第4話 はじめての戦い(5)
ユニークアイテム〈バッジ〉の現在のモードは、〈片手剣と小盾〉。
先程のエージェントたちとの小競り合いで、エリンはユニークアイテム〈バッジ〉が状況に応じたスタイルの武器を生み出してくれることは既に理解済みである。その上で、まるで〈バッジ〉の各モードに適応するように、エリン自身の身体感覚にも大きな差が生じることにも気付いていた。
ゲームシステムとしての、装備によるステータス補正。
戦斧では、かつてない腕力と握力を発揮できた。
機械弓では、神経が鋭敏となり、遥か遠くまでクリアに見渡せた。
例えば、剣と弓では戦い方がまったく異なるのは当然だろう。どのような武器種を選択するかは、プレイヤーの戦闘スタイルを決める第一歩目だ。そして、それぞれの武器種にふさわしい戦い方は自ずと決まってくるため、必須となるステータスには上昇補正が掛けられる仕組みになっていた。
仮想世界をゲームとして楽しんでいるプレイヤーには当たり前のシステムのひとつに過ぎない。
だが、エリンはVRMMOという異次元のリアルを何もかも肌感覚で覚えようとしている。
片手剣と小盾を構えながら、思いっきり一歩目を踏み出した。
巨大なる敵の間合いは、それだけ広い。
さらに云えば、敵の獲物は銃である。
エリンの片手剣の間合いまで、彼方のように遠い。
だからこそ、全力の突撃。
急加速。
踏み込んだ足がアスファルトの地面をえぐり、一瞬、上体がグンッと仰け反った。
自分の歩みに、自分自身が吹き飛ばされる。
そんな風にも錯覚する一瞬。
だが、次の瞬間には、エリンは戸惑いを捨てていた。
モード〈片手剣と小盾〉のステータス補正を受け入れ、エリンは即座にそれに対応する。戦斧と機械弓を扱った時と同じく、己の身体とは思えない身体感覚をぎりぎりの所でコントロールしていく。
速い。
人間には到達できない速さ。
どう足掻いても手が届かないと思えた間合いの内まで、エリンは一気に踏み込んだが――。
『遅い』
カラサワが、エリンの背後に立っていた。
エリンの正面を見据えた視界には、巨大ロボット〈レッドアリア〉のブースターが吐き出したエネルギーの残滓だけが輝く。耳が捉えたのは、レーザーライフルの充填音。振り返る余裕もなく、我が目を疑ったままのエリンがまばたきする次の瞬間には、たぶん死ぬ。
カラサワのレーザーライフルに再び撃ち抜かれることを、エリンは覚悟した。
だが、そうはならなかった。
「〈叡智を統べし、天に謀反せし者。胡乱なる地表をその爪で裂け〉Ⅳ系・サンダー」
カラサワに戦いを挑むのは、エリン一人だけではない。
絶妙のタイミングで放たれたのは、雷魔法。
前世紀からの伝統に従い、VRMMO〈CROSS〉でもメカニカルなモンスターや装備の弱点属性は〈雷〉である。
レンフェロが、双剣〈パロポロム〉を構えていた。
攻撃魔法を司る右手の黒剣には、魔力の輝きが宿っている。
「ご存知とは思いますが、〈蜃気楼〉。今の私は、魔法使いです」
実の所、レンフェロがカラサワとやり合うのはこれが初めてではない。
わざわざ数えるのも馬鹿らしくなるぐらいの頻度で、彼はこれまで幾度も〈七廃人〉と刃を交えている。〈七廃人〉は問題行動を起こしがちなトッププレイヤーの筆頭だ。仮想世界のあらゆるトラブルに対処するための実働部隊であるエージェントは、彼らを実力行使で止める役目を云い渡されることが多かった(もちろん、力ずくで〈七廃人〉を止めろと云われても成功するかは別問題として……)。
そうした事情で、レンフェロとカラサワは顔なじみである。
良くも悪くも、互いに手の内は見えている。
『最初からその双剣を抜いているとは珍しいね』
双剣〈パロポロム〉は、最上位レアリティであるプライマル級のアイテム。
レンフェロの奥の手である。
彼は普段、短刀の二刀流スタイル。速攻型の前衛アタッカーである。それが一転して、双剣〈パロポロム〉を装備した時だけは魔法型の後衛コントロールとなる。
「〈詠唱破棄〉Ⅳ系・サンダー」
エージェントは運営側の一部である以上、最新情報や知識の豊富さという点ではトッププレイヤー以上のものを持っている。
特にベテランであるレンフェロが、敵の弱点属性を突くという基本中の基本を外すわけはない。
レンフェロの右手にある黒剣に魔力が充足されていく。詠唱と共に虚空に描き出されるのは魔法陣。その中心に〈パロポロム〉の黒剣が突き刺されると、貯まっていた魔力は雷の属性に変化し、〈Ⅳ系・サンダー〉として解き放たれる。
地表を這うように突き進む野太い雷光。
一発目は、巨大ロボット〈レッドアリア〉の頭部を叩き、エリンを狙ったレーザーライフルの発射を寸前で食い止めた。二発目は、レーザーライフルそのものに狙いを付けている。
「ミリオンレイドで相当消耗していることは知っています。実弾系の装備はもう既に最初から空っぽの状態。ロアを捕まえているその状態では、パイルバンカーも使用不可でしょう。つまり、レーザーライフルだけ叩き落としてやれば、あなたの攻撃手段はなくなる」
『正解。だけど、ねえ……』
雷光の速度に対して、カラサワは当然のように告げる。
『遅い』
Ⅳ系・サンダーが、カラサワのレーザーライフルを捉えるかと思われた瞬間、巨大ロボット〈レッドアリア〉の姿はその場からかき消えた。サンダーは対象を失い、周囲のビルを突き崩すだけに終わる。
攻撃失敗。
それを悟ると同時、レンフェロは流れるような動きで背後を振り返りながら、双剣を突き上げる。
果たして、瞬間的に真後ろに迫っていた〈レッドアリア〉のレーザーライフルを弾き飛ばす恰好になった。
「相変わらず、デタラメなスピードですね」
『これだけが取り柄さ。当たらなければどうってことない、ってヤツだよ』
レンフェロが間合いを離そうと、勢いよくバックステップ。
だが、次の瞬間には、バックステップしたその先で〈レッドアリア〉がレーザーライフルを構えている。敵の行動を見てからでも、余裕を持って先手を取れるスピードの持ち主。カラサワと戦う相手は、常に後手に回ることを強いられる。
『レン君はエージェントの中でも厄介だからね。逆に云えば、君さえ先に倒せば後は楽勝だよ』
「舐めるな! レンフェロ先輩だけじゃねえぞ」
タイミングを見計らっていたかのように、急襲するのはヒッグス。
「腐っても、俺もエージェントだ」
レンフェロに注意が集中しているのを好機と見て、レーザーライフルを叩き落とそうと間合いに踏み込んだが――。
『まあ、そう来るよね』
読まれていた。
カラサワはやはりその場から瞬間移動のように消えると、充填済みのレーザーライフルをヒッグスの背後から突き刺した。ライフルと云っても、巨大ロボットの装備品である。体格差から、まるで鉄柱を叩きつけられるようなものだ。
ヒッグスは叩き潰され、地面はひび割れる。
銃口の先で押さえつけられて、ピクリとも動けない。
『まず、一人』
ゼロ距離から放たれるレーザーは回避不可。
ヒッグスは死を覚悟する。
だが、発射の瞬間、レーザーライフルが弾かれた。
レーザーの弾丸はヒッグスの右肩から先を消し飛ばしたものの、ライフのすべてを削り取るだけのクリティカルヒットにはならなかった。攻撃直後のわずかな隙を見出して、ヒッグスは血を流しながらカラサワの拘束から抜け出していく。
『……おやおや?』
カラサワは、飛んできた攻撃の方に振り返る。〈レッドアリア〉のゴールドのアイカメラが捉えたのは、大型の機械弓を構えたエリンの姿だった。
『剣士ではなかったのか? その武器は……?』
エージェントたちと違い、カラサワはユニークアイテム〈バッジ〉の秘めたる能力をまだ一度も見ていない。彼女がビルの屋上に来襲した際には、エリンはモードを〈片手剣と小盾〉に変えており、これまでそのスタイルで戦闘を行っていた。
ドットが桜吹雪のように舞う。
十六色で構成された小さな粒子が機械弓を覆ったかと思えば、それは回転する刃を持った戦斧に変化する。
『モードチェンジ。これはまた珍しいタイプの武器種だけど、さすがユニークアイテムと云うべきか』
カラサワはユニークアイテム〈バッジ〉に大いに興味を惹かれた様子だったが、そのままエリンにばかり気を取られることなく、再び、かき消えるように移動した。
レンフェロは、カラサワの意識がエリンに向いた瞬間を見逃さず、雷魔法の詠唱を開始していた。
おそらく、それは最適な行動。
だが、カラサワのスピードは他者の最善をあっさり上回る。
『もう一度、チェックメイト』
レンフェロの後頭部に、レーザーライフルが突き付けられた。
「俺を無視するなよ!」
巨大ロボットのアイカメラに見据えられても、臆することなく突き進んでいたエリン。戦斧の間合いに踏み込んで、大上段に振りかぶる。レンフェロに突き付けられたレーザーライフルを叩き斬ろうとするが、カラサワは体勢を素早く変えて、銃口をエリンの眼前に向けた。
『引っかかったね。甘いよ』
胸部のコックピットから、にやりと笑う声。
『じゃあね、バイバイ』
放たれる光の奔流。
再び、エリンは全身を貫かれた。
焼かれ、皮膚から筋肉、内蔵のひとつひとつに至るまで、何もかも消失していく感覚に襲われるが――それでもなお、エリンは前に突き進んだ。
『なに?』
初めて、カラサワが戸惑いの声を漏らした。
巨大ロボット〈レッドアリア〉のアイカメラには、対象のステータス等を分析する能力が付与されている。ライフの残量も読み取ることができた。カラサワは確かに、レーザーライフルの一撃でエリンのライフが尽きるのを確認していた。
所詮は、初心者プレイヤー。
ユニークアイテム〈バッジ〉の恩恵があっても、最強のトッププレイヤーである〈七廃人〉のクリティカルな一撃に耐えられるはずもない。
カラサワはそう考えていた。
事実として、エリンは死んだ。
だが、今まだ、生きている。
『……〈ガッツ〉系統のスキルか?』
死亡時に発動する防御・回復系のパッシブスキル。
発動条件や効果には様々なバージョンがあるものの、オーソドックスな所では『ライフが尽きるダメージを受けたとき、一度だけライフが〈1〉の状態で耐える』という効果が有名である。
エリンのライフは確実に一度尽きた。
その状態から、ライフがいきなり全快したのをカラサワは目視している。
塵になりかけた身体もそれで元通りである。
『さすがはユニークアイテム。付与能力も普通じゃないか』
仮に〈ガッツ〉系統のスキルだとして、カラサワのレーザーライフルが直撃するのはこれで二回目である。一度発動したら、丸一日程度のクールタイムが発生するのが普通である。その点でも、ただの〈ガッツ〉系統のスキルにはない性能をしていることが推測できた。
『まあ、いいや。何度でも殺す』
カラサワはレーザーライフルを再び発射しようとするが、それよりもエリンが戦斧を振り下ろす方が早かった。ロアを握りしめたままの巨大な左腕。その手首から先を叩き斬ろうと、全力の一撃が加えられる。
ダメージはあった。
だが、浅い。
装甲に傷跡を残すだけの成果はあったものの、ロアを解放するには至らない。もう一撃を加えたぐらいでは無理だろう。たった一発を当てるだけでこの苦労である。単純なダメージの蓄積で勝機を見出すのは難しい。
レンフェロが雷魔法を放つ。挟み込むように、片腕を失う程の大ダメージを負ったままのヒッグスが詰め寄る。
カラサワは一瞬、どちらを狙おうか考えたようだ。
結局、驚異となり得そうなレンフェロを先に片付けるべきと判断したらしく、そちらに銃口が向けられた。
「〈癒やしであり滅び。慈悲無き平等なるもの〉」
それは、一瞬の隙。
エリンは見逃さなかった。
戦斧による全力の一撃でも大したダメージを与えられなかったことで、カラサワの攻撃の優先順位からエリンは除外されたらしい。ユニークアイテムを所持していると云っても、やはり初心者プレイヤーである。ゲームの常識としても、現在の局面で警戒すべきはエージェント二人の方になるのは当然だった。
結果として、それがエリンのチャンスとなった。
「〈その鉄槌は万物万象を砕く〉」
エリンは、魔法の詠唱を行っていた。
敵であるカラサワはもちろん、エージェントの二人も思わず振り向く。コンマ数秒の油断が命取りの極限のバトルで、それは本来あり得ない行動だったが、さらに、彼ら三人はまったく同時に驚愕の叫び声まで上げていた。
「そんな馬鹿な。その魔法はありえない!」
「嘘だろっ? おいおい!」
『冗談だよね……。初心者プレイヤーが〈時間魔法〉を?』
トッププレイヤーとエージェント。
VRMMO〈CROSS〉にこれ以上なく精通する者たちだからこそ、エリンが何をやろうとしているのか、それがどれだけ常識はずれか、詠唱の始まりを耳にしただけで理解できてしまうのだ。
魔法には一定の習得条件がある。
八属性系統〈炎魔法〉〈氷魔法〉〈雷魔法〉〈風魔法〉〈土魔法〉〈水魔法〉〈樹魔法〉〈鉄魔法〉は、特定の基本スキルや基本職業を解放することで入手可能。これらは基本にして王道の魔法系統である。魔法使いスタイルのプレイヤーやNPCの九割以上は、この八属性系統の使い手である。
存在は知られているが、使い手が比較的に少ないのは〈光魔法〉〈闇魔法〉。
八属性系統に〈光魔法〉〈闇魔法〉まで加えて、これを〈基本の十系統〉とする考え方も存在した。
何にしろ、これら十種類以外の魔法系統は非常に珍しい。
例えるならば、ユニークアイテムのようなものだ。
望んで手に入るものではない。
ランダム性の高いイベントを通じてのみ、習得が可能となる。
エリンは騒然とする周囲の空気もお構いなし、己の脳内でかすかに鳴っている何かを感じ取るのに集中していた。エリンは自分が何をやっているのか、漠然とした感覚でのみ理解している。まるで夢の中にいるみたいで、知らない歌を知らない誰かに教えられているみたいだ。
ぎこちなく、紡ぐ。
それは、〈時間魔法〉。CROSSの広大なる仮想世界でも、指折り数える程度にしか使い手が存在しない幻の魔法系統である。
「〈時の加速〉ⅰ系・オールド」
エリンの手には、心臓部の浮遊する機械仕掛けの魔法杖。
戦斧から素早く変化済みだった。
虚空に浮かび上がる魔法陣に向けて、エリンは叩きつけるように杖を振り下ろす。渾身の叫び声と共に、人生で初めての魔法が解き放たれる。




