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第1話 神との対面。あるいは、ただのチュートリアル(2)


 ――チュートリアルを開始します。




 暗黒の世界に、光がさざ波のようにゆっくり広がって行く。


 それは、夜の帳にランプを灯した時とはまるで違う。エリンを中心に満ちていく光は、闇を拭うのではなく、世界を新たに創造していた。


 まるで、造物主になったかのようだ。


 神の目線で、エリンは世界が作り上げられていく光景を見た。


 大地が広がり、木々が突き立っていく。それはまばたきの間に森へと変わる。水たまりに最初見えたものは海だった。やがて地平線が誕生すると、最後に太陽が昇った。


 エリンの足元には、白いタイル張りの床が出現していた。


 気がつけば、風も吹いている。


 生まれ立てのような風。


 肌がピリピリした。


 こんなに高い場所は初めてだ。


 エリンは自分がどこに突っ立っているのか、最初はよくわからなかった。どうやら青空に立っている。白い雲が目線の高さにあった。


 驚きはしたものの、恐怖はまったく感じなかった。


 物心ついたばかりの頃に、祖父と父に連れられて、初めて城壁の外に遊びに出た時のことを思い出す。未知の場所に対する不安感と、それを圧倒的に上回る探求心や冒険心。すべてが胸の中で混ざり合い、ドキドキと心臓が高鳴った。


 それと同じだ。


 だから、エリンは足を踏み出した。


 エリンの立っている足場は円形で、舞踏会でもできそうなぐらい広々としている。どのような力が働いているのか、空に浮かんでいるらしい。足場の縁に慎重に歩み寄れば、眼下には果てなき世界が延々と広がっていた。


 緑豊かな大地。


 見慣れない建造物が多かった。コンクリートのビル群があれば、電波塔があり、ハイウェイや鉄道網が大都市間を結んでいる。エリンの生まれ育った異世界には存在しないものばかりだ。


「なんだよ、これ……。こんなの、どう考えても、天上界だ。神々の世界に、俺は来てしまったのか」


 エリンは感動に身を震わせる。


 神の加護を与えられた信仰者だろうと、天上界に足を踏み入れることはそう簡単に許されるものではなかった。神々の世界に招かれるのは、信仰者の中でも格別の寵愛を得た者だけなのだ。


 それはある種の特権だった。


 そもそも、神に関しては禁忌というものが存在する。


 神の名、神の姿、神の言葉を他人に教えることは許されない。


 例えば、エリンの父は剣神の信仰者、母は拳神の信仰者であるけれど、彼らの神の真名や御姿については、親子であろうと冗談でも口に出されたことはなかった。


 幼少時のエリンが無邪気に尋ねてみた時には、神について知りたがるという行為自体を厳しく叱られたものだ。


 そして、神の世界である天上界、これを語ることも禁忌だった。


 天上界に招かれるということは寵愛の証であるものの、それを自慢気に語ることは許されない。天上界で見聞きしたものは当人の胸の内に死ぬまで閉まっておかなければいけないのだ。


 そのため、天上界に足を踏み入れたことがない者は、それがどんな場所なのか絶対に知ることはできない。


 まして、エリンは神に見放された無能力者ノッツであるからなおさらだ。


「俺みたいな無能力者ノッツがいきなり、天上界に……」


 感動が過ぎて、涙まで溢れそうだった。


 もちろん、完全に間違いである。


 ここは、仮想世界である。


 VRMMOというゲームの舞台に過ぎない。


「ようこそ、クロスの世界へ」


 エリンは突然、背後から呼びかけられる。


 振り返れば、女の子が一人立っていた。


「はじめまして、わたしはロアと申します」


 丁寧に挨拶されるが、エリンは思わず言葉を失くしていた。


 子供。


 十歳ぐらいだろうか。


 ごく普通の女の子に見える。


 少なくとも、その顔立ちだけは――。


 パンダの髪留め、赤いランドセル、学童のような制服姿。いずれもエリンの生きる異世界には存在しないような意匠であるものの、これらはどうでも良かった。現状のエリンには些細な違和感に過ぎないからだ。


 エリンは反射的に身構えていた。


 子供である。


 本当に、ただの子供に見える。


 ニコニコと笑っている。


 敵意も何も感じられない。


 だが、少女の背負ったランドセルからは異形の腕が無数に生えていた。


「……人間ではない」


 エリンは思わず、小さな声で独り言を漏らした。


 少女の背後で、無数のおぞましい腕がまるで蜘蛛の足のように蠢いている。


 生きた腕だ。


 なまめかしい動き。


 どう見ても、血が通っている。


 エリンはそんな風に思った。


 だが、そうではない。


 エリンは異世界の常識でものを見ている。だから、まるでモンスターのような腕が少女の背中から生えていると思い、ギョッとしたけれど――。別に、それは生きていない。血も通っていない。


 それは機械の腕である。


 女の子がじっと黙っている間にも、ランドセルから無数に伸びた機械の腕は、自律した動きで虚空に浮かんだ幾つものマニピュレーターを操作していた。


 詰まる所、その腕は彼女のSFチックな装備品なのだ。


 これは、VRMMO。


 ゲームであるから、装備品は大事。


 エリンにはそんなことわからない。


 だが、最初こそ動揺したものの、次第に気持ちを切り替え始めていた。しばらく彼女の様子を観察しながら、二度、三度とうなずく。


「どうされました、ジッとこちらを見て……? なにか気になりました?」


「いえ、大丈夫です。失礼しました」


 冷静になったエリンは素直に頭を下げる。


 動揺したことが原因とは云え、相手を不作法にじろじろと見つめてしまったのは事実だ。見た目には年端も行かない女の子に見えるものの、大人の女性が相手ならばマナー違反もはなはだしい。


 だから、エリンは見え透いた世辞を返した。


「御姿があまりに可愛らしいので、見惚れてしまいました」


「あら、そうなんですか! ふふふ、大変うれしく思います」


 ロアは笑顔で返してくる。

 社交辞令に社交辞令で返されたようだ。

 見た目の幼さに似つかわしくない受け答えである。


 いや、そもそも見た目に騙されてはいけないと、エリンは基本的なことを考えた。十歳ぐらいの女の子に見えても、真実、そうとは限らないのだから。信じられないぐらいの若作りなだけで実年齢は凄いというパターンだってあり得る。


 そもそも、彼女は人間ではない。


 エリンは確信して、そう考えている。


 ここが何処で――。

 彼女は何者か――。


 天上界。

 神。


 当然、そうなる。


 残念ながら、完全に勘違いなのだけど。


「最初の質問です。お名前を教えてください」


 ロアから問いかけられて、エリンは力強く答えた。


「エリンです」


「念のため、確認いたしますね。本名ではなく、プレイヤーネームの登録に関する質問だったのですが、本当に【エリン】さんで登録して大丈夫でしょうか?」


「プレイヤーネーム?」


 意味がわからず、エリンはオウム返しに疑問を示した。


 ロアが少し、驚いたような顔になる。


「はい、プレイヤーネームは仮想世界で使用する名前になります。もちろん、本名を使用されても問題ありませんが……」


 やはり、よくわからない。


 天上界では通名を用いる文化でもあるのだろうか。


 エリンはそんな風に首を傾げた。しかし、ここが神の世界と誤解しているため、疑問は些細なことと受け流してしまう。同意を示すようにうなずく。


「わかりました。プレイヤーネーム【エリン】で登録いたしますね」


 ロアが笑顔でうなずき返すと、その背後で機械腕がマニピュレーターの操作を始める。エリンは気を取られそうになるが、ロアはすぐに次の質問に移った。


「早速ですが、あなたは何を望みますか?」


 それは漠然とした問いかけで、エリンは反応が遅れる。


 彼女は返事を待たずに続けた。


「穏やかな日常? それとも、刺激的な非日常?」


 試すような口調は、どうやらエリンの本心を探るためのようだ。


 ゆっくりと、彼女は誘うような言葉の数々を口にする。


「世界の何処にも存在しない景色が見たいですか? 幻想の土地も、千年前の歴史的な街並みも、ここではすべて再現されています。王様になるのも良いでしょう。放浪の戦士になるのも良いでしょう。パンを焼いたり、畑を耕したり……なんだって自由です。戦うことも、戦わないことも、恋することも、恋しないことも、選択肢は無限にあります。もしも、あなたが古典的で王道なゲームを望むならば――」


 ロアは微笑んでいる。



「勇者を目指すのも良いかも知れません」


 エリンは何も云わない。


 何も、云えなかった。


「ちょっと大げさな前置きだったかも知れませんね。最初にシステム音声が告げた通り、これはチュートリアルです。第二の現実と呼ばれる程に成長したVRMMOでは、想像可能なあらゆる体験がプレイヤーを待ち受けています。ただし、自由すぎる仮想世界で何から始めれば良いのか、迷われてしまうプレイヤーも少なくありません。例えるならば、あなたはこの第二の現実に新たに生まれる赤子なんです。可能性は、無限大――。何にでもなれるかも知れないけれど、何にもなれないかも知れない。だから、チュートリアルです。最初に方向性を決めて、それから初期の職業や武器種、初期ステータスの決定まで……」


 ロアは説明を続けている。


 だが、エリンはやはり意味を理解できないままだ。


 VRMMOとは何なのだろうか。『日本語』が脳内に書き込まれているものの、エリンに元々その知識がなければ意味は伝わらないのだ。


 エリンはそれでも、ロアに敢えて問うことはしなかった。


 別に、知ったかぶりをするつもりはない。


 知るべきことは、いつか知る必要がある。


 だが、今はそれよりも大事なことがある。


「話の途中ですみません」


 エリンは、ロアの話を遮った。


「俺から先に、お願いしたいことがあります」


 キョトンと不思議そうな顔をするロアに対し、エリンは一切臆さない。


 他人の言葉に呑まれることなく、己の意志を貫くべき瞬間は確かに存在するのだ。これまで、へらへら笑って流されるだけの生き様だったかも知れない。だが、やるべき時はやる。その時がなかなか来なかったというだけで、エリンは望んだものを手に入れるための覚悟はとっくの昔に済ませていた。


 だから、迷いはなかった。


 エリンは堂々と行動する。


 ロアに対し、そのすぐ近くまで歩み寄った。


「え、ちょっと……」


 真正面に詰め寄られたことで、ロアがびっくりしたように後ずさろうとする。


 エリンは逃さないように、彼女の小さな手をつかんだ。


「え、ええ……?」


 ロアは完全に戸惑ったような表情となる。


 エリンは気にしない。やるべきことをやる、それだけだ。


 彼女の手を取ったまま、ゆっくり膝を着く。


 誓いのポーズである、さながら女王と騎士のように。


「神さま」


 ロアは目を丸くして、口を半開き。


 ひたすら驚いた顔である。


 しかし、うやうやしく目を伏せたエリンは気づかない。


「俺は生まれてからこれまで、十七年間、無能力者ノッツ として過ごしてきました。弱者であることを受け入れ、夢も責任も捨てようとして来ましたが……本音を云えば、強くなりたかった。だから、お願いします。憐れみだろうと、気まぐれだろうと、なんだっていい。俺をあなたの従順なしもべとして選んでください!」


 誠心誠意、熱意を込めて己の想いをぶつける。


「お願いします! 許されるならば、俺はあなたにすべてを捧げます!」


「……その。えっと、ですね……」


 頭を下げたままのエリンに対し、ロアは歯切れが悪い。


 しばらく、沈黙と静寂が続いた。


「ど、どうしたら良いのでしょうか……?」


 ロアは天を仰ぎ、助けを求めるように小声でつぶやく。


 彼女にとって、これはまったく想定外の状況だった。


「こんなのマニュアルにない」


 ロアは人間ではない。

 だが、エリンが想像したような神でもない。


「わたし、ただのナビ役のNPCなんですけれど……」


 人でも神でもなく、彼女はNPC=ノンプレイヤーキャラクター。

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― 新着の感想 ―
[一言] 聞き様によっては、機械幼女に下僕志願しているれっきとしたHENTAIさん……そのような光景に見えますいえ見えました見ましたw
[良い点] 神の世界だと思ってる主人公と、ゲームの仮想世界と認識のナビNPCとのギャップが温度差が面白いです。 [一言] VRMMO教の誕生
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