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幕間 蜃気楼(1)

 見慣れない鳥が空高くを飛んでいた。


 黒く。

 大きく。


 なんだか不思議な鳥。


 夕焼けにバターみたいに溶けてしまい、その鳥はやがて見えなくなった。


 モノレールの車内は、静か。まばらな座席に同級生の彼女と並んで座りながら、唐沢大地は空を見ていた。


 高校からの帰り道。モノレールとバスを乗り継いで片道一時間以上もかかる学校をわざわざ選んだのは、地元からできるだけ離れたかったからだ。唐沢という苗字を名乗ってもピンと来る者がいないぐらい遠くに行きたかった。


 その目論見は成功し、半年前から付き合っているこの彼女も、大地の家族について何も知らない。


「ねえ……」


 彼女はしばらく顔を伏せていたけれど、急に口を開いた。


「どうして、こっちに来てくれないの?」


 大地は、彼女と手を繋いでいた。モノレールに乗る前から、ずっとである。


 スネたような口調には、大地の足りない所を責めるようなニュアンスもあった。せっかく付き合っているのだから、もっと近くへ――体も、心も、できるだけ繋がりたいというのはシンプルな欲求だろう。


 手は握っている。


 肩は触れ合っている。


 体温も、息づかいも感じられる。


 だが、足りない。


 もっと。もっと。


 彼女が云っているのはそういう事だけど、ただし、公共の場でこれ以上の物理的接触を望むという意味でもないのだ。大地が求められているのは、精神的な触れ合いの方である。


 今は、心が直に繋がる時代だ。


 現実で触れ合うよりも、VRMMOで共に過ごす時間の方に価値が見いだされる。


「降りるね。じゃあ、また」


「ああ。また、今晩」


 最寄り駅に到着し、彼女は去って行く。


 一人きりになった大地は、改めてモノレールの車内を眺め回した。


 思わず、眉をひそめる。見慣れた光景ではあるものの、嫌いなものは嫌いだ。深夜の繁華街のようにたくさんのコマーシャルが所狭しと輝いていた。他の乗客の身体にも時折重なりながら、半透明のホログラムが車内を動き回っている。


 大地は一度、しっかりと瞳を閉じた。


 コンタクトレンズ型のデバイスをそれでオフにする。


 目を開いた時には、モノレールの車内はのっぺりとした白一色に変わっていた。虚空に浮かび上がるような広告のすべては、この現実を鮮やかに塗り替えるAR(拡張現実)だった。


 大地はもう一度、空を見る。


 空は良い。


 人間の手でベタベタ汚されていないからだ。


 企業の広告で埋め尽くされた空を想像してみるとゾッとする。既に、地上に逃げ場はないのだから。デバイスが通信状態になると、この世界は途端にARのお陰で窮屈になってしまう。


 大地はしばらく空を眺めていたが、今度は鳥を見つけられなかった。


 あの鳥はどこまで飛んでいったのだろうか。


 視線を車内に戻し、無意識に通信状態をオンにする。車内を彩るARの一部が先程までの広告から変化しており、ニュース速報を伝えていた。


 ニュースの内容は、仮想世界について――。


 VRMMO〈クロス〉のミリオンレイドの結果を伝えるものだった。


 HMDヘッド・マウント・ディスプレイの進化と共に、ARが世界の在り方に一石を投じたのは事実である。


 ただし、それは結局、人類が現実と虚構に新たな境界線を引いていく中での過渡期に過ぎなかった。現在ではAR以上の可能性を持ったVR(仮想現実)が、リアルなこの世界を丸ごと飲み込んでしまっている。


 大地は鞄からコネクタを取り出す。


 前時代の携帯電話にも似た小型ツールである。


 やはり携帯電話のように、それを耳元に当てる。


 ARを排除すれば、モノレールの車内は葬儀場のように静まり返っていた。車内にいるものは皆、一人の例外もなく、大地と同じようにコネクタを耳元に当てている。そして、眠り込んだように顔を伏せている。


 彼らはここにいる。


 だが、ここにはいない。


 大地の彼女も、そうだった。


 手を繋ぎ、リアルの触れ合いを求める一方で、それ以上に繋がる場として仮想世界を選択する。


 コネクタで補助すれば、誰だって、何処からでも、自由自在に仮想世界に入り込める時代なのだ。勉強だったり、仕事だったり、仮想世界で済ませられるのにまだまだリアルに縛り付けられたままの物事も多い。しかし、メディアの発表によれば、余暇の時間を仮想世界に割く割合はあらゆる年代でどんどん伸びているらしい。


 モノレールの車内。


 大地以外に空を見る者はいない。


 ARのコマーシャルを見る者もいない。


 下校中の学生も、買い物帰りの老婦人も、仕事終わりのサラリーマンも、全員が一人残さず仮想世界に入り込んでいる。


 大地もまた、瞳を閉ざした。


 耳元で、コネクタがチープな起動音を鳴らす。次の瞬間、閉ざした視界だけでなく、すべての五感が滑り落ちるようにブラックアウトしていく。この一瞬が大地は苦手だ。これを快感と認識する者の方が世間的には多いそうだが、生理的に受け付けないものは仕方ない。


 姉は、どうなのだろうか。


 現実から仮想世界に飛び立つこの一瞬を、大地のように喪失と感じるのか、それとも、解放と感じるのか。


 姉は、トッププレイヤーである。


 現代におけるVRMMOのトッププレイヤーと云えば、それだけで食っていける人気職業だった。子供たちへのアンケートでも、メジャースポーツのプロ選手以上に憧れの対象となっている。


 家族にトッププレイヤーがいるなんて、それだけで凄いことだった。


 大地自身は別に何者でもないのに、中学生の頃、姉がトッププレイヤーとして高みに上り続ければ続ける程に、すごいすごいと、周囲からバカみたいにチヤホヤされたものだ。


 最初は良かった。


 実を云えば、姉がVRMMOにのめり込み始めた時には、重たい荷物を降ろしたような気分で、脳みそが溶けたみたいに楽観的になっていた。姉の面倒をもう見る必要がないことにホッとする。そして、姉のおかげでオイシイ思いができるようになったことに浮ついていた。


 もちろん、今はもう違う。


 大地は浮かれていない。地に足を着けているつもりだ。


 姉は、トッププレイヤー。


 強くなり、強くなり、強くなり――いつの間にか、誰の手も届かないような高みに行ってしまった。凡人たる大地はもちろん、彼女に手を伸ばそうなんて考えない。ただ毎日、遠くから眺めるだけだ。


 姉の名前は、唐沢星座(オリオン)


 プレイヤーネームは、カラサワ。


 苗字をそのままプレイヤーネームにしたのは、両親のネーミングセンスに対する抗議と皮肉だろう。


 まあ、さすがに、星座オリオンという名前は弟から見てもキツいと思うので仕方ない。しかし、姉がそんな風に真っ向から中指を立てたせいで、大地は親の顔色をうかがいながら、プレイヤーネームをダイチとごく普通に登録するしかなかった。


 もしかすると、命名の時点で、二人の間には距離が生まれていたのかも知れない。遠く、絶対に埋まらない距離というものが。


 カラサワ。


 自分の苗字でもあるのに、他人のようだ。


 その二つ名は、〈蜃気楼〉。


 最高であり最強であり、最悪でもある七人のトッププレイヤー〈七廃人〉。その一人である〈蜃気楼〉カラサワは、大地の姉であり、赤の他人のように遠い人。


 仮想世界にログインした後、大地はフレンドコールでメッセージを送ってみた。


 おめでとう、と。


 素朴に、ミリオンレイドの勝利を祝う。


 しかし、当然のように姉からの返事はなかった。

9月はお休みをいただきました。


主人公エリンの物語、その本筋からは外れたこの〈幕間〉パートに関しては、更新お休み中にチョットだけ投稿して済ませるつもりだったのですが、なかなか手を付けられずに10月までズレ込んでしまいました。反省。


ぼちぼち、更新していきます。


ちなみに、本作と密接に繋がる『THE FIFTH WORLD』という過去作品の再掲載(再連載)を始めましたので、よければご一読ください。それでは、引き続きよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 来た!蜃気楼のエピソードは嬉しすぎる! 蜃気楼の前日譚の話もすごく好きだったので、こっちも楽しみにしています! [一言] ようやく追いついた! 今までこの作品の連載に気づいていなかったとは…
[一言] 待ってました!応援してます!
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