7話.私の魔力
その後私は捕まえた虫に対してだけでなく、部屋にあった備品や学園から借りた実験用生物にも魔法をかけて自分が持つ力を試していった。
結果判明したことは、どうやら今の私の魔法は小さい生き物と物質にしか作用しないということだった。それも効果が本に書かれていたものよりとても弱い。
例えば石化の呪いなら、対象の体をほんの少し硬くする程度の効果しかない。ここまで弱い力では呪いと呼べるかさえあやしいわね……。
最初にかけた魔法人形にはその効果さえ出なかったのは魔法人形が人体に近い大きさだったからだ。つまり今の私の魔法は人間には一切効かない。
『ゲームではユアナちゃんのこと呪いまくってたのに…………どういうことなんでしょう』
「魔法をまだ上手く使いこなせていないのかしら……」
『呪いなんだから怨念が足りていないんじゃないですか? ゲームでユアナちゃんをばっちり強い力で呪えていたのは、ユアナちゃんへの憎しみがあったからなのかも』
「……その可能性もあるわね。ちょっと試してみましょう」
『ええっ!? ユアナちゃん呪ったら悪役令嬢確定になりますよ!?』
「人間にはかけないってば」
私はフラスコに閉じ込められているスライムを机の上に出して再度魔法をかける。
「おのれおのれ消えろ消えろ滅びろ滅びろ滅びろ滅べええッ!! メドューサ・カース!」
私は目の前のスライムを滅する勢いで詠唱した。
魔法は無事成功し、スライムのドロドロとした体が丸っぽくプルプルとしたものに変化する。
私は指でつついてその感触を確認した。
「さっきかけた時と一緒の弾力感ね。これでも真心が足りなかったのかしら」
『真心ってなんだっけ……』
「今のはスライムを【油断するとすぐついてしまう脂肪】に見立てて感情込めて呪ったのだけれど」
『それは結構な真心こもってますね』
亡霊が珍しく納得した顔になった。
「たんに修練不足なだけかもしれないわ。今日はここまでにして、そろそろお片付けしましょうか」
気づけばもう昼過ぎで、午前の授業時間はとうに終わっていた。まだ昼食を摂っていなかったし、クオレスのことについてしっかり考える時間も欲しい。
私はプルプルになったスライムと微妙に硬くなった単眼蝙蝠をそれぞれ片手で捕まえると、二匹をくっつけ合わせ……無理矢理キスをさせた。
「ぶにゅっ……」
「キキッ……」
二匹の短い悲鳴があがると同時にその体が淡く光り出し、元の体に戻っていった。
呪いの魔法を使う際、守らなければならない決まりが一つだけある。
それは解呪条件を決めること。解けない呪いを作ってはいけないのだ。
その解呪条件は自由に決めていい。と言っても難度の高い解呪条件ほどコストもかかるようだから、こんな実験目的ならなるべく簡単なものにした方がいい。
私は呪われた生物や物質達を次々と呪われた者同士のキスで解呪していった。
『どの子も嫌がっているように見えるんですけど……。キスじゃなくても良かったんじゃないですかね……』
「呪いを解く方法といえばやっぱりキスでしょ」
『ジュノさんがそんな考えでユアナちゃんに呪いかけちゃうから、ユアナちゃんと攻略対象のキスシーンが量産されちゃったんですねえ……』
「は!? なにそれ!?」
思わず手が止まり、呆れ顔の亡霊を凝視する。
『そのまんまですよ。ゲームのジュノの手によって呪われたユアナちゃんをどうにかして救おうと攻略対象が試行錯誤している中事故なり故意なりでキスしちゃって、それで一度は呪いが解けてしまうもんだから、次以降もキスで解けるかもしれないと皆試しちゃうんです。呪いを解く為とはいえ交際もしていない相手にしていいものかと葛藤しながらですけどね。それがきっかけでいいムードになったりもしますよ。もちろんクオレスルートも例外ではなく――』
「い、いやあーーーーーーっ!!」
聞きたくなかった事実にその場でうずくまって悲鳴をあげることしか出来なかった。
なんなの。なんなのよそれ。
「つまり、観測された歴史の私は……憎き宿敵の恋路を手助けしていたようなものだったってこと……?」
『そういう事になりますねえ。だからユアナちゃんに呪いなんてかけない方がいいですよ?』
酷い。あんまりだわ……クオレスまで、きっとその時のクオレスはまだ私と婚約状態だったでしょうに、人助けの為とはいえ、そんな……。
そんなことをさせてしまう状況を、よりにもよって私が作り上げてしまうだなんて……。
やり場のない感情に吐き気が込み上げてくる。
「わかったわ……。人間に呪いをかけられるようになっても絶対にキスは解呪条件に使わない」
『そこは呪いをかけないと誓ってくださいよ!』
「うるさいわね! 貧民の癖に偉そうなことばっか……り……」
強烈な頭痛と倦怠感に襲われる。
今受けたショックが、自分が思う以上に大きかったのかしら。……そんな弱い女になった覚えは無いのだけど。
『ジュ、ジュノさん……? 顔が青白くなっちゃってますよ。大丈夫ですか?』
「平気よ。これくらい……。それよりこの生き物達を返しに行かないとね」
私は借りた魔法生物達を連れて扉を開け、廊下を進み、誰か、見覚えのある人物を見かけて……そこから先の記憶は途切れてしまった。
次に目覚めた時、私は昨日もお世話になった医務室のベッドの上で寝かされていて、天井際からこちらを心配そうに覗き込む亡霊の顔を見上げることとなった。
私が二日連続で運び込まれて来たことが気にかかった医務室の医師は高度な魔道具による検査を申し出てくださった。今日倒れた原因は心労によるものだろうと勝手に思い込んでいた私は自分の心の弱さに失望こそしても、この身体の何処かに異変があるなどとは露ほども思っていなかった。それでも折角だからとお言葉に甘えて調べていただいた結果、私は……魔力欠乏症と呼ばれる状態になっているのだと判明した。
魔力欠乏症とは、魔力……魔法を使う能力が極端に不足している状態のこと。
魔力が無いと、どんなに強力な魔法を唱えてもその威力を発揮させることは出来ないし、多くのマナを保有することも出来ないから魔法を使い続けるとすぐマナ不足になって体調を崩してしまう。
マナは魔法の発動や生命の維持に必要なエネルギーのことで、これは自然界のあらゆる場所に存在し魔力を持たない人間や生物も持っているものだ。魔力を持たない者でもマナが無くなると命に関わる。
呪いの効果が弱く、それも小さいものにしかかからなかったのは、それだけ魔力が低いというだけのこと。そしてさっき倒れたのも体内のマナが枯渇したからというだけのこと……。
私から問診で聞いた話を医師はそのように結論付けた。
病気のように言うけれど、ようは才能が無いと言われているのと同じだ。
『要するに魔力ってのはかしこさで、マナがMPみたいなもんなんですね。このゲーム、ステータスみたいなのは無かったからそのへんの設定よくわかんなかったんですよねえ』
私にはそっちの説明の方がわからないのだけど。
『で、ジュノさんにはかしこさが無い、と。かしこさが低いと最大MPも低いもんですもんねえ。で、この世界はMPがゼロになっても戦闘不能状態になるんですね』
私が馬鹿みたいな言い方しないでくれる!?
医師がいなかったら怒鳴りつけていたところだったわ。
『でもなんでジュノさんがそんな脳筋ステータスに……。ハッ、まさか! ゲームのジュノは悪魔か何かに魂でも売ったんじゃないですか!? それでもともと脳筋ステータスだったのをまともな魔法使いステータスまで引き上げてもらったんですよ! 悪役令嬢ならそれくらいやりそうじゃないですか!?』
自信満々で言っているけれど、悪魔か何かって……心当たりがないわよ。魔人なら歴史上の存在として知っているけど。
「……あまり気を落とさないように。過去の呪い属性の者達は、魔法の技能が無くとも他の功績によって貴族として認められています。貴女も彼らと同じ道を歩めば魔力の欠乏など関係無くなるでしょう」
亡霊の発言に気を取られていた様子を誤解されたのか、医師からそう励まされてしまった。
一人ならたしかに今頃深く落ち込んでいたかもしれない。だけど今の私は亡霊がするふざけた話のせいで良くも悪くもそこまで意識が回っていなかった。
「まだ顔色も悪い。私は少し部屋を出るけど、もうしばらく休んでいなさい」
医師が部屋を出ようと扉に手をかけたところで私はあることを思い出す。
「お待ちくださいっ。私が倒れた時、学園からお借りした実験用生物を連れていた筈なのですけど……何かご存知ありませんか?」
この部屋にいる様子は無い。まさか全て逃がしてしまったのではと、焦りに胸を押さえながらそう尋ねると、医師はなんてことのないように微笑んだ。
「ああ、それなら。そこにいる衛兵が貴女をここまで運んでから返却に行っていましたよ」
医師が扉を開けた先には、昨晩、入学の式典会場で見た顔――何故か私の方を見て悲鳴をあげた衛兵が立っていた。
医師はそのまま廊下に出ていき、入れ替わるように衛兵が震えながら入室してくる。
私が倒れた時、目の前にいたのはこの衛兵だったのね。
『もー。ジュノさん、そういうことならあたしに聞いてくださいよお。あのモブ兵がジュノさんを抱えていたとこ、バッチリ全部見てたんですからー』
そういえば亡霊に聞けば良かったわね……。
本来ならクオレス以外の男に触れられるなんてとても好ましくないことなのだけど、私は分別のある淑女だから救助行為に文句をつけるような真似はしないわ。
「あなたが助けてくださったのね。ありがとう」
私は立ち上がって礼を述べる。
「あ、あの、生き物達は、返却してしまって大丈夫でしたでしょう、か」
「ええ。丁度返しに行こうとしていたところだったの。助かったわ」
「よ、よかったです。あ、う、あの」
まだ何か言いたげな様子で固まっている衛兵は、やはり昨日同様怯えた目をしている。
……本当になんなの?
『このモブ兵、もしかしたらジュノさんの隠し持つ悪役令嬢オーラに気づいちゃってるんじゃないですかねー? おーおーこわいですねえ、よしよしー』
「ひいいいっ!!」
ふざけた調子の亡霊が衛兵に近寄ってその頭を撫でようとした瞬間、顔を更に強張らせた衛兵がしゃがみこみ頭を守るように抱えこんだ。
『……え?』
「あっ……」
しまった、と今にも言い出しそうな顔をしている衛兵。
亡霊も予想していなかった反応に驚いて固まってしまっている。
私も驚いたわ。今の動き、どう見ても亡霊の手から逃れようとしたようにしか見えないもの。
「あなた、もしかして……それが見えているの?」
私が問いかけてやると、衛兵は更にその体を硬直させてしまった。