで泳ぐ大型の海洋生物の群れが見えた。それはイルカーダという海洋生物だと舵をとるクラニが言った。イルカーダはイルカによく似ているが頭には小さなツノが1本生えており体の大きさもそれの倍はあった。人懐っこい性格でこうして船に並走する姿はよく見られる光景だという。
しばらくの間船と並走していたイルカーダだったが突然Uターンすると来た方向へ引き返していった。
「いっちゃったね。可愛いかったな」
「うんうん。かわいかった〜」
「イルカーダ。初めて見ました! 可愛いですね! 里の湖に連れて帰りたいくらいでした」
いやいや淡水じゃ死んじゃうでしょ。ん? でもそんな事はないのか? 別に魚じゃないしどうなんだろう?
そんな疑問を一瞬でかき消したのはムイの次の発言だった。
「ほんまイルカーダは可愛いわ〜。欲を言えばもふもふしてるとええねんけどなぁ」
イルカーダにもふもふ? んーそれはちょっと気持ち悪いな。僕はそんな想像を頭に浮かべると1人こっそりとほくそ笑んだ。
イルカーダの群れが船を去った数分後、それまで弱くなっても止むことの無かった風がピタリと止んだ。風を捉え膨らんでいた帆も今はダラリと垂れ船は前へ進むことをやめた。
「皆さん! 今すぐどこか船体に掴まって下さい!」
前方に何かを発見したクラニが叫んだ。僕たちは各々手すりやマストの紐などにしがみついた。とその直後、船が押し返されるほどの突風が吹き抜けたかと思うと辺り一面を霧が覆った。
「皆さん! 大丈夫ですか?」
安否を確認して回るクラニ。幸い誰も怪我などする事なく無事だった。
「クラニさん、何があったんですか?」
「はい。風が止んで波もほとんど無くなった海を見ていたら前方の海上が波立ってくるのが見えたんです。ですからこれは何かがこちらに向かってくると思いまして、それで皆さんに掴まってもらいました」
「そうだったんですね。おかげで助かりました。ありがとうございます」
「いえいえ。そんなお礼を言われるほどのことはしていませんよ。それにしてもこの霧はなんでしょう。海上の天気は変わりやすいと申しますが霧が出るのは珍しいことですね」
「それはそうや。これは天気の変化やあらへんからな」
ムイは険しい顔で言った。
「というと? ムイちゃんこの霧はいったい?」
「クラゲや。クラーゲンジェリーフィッシュのお出ましや」
ムイが言うには何の前触れもなく霧が出るのはクラーゲンジェリーフィッシュが現れる前兆なのだという。
やがてひんやりとした空気が漂いはじめた。それは夏だというのに肌寒さを感じるほどだ。




