第3話 ユニークアイテム〈バッジ〉(1)
転移門による移動にはタイムラグがない。
仮想世界の何処にでも空間を繋ぎ、一瞬で移動できる。
今回のミリオンレイドの戦闘領域に選ばれたのは〈大阪:万国博覧会(1970)〉だったが、ロアの手で転移門に押し込まれたエリンは、気がつけばまったく別の場所に飛ばされていた。
本日何度目かの落下。
幸いなことに、今回の転移先は空中ではなかった。
ゴツン、と――。
ほんのちょっとだけ落ちた。
寝返りを打ったらベッドから落ちてしまった時ぐらいの痛み。
「地味に痛い」
エリンがたどり着いたのは、どこかのビルの屋上だった。
周辺にも高層ビルが立ち並ぶが、エリンの居るビルが一番大きいようだ。
立ち上がり、ぐるりと四方を見渡してみた。
異世界生まれ、異世界育ちのエリンには見慣れない街並みが広がっていた。大地を覆い尽くすアスファルトの舗装路、蜘蛛の巣のように張り巡らされた電線、毒々しいネオンの輝き――。
何処までも果てなく、漆黒の摩天楼。
空が血塗られたように紅かった。墨を流したような黒雲。灰色の三日月がニヤニヤ笑っていた。空気も冷えており、夜の墓場のように静か。どれだけ耳を澄ましても、生けるものの息吹が聞こえてこない。
「え、なに? 不気味過ぎる。ここは地獄か……?」
何が起きても、神の仕業であり――。
動揺するよりも、ありのままを冷静に受け止めるべき――。
エリンは生き抜くコツとしてそんな風に心得ているが、さすがに目まぐるしい変化の連続に頭が追いつかなくなっていた。
――現在地〈新宿:東京都庁(1991)〉
エリンの視界の隅に、システム表示がいきなり浮かび上がる。
しかし、異常な状況が続いたため、もはやこの程度では驚かなかった。
システムウィンドウ。
仮想世界における基本機能のひとつ。
ゲームとしての情報を確認するための総合ツールでもあるシステムウィンドウは、プレイヤーの意思ひとつで呼び出し可能(何らかの通知がある場合は自動的にポップアップされる)。
半透明の輝き、実体なきホログラム。
虚空に描き出されるシステムウィンドウに対しては、音声操作か、あるいは指先で直接触れることでも操作できる。
エリンはなんの説明も受けていなかったが、目の前に急に出現したシステムウィンドウに手を触れさせる。それ自体は虫を追い払うような反射的な行動だったものの、結果としてシステムウィンドウを操作できることがわかった。
「これも、神さまの何かか……?」
エリンは慌てない。
すべてを受け入れようと、堂々としていた。
まあ、実際の所、大きな器の持ち主であることをアピールしたい訳ではなく、ただ単純に、理解不能な出来事のオンパレードで疲れ果てていたというのが正しい。
あれこれ難しく考えるのが、もはや億劫になっていた。目の前のよくわからないものに対しても、触れるのだから触ってみようという乱暴な判断で手を触れさせていく。
システムウィンドウの中心には、黄色く点滅する『大切なお知らせ』という文字があった。
わかりやすく存在を主張しているその部分に、エリンは試しに触れてみる。
――おめでとうございます。
頭の中、いきなりファンファーレが鳴り響く。
「うわ!」
遂に、幻聴でも聞こえ始めたのかと思った。
エリンは正気を確かめるために頭をポンポン叩いてみる。それから、両耳を手で覆ってみた。ファンファーレはそれでも消えない。頭の中で鳴り響いている。
「うーん、寝る時に困るな。これはうるさい」
幸いにして、十秒ぐらいで音楽は止まった。
メッセージにさらに触れていく。
――あなたはユニークアイテムを獲得しました。
――あなたの獲得したユニークアイテムは、ミリオンレイドボス〈オメガ〉から創造されました。
――ユニークアイテムが新たに創造されたことについては、ワールドタイムの次の日付更新の際にすべてのプレイヤーに告知されます。なお、あなたのプレイヤーネームは公開されません。
――ユニークアイテムを獲得したことで、他のプレイヤーから悪質な行為を受けたという事例が報告されています。何か問題が起きた場合は、最寄りのエージェントNPCを検索するか、運営事務局にお気軽にご相談ください。
――ユニークアイテムは仮想世界に唯一つしか存在しません。
――仮想世界で唯一人、これはあなただけのアイテムです。
――どうか大切にしてください。
メッセージはそこで終了する。
そして、システムウィンドウの表示が切り替わった。
――ユニークアイテム〈バッジ〉がインベントリに収納されました。
――このまま装備しますか?
>>> はい
>>> いいえ
インベントリとは、アイテムの収納空間のことである。
仮想世界では、リアルの様々な不便や不都合をゲーム的な手法で解決している。何かとたくさんのアイテムが必要なVRMMOで、現実みたいに鞄を背負ったり、手で抱えたり、そんな風にアイテムを持ち歩くのはあまりに大変だ。
インベントリがそうした煩わしさを解決してくれる。
プレイヤーがシステムウィンドウから所定のコマンドを選択すると、インベントリに通じる空間の穴が出現する。そこに手を突っ込めば、所有するアイテムを自由自在に取り出すことが可能だった。また逆に、同じやり方でインベントリにアイテムを放り込むこともできる。
見えないし、普段は触れることもない。重さもない。
世界の裏側で、プレイヤーにぴったり付いてくるタンスのようなもの。
インベントリは仮想世界に欠かせない便利な基本システムのひとつだった。
――このまま装備しますか?
>>> 【はい】
エリンは何となく、肯定の選択肢を選んでいた。
指先が【はい】というボタンに触れた瞬間、システムウィンドウは視界の片隅に折り畳まれるように小さくなって行き、代わりに、エリンの目の前には光が渦を巻いたような不思議な何かが出現した。
それはインベントリに通じる空間の穴である。
エリンはゆっくり指先から、光が漏れ出して来る部分に片手を入れていく。
抵抗感もなく、スムーズ。
むしろ、最初は何も手応えがなかった。
思い切ってグッと手を伸ばせば、指先が何かに触れる。
硬い。
金属の何か、である。
しっかり握りしめて、エリンはインベントリから手を引き抜いた。
「バッジ?」
システム音声が先程、ユニークアイテム〈バッジ〉とその名称をはっきり告げていたし、エリンもそれはちゃんと覚えていた。
文字通り、バッジである。
黒金の光沢ある質感。
全体は丸く、真ん中にイエローの十字のデザインが入っている。
エリンの十七歳男子にしては小さめの掌にも十分収まるぐらいのサイズで、服の胸元や袖に付けていても、そこまで目立つものではないだろう。
「うん。ただのバッジだな」
子供のおもちゃのようなチープさはないものの、バッジはバッジである。
なんだか大げさな感じで手に入ってしまったが、エリンはなんの変哲もないバッジをどうして良いのかわからず、掌の中で転がしながら途方に暮れた。
「もしかして、また神遺物なのかな?」
ダンジョンの地底湖で手に入れた〈VRMMO専用ヘッドギア〉。
その後に起こった数々の出来事から、エリンはあれが異世界の神の加護が宿ったアイテムである神遺物と思い込んでいた。
エリンは悩んだ末、とりあえずバッジを身に着けておくことにする。
左胸のポケットあたりに取り付けようとするが――。
「ん? どうやって付けるんだ、これ?」
バッジの裏側にはピンが付いていない。
エリンは首を傾げるが、何気なくバッジを衣服に押し当てると、それはそのままピタリと吸い付いた。
「え、どういうこと?」
手で叩いたり、引っ張ったりしても、ピンでしっかり留めたわけでもないバッジはなぜか落ちない。
それなのに、エリンが本気で『外れろ』と思いながら触れると、バッジは苦もなく服から剥がれた。
「……なるほど、やっぱり神遺物だったか」
そして、エリンの誤解はまた深まる。
やれやれと、ため息を吐いた。
神にまったく縁のなかった無能力者の人生――。
今日一日で、まるで生まれ変わったぐらいの大きな変化が生じている。
なんだか喜劇のようにも思える。
気持ちを一から立て直すつもりで笑い飛ばした。
「さて、ここからどうなる?」
この直後、転移門をくぐり抜けたロアがやって来た。
彼女はタイミングが悪く、オメガの戦闘領域でエリンのユニークアイテム獲得が告げられた瞬間には居合わせていなかった。
また、エリン宛のシステムメッセージに記されていた詳細の通り、ミリオンレイドボス〈オメガ〉のユニークアイテムが創造されたというニュースは、明日を待ってから仮想世界の全土に知らされる。
詰まる所、ロアはこの時点で気づかない。
エリンの胸元には、ユニークアイテム〈バッジ〉。一見すると普通のバッジは、その価値、その秘めたる能力を全然感じさせない素朴な存在感で、今はただキラキラと静かに輝くだけだった。
これまでほぼ毎日更新して来ましたが、書き溜めがそろそろ尽きるので更新間隔が2、3日に一回ぐらいに変わるかと思います。あるいは、第3話終了したぐらいでしばらく更新ストップして、書き溜め作業に入るかも知れません。ご了承くださいませ。




