ピアノの旅立ち
ピアノはひとりぼっちになってしまいました。
自分の上にいつも一緒にいた、エリザベスとメトロノームはもういません。あれから二人がどうなったのかも知る由もありませんでした。気がつくと居間はすっかり物がなくり、夢真ちゃんの祭壇も片付けられていて、ピアノだけがそこに残ったままでした。ピアノの心は寂しさと悲しさと不安でずーーっと沈んでいました。唯一言葉が届くエリザベスとメトロノーム二人の存在がどれだけ自分にとって大事だったか・・・。ピアノはこの先自分がどうなってしまうのかという不安を感じながら、あの二人にまた会うことが出来るのか、そもそも言葉が通じる存在にこの先出会えるのか、希望が持てるものがなにも見出せませんでした。
ある日、見ず知らずの人が数人居間にやってきました。そしてピアノの前まで近づいてくると、ピアノを取り囲み持っていた大きな布をピアノの体に巻き付け始めました。
「わあ~何をするんだ!嫌だ!やめてくれよ」
ピアノは叫びますが、勿論その声はその人達には届かないまま作業を続けていきました。『ああ・・そうだった、ボクの声は人間には届かないんだったっけ・・』ピアノは抵抗する気力もなくなり、だまってされるがまま耐えていました。
ピアノが布でくるまれていると、夢真ちゃんの両親がピアノの前に近づいて来ました。そしてお父さんがピアノの頭にあたる天屋根を優しくゆっくりなでました。お父さんもお母さんも何も言わないのですが、二人とも涙をこらえながら微笑んでいました。そして、お父さんがなでていた手は上前板にある《YUMA》と描かれたエンブレムに触れました。お父さんはエンブレムに手のひらを押し当てて
「ありがとう・・・」
と囁きました。その瞬間、電気が走ったようになりピアノは動けなくなりました。そしてエンブレムがある場所からジワジワと熱いものが拡がっていくのを感じました。その熱い感じがピアノ全体に満ちたとき、ピアノは泣きました。なんで泣いているのかピアノ自身にも分かりませんでした。だけど、涙が溢れて、溢れて仕方がないのです。
ピアノがお父さんとお母さんの方を見ました。二人とも涙を流していました。しばらく見つめ合っているような様子のピアノと夢真ちゃんの両親でしたけれど、二人はピアノの前から離れるとそのまま居間を出ていきました。
ピアノはすっかり布に覆われました。
そして大きく開けられた居間の窓から出されると、クレーンに持ち上げられそのまま大きなトラックに載せられました。ピアノは持ち上げられながら『ボクもここからお別れなんだな・・』と思うと目を閉じました。
玄関の外で夢真ちゃんの両親がピアノを載せたトラックを見送っていました。
トラックが動き出しました。どこへ連れて行かれるのかも分からず、ピアノはどんどん懐かしい家から離れて行ってしまいました。
布で覆われたままのピアノは、暗いトラックの荷台の中で独り黙ったまま眠り続けました。眠っている間ずっと夢を見ていました。夢の中では夢真ちゃんが楽しそうに自分を弾いてくれました。エリザベスもメトロノームも天屋根の上にいて、夢真ちゃんの弾くピアノの音に合わせて楽しそうにリズムをとりながら揺れています。ここでは夢真ちゃんとお話が出来ました。夢真ちゃんを入れて四人が楽しくおしゃべりをしています。とても楽しい時間が過ぎていきます。このままずっと一緒にいられるような気さえしてきました。四人が楽しく遊んでいましたが、段々と夢真ちゃんもエリザベスもメトロノームも、空の上へ離れていってしまいます。『待ってよ!どこへ行くの?ボクも一緒に行くよ!』ピアノが三人に向かって叫びますが、誰も気がつきません。ピアノは何度も何度も叫びますが、三人は空の上へ上へと離れていってしまい、とうとう見えなくなりました。ピアノは泣きました。『独りにしないでよ〜!』と叫びながら。