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73話.二人きりの世界

 一人目のジュノは最強の呪いを生み出す為にジュノの不幸を集めた。

 今こそ、その不幸を使って呪いを行使する時。この国を滅ぼしかける程の力を持つ魔人を圧倒するには、それ以上の負の感情が必要なのだから。


 魔人はきっと己の境遇を恨み、世界を恨んだ一人の人間だったのでしょう。世界を滅ぼす意志が死後も残り続け、自分を封じる人間を新たな魔人に変える事でその目的を果たそうとした。

 その者が目的を果たしさえすれば、たとえ自分自身の意識が消えてしまっても良い……そう考えた魔人は己の自我すらも力に変えてクオレスを蝕んだ。


 元が一人の人間だというのなら、こちらはそれ以上の数で対抗するだけ。その全てが同一の存在ではあるけれど、それでもたった一人の魔人に負けたりなんてしない。

 ……なんて言うと、いかにも崇高な目的のために動いているようだけど、本当は全然違う。


 気に食わなかったのよ。魔人なんてものにあのクオレスの心がいいように弄ばれているのが。

 ようは魔人に嫉妬しただけだった。




 クオレスが落ちた先は、私とは別のジュノが持つ記憶の中だった。

 別のジュノ……と言っても、今は全ての私が同じ一つの私。だから私自身の記憶でもあるのだけどね。


 その記憶の中ではクオレスがあの女と愛しあっていた。

 その想いが通じ合って結ばれるのは私が死んだ後だけど、私が生きている頃から二人は惹かれ合い甘い空気が流れている。

 二人共自分の気持ちには無自覚なようだけど、それを遠くから見つめる私だけは二人の想いを正確に把握してしまっていた。


 庭園の中で微笑みあう恋人未満の二人。


 落ちたクオレスは苛立った様子でその二人に近づいていき……記憶の中のクオレスを手に持つ魔剣で斬りつけてしまった。


 ……ふふ、過激ね。


「……なっ……!?」


 倒れたその人物を見て目を見開くクオレス。

 だって、その人物は……記憶の中のクオレスは、ナイフを持つジュノの姿に入れ替わっていたから。

 クオレスに斬りつけられ血まみれになった私を見下ろすクオレス。その近くにいたあの女は彼の腕にしがみついていく。


「ク、クオレスさん……もしかして、その人って……」


 ああ、あんなに震えてかわいそうに……なんて、私以外の者なら思うのかしらね?

 あの女がそんな反応をするのも無理は無い。だって「今」は自分の命が狙われているところだったもの。あの女を守るべく、咄嗟にクオレスが物陰からその者を斬りつけた結果がこの状況。


 クオレスは辺りを見回す。そこは昼下がりの庭園では無く、夜の学園の建物内だった。


 ……そう。今度はまた別の私の記憶に入れ替わったのよ。


「……私に近寄るな!」


 クオレスはあの女を突き飛ばした。すると今度は突き飛ばされ倒れた女がジュノとなる。場所はパーティー会場。周囲の者達が私を非難し嘲笑しだす。


「ああみっともない。いくら嫉妬に駆られたからってこのような祝いの場であんな拙い凶行に走るだなんて、頭の足りないお方ですこと」

「しかも嫉妬する相手があのユアナさんだなんて、ねえ。敵う要素が一つでもあると思ったのかしら? 呪われた属性の癖に……。あのような方が婚約者だなんてクオレス様もおかわいそうに」


「やめろ……その薄汚い口を閉じろ!!」


 クオレスは怒りに任せて観衆を斬る。その全てが私の死体に置き換わり、辺りは私の血の海と化した。


「クオ……レス……痛、い……」

「ふ、ふっ……クオレスに、殺してもらえるなら……本望ね……」

「お願い……苦しいの……早く、とどめを……」


 かろうじて瀕死のジュノ達がクオレスに手を伸ばす。たくさんの私を殺したクオレスはその場で立ち尽くしてしまった。


「なんだ……これは……」


 泣きそうな顔で私を見つめる。その顔も素敵。ねえ、早くとどめを刺して。

 だけどその切なる願いを無視するかのように、クオレスは私の手に手を伸ばし抱きしめようとする。ああ、もう。そんな事をしたらまた。


「クオレスさん……」


 ほら、また入れ替わった。


『そんな愕然とした顔をしないでよ。その女を抱き寄せるあなたはとっても優しい顔をしていたのよ?』


 とても遠い場所からそう呼びかけると、クオレスはその女を引きはがしながら声の主を探そうと必死な形相で周囲を見回す。


「ジュノ! 何処にいるんだ!?」

『そこにいるじゃない。ほら』


 声だけで促せば、クオレスはすぐそこにいたジュノを見つけた。仲睦まじくする二人を睨むジュノの姿を。


「ジュノ……そんな目をしないでくれ。私が愛しているのは君だけだ」

「……今更そんな心にも無い事を言わないで! 私は知っているのよ! あなたがその女にどれだけ心を寄せているのかを!!」

「それは……」


 私ではない。そう言いたかったのでしょうけど、その女を想うクオレスが存在していた事は紛れもない事実。目の前にいるジュノの言葉を否定する事は出来なかったみたい。否定したところでそのジュノにとって真実になる事など無いのだから。




 それからもクオレスは無数の私の記憶の中をさまよい続けた。

 ジュノにとっての敵を害すればそれはジュノとなり、ジュノを救おうとすればそれはあの女となる。

 しかし何もしなければあの女を守りながらジュノを傷つける記憶を追体験する事となり、クオレスの精神は消耗していった。


 やがてクオレスは狂ったように殺戮を繰り返した。世界を壊すように、目に入るもの全てを斬った。

 辺りに溢れるジュノの山。既に事切れたジュノの体に何度も魔剣を突き刺した後、ようやく彼は我に返る。


「私は……なんてことを……」


 自分のした事に気づいたクオレスはその赤黒い瞳から血の涙を流した。


 その後もたくさんのジュノがクオレスの目の前で泣き崩れ、嫉妬に狂い、怒りに身を委ね、敗北し、絶望し、嘲笑われ、何もかもを失ってその生涯を閉じる。そのジュノの全てが、最期まで彼を想っている。

 与えられる罰が貴族籍剥奪と魔力封印に留まらず、極刑を受ける事になろうとも最後までクオレスの姿を思い浮かべながら死にゆく様を、本来その場にいなかったクオレスの目に焼き付けていく。

 この愛とすら呼べない執着と激情こそが私の本質。どんなに世界が変わろうとも、これだけは決して揺らがない。


「ジュノ……何処にいる……ジュノ……」


 自ら剣を封じたクオレスは無数の私やそれ以外から逃げるようにさまよう。私を探しているのに私から逃げるなんて、不思議ね。


 やがてクオレスは一人のジュノに出会う。その私は今から首を吊ろうとしているところだった。


「クオレス……。もしかしてお別れに来てくれたの?」

「違う。……そんな事をするのはやめてくれ。君が死ぬ必要なんて何処にも無いんだ」


 クオレスは離れた場所から懇願する。触れてしまえばまたあの女と入れ替わってしまう。それがわかっているからこそ言葉だけで止めるしか無いのでしょうね。


「どうしてそんな酷い事を言うの? 私は明日になれば娼館に売られてしまう。それはあなただって知っているでしょう。……私ね、耐えられないの。あなた以外の男に抱かれてしまうのも、あなたから穢れた体だと思われるのも。だから綺麗な内に死なせて」


 クオレスは手を伸ばそうとした。だけど彼から触れられる事は無いままジュノは命を落とした。

 この場にいるクオレスはあまりにも無力だった。だってこれらの出来事は全て過去の事。起きてしまった事はどうあがいても変えられないもの。

 己の無力を嘆き、目の前の出来事を悲しむクオレスも、とっても綺麗。




 だけどどんなに無力感に打ちひしがれてもクオレスは私を探す事をやめなかった。

 自分と同じ世界で生きたたった一人のジュノを探し続けている。

 だからジュノの姿を見れば目で追わずにはいられないみたい。そのジュノが自分の知るジュノかどうかを確認するために。


『嬉しいわ、クオレス。ずっと私のことを探してくれて』

「ジュノ……! 答えてくれ! 君は何処にいるんだ……!」


 クオレスは天を仰ぎながら私に呼びかける。私は空にはいないのに。


『私はここにたくさんいるじゃない。ジュノの姿をした私も、ジュノの姿をしていない私も、全部私よ。だってここは私の記憶の世界。何もかもが私で出来ていて、この空間には私とあなたの二人しかいないの。私の肉を斬る感覚はその身に染みついたかしら?』


 上機嫌で答えてあげても、彼の表情は一向に晴れない。泣き出しそうなその瞳からは赤黒さはすっかり抜け落ちている。

 彼に宿る魔人の力は全て私の方へと流れてしまった。それはより力の強い方へ引きずり込まれるように、水が重力にしたがって落ちていくように全てが私の物となった。

 今では私が強大な力を持つ魔人。これでもう聖女の魔法の力が消えたとしてもこの空間だけは残り続ける。独立した永遠の世界が今ここに誕生した。


『ねえクオレス。ずっとここにいましょう? ここにいれば私とあなたは永遠に二人っきりよ』

「……何を、言っている……。このような牢獄に、だと……?」

『牢獄なんて失礼ね。あなただって言っていたじゃない。全て消してやる、って。全て消えた後の世界とこの空間に違いなんて無い。そう思わない? 私、楽しいの。あなたに追いかけてもらえて、嬉しい。ねえ、ずっとここで追いかけっこして遊びましょうよ』

「駄目だ! これが私への罰だというのなら受け入れよう。しかし君はこのような場所にいるべきじゃない。ここには、君の不幸しか無い……。こんな所にいれば君は壊れてしまう。一体君は何人いるんだ? どれほどの君が犠牲となった? これほどの悲劇の数……とても一人で背負いきれるものじゃない。このままでは君が君でなくなってしまう……」


 どんな宝石よりも綺麗な雫が彼の目から零れる。これほど美しいものを見た事は今までに一度も無かった。それはどのジュノにとっても同じ。だってクオレスがジュノの前で泣く事なんて無かったから。


『……私を探し続けて。そうしたらきっとまた会えるわ』


 なんの手掛かりにもならない言葉を残して私は再び傍観者に戻った。全てのジュノと記憶と感覚を共有する傍観者に。




 クオレスは私の言葉を胸に再びさまよい続ける。

 そして少しでも手掛かりを探るようにと、あらゆる記憶の私を見つめ続けた。私の身に起こる全てを噛みしめているかのように。


 時の概念を無くした世界で彼はそれを繰り返し続け、そして……ついに見つかってしまった。


「……ジュノ」


 折角会えたっていうのに疲れ果てた様子のクオレスは喜ぶどころか睨んでくる。

 よっぽど私の居場所が気に食わなかったのかしらね。だってここは。


「ジュノの眠る地へようこそ。クオレス」


 何の変哲も無い寂れた墓地だったから。


「ここは君の居場所ではない」

「そうかしら。殆どのジュノにとっての最後の地がここなのよ? いろんな死に方があるから皆、ではないのだけどね」

「君はまだ生きているだろう!」

「どちらにしろ同じよ。もうわかったでしょう? ジュノには破滅する未来しか無いの。私がここから出たところで魔人として討伐されて終わるだけよ」

「私が君を守る。たとえ世界を敵に回す事になろうと、私は……」

「そういうの、もう終わりにしましょう?」


 墓石に座っていた私はゆっくりと立ち上がり、彼から背を向ける。


「ねえクオレス。あなた、やっぱり私のことなんて好きじゃないんでしょう? だって私、ユアナさんとちっとも似ていないじゃない」


 私はクオレスのことを信じられなくなっていた。

 だって今の私は全てのジュノと繋がっているもの。クオレスから愛されなかった数多のジュノ達と。

 全てのジュノの記憶が、クオレスがジュノを好きになるなんてありえないと叫んでいる。愛してもらえなかった絶望感が刻まれている。今更都合の良い夢なんて見れなかった。


「いい加減にしてくれ。私はあの聖女のことなどなんとも思っていない」

「それは私があなたからユアナさんを好きになる機会を奪ってしまっただけ。ねえ、思い出して。ユアナさんと一緒にいるあなた達はとても心が安らいでいる様子だったでしょう? でも、私といるあなたはずっと苦しんでばかり……ユアナさんを好きになっていた方があなたは幸せになれたのよ。いいえ、きっと……ユアナさんじゃなくても、私以外の誰かを選んだ方が良かった」

「そんな仮定の話に興味は無い。この私が愛したのはジュノ、君だけだ」

「……違うわ。あなたは私に同情しているだけ。私を哀れに思ったから手を差し伸べたのよ。ねえクオレス、あなた、私の魔力が微々たるものだって知っていたんでしょう? 忌み嫌われた呪いの力を持つ、ちっぽけな魔力しか持たない女を哀れんだのでしょう?」


 振り返ってその顔を覗き見れば、クオレスは図星を突かれたような顔をしていた。

 ……やっぱり。だって他のジュノ達と私の違いなんてそれしかないもの。性格が良くなったわけでもなんでもない。ただ魔力を無くして属性を周りに打ち明けただけ。

 その二つによって努力の方向性も変わりはしたけれど、クオレスはその成果を認めはしなかった。

 私はクオレスに認められる女になりたかったのに、結局同情で繋ぎ止めてしまっただけだった。


「……魔力が無い事は知っていた。その事で君を気に掛けるようになったのも事実だ。だが私はただ君を哀れんでいたのではない」

「そんな無理しないで? 私に魅力が無い事は私が一番知っているから」

「何故そう自分を卑下する!」

「だって! 私、嫉妬深いし、恨みがましいし、自分本位で全然優しくないし……」


 自分の悪いところを挙げていくと何故かクオレスの表情が少しずつ和らいでいく。その不可解な反応に私は戸惑いを隠せなかった。


「奇遇だな。私も嫉妬深い方なんだ。だから君があちらこちらに目をかけるよりは自分本位でいてくれた方がずっと良い。それに恨みだろうと何だろうと、君の感情の豊かさは私にとっては美点だ。

そんな君だからこそ良いんだ」


 わからない。それの何が良いっていうのよ。


「……あなたのことだって、顔が良いから好きになっただけなのよ。硬派で浮気しそうになくて、私が他に目移り出来なくなるくらい綺麗な人なら、誰だって良かった。浅はかな理由でしょう?」

「君のお眼鏡に適って光栄だ」

「こんな私のどこがいいのよ!」

「可愛らしいところ、かな。浅はかな理由だろう?」

「真似しないでっ!!」


 自分が今怒っているんだか、恥ずかしくなっているんだかわからない。わからないけど顔が熱くてしょうがなかった。


「……君は信じてくれないだろうが、私はずっと以前からこの感情を抱いていたんだ。ただ、それに気づくまいとずっと心の奥底に封じていた」


 そんな都合のいいこと、あるはずないのに。


「君の想いに応えたい。だから言わせてくれ」


 どうしようもなく嬉しくてしかたない。

 どんなに理屈を付けようとしたところで、私の心はもう信じてしまっていた。だって彼の目はとても真っ直ぐだったから。ジュノの記憶に閉じ込められて嫌な目に沢山あったはずなのに、今はとても澄んだ瞳で私を見つめていたから。


 ずっとここに閉じ込めてしまおうって思っていたのに。


「好きだ、ジュノ。共に幸せになろう」


 そんな風に言われたら、もう止められなかった。いいえ、口説き文句なんて本当はなんでもよかったの。あなた自身の心から出た言葉であればそれがどんな言葉でもかまわなかった。


「……はい」


 彼の言葉に応え、その手を取りぐっと背伸びをする。それに応えるように彼は身をかがめてその薄い唇を私に重ねた。


 ……やっぱり、呪いは愛する者からのキスによって解けるのがお約束よね。


 辺りが光に包まれ怨念が内から浄化されていく様子を眺めながら、私はそんなことを思った。

 ジュノの不幸を集める呪いも、魔人になる呪いも消えて、この空間も光と共に消滅する。

 ジュノの深い深い悲しみなんてクオレスからの愛一つで簡単に癒えてしまう。こんな単純な女の一部にされた結果あっけなく消えてしまうだなんて、魔人も少しかわいそうかもね。


 白い光に包み込まれ、私の体に触れていたクオレスの姿も、その温もりも無くなっていく。だけどすぐに会えると確信していたから寂しくはなかった。


 二人で微笑みあって、共に消える。

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