第4話 はじめての戦い(11)
エリンの左手から、紫色に輝くレーザーが放たれた。
怨、と。
地の底から泣きわめくような発射音。
それは光線でありながら、毒の飛沫のように異臭を放ち、暗い輝きの中に亡者の顔と手が浮かび上がる、おぞましき邪悪の攻撃だった。
レッドアリアの直上から、特別スキル〈デスレーザー〉は滝のように降りそそぐ。
完全なる不意打ち。
カラサワが異常事態に気づき、回避行動を取ろうとした時にはもう遅い。仮想世界で最速のプレイヤーだろうと、当たってしまえばすべてはもう手遅れだ。
『こ、これは……!』
胸部のコックピットにいるカラサワは、レッドアリアの悲鳴にも似た計器のアラート音を聞いていた。
プレイヤーてあるカラサワに対し、その乗機であるレッドアリアは、広義の分類では彼女所有のアイテムという扱いだ。普通ならばシステムウィンドウで確認するべきその耐久値は、コックピットの計器でもチェックできるようにアイテムクリエイションで作り込まれている。
レッドアリアの各部位の耐久値がレッドゾーンに突入していた。
元々、ミリオンレイドでの三日三晩の激闘を経て、耐久値はいずれの部位も半分を下回っており、さらにエージェントたちと小競り合いを繰り広げたせいで、これ以上の戦闘は危険なレベルまで消耗していた。
そんな所へのクリティカルヒット。
特別スキル〈デスレーザー〉は、まさにカラサワが最も忌み嫌うべき性質を有していた。
装甲が、溶ける。
巨大ロボットを形作る特別製の金属だろうと、特別スキル〈デスレーザー〉は容赦なく腐らせていく。
それだけの効果を発揮しながら、カラサワ自身にはダメージがない。プレイヤーではなく、その身に着けるアイテムを破壊することに特化した特別スキル。巨大ロボットというアイテムを駆使する、仮想世界で唯一無二の戦闘スタイルのカラサワに対しては、まさしく最悪の相性のスキルだった。
死と腐敗を撒き散らす怪光線。
そんな禍々しきものをぶっ放した張本人は、神々しい光の円環を伴い空に浮かぶ。
ふわり、と。
エリンはやがて重力に身を任せた。
特別スキル〈飛行〉のタイムリミットが訪れて、足元の円環が消失する。そのタイミングは視界の片隅に浮かぶシステムウィンドウのカウントダウンでわかっていた。そのまま自由落下が始まるも、エリンは慌てず、敵にとどめを差す、そのための意識だけを研ぎ澄ませていた。
頭を、下に。
逆さまに、エリンは落ちる。
反転した状態で、真夏のゆきだるまみたいに溶けるレッドアリアをにらみつけた。
両手はまだ、〈小手〉のモード。
エリンはイメージした。
ここから、トドメの一撃を繰り出すのに最も適した武器はなにか。
機械アームの両手が、ゆっくり十六色のドットに覆われていく。
ピコピコとチープな効果音が、エリンの思考にまるで相槌を打っているようだ。イメージが固まると、胸元の〈バッジ〉がキラリと輝く。ドットのエフェクトはフィナーレを告げるように大きく舞い上がった。
落下の勢いはいつしか相当なスピードで、切り裂くような風に乗り、ドットは紙吹雪のように彼方まで流れ去って行く。
エリンの手に残ったのは、巨大な槍。
真下に向けて、両手で構えた。
先端はさながら、海の主のような巨大ザメ。突き刺すよりも、叩き潰す方が似合いそうな鈍重なフォルムだったが、構えを取った所でそれは目を覚ましたかのように攻撃形態に変化した。
爆ぜるように、全体が細かく分離。
パーツは一定間隔を保ったまま浮かび、隙間を埋めるようにビームの膜が形成される。まるでパラソルのようで、エリンは風圧から守られ、その一方で槍の先端から空気は裂かれ、落下速度はますます勢いを増した。
モード〈バーサルランス〉。
通常の槍とは異なり、一点突破の爆発力を高めた必殺形態。現状のエリンが生み出せる最大威力のダメージは、このモードによるクリティカルヒットだった。
カラサワは、既にエリンの行動に気づいている。
直上からの特別スキル〈デスレーザー〉で、レッドアリアの頭部と肩部の腐食はことさら激しい。レーダーアンテナもアイカメラも、何もかも溶け落ちている。
首も、外骨格の一部がどうにか繋がっているだけの状態だった。
内部構造の剥き出しになったロボットの顔面は痛々しく、それでも雄々しく、トッププレイヤーの意地でカラサワは叫んだ。
『メインカメラをやられたぐらいで……!』
崩れ落ちかけるレッドアリアは、右手のレーザーライフルを天に突き出すように構えた。
限られた視界、闇の中、彼女は最後の攻撃に転じる。
『ラストシューティング』
真上に放たれた極大のレーザーが、落下状態で避けるすべのないエリンを飲み込む。
アイテム:旧神撃滅兵装使用許可之〈証〉
付与能力:鋼の魂
[ライフが尽きた際、三度までライフが全回復した状態で復活する]
[特別スキル〈愛〉を使用可能になる]
命を賭ける、それは文字通りの意味で。
エリンは臆さない。
死ぬのは覚悟の上だ。
最期の時まで、笑い飛ばしていく。
三度まで死んでも大丈夫――ロアがあっさりとエリンに告げたのは、そんなバカバカしい言葉である。死んで復活するのを何事もないように語るなんて、思わず正気を疑いたくなった。
神の加護。
それは本来、人間の常識を外れたもの。
神と人は隔絶されている。異なる存在。神は人間が理解できる事柄の外に立っている。この世の当たり前が通用しない、なぜならば、そもそもの当たり前が全然違うのだから。
命ひとつの扱い方が違っても、それも当然――。
否。
エリンはもう、そんな風に盲目的に自分を誤魔化せなかった。
死者の復活。
失われた命を取り戻すという、定命の者たちが思い描く最大の奇跡は、エリンの生まれ育った異世界においても叶わぬ奇跡のひとつでしかない。
無数の人々がこれまで神々に強く望んできた。だからこそ、逆に、それが絶対に叶わぬ願いであることが証明されてしまっている。
古今東西、生と死と神々にまつわる伝承や逸話は数あれど、そのすべては悲劇として語られている。この世の道理を捻じ曲げる神々も、生と死には手を出さない――あるいは、手を出せないのだ。
エリンは既に二度、そんな起こるはずのない奇跡を体験している。
そして、ロアの言葉を信じるならば、三度目もあるらしい。
理解できない物事は、神々のせいだ。それはパニックを回避する最善の思考法だったが、同時に考えることを放棄しているにも等しかった。エリンは今、神々を言い訳にすることをやめて、自分の中で答えを探し始めている。
考える間にも、自由落下は続いていく。
敵が目の前に迫らんとしていた。
カラサワのレッドアリア。
たった十七年生きただけの若輩者の知識に過ぎないと自覚しつつも、エリンが生涯見てきたどんな化物、偉人、傑物、英雄よりも遥かに強大である。
それは、もしかすると――。
神にも等しきもの。
「それならば、俺は……」
神のごときものに刃を向ける自分は何者か。
この世界はなんだ?
この敵はなんだ?
この手にある力はなんだ?
あらゆる疑問に対する問いかけと、それらを拒絶してしまいたくなる己の内なる叫びが同時に聞こえた。
そして、静寂。
何もわからない。
ただ、ひとつだけ。
エリンは、真っ白なカンバスのような自分自身に、たったひとつ描かれるものに気づいた。
「強くなってやる」
世界を救うぐらいの力が欲しい。
この手にあるものが、エリンのたったひとつの武器だ。
それは、純粋なる力。
神のごとき――。
否。
それは、神を超える力。
エリンは前だけを見据えた。
カラサワの最後の抵抗である極限の射撃が迫り来る。天すら貫くだろうレーザーの中へ、エリンはまばたきもせずに突入する。
瞬間、身体は崩壊を始める。
焼かれ、砕かれ、塵となり、塵すらも蒸発していく。細胞のひとつすら残らない、完全なる存在の消失。五感が失われてく。世界を感じ取る方法のすべてを失ってしまい、束の間、エリンは完璧な無というものを味わった。
虚無の世界で、エリンはそれでも笑った。
臆さない。
迷わない。
ただ、勝利のため。
笑って、前へ。
エリンの身体は一瞬で再生を始めた。バーストランスを握る指先から、徐々に失われた感覚を取り戻していく。ライフは全快。この状況下で、エリンは今こそ万全となる。
残機ゼロ。
次は、本当に死ぬ。
しかし、これでようやく手が届く。
あまりにも大きく、あまりにも強く、自分とは存在のスケールが違うと一目で悟ってしまうレベルの強敵。無能力者であり、弱者として生きて来たエリンには『戦う』という選択肢すら本来選べないような相手だ。
反逆の一撃。
最弱が、最強に。
楔を打ち込むように、バーストランスはレッドアリアを深く突き刺した。問答無用のクリティカル。止まらない。頭部を粉々に打ち砕き、そのまま胸部を縦に貫いていく。
最後は、腹部のコア。
槍の切っ先が当たり、激しく火花が散った。
「最大出力だ! 砕け散れ!」
咆哮と共に、エリンは反射的に特別スキルを〈飛行〉を再起動していた。光の円環が後押しするように出現し、それをグッと蹴り込んだ。
コアが砕ける。
そのまま勢い余ったエリンが地面に顔面から突っ込んで悲鳴を上げるのと、レッドアリアが爆炎を吹き上げるのは同時だった。
そしてまた、胸部のコックピットから一人のプレイヤーが飛び出してくるのも同時だった。
緊急脱出装置をぎりぎりのタイミングで作動させたカラサワは、ほとんど爆発に吹き飛ばされるような格好で宙を舞っていた。
くるくると、キリモミ回転。
彼女もまた、エリンと同じく顔面から地面にダイブした。




