74話.エピローグ
目の前に現れたのは元の世界ではなく、赤黒い空と漆黒の大地と毒々しい色合いの海が広がる異界だった。
だけど山積みにされたジュノ達の姿は何処にも無く、ただ一人のジュノが目の前に立っている。
そのジュノからは他のジュノ達とは違う異質な空気を感じた。
「あなたは、もしかして……」
「はじめまして、ジュノ。私が最初の世界のジュノよ。……なんて、自分自身に自分の名前を名乗るのって気持ち悪いわね」
おかしそうに笑う最初のジュノ。そう言われると私も妙な気持ちになってくる。
「本当ならここで、呪いが解けておめでとうとか、呪いを解いてくれてありがとうとか言うところなんだろうけど……やめておくわ。いくら別の人生を歩んだからって、自分自身に感謝なんて気持ち悪い。でしょ?」
「たしかに、自画自賛っぽいわね……」
言いながら苦笑してしまう。
それにしても、目の前にいるジュノはたしかに私らしいけど、あんな呪いを発動させたにしては軽すぎるような気がする。
「あの……あなたはこれで良かったの? そもそもはユアナを害するために発動した魔法だったのに……私、あの女のことを傷つけてすらいないのだけれど」
「良かったに決まっているじゃない。だって私は一番の願いを解呪条件に決めたもの。それさえ果たせればあれのことなんてどうでもいいわ」
私にはよくわからなかった。
解呪条件はジュノが幸福を得ること。その条件を満たしたのは私であって、このジュノではないのに。
私の気持ちが伝わったのか、目の前にいるジュノは言葉を重ねる。
「私はただ、ジュノがクオレスから愛される可能性があるのか知りたかっただけなのかもしれないわ。私自身は上手くいかなかったけど、望んではいけない恋ではなかったのだと信じたくて。あなたはその可能性を示してくれた。それどころか、私のクオレスの心の中にも本当は私がいたのかもしれないとまで思わせてくれた……。私はもう、それだけでいいの」
寂しそうで幸せそうな、安らかな笑み。今の私には出来る気がしない表情だった。
「……あなたがそれでいいって言うのなら、私はもう何も言わないわ」
「そうしてちょうだい。それで、ここからが本題なのだけど……呪いが解けることで、あなたは一つ失ってしまうものがあるの」
「失う……!? なによそれ……そんなこと聞いていないわよ!」
「ふふ、そんなに心配しないで。失うのは私達に関する記憶だから」
その言葉と共にこの異界が崩れだす。
私でないジュノがこの場所と共に消えてしまう。元の世界から消えたジュノ達の軌跡が、私の記憶からさえも――。
「……だめよ、そんなの! 数多のジュノの犠牲があってはじめて、私はここまで来られたの! それなのにあなた達を忘れるなんて……!」
「あなたがこれからも幸福でいる為に必要なことよ。私達の記憶そのものがあなたには呪いなのだから」
足元が崩れ去る。
その世界が消えるのを見届ける前に、私は一つの世界から落とされた。
呪われた記憶を置き去りにして……。
長い夢を見ていた気がする。
悲しいけれど、とても大切な夢。夢は起きた直後に思い返さないとすぐ忘れてしまうと聞くから本当はじっくり思い返したかったのだけど、今は夢のことを考えている場合じゃなかった。
「ジュノさあああん! よかったああちゃんと普通のジュノさんだあああ」
クオレスと共に精神世界から戻って来た私は貧民の恰好をしていない亡霊に抱きつかれていた。
周りでは勢揃いしたクッション生物達が喜びのダンスらしきものを踊り、ユアナ達は安堵の笑みを浮かべている。
「普通のってなによ……。最初に抱きついてくるならクオレスが良かったのだけど」
「ひどっ!? どんだけ恋愛脳なんですかあんたはあ!」
亡霊の体は鬱陶しいくらいに温かい。これが亡霊の温もりなのね。
「……この度はすまなかった。私の心が未熟なばかりに皆には多大なる迷惑をかけてしまった」
そして隣ではクオレスが皆に向かって頭を下げていた。
よかった。ちゃんと元のクオレスに戻ってる。
たしかこの私自身が精神世界で彼を戻してみせたのだと思うのだけど……詳しいことはよく覚えていなかった。
なんてこと……。よりにもよってクオレスとのやりとりを思い出せないだなんて……!
「いいっていいって! こんくらいちょっとした戦闘訓練さ。なあ?」
「ふふ、そうですね。早めに決着がついたおかげでこれといった被害も出ずに済んだことですし」
「俺としてはもう少し戦いたかったのだがな!」
殿下達はクオレスを責めはしなかった。助けに来てくださったのが殿下達で良かった。もしも国から正式に軍でも派遣されていたらこんな風に丸く収まりはしなかったことでしょう。
それに……。
「……ありがとう、ユアナさん。クオレスが元に戻ったのはあなたの魔法のおかげよ」
「う、うん。何が起こったのかはよくわかんないけど……二人が戻ってきてくれてよかったよ」
ユアナはどこか釈然としない様子だったけど、最後には朗らかな笑顔を向けてきた。
「元に戻ったのはいいんだけど……魔人は何処に行ったの?」
「それは……詳しくは後で話そう。今は、完全に消滅したとだけ言っておく」
ハーヴィー先生にそう返すクオレス。先生は「消滅!?」と驚いたけれど、クオレスの言葉に従ってこの場での追及はしなかった。
「あのー……みなさん悠長にお話しちゃってますけど、お城から脱出とかしなくていいんですか? 大ボスやっつけたあとのこういう建物って、崩れ落ちるのが定番ですよね……?」
「そのような心配はせずとも良い。この城は私の魔法で元の位置に戻す。これほどの巨大な物体となると動かすのにも時間がかかる故、到着するまではこの城内に居ると良いだろう」
「ええっ、そうなんですか……それなら帰りの心配しなくてよかったんじゃん……。ってか封印魔法便利すぎません?」
「封印場所の指定をすれば物質の転移にも使えるのがこの属性の魔法だ。とはいえ封印先で身動きが取れなくなるから生体には扱いにくいのだがな」
今度は亡霊と話して……。こっちの世界に戻ってきてから他の者達と会話してばかりで、まだ私と一言も言葉を交わしていないじゃない。
そんな不満を抱く私に気づいたのか、クオレスの視線がこちらを向く。
そして私の手を取り、耳元にそっと囁いてきた。
「いろいろ噛みしめるのは二人きりになってからと思ったが……見せつけてやった方が良いかな?」
「っ!? だっ、だ、だめよ! そんなっ、はしたない……っ! 大体、噛みしめるって具体的になに……!?」
顔どころか全身が熱くなる私。途端に恥ずかしくてたまらなくなって彼から離れようとしたけれど、その手が離してはくれなかった。
「……いや、もう充分に見せつけられちゃってますけどね」
いつの間にか私から離れていた亡霊が冷めた視線を向けてくる。
周りを見れば他も似たような反応でいよいよ私はいたたまれなくなってしまった……。
後日、クオレスの報告から魔人の消滅が確認されたことにより、その功労者であるユアナと私の二人が王宮内にて勲章を受け取ることとなった。
魔人が現存していたことについては民に知らされていない為、その真実を知る一部の者のみが集まる非公開の式典だったけれど、国王陛下らが鎮座する場に呼ばれたユアナはガチガチに緊張していた。その姿があまりにも滑稽で、笑いを堪えるのに必死だったわ。
それから珍しく王太子らしい装いをしていた殿下は威厳に満ち溢れた雰囲気を纏っていて完全に別人と化していた。何も知らない学生達をこの場に招き入れたとしても、案外同一人物だとバレないかもね……。
魔人が消滅したことによって、魔人の封印を解いてしまったクオレスも大した咎めを受けずに済んだことだし、全てが丸く収まって本当に良かった……のだけれど……。
正直言うと、実感なんて何も無かった。だって魔人になったクオレスをどう救ったのか全く覚えていないもの。
ユアナが聖女の力によって魔人に打ち勝つ為の道筋を開き、その聖女の光に導かれた私が愛の力によってクオレスを救いだし、魔人を滅ぼしたということになっているみたいだけれど……「愛の力」は流石に恥ずかしすぎない?
誰も笑いださないことに少し感心してしまっていた。
ともあれ、これで大きな功績を残した私は学園側からも評価され、魔法の功績が無くても無事卒業出来る見込みがあると知らせを受けた。
だけどもちろん、魔法の研鑽を怠るつもりは無い。学園生活は三年間。残る二年間も真面目に取り組み、呪いの魔法がいかに有用なものであるか世に知らしめていく。その決意が揺らぐことは無かった。
そして秋。
新たに迎えた一年はこれまでとは全く異なる学園生活が待っていた。
「お姉ちゃーんっ! ぼくとお昼たーべよー!」
「だめでーす! 今日のジュノさんはあたしと食べるんですうー!」
「えー、ナナンボンはあのカレシと食べてたらいいじゃん」
「なんですかそのナナンボンって!! まだ名前決めてないからって変なのつけないでくださいよ!」
空中回廊でティッカと亡霊が馬鹿馬鹿しい言い合いをしているのを、二人に挟まれた私はただただ呆れた目で見ているしかなかった。
二人共、もう少し令嬢としての振る舞いを身につけてくれないものかしら……。亡霊だってディアモロ家の養子として迎え入れられて一応は私とティッカの妹ということになったのだし。
「……あなたはいい加減自分の名前を付けなさいよ。クッション達にはすぐ名前をつけていたじゃないの」
「いやいや、自分のにはあんな安直な名前つけられませんよお! 一生もんなんですからかっこいい名前つけないと……!」
「そんなこと言ってないで早くしないと、もう皆あなたの名前がボウレイだと思ってるわよ」
「えええ! そりゃあんまりですよ!」
「もうナナンボンでいいじゃーん」
「だからなんなんですかその名前! 絶対人名じゃないでしょその響きは!」
「……ティッカ、ちょっといい?」
そこを通りがかったハーヴィーがティッカに手招きをする。一見、先生からの呼び出しのように見える光景だけれど、そういうわけではなかった。
「うん? どしたの?」
「昨日話してた魔道具のことでさ、ちょっと思いついたことがあって……一緒に見てくれない?」
「おおっ、行く行くう! ごめんねお姉ちゃん! やっぱりぼく、今日はハーヴィーと一緒するから、お昼はまた今度ねー!」
目を輝かせたティッカは嵐のように去っていった。
亡霊とティッカ同様、今年入って来た新入生扱いであるハーヴィーはすっかり一人の学生としての学園生活を過ごしていた。
だけど私としては私達の先生でなくなったハーヴィーにはまだ違和感を覚えてしまう。
「……あいつ、最近はハーヴィー先生とばっかりつるんでいるんですよ。魔道具作りの趣味で気が合うとかなんとかで……。レイファード様はどうしたんだっての!」
「よかったじゃない。あなた、あの二人がくっつくのを嫌がっていたでしょう?」
「でもレイファード様が捨てられるなんて納得いかなすぎるう! レイファード様ってばしっかりヤキモチ焼いちゃってんですよ!? このまま負け組になるレイファード様も見たくないー!」
「あなたって結構複雑ね……」
「先生は先生でユアナちゃんのこと好きっぽいし、でもユアナちゃんは結局誰のルートにも入ってなさそうだし……みんなどうなっちゃうんでしょうねえ」
「焦らず見守ってやったら? 最近は学園卒業後に社交界入りしてから相手を探すことも珍しくないんだし」
「みんな晩婚だなあ……。でもまあ、それもそうですね。ゲーム期間は二年しか無かったですけど、この世界で生きている皆の人生はもっともっと先まであるわけですもんね」
亡霊は回廊から下の様子を見下ろす。そこでは多くの学生らが思い思いの時間を過ごしていた。
……ゲーム、か。
「いくらこの世界に似ているからって、異世界で作られた創作でしかないお話になんであんなに振り回されていたのかしら」
「あれ、ジュノさんそういう解釈でしたっけ? まー、クオレスがあんだけジュノさんのこと好きってなると、設定がところどころ似ているだけの別世界ってことなんでしょうねえ」
「その納得の仕方は癪にさわるわね……」
「だから、ジュノさんもそろそろユアナちゃんと仲良くなってあげてくださいよ。結局、あのユアナちゃんは二人にちょっかいなんて全然かけなかったんですから」
「……そうね」
私は服の下に隠した胸元のタリスマンを撫でながら頷いた。
二人で勲章を受け取った後にユアナから貰ったこのタリスマンは、一度私が受け取りを拒否したあのタリスマンを更に改良したというものだった。
いつか、気持ちの整理がついたらこのお守りが本物の親愛の証になる日が来るかもしれない。それまでにはまだ少し時間がかかりそうだけれど……。
「……あっ、ビビ君だ。おーい、ビビくーん!」
身を乗り出して下の方へ手を振る亡霊。
私も一緒になって見下ろすと、あの衛兵がしっかり亡霊に向かって手を振り返していた。だけど少し恥ずかしそう。
亡霊が誰の目にも見えていなかった時とは違って、今はそのやり取りか皆からしっかり見られているものね。
「あなたも今日は衛兵と一緒に過ごしたら?」
「ええ、なんでですかジュノさん。あたしと一緒のお昼がいやなんですか?」
「そういうわけじゃないけど」
「ジュノ」
後ろから聞こえてきた声に心が跳ねてすぐさま振り返る。
「クオレスっ! もしかして私を探しに来てくれたの?」
「ああ。今日の午後は空いているのだろう? これから遠出でもしないかと思ってな」
「もちろん行くわ!」
「ええ!? ジュノさん、あたしとのお昼は!?」
「私なんだからクオレスを最優先するに決まってるでしょ」
「ひどい、この薄情者!! あたし達の絆はそんなに薄っぺらなものだったんですか! こうなったらあたしもビビ君といちゃこらしてやるう! ……白鳥に変身! ビースト・カース!」
亡霊は自分に呪いをかけて白鳥の姿になるとその翼を羽ばたかせてすぐに下へと降りていった。
「では行こうか」
「ええ」
下の方からは「いた、ちょっ、やめろって! なんでつつくんだよ!?」なんて泣きわめく衛兵の声が聞こえてくる。……もしかしてキスのつもりなのかしら。
馬車の中で二人、寄り添い合いながら取り留めの無い話をする。そんな安らかな時間がたまらなく幸せだった。
「それじゃあ、クオレスは卒業したら騎士団に入るの?」
「そのつもりだったが……君のように、自分の魔法が持つ可能性について模索してみるのも良いかもしれないな」
「いい考えだと思うわ。お城を動かせてしまうほどの魔法ですものね」
そう言いながら、私はあの日の事を思い出していた。
クオレスと心が通じ合った、この上無く素晴らしい日。そのはずなのだけど、心のどこかに引っ掛かりもあった。それがいつまでも解けなくてもどかしくて、私は助けを求めるようにクオレスに打ち明ける。
「私ね……あの日になんだかとても大切なものを忘れてしまったような気がするの。だけど、それがなんなのかさえわからなくて……。気にしすぎなのだとは思うのだけど」
こんな漠然とした話でも、クオレスは真剣な眼差しで聞いてくれる。それだけでも私には嬉しかった。
「……ジュノ。もしも君が忘れた記憶を思い出したいというのであれば、私が思い出させよう。しかし、その記憶は君にとってはとても辛いものだと思う。だから……君がその記憶に耐えられなかった時の為に、一部の記憶を封じる魔法を習得しようと考えている。それまで待っていてくれるだろうか」
想定していなかった言葉に私は少し呆けてしまった。
クオレスは私が何を失ったのか知っている。それがわかっただけで私は心底安心出来た。
「もちろん、いくらでも待てるわ。私が再び忘れたいと思ったら、その時はお願い」
だけどきっと、その記憶を思い出す時が来ても、このまま忘れたままだとしても大丈夫な気がしていた。
だって、クオレスがずっと私を守ってくれる。
今ならそう信じられるから。
私はもう、自滅の道を歩まない。
ここまで読んでいただきありがとうございました!




