第1話 神との対面。あるいは、ただのチュートリアル(6)
時間にすると、たっぷり三十分以上――。
それだけの時間、エリンは剣を振り回して遊んでいた。
そして、ロアは何も云わずにその光景を眺めていた。
初心者ながら恐るべきロールプレイヤーだと、エリンのことを盛大に誤解していたロアは、これまでその言動に振り回され、ドン引きばかりしていた。
チュートリアルで〈キャラメイク〉は一番大事な部分であるため、それだけ時間がかかって当然である。
ただしそれにしても、サンプルとして組み上げた初期ステータスや初期スキルを三十分以上も延々と試し続けるプレイヤーはまずいなかった。普通はちょっと試した後は調整を加えたり、他のパターンに組み変えたりするものだ。
これもまた、ドン引きするには十分な振る舞いだったかも知れない。
だが、ロアは今、温かい目でエリンを見守っている。
なぜならば、彼は笑っていた。
純粋に楽しんでいる。
ロアはそれが嬉しかった。
VRMMOがこの世に誕生してから、既にかなりの年月が経っている。最初は未来のゲームと持て囃されたVRMMOも、現在は『第二の現実』として日常と地続きになり、そこにあるのが当たり前のものとなった。
VRMMOは現代を象徴する文化のひとつ。
そんな意見が主流となっているのは、仮想世界で生きるNPCとして歓迎すべきことなのは間違いない。
事実として、VRMMOの中でも絶大な人気を持つCROSSに至っては、ゲームでありながら、もはやゲームの枠組みを超越して久しかった。
先駆者たるプレイヤーの中には、リアルの生活をほとんど捨て去り、仮想世界で生きることを選択する者だって出始めた。『第二の現実』と云われる程に成熟した仮想世界においては、リアルマネーでアイテムが取引され、一流のプレイヤーであれば相応の収入を得ることも不可能ではない。
CROSSの仮想世界に足を踏み入れる初心者プレイヤーは尽きることがなく、プレイヤー総数は年々増加し続けている。
しかし、その内のどれだけが純粋にゲームを楽しもうと思っているのか。
仮想世界で初心者プレイヤーを待ち受けるのは、リアルでは味わえない未知なる体験だ。しかし、初心者プレイヤーのほとんどは仮想世界がどんな場所で、どんなものが待ち受けているのか、事前にたくさんの攻略情報を仕入れて来ている。
チュートリアルで斜に構えた態度を取られることも多い。
剣や槍を鮮やかに振るってみたり――。
スキルの効果で、炎や雷を生み出したり――。
本当はそれだけで歓声を上げても良いような、素晴らしい初体験のはずだ。
それなのに、この程度のことは前々からちゃんと知っていたと云わんばかり、彼らは冷めた態度でチュートリアルを終わらせていく。
仮想世界は広い。
この後に待ち受ける可能性は、無限大。
チュートリアルで感動してもらわなくても、仮想世界に一人のプレイヤーとして旅立てば、本当に感動すべき体験が山のように待ち受けているのは事実だ。
だが、それでも――。
ロアはちょっと悲しかった。
素直に、楽しいと思ってくれても良いではないか。
無邪気に、初めて触れるもの、初めて感じるものを、自分の心で表現してみても良いのではないか。
遊ぶために――。
楽しむために――。
VRMMOはゲームなのだから、そのために存在する。
ゲームをするのに格好つける必要はないはずだ。ゲームで富と名声を追い求めるよりも、最初は楽しんでほしい。目的を違えないでほしい。案内人として初心者プレイヤーの背中を押す立場のロアは、せっかくの可能性を自ら狭めてしまっているようなプレイヤーを見る度にがっかりしてきた。
今日はどうやら、そんな気持ちになる必要はないようだ。
むしろ、正反対の気持ちにさせてくれる。
エリンがようやく剣を収めた。
ロアの視線に気づいたらしい。
ロアがにっこり微笑みかけると、エリンは慌てて駆け寄って来る。
「神さま」
優しく微笑んでいたロアは、その一瞬で真顔に戻った。
そうだった。
思わず、忘れていた。
再び、地獄のロールプレイ。
「むしろ、わたしの方が神さまに祈りたいです」
エリンの誤解が解けているはずもなかった。
斬撃で炎を生み出す――それは人の常識としてあり得ないのだから。
VRMMOというゲームのスキルの効果だと説明された所で、エリンには絶対に理解できない。異世界で生まれ育ったエリンの中では、人の常識を超えた力はすべて、神の力と考えるのが普通だった。
身体能力の向上。
剣の腕前も、上がっている。
集中して振るった刃には炎が纏う。
エリンはむしろ、これでもう確信していた。
「ありがとうございます」
さて、ロールプレイが再び始まらんとしたことにドン引きの構えを見せていたロアは、エリンと真正面に向き合った所でハッとして黙り込んだ。
礼を云われたことにも、すぐにうまく返せない。
エリンは堂々としていた。
だが、その瞳からはうっすら涙が零れていた。
感動の涙であることはロアにもわかる。
「お礼を云われる程のことはしていません。わたしは、別にそんな……」
「いえ、俺はあなたに救われました。これまで生きていて良かったとすら思いました。地を這うような生き方しかできない俺を、あなたが立ち上がらせてくれた」
エリンの言葉は何処までもまっすぐなもの。
先と同じように、ロアの目の前でひざまずいた。
小さなその手を取り、頭を垂れ、すべてを捧げる決心を述べていく。
「あなたのために祈ります。晴れの日も、雨の日も、世界が終わるその時まで。そして、誓います。この身、この心を捧げ、あなたのために生きることを。この瞬間から、あなたは我が主です。たとえこの身朽ちる時が来たとしても、あなたに捧げる心は不滅――。だから、未来永劫の時をあなたと共に生きることを、どうかお許しください」