プロローグ(前)
【はじめに】
本作品は、『THE FIFTH WORLD』という別作品の前日譚としての側面を持っています。ただし、本作単体で面白く読めることを重視して書いておりますので、『THE FIFTH WORLD』を知らないという方でも気にせずどうぞ。
もしも、この作品を気に入っていただけたならば、『THE FIFTH WORLD』もよろしくお願いします。アルファポリスから全六巻で刊行されておりますが、出版契約解除を予定しているため、2020年9月頃から再連載予定です。
感想等はモチベーションアップに繋がるので、「おもしろかった」の一言で良いのでぜひなんか残していってください。ブックマーク・評価を頂けるとさらにうれしいです。ファンアートは泣きます。よろしくお願いいたします。
2020年8月18日 シロタカ
エリンは死にかけていた。
ダンジョンの奥底でひとりぼっち。
大怪我をしている上に、アイテムは何もなく、身の丈に合わないダンジョンの深部であるから、モンスターに遭遇すればたぶん一撃で殺される。
「神さま、助けてください」
祈りを捧げても意味がないことは知っていた。エリンは十七歳だったが、これまでの人生で一度たりとも神に助けられたことがない。
この世界には無数の神々が存在する。
だが、エリンにとっては存在しないも同然だった。
「返事はなし。やっぱり、俺を見守ってくれる神さまは一柱もいない。わかっていたけれど、最後まで無能力者のままか」
神と人を結び付けるのは信仰である。
人々は祈り、誓い、心を捧げ、神の信仰者と認められる。そして、信仰者となった暁には神からの加護が与えられた。
エリンは冒険者である。
冒険者の多くが信仰するのは、八闘神と呼ばれる神々だ。
序列の上位は、剣神、拳神、槍神、弓神。
下位には、斧神、棍神、杖神、銃神。
八闘神の加護がなくとも、それぞれが司る武器を手にすることは可能である。修練を積めば、野生の獣ぐらいは狩れるだろう。だが、加護を持つ者と持たざる者、両者の間には絶対に越えられない壁が存在した。
例えば、剣神の加護を受けるだけで、子供でも軽々とグレートソードを持ち上げてみせる。
弓神の加護が強まれば、弓を構えるだけで自然と矢が創造されるようになり、放たれた矢は獲物を追いかける鷹のように飛んでいく。
神は、人理を超越した存在である。
そんな神から与えられる加護とは、現世の法則を無視し、人の常識を超えた力を与えるものだ。
「はあ、やれやれ……」
エリンは神の加護を得ていない。
八闘神どころか、日々の暮らしを見守るような小神にも、生まれた時からまったく見向きもされなかった。
たったひとつの加護すら持たない人間は無能力者と呼ばれる。
この世界で最もバカにされる役立たず、それがエリンという冒険者だった。
「これまでの努力は報われず、誰のせいでもなくこのザマ。俺のつまらない人生に何の意味があったのか……でも、このまま長生きしたところで、意味のある人生になったとも思えない。はあ、ため息――」
詩の才能もないため、エリンは辞世の句の代わりにくどくど愚痴を漏らしていた。
この場に他に誰かがいたならば、エリンのそんな様子に余裕のようなものを感じ取ったかも知れない。
絶体絶命のピンチだが、エリンはひとまず冷静だった。ただし、それなりにヤセ我慢しているのも事実である。
『笑っている方がなんだかんだ生き残れる』
というのは、父の教え。
『最期の時は悔いなく笑って死ね』
というのは、祖父の教え。
言葉に込められた想いは真逆であるものの、とりあえず笑えばいいらしい。エリンは教えを忠実に守り、ピンチの時ほど笑みは絶やさないようにしている。
「ただ、さすがに……」
エリンは笑うのをやめて、奥歯をかみ砕かんばかりにうなった。
「これはさすがに、怒り狂ってもいいか」
エリンは死にかけている。
どうしてこんな状況になったかと云えば、答えは非常にシンブルである。仲間からの裏切り。冒険者の死因としては、割合にポピュラーなものだが、いざ自分がそんな目に合うと信じられない気分になる。
ダンジョンを冒険中、背中にドンッと衝撃が走った。
突き飛ばされた。
そう気付いたのは、目の前の崖に落下する最中のことだ。
崖の下は、ダンジョンの内部を流れる真っ暗な川で、バランスを崩しながら落ちたエリンはあっさりと水底に沈んでしまった。
激流は無数の手のように、エリンを水の中に引き込もうとする。溺れながら、それでも必死に見上げれば、崖の上からこちらを見下ろすパーティーの面々が見えた。
彼らは大体が、『なにやってんだこいつ』という感じのあきれた表情を浮かべていた。
荷物持ちに連れて来た役立たずが、いきなり飛び込み自殺したとでも思ったのかも知れない。
エリンは叫ぼうとしたが、水を飲み込むだけに終わった。
誰だ――。
あの中の誰が、背中を押した――?
彼らは、勇者のパーティー。
光の神の加護を与えられた世界でたった一人の〈勇者〉と、彼に付き従う戦士・武闘家・魔法使い・僧侶で構成された五人組みのパーティーである。
エリンは戦闘メンバーの一人として認められているわけではなかった。諸事情あり、荷物運びが中心の雑用役として同行している。無能力者が勇者のパーティーに交じるなんて、分不相応だとエリン自身も思う。
勇者一行との付き合いが始まってから既に半年以上が経つものの、友好は深まる所か、もはや枯れ果てている。何を考えているのか一切わからない〈勇者〉はともかく、その仲間たちはエリンを露骨に邪魔者扱いしていた。
だから、崖の下に落ちても助けの手が差し伸べられることはなかった。
まあ、それはわかっていたことであり、今さらショックを受けるようなことでもない。
普段の付き合いからして、彼ら一行にそこまでの情がないことはエリンも重々承知していた。しかし、ピンチに見捨てられるのは理解できても、わざわざ殺意を向けられるのは奇妙なことに思えた。
例えば、戦士のストローマン。
彼とは一番馬が合わない。
ストローマンは乱暴者である。無能力者のエリンがまったく相手にならないことをわかっているはずなのに、何かにつけて力比べをしたがった。下手に挑発に乗ったりすると、ボコボコになるまで殴られ続ける。
パーティーの中では一番、直接的に苦痛を与えて来る相手だった。残念ながら、巨体とそれ相応の怪力の持ち主であるため正面からの意趣返しは難しい。エリンはそのため、普段からコツコツ、借金の利息分だけでも返すぐらいの気持ちで復讐をしていた。昨日は食事のベーコンをこっそりジャイアントミミズのソテーに取り替えている。たぶんばれていないと思うが、まさか勘付かれていただろうか――。
魔法使いのミステリオは自称知性派。
魔法の根源たる四大元素の神々には愛されているらしく、確かにその腕前には目を見張るものがあるけれど、彼は根本的に馬鹿だ。
エリンに対しては事あるごとに奇抜な作戦を伝えて来るが、軍師の才能は皆無らしく、成果が上がるような作戦が提案されたことは一度もない。人質の救出が求められる戦闘局面で、正面からの突撃を命じて来るなど、むしろ邪魔にしかならないことが多かった。
なお、エリンがミステリオの作戦を無視して行動しようとすると、躊躇なく危険な魔法を撃ってきたりする。仕方なく、いつも渋々その命令を守ることになっていた。
結果、大抵はひどい目に合う。
エリンの必死の努力で上手く行った時は、手柄はミステリオのもの。
エリンは時々、仕返しとして算術の問題を出してやる。その時だけ彼は静かになる。ただし、顔を真っ赤にしてにらみつけられるが。
武闘家のトリッシュ。
僧侶のイオ。
二人は若く、美しい女性だったが、両方とも〈勇者〉に病的に惚れている。それが原因でパーティーの雰囲気がギスギスすることが多かったので、「勇者は君たちに興味ないよ。まったく眼中にない。全裸で迫ってもノーサンキュー」と忠告した。
二人の仲はそれでちょっと良くなったが、代わりにエリンは何を話しかけても無視されるようになった。
勇者パーティーと付き合うようになってからの日々を改めて思い返したエリンは、水中で大きな泡を吐く。
いじめられて、やり返して、さらにいじめられての負の連鎖。
なんだか、もう――。
馬鹿らしい。
もしかすると、別に殺すつもりは無かったのかも知れない。エリンはその可能性も考えてみる。背中を押したのはただの意地悪で、いたずらのつもりだったのではないか。
崖が目の前だったのは偶然で、川に落ちたのも不幸な事故だったという可能性はありえるだろうか。
エリンはあっさりその可能性を否定する。
崖の上に居並んだ五人の顔を思い出していた。
誰一人、慌てていなかった。
事故であるならば、そこで多少なりとも反応がなければおかしい。ちょっとした冗談で人を殺しかければ、勇者パーティーの面々でもさすがに笑っていられないはずだ。
彼らはあの時、全員が『なにやってんだこいつ』という表情を浮かべていたけれど、それはつまり、エリンの背中を押した誰かはその事実を隠して演技していたことになる。
結局、故意の裏切り。
エリンはパーティーの仲間ではなかったかも知れない。彼らの友人でもなかった。それでも、薄氷を踏むような信頼関係でしかなかったとしても、ダンジョンの中でくらい助け合わなければいけない。冒険者として――いや、それはもう人としての守るべき一線だろう。
エリンの背中を押して、殺そうとした誰か。
さすがのエリンも許すことはできなかったが――。
まあ、実の所、そんなことを考えている余裕はないのだ。
許す、許さないの以前に、まずは自分自身の命について考えなければいけなかった。エリンは溺れている。このままでは死ぬ。だが、打つ手なし。さて、どうしようか――。
しばらくの間、エリンは激流に身を任せていた。
溺れた直後はパニックを起こしかけたものの、なんだか逆に冷静になっていた。
足掻いてもどうしようもないぐらい、川の流れは激しく、前後左右に振り回され続けるこの状態はまさに我が人生のごとき――エリンは現実逃避気味にそんなことを思ったりした。
ちなみに、激流の凄まじさが本当にどれくらいかと云えば、それは半魚人がきりもみ回転しながら流されるぐらいだ。
というか、水棲のモンスターである半魚人が溺れるなんて、一生に一度見られるかという珍事である。
エリンも思わず、水中で目を見開いた。
半魚人は活け造りにでもなったかのようなピクピク痙攣する顔になっており、エリン以上に死に体。エリンはそんな半魚人の顔面を見つめながら、人生の締めくくりに目に焼き付けるものがこれかと、ますますの虚しさを感じた。
エリンは辺境の生まれである。
ド田舎で親の仕事を継ぐだけの人生が嫌で、ほとんど逃げ出すように王都に出て来た。だが、冒険者として才能が花開くようなこともなく、無能力者と馬鹿にされるだけの日々が一年近く続いている。さらに途中からは勇者たちの奴隷みたいになってしまった。
まったく、情けない話である。
エリンはそう思い、笑った。
やがて呼吸が続かなくなり、かすかな意識も少しずつ遠ざかる。
静か。
死んだ爺さんの夢を見た。
爺さんは死人のくせにギラギラと活力に満ちており、金貨の風呂でブロンド美女をはべらせながら「天国最高」とエリンのことを手招きしている。
たぶん詐欺である。
エリンはそう思い、瀬戸際で目を覚ました。
「ここは、どこだ……?」
目覚めた場所は、知らない場所。
どうやら、地底湖のほとり。
反射的に起き上がろうとして、エリンは全身の痛みに悲鳴を上げてしまった。
「痛っ、うぅ……!」
かなりの深手で、手をかすかに動かすだけでも辛い。
仕方なく、倒れたまま視線だけで周囲を探ってみた。
遥かな上空から滝となって水が流れ落ちて来ている。ダンジョンを流れる川は最終的に、この地底湖に注がれていたらしい。
「あの高さの滝から落ちたわけだ。生きているだけマシか」
溺れ死ぬでもなく、落下の衝撃で死ぬでもなく、どうにか一命をとりとめて地底湖のほとりに流れ着いたのは幸運と云うべきだろう。
だが、やはり、総じてみれば不運だ。
殺されかけて、大怪我、ダンジョンでひとりぼっち。
誰か知らないが、いったい何が理由でここまで酷いことをするのか――。
「うーん……」
エリンは身も蓋もない本音を口にした。
「まあ、心当たりが多すぎる」
残念ながら、誰が犯人か、それは今考えても仕方のないことだ。現状で最優先にすべきは犯人当てではなく、とにかく生き延びることである。
このままでは死ぬのは時間の問題だった。
エリンは幾度もため息を吐く。
神を呪い――。
神に祈り――。
それから、やっぱり神を呪った。
「さて、どうしよう?」
そして、現在に至る。