ファントムパラディン -聖騎士の亡霊に体を奪われた俺が、体を奪い返し、友を助けるまでの話ー
「ケイン=オブラフィル、アベル=ティーダ、両名を聖騎士として叙任するものとする」
聖都からの使者が読み上げた文書に、俺とアベルは目を見合わせ、にやりと笑った。
俺たち2人は、物心つく前に聖騎士候補者として教会に引き取られ、その後15年教会で育てられ、鍛えられてきた。
聖騎士になる。
それが俺たちの目標だったのだ。他にも何人か候補者はいたが、今回は俺たち2人が選ばれた。当然だよな、と言う喜びと自慢の目配せである。
聖騎士たる者、派手に喝采を叫ぶというようなことはふさわしくない。そうするのは使者が帰った後でいい。
「これより15日後にケイン=オブラフィルの、その翌日にアベル=ティーダの叙任の儀式をそれぞれ執り行う。速やかに聖都のサンペロート聖堂まで来るように。以上」
使者の口上は以上だった。
使者が司祭様と共に部屋を出て行ったあと、俺とアベルは、両手を挙げてハイタッチし、喝采を叫んだのだった。
「これより、聖騎士叙任の儀式を執り行う」
聖都サンペペロート聖堂の正殿の中で、大司教様が宣言した。
聖堂の中にいるのは俺と大司教様の二人だけ。聖騎士叙任の儀式は、叙任を行う大司教様と叙任される者だけが聖堂の中に入ることを許される。
跪く俺の前には台座に乗せられた剣と杯がある。剣は聖騎士の証、魔を祓う聖銀の剣。杯は同じくミスリルで作られた聖杯で、中には聖水が満たされていた。
「ケイン=オブラフィル」
大司教様が俺の名を呼んだ。
「はい」
「聖騎士となる準備はできているか」
「私は、聖騎士として教会の剣となり盾となる覚悟と準備の全てができていると信じております」
俺は台本通りに答えた。
「私もそうであると信じている。準備ができているのならば、杯を取るが良い」
大司教様に促されて、俺は目の前の杯を手に取り、一気に中身を飲み干した。かすかに花の香りのするほかはただの水と同じだ。
杯を置いた。
次の瞬間、俺の胃の中に灼熱感が満ち、同時に強烈なめまいが襲ってきた。
めまいはとてもたえれれないほどで、俺はその場に倒れるように崩れた。意識が遠のいていく。
助けを求めて大司教様の方を見ると、大司教様は異常なことなど何もないという淡々とした顔で俺を見ていた。
(大司教……様……?)
何が起きているのか分からないまま、俺は意識を失ったのだった。
「おめでとう、聖騎士ケイン=オブラフィル」
大司教様の声が聞こえる。その呼びかけで俺は目を覚ました。
まず目に入ってきたのは聖堂の天井。
「立つが良い」
大司教様の声にはっとして、俺は体を起こした。体が軽い。倒れる瞬間に感じためまいも、灼熱感も、きれいになくなっていた。
すぐそばに足が見えた。誰かが立っている。大司教様ではない。見覚えのある自分のズボンだ。
目線を上にやる。
見覚えのあるシャツの上に、見覚えのある顔があった。鏡で何度となく見た自分の顔。
(どういうこと!?)
事態がつかめない。
何が起こっているのだろうか。
自分の隣に自分が立っている。立っている自分は、俺のことなどないかのようにまっすぐ大司教様に目を向けていた。
「大司教様、これはいったい?」
俺は大司教様に問いかけてみたが、大司教様も俺の方を見向きもしない。
「聖騎士オブラフィルよ。早速ではあるが、汝に聖騎士としての務めを命じる」
「はっ」
立っている自分が大司教様に応えている。
大司教様が俺の方を見た。そしてこう言った。
「そこにいる邪霊を祓うのだ」
「大司教様、なにを!?」
俺の驚きの声は全く無視された。
「分かりました。」
俺の声で、『自分』が言う。そして俺の方を見て、腰に下げた聖剣を抜いた。
馬鹿でも分かる。この『自分』は俺を斬る気だ。
振り下ろされた剣を、俺は飛び退いてかわした。
「大司教様、聞こえていないんですか!?」
何がどうなっているのか知りたい。それだけの思いで俺は大司教様に声をかけ続けた。
「無駄だ」
その問いかけを遮るのは、『自分』の声と剣。
「大司教様は邪霊の言葉になど耳を貸されない」
「俺が邪霊だっていうのか」
「そうだとも。死にきらず化けて出た者が邪霊でなくてなんだというのか」
「俺は死んでない!」
「皆そう言うのさ。まぁ、この体は俺が使ってやるから、お前は大人しく祓われておけ!」
立て続けに振るわれる剣戟。俺は座席を飛び越え、柱の陰に回り、聖堂内を逃げ回った。物は触れる。しかし動かすことはできなさそうだった。
扉も窓も閉まっている。物を動かせないのでは開けることはできそうにない。このままではいつか斬られてしまうだろう。
どうにか切り抜ける方法はないか。
必死で考える。
剣が頭をかすめた。
さらに振るわれる剣を避けて避けて避けて、気がつくと俺は壁際に追い詰められていた。
「さぁ観念しろ」
もう逃がさない、と『自分』が剣を振りかぶった。
逃げる道は見つからない。
(駄目か……?)
そう思った瞬間、上の方でパリンとガラスの割れる音がして、何かが落ちてきた。
黒い塊。
そう見えた。
塊は『自分』めがけて落ちていき、とっさに見上げた『自分』の顔をかすめて床に落ち、すた、と軽い音を立てて着地した。
塊と思った物は黒猫だった。
「猫、だと」
『自分』がうめいていた。顔を引っかかれたようで、左手で顔を押さえている隙間から血が流れ滴っていた。
「逃げなさい!」
黒猫は女の声で喋った。
猫が喋ったなどと驚いている暇はない。
俺に言っている。そう思った。
ふと小さな音がして正殿の入口の扉の方を見ると、大きな音が立たないようにゆっくりと開き始めていた。
俺は弾かれたように動いて、扉に向かった。
追って振るわれる剣をかろうじてかわし、扉の隙間から外に出た。
そのまま走った。
聖堂の門が開いている。
視界の脇でみすぼらしい衣服を着た男が塀を乗り越えていくのが見えた。彼が開けてくれたのだろうか。
俺は門から聖堂の敷地を出て、町中にでた。行く当てはないが、まずは聖堂から少しでも離れることだ。
俺を助けようとしている連中がいるなら、適当に走ってもなんとか合わせてくれるはずだ。
案の定、後ろから、すとと、とさっきの黒猫が走って追いついてきた。
「ついてきて」
猫が言う。
「わかった」
どこに連れて行かれるのか心配が無いでは無いが、この猫は命の恩人だ。聖堂に戻るよりずっとましなのは確かだ。
俺は黒猫の後を追って走った。
道を歩いている幾人かが猫を見て『お』とか『あ』とかいう顔をしたが、その後を走っている俺には誰一人注意を向けてこない。
全速力で町中を走っている人間がいたら、普通何人かは様子を窺うように見るものだが、誰一人気づかないようだった。
俺などこの世にいないかのような反応だ。
街区をいくつも走り抜け、細い路地をいくつか抜けて、ようやく猫が足を止めた。
大通りの裏手、人通りのほとんど無い路地裏だ。
「私の言ってる言葉、分かるわよね?」
猫が言う。
俺は頷いた。
「今自分の置かれている状況はどこまで推測できてるかしら?」
問いかけられて、俺は今一度自分の置かれた状況を考えてみた。
ここまでほぼ全速力で走ってきても、俺は息一つ切れていない。聖騎士になる訓練を乗り越えてきたと言っても、疲れないわけではない。
それに、町の人のあの無反応。
じっと手を見た。
いつも見ている自分の手だ。なにもおかしいところはない。いや、心なしかすこし透き通っている気がする。
「……あいつらは、俺を邪霊と呼んでいた。俺は死んだのか?」
聖騎士になるために学んだ情報の中に、それはあった。悪魔や邪霊と戦うのも聖騎士の務めの一つ。そのために聖騎士は聖銀の剣を預かるのだ。
未練や恨みを残して死んだ者が神の元に行くのを拒否して現世に居残っているのが霊。
そのうち人に害を及ぼす物が邪霊。
そのままだ。
「死んではいないわ、まだ」
「つまり、お前はどうしてこうなっているのか知ってるのか」
猫の答えはそうでなければ説明がつかない。
「知りたい?」
「そういういじわるはよしてほしいな」
猫は肩をすくめた。
「言い方が悪かったわね。どこから知りたい?」
「どこから?」
「お望みなら、500年前のところから教えてあげられるけど」
「……今の俺の状況説明に必要な範囲で頼むよ」
「いいわ。大司教に水を飲まされたでしょう。あれは肉体から霊体が出やすくなる薬が入っていたの。それを飲んだ貴方の魂は、霊体と一緒に体から追い出され、代わりに奴らが入って体を乗っ取っているのよ。だから貴方は死んだわけではないの」
「奴らって?」
「霊体だけで生き、人に悪さをするのは何というのかしら?」
「邪霊」
「それね。まぁそんなくくりなんてどうでもいいわ。貴方の体に入ったのは、たぶんケセルスよ」
「伝説の聖騎士と同じ名前だ」
かつて預言者とその使徒を守るために戦った聖騎士達。その中の一人だ。
「本人だからね」
「なぁ、猫。いくらなんでも彼らが邪霊になるってのは悪い冗談だよ」
「信じるかどうかは好きにしていいわ。私は私が知っていることを話しているだけ」
「……」
俺は黙った。
俺を助けてくれた猫が嘘を言っているとは思いたくない。自分が『この体は俺が使ってやる』と言っていたこともある。誰かが俺の体を乗っ取った、というのは少なくとも本当のことだろう。この猫もグルでない限りは。
だがどこまで信じていいのか。
「それで、貴方はまだ死んでないけど、正直に言って時間の問題よ。未練のない者が霊体を維持できる時間は短いの」
「どれくらい?」
「私の経験上、約3日」
短い。
「その3日が経つ前に、体を取り戻せれば貴方の勝ち」
「取り戻せなければ?」
「わざわざ聞きたいの?」
猫が小首をかしげた。
「いや、いいよ。だいたい想像ついた。それで、どうすれば体を取り戻せるんだ?」
「簡単よ。自分の体に勢いよく突っ込む。そしてあいつを追い出す」
猫は後ろ足で首をかきながら事もなげに言った。その困難さに俺が気づかないとでも思っているのだろうか。
「聖銀の剣をくぐり抜けて?」
「そう。聖銀の剣をくぐり抜けて。知っていると思うけど、聖銀の剣は霊体には効果抜群よ」
「わざわざご指摘ありがと」
「どういたしまして」
猫は自分の体を舐めている。
(逃げて避けるならまだともかく、アレに向かっていくのか……)
俺は途方に暮れそうな思いだった。
足音がして、人が一人猫に寄ってきた。
乞食のようなボロ服を着た老人だ。
「お、ようやく来たわね」
猫はその老人を待っていたらしい。
「待たせて済まないな。説明は終わっているのか?」
教会から逃げるときに見た塀を乗り越えようとしていた男になんとなく似ている気がした。
「えぇ、一通り」
「もしかして、聖堂で?」
俺が聞くと、老人は俺を見た。
「そうだとも。無事でよかった」
答えがあった。
霊体は普通の人間には見えないはずだが、この老人には俺が見えているし聞こえると言うことだ。見た目のような、ただの乞食ではなさそうだった。
「俺はベルノルト。この猫はアリア。よろしく」
老人が自己紹介をした。
「よろしく。俺はケインです」
「アリアの説明は雑だから、何か気になることがあれば聞くが?」
「……こうなるのは、俺だけなんですか?」
「と、いうと?」
「一緒に育てられた聖騎士候補生の友達がいるんです。一緒に叙任も決まって、俺が一足先に叙任されて、そいつは明日儀式を受ける予定なんです」
ベルノルトがすっとアリアの方を見た。
「聖騎士の定数12人。これまで一人の例外もないわ」
「助けなきゃ」
アリアとベルノルトが目を見合わせた。
「好都合ね」
「好都合だな」
「何が?」
「今日、私たちが貴方を救出したことを、連中も気づいている。しかし今、聖都にいる聖騎士は叙任されたての者がただ一人。あとはわかるわよね?」
「自分の体を取り戻して、かつ友も救う」
「そう、それよ。がんばりましょう。私たちが手伝うわ」
翌日、俺たち2人と1匹は、聖堂の門の前にいた。
門の先に聖堂の正殿が見える。今日あそこでアベルが叙任の儀式を受けるはずだ。
時刻はまもなく正午。
さきほどアベルが聖堂の中に入っていくのをアリアが確認している。
アベルを助けるには、儀式の最中に踏み込まなければならないと思っている。
あまりに早く踏み込みすぎれば、俺の体を取り返せたとしても、アベルは助けられない。聖騎士叙任の儀式は邪霊に体を乗っ取らせるための儀式で、大司教様もその仲間です、などと誰が信じるだろうか。
いくら俺とアベルの仲でも、信じてもらえるとは思えない。大司教様が俺の方を邪霊取り憑かれて妄言を言っているとしてしまうのが関の山だろう。
だからこそ儀式が始まった後で、かつ邪霊に体を乗っ取られる前に聖堂内に踏み込まなければならない。そういうシビアな作戦だった。
正殿の扉の前に、一人の男が立っているのが遠くからでも分かった。
確認するまでもない。自分の体である。
「覚悟はいい?」
アリアが聞いてきた。
「あぁ。ベルノルトさん、よろしくお願いします」
「もちろんだ」
頷くベルノルトは、今日は普通の衣服を着て、帯剣している。身なりを整え背筋を伸ばすと立派な血筋を思わせる精強な老人のように見えた。
2人と一匹がそろって聖堂の敷地に足を踏み入れた。
『自分』が聖銀の剣を抜いた。
ベルノルトも剣を抜いた。ベルノルトの剣はただの鉄の剣である。
「一人か」
ベルノルトが尋ねた。
「そうだとも。聖堂は現在秘蹟の最中、兵を入れて騒ぎにするわけにはいかないからな」
『自分』の答えは堂々たるものだった。
「我こそは聖騎士ケイン=オブラフィル。邪教の徒よ、誇りがあるのならば名を名乗られよ」
ベルノルトが一歩前に出た。
「現世にいつまでもしがみつく醜い亡者に名乗る名などない」
『自分』の顔に嘲るような笑みが広がった。
「よろしい、じじい。ならば死ね」
剣を構えて、『自分』とベルノルトが対峙する。
俺は霊体、アリアは猫。戦えるのはベルノルトしかいない。
作戦はシンプルだ。
ベルノルトが『自分』の聖銀の剣を奪うか取り押さえるかする。そこに俺が飛び込む。
『自分』の構えは中段、聖騎士伝統の破邪の構え。対するベルノルトは下段に剣を下ろしている。
二人は互いに間合いを計りながら、じりじりとすり足で近づいていく。
ベルノルトが一歩踏み込んだ。
『自分』はベルノルトの肩めがけて剣を振りおろした。その剣をベルノルトの剣が弾き、間合いを詰めていく。
ベルノルトの腕前もただ者では無いのがそのやりとりだけでも分かった。いったい何者なのだろうか。
俺は剣戟の様子を見ながら考えていた。
ベルノルトは自分が何者なのか、語ってはくれなかった。剣筋を見ていると、聖騎士流の剣捌きの名残のようなものがある。
戦いは互角。
いや、ベルノルトの方がやや劣勢かもしれない。受け、返し、攻め、の攻防の流れの中で、ベルノルトが受けに回っている頻度が多い。
剣と剣が打ち合わされ弾き合うひときわ大きな音がして、二人の距離が広がった。
ベルノルトは肩で息をしていた。
『自分』の方は、息が弾んではいるものの、まだ余裕がある。
「老いとはつらいな」
「この醍醐味が分からんとは。そんなだから死に迷う」
「負け惜しみを」
『自分』が剣を振りかぶって距離を詰めていく。剣が上段からまっすぐに振り下ろされる。
ベルノルトは剣で受け止めようとして、受け止めきれず押し込まれ、聖銀の剣がベルノルトの肩に食い込んだ。
「ぐっ」
ベルノルトの剣が手から離れ落ちた。
「さぁ、死ね!」
『自分』はベルノルトにとどめを刺すべく肩に食い込んだままの剣を引き抜こうとした。
その手と剣をベルノルトの両手が掴んだ。
「今だ、ケイン!」
ベルノルトが叫ぶ。
俺はとっさに飛び出して、『自分』の体めがけて突っ込んでいった。
「じじい、貴様!」
「亡霊め。じじいを舐めるな」
自分の体に飛び込む直前、俺は視界の端でベルノルトの笑顔を見た。
そして飛び込んだ。
一瞬の暗転ののち、視界に入ってきたのは見慣れた聖堂だった。
俺を育ててくれた教会の聖堂だ。
祭壇も、信徒の座る椅子も、全て記憶のままだ。
ただ一人、祭壇の前にたたずむ男の他は。
会ったことのない男だ。背筋は曲がり、ひどく年老いているが、眼光だけが爛々と鋭い。
「お前は誰だ?」
「聖騎士ケセルス=ノルンハウスト」
「お前が俺の体を乗っ取っている奴か」
「表現を間違えるな。使ってやっているのだ。お前も教会に連なる者なら、聖騎士に体を使ってもらえることは喜ぶべき事だ」
「あいにく、体を提供する奉仕には興味なくてね」
「第1位階からやり直せ未熟者」
「体を取り戻してからそうするよ」
なんとなく腰に剣があるなと思って手をやると、剣がそこにあった。剣を抜く。ケセルスもどこからともなく剣を抜いていた。
剣を手にしたものの、俺は斬りかかろうとは思っていなかった。
先ほどの戦いを見る限り、剣技はあちらの方が上だ。真正面から斬りかかっても勝ち目は薄い。どうすればこいつから体を取り戻せるだろうか。
「なぜ体を取り戻したいのだ?」
「そうしないと、友達を助けられないんでね。そういうお前はなぜ体を奪ってまで生き続けるんだ?」
「神のためだ」
「はぁ」
「我々が正しく教えを伝え導いてやらねば、後世の者が勝手に都合のいい解釈をしてしまうだろう。防がねばならぬ。純粋な教えのために。神のために」
「ということは、聖騎士団だけじゃないな」
「いかにも。主教猊下以下大司教たちは皆我が同胞。故にいつまでも信徒達を正しく導くことができるのだ」
「そのために体を奪い、体の持ち主を邪霊として祓ってでも、か」
「必要な犠牲だ」
「犠牲にされそうになった身としては納得できないな」
隙を見せないよう、表面上穏やかにしているが、俺の腹の中は煮えくり返っていた。
こいつらはもはやただの亡霊だ。
俺も含めて、聖騎士を目指してきた者達も、神に仕えたいと司教への道を志した者達も、こんなやつらの都合で体を奪われ殺されるために生きてきたわけではない。
こいつらはその裏切られた屍の上にきれいな顔をして立っているのだ。神を語って。
だとすれば、こいつらの語ってきた神というのは何なのだ。
「お前達のしていることはただの裏切りだ」
「そういった者が一人だけ、同胞にもいたよ」
ケセルスは一瞬寂しそうな表情を見せた。
「だが正義のためにはやむを得ない」
「そうか。それなら……」
俺は手にした剣を投げた。
ケセルスにではない。
聖堂に安置された聖像にめがけてだ。
剣はきれいな放物線を描き、狙い過たず聖像に突き刺さった。
「貴様―――!」
ケセルスが叫ぶ。
「この涜神者め!!」
「神は死んだよ。とうの昔にお前達が殺した」
血走った目でケセルスが斬りかかってきた。大上段からの雑な大振りだ。
チャンスは一度。
俺はもう一度腰から剣を抜き、ケセルスの剣を受け止めた。
その瞬間、体を捌きながら手首を返し、勢いを受け止めるのではなく利用して剣を加速、刃を肩めがけて振り下ろした。
不意を打つ返し技。
刃がケセルスの体を捉えた。
目を開けると、目の前にベルノルトの血の気の引いた顔が見えた。
「ベルノルトさん、大丈夫ですか?」
心配して声をかけた。
「ケインか? 戻れたか?」
ベルノルトはまだ俺の剣と手を掴んだまま離さない。
「はい。ベルノルトさんとアリアには、感謝の言葉では尽くせません」
合図はあらかじめ決めていた。
ケセルスの知らないアリアの名を、体を取り戻したときの符号にすると。
「よかった」
ベルノルトが手を離した。
「はい。でもまだアベルが」
「急げ、俺の剣を持っていけ」
ベルノルトはその場にへたり込んだ。
俺の剣はベルノルトの肩に食い込んだままだ。
抜くと血が出てしまってかえって危ない。俺は地面に落ちているベルノルトの剣を拾い上げて、正殿に向かった。
扉を押し開く。
正殿の中には、昨日と同じように祭壇の前に大司教がいて、その前にアベルが倒れていた。
大司教が俺を目で咎めた。
「今入ってくると言うことは、まさか、まさかか?」
「ケセルス=ノルンハウストは祓った」
俺の言葉に、大司教は目を閉じた。ケセルスを悼んでいるようだった。
「そうか。残念だ」
「アベルは渡して貰う」
「あぁ、なんと残念なことか」
大司教は俺の言葉を聞いていないようだった。俺はアベルの元に駆け寄った。
息はある。
今どういう状態なのだろうか。
ととと、とアリアがそばに寄ってきて、アベルの顔を見た。
「中で二つの魂がせめぎ合っているわ」
その二つが何か、と言うことは聞くまでもない。
「聖騎士ケイン=オブラフィルはただいまを持って破門とする」
大司教が何か言っている。俺は大司教をにらみ返した。
「それがどうした」
「どうもせんとも」
「お前も、誰かの体を奪った誰かなんだろ?」
「無論。神の子の忠実な使徒バルザス。わしをその剣で斬るかね?」
「斬ったところで、きっとお前達は次の体を奪うんだろうな」
大司教の返答は笑顔だった。肯定だ。
アベルに授与されるはずだった聖銀の剣は目の前にある。だがこれで肉体を切って祓えるか分からない。
もし祓えなければ、次の犠牲者を生むだけになってしまう。
「だとしたら、ここでお前を斬っても意味は無い」
「そうかね。わしも今ここでお前達を止める手立てはない。好きにするがいいさ」
大司教はそう言うと、祭壇上の椅子に座り込んだ。
俺は大司教への警戒を解かないまま、アベルの体を抱え、正殿から出ていった。
大司教は天井を仰ぎ見て、邪魔をするそぶりすら見せなかった。
俺たちはその日のうちに、荷馬車で聖都を離れた。
荷台にはアベル。
それなりの時間が経っているが、彼はまだ目を覚まさない。
ベルノルトも荷台で休んでいる。ベルノルトの傷は浅いものではなかったが、止血の薬のおかげで大事には至らなさそうだった。
俺は御者台で馬を操っていた。
横ではアリアが丸くなってひなたぼっこをしている。
「これから、どこに向かえばいい?」
「ベルノルトの国に行くわ。そこの王と司教が、あぁもちろん邪霊じゃないわよ、私たちに理解を示してくれているわ。ベルノルトはその国の騎士なのよ」
「そうか。追手の心配もある、先を急ごう」
俺は荷馬車を引く馬の背に軽く鞭を入れた。
馬が少し、歩く速度を速めた。
友人と「幽霊」テーマで短編という話になったので書いてみました。
↓は現在連載中の物、読んでってもらえると嬉しいです。
○追放された伯爵公子は、超文明の宇宙要塞を手に入れました。
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○異世界転移して初日に殺されてしまった俺は
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