夢真ちゃんの死
この日は朝から誰も家にいないようでした。家中の明かりは消えたまま物音ひとつしません。夢真ちゃんのお母さんはもうずいぶん前から家に帰って来ていませんでした。前日の夜はお父さんが慌てて車でどこかへ出掛けて行きました。
閉め切られた居間もカーテンが閉じられたまま暗く、いつからか雨の音が窓ガラス越しに聞こえてきました。
「なんだか今日は変ね。こんなに暗くてしんとしたお家は初めてよ。」
「そうだね、夢真ちゃんだけじゃなく、ご両親もいなくなっちゃったみたいだし。」
「なんだか怖いよね・・・。もうずっと暗いままだよ。」
エリザベスの一声で、メトロノームもピアノも不安を口にしました。
誰もが初めてのことでオロオロしました。それも仕方がありません、人が誰もいないだけで家の中がこんなにも暗く、冷たく、怖いものだなんて知りもしなかったのですから。
どれくらい時間が経ったでしょう。
いつの間にか夢真ちゃんの両親が家に戻ってきていました。居間のカーテンが開かれ、窓が開けられました。久しぶりに外の空気が流れ入ってきて、気持ちのいい空気になりました。しかし、それもつかの間。窓はまた閉められて、カーテンも閉ざされました。居間はまた暗くなりました。夢真ちゃんの両親は重苦しい黒い服に着替えて、また出掛けて行きました。
「あの黒い服はなあに?不気味だわ。なぜあんな服を着て出掛けて行ったのかしら。」
エリザベスは不安げな声で言いました。
「そうだよね・・・。それに夢真ちゃんの姿が全然なかったよ。」
メトロノームが最後に閉められた居間のドアを見ながら言います。
「どうしたっていうんだろ・・・。誰も一言もしゃべらないなんて、おかしいよね。」
ピアノは上にいるフランス人形のエリザベスとメトロノームの方に目を向けながら言いました。三人ともなにがなんだか分からず、不安で不安で仕方がありません。一番の不安は夢真ちゃんの姿が見えないことです。それは居間に姿を見せなくなってからずっとです。
もうこの不安だけは拭えませんでした。
あれから二日ほど経った頃、夢真ちゃんの両親が戻ってきました。今回は夢真ちゃんの祖父母も一緒でした。
「夢真ちゃん・・・お家に帰って来ましたよ。」
居間のドアの向こうで夢真ちゃんのお母さんの声がしました。『夢真ちゃんが帰ってきた!』『やっと帰って来たんだ!』『夢真ちゃんに会えるぞ!』エリザベス、メトロノーム、ピアノの三人はみんなで喜びました。また髪をとかしながら楽しいお話をしてもらえる、振り子を揺らしてリズムをとってもらえる、鍵盤を弾いて音を鳴らしてもらえる。三人がそれぞれまた夢真ちゃんと一緒にいられると思っていました。
夢真ちゃんのお母さんが一人で居間に入ってきました。そしてそのまま真っ直ぐピアノの所までくると、エリザベスとメトロノームの間に写真立てを起きました。その写真立てはピンクの縁で囲まれて、左上には可愛らしい花が飾られていました。その中にあった写真には笑顔の夢真ちゃんが写っていました。
夢真ちゃんのお母さんは写真を見て泣いていました。そしてそのままピアノの鍵盤の蓋の上に突っ伏すようにして声を上げて泣きました。ピアノはビックリしてしましました。なにが起きたのかまったく分かりません。
エリザベスもメトロノームも下を見て、泣いている夢真ちゃんのお母さんの背中を見ていました。そして二人で目を見合わすと、お互いの間に置かれた夢真ちゃんの写真立てを横目に見ました。
「これはどういうこと?夢真ちゃんは帰って来たんじゃないの?」
エリザベスが不安げにメトロノームとピアノに聞きました。
「いや・・もうなにがなんだか分からないよ!」
メトロノームは首を振って答えました。
「ボクには夢真ちゃんのお母さんの悲しい鳴き声が辛く響くだけだ・・どうしたというのだろう」
ピアノは自分に突っ伏したまま泣いている、夢真ちゃんのお母さんをただじっと見ていることしか出来ませんでした。
夢真ちゃんのお父さんが泣いている夢真ちゃんのお母さんの肩にそっと手を乗せました。そしてこう言いました。
「そんなに泣いていたら、夢真が心配して天国に行けなくなってしまうよ。・・辛くて苦しかった病気から解放されて、やっと楽になれたんだよ。」
そう言って夢真ちゃんのお父さんは涙を浮かべながら、ピアノの上の夢真ちゃんの写真を見てこう言いました。
「夢真・・よく頑張ったね。おまえが死んでしまってとても悲しいよ、でもお父さんもお母さんも頑張るから、そこで見てておくれ・・・。」
そう言うとお父さんの目から涙がポロポロ落ちました。
『死んでしまって・・・?』三人が目を合わせました。
「死んでしまってってどういうこと?天国って?」
「オレ・・・むかし仲間のメトロノームに聞いたことがあるぞ。死んじゃったらこの世界からいなくなって、空の上の国へ行くんだって!《ヨウリュウセイ》っていうお迎えの使者が来て、連れて行くって言ってたぞ!」
「ええ!?じゃ・・じゃあ、夢真ちゃんはもうこの世界からいなくなってしまったってことなの?その、使者ってヤツが夢真ちゃんを連れて行ったの?」
エリザベスやメトロノームやピアノは、夢真ちゃんが病気で病院に入院していたことを知りませんでした。無理もありません、誰も三人には教えてくれませんでしたから。夢真ちゃんは学校で急に倒れて救急車で運ばれ、もう半年も前からずっと病院に入院していました。学校にも行けず、お友達や家族と遊びにも行けないで、病気と闘っていたのです。何度も何度もお家に帰りたい、またピアノが弾きたい、もっと練習して上手になってピアニストになりたいと、病床で言っていたそうです。
病状は恐ろしい程進行が速く悪化していき、動けなくなると食欲もなくなりました。最後には沢山の管を体に取り付けないと生きられない状態になり、とうとうやせ細って話も出来なくなりました。苦しい発作に何度も襲われるようになり、その頃から夢真ちゃんのお母さんが泊まりがけで付き添うようになりました。
そんな辛くて痛ましい闘病を続けた夢真ちゃんは、最期は両親と祖父母に見守られながら安らかに息を引き取りました。
居間に祭壇が置かれました。そこには夢真ちゃんの小さな遺影が置かれ、夢真ちゃんの大好きだったお菓子がお供えされています。沢山のお花が飾られ毎日お線香の香りが居間中に香りました。夢真ちゃんが亡くなった事で夢真ちゃんの家の雰囲気がすっかり変わってしまいました。夢真ちゃんのお母さんは、かけがえのない一人娘の夢真ちゃんがいなくなってしまったことで、心も体も疲れ果ててしまい、とうとう寝込んでしまいました。しばらくお父さんが家で仕事をしながら、お母さんの代わりに家事をやりました。。
あまりにも突然の出来事でした。【夢真ちゃんの死】はその後のエリザベスとメトロノームとピアノの将来に大きく影響する事になるのです。