6話.初めての詠唱
『何やってんですかあんたはーーー!! バカですか!? アホですか!? いきなりあんなことするなんて信じられません!』
「なによ。浮気をするクオレスが悪いんでしょ!」
『現時点じゃまだやってないでしょーがっ! 浮気どころか、ユアナちゃんと会ってすらいないんですよ!? 全く。あたしが中に入っていたらこんなトラブル起きなかったのに……』
鬱陶しい程に瞬く星空の下、私は背後から絶え間なく続く亡霊の文句を聞きながら早足で寮への帰路を急いでいた。
『そもそもジュノさん! あなた、ゲームではいくら二人が仲良くしてもユアナちゃんのことだけを敵視して、クオレスのことはろくに責めていなかったじゃないですか! どういう心境の変化なんですかこれ!?』
「知らないわよそんなこと。あんなにデレデレしていたクオレスが悪くないわけないでしょ!」
『いやゲームでもデレデレってほどの態度はしていなかったでしょ。すごく柔らかくて幸せそうな笑みを浮かべてユアナちゃんを慈しんではいましたけど』
「それをデレデレと言わずしてなんて言うのよ!」
なにがすごく柔らかくて幸せそうな笑みよ! この亡霊わざと言ってるの!? 本当にその通りだったからこそ腹が立つ!!
『……あー、そっか。ゲームの中のジュノが見ていたのはまだ完全にはくっついていない頃の二人でしたもんね。流石に婚約者がいる状態ではクオレスも想いを伝える気は無かったようですし。遠巻きに見ていただけのジュノ視点だと、全面的にユアナちゃんが悪いと解釈する余地もあったんでしょうね。でもあたしの記憶の中で、ジュノが退場した後のクオレスとユアナちゃんがイチャつくシーンをガッツリ見てしまった……クオレスがどれだけユアナちゃんを愛しているのかが疑う余地も無いレベルで伝わっちゃったんだ。なるほどなるほど? それでクオレスに対して怒りの矛先が向くようになっちゃったんですねー』
聞いていて物凄く苛立つ考察を勝手にしだしては一人で納得する亡霊。
生身の体じゃなくて良かったわね。これが生身だったら令嬢としてあるまじき行動に出てしまうところだったわ。
翌日、私は一晩寝ても怒り冷めやらぬまま初の授業を受ける事になる、筈だったのだけれど……。
「学園内に呪いが私一人しかいないんじゃ、専門の教師もいるわけ無いわよね……」
呪いの属性の学生用に割り当てられた小さな教室で一人きりにされた私は、深くため息をついた。一人きりといっても、正確には亡霊もいるわけだけど。
『まあまあ。専門の先生がいなくてもここには希少属性をいろいろ研究している先生だっていますから! きっとその先生から教えてもらえますよ!』
「その教師でさえ呪いは扱っていないってさっき職員から説明されたじゃないの。呪いのような人々に害しか与えない属性は研究すべきでないという風潮があるからだって……」
『えっ、そうだったんだ……ぶっちゃけ話が長くて半分くらいしか聞いていませんでした。言われてみればゲームであの先生がジュノと一緒にいるとこ見たこと無かった気が……』
呪いの属性の研究が進んでいないこの現状は、覚醒者が少ないという事だけでなく、そのイメージの悪さも大いに影響しての事だった。呪いの覚醒者が現れても、何か凶事があった時に自分の魔法のせいにされることを恐れてあえて学ばず、魔法とは関係の無い職に就くことが多いのだとか。
魔法による実力社会と化した貴族社会でありながら、魔法を行使することを自ら放棄する。呪い属性の者を取り巻く環境は想像以上に厳しいようだった。
「とりあえず、予習した内容が実際に使えるか確認していきましょうか……」
私は本で学んだ呪いの基本魔法を発動させていくことにした。
「憎き怨敵よ、永久に物言わぬ石塊となれ! メドゥーサ・カース!」
「我が呪念よ、かの者に悪夢の眠りを与えよ! ナイトメア・カース!」
「哀れな愚者よ、知性無きケダモノの姿となれ! ビースト・カース!」
……。
「なんなのよさっきから。何も発動しないじゃない!」
私は練習台の魔法人形相手に数々の魔法を打ったけれど、一つとして効果は無かった。
『なんででしょーねー……ゲームのジュノはバリバリ使いこなせていましたけど、そうなるまでの過程はプレイヤー視点じゃ一切見れませんでしたから……』
「結局、自力でなんとかするしかないってことね……」
結局、頼れるものなんて自分しかないのよね。
使いこなせるようになる未来があると聞いて少し安心はしたけど、そこに至るにはきっと私の努力が必要不可欠。
だったらどうすれば良いのか考えないと。
「もしかして相手が人形だからだめなのかしら。命あるものじゃないと……」
『ええっ!? 人間を呪うってことですか!?』
「人間とは言っていないでしょう! 人間じゃないといけない可能性もあるけど……まずは……そうね、虫にでもかけてみましょう」
その後私は学園内である程度の数の虫を捕獲した。思ったより短時間で集まったことに満足しながら教室に戻ってくると、後ろからずっとついてきていた亡霊がげんなりした顔でこちらを見下ろしていることにようやく気づいた。
『ジュノさんって素手で虫さわれるんですね』
「クオレスの前では触らないわよ」
『いや、そんなことは聞いてませんけど……。ジュノさんがクオレスの前で猫被っているのは知ってますし』
「猫なんて被ってないわよ。彼の前では可愛くありたいって気持ちが表に出ちゃうだけなんだから」
『はあ。でも昨日のあれは完全にボロ出ちゃってましたよね』
亡霊のその言葉によって昨晩のことを思い返した私は今になって己の失態に気づいてしまう。
確かにあの時の私は可愛らしいなんてものからはかけ離れていた。みっともなく声を張り上げていたし、きっと凄い形相をしていたことでしょう。
そもそもクオレスに手を上げてしまうこと自体初めてのことだった。
『あんな事しちゃいましたけど大丈夫ですか? このままだとクオレスへの名誉毀損でユアナちゃん関係なく婚約解消だか破棄だかになっちゃうかもしれないですよ?』
「えっ……」
唐突に言われた最悪すぎる未来に愕然としてしまう。けれどそれは決してありえない話ではなかった。
亡霊が言う通り、現時点ではまだ浮気をしていないクオレスを浮気者扱いなんてしたことは彼の名誉を不当に傷つけたことになる。彼自身の意思によって婚約破棄をしてしまってもおかしくない状況かもしれない。
「……もしかして、かなり深刻な事態になってる……?」
『なっちゃったかもしれませんねー。ジュノさんの自業自得ですけど』
「で、でも……やっぱり納得いかないわ! クオレスが浮気者なのは事実じゃない!」
『まだ事実になってませんってば!』
「可能性がある時点で許せないのよ!」
『そんなこと言ったらジュノさんだって人を傷つける犯罪者になる可能性があるじゃないですか! それを理由に婚約破棄されちゃってもいいんですか!?』
言葉に詰まる。
……言われなくたって、本当はわかっているわよ。
まだ起こっていないこと、起こらないかもしれないことを責めたってしょうがないってことくらい。
でもそんな理屈じゃ私の中で燃え盛る嫉妬は鎮まらない。
そういえばどうしてクオレスはあの場所にいたのかしら。クオレスはあんな場に出るような人では無いと思っていたのに。
まさか他の女と踊る為に……? 鎮まらない嫉妬心から私はついそんな想像を抱いてしまったけれど、悪夢に出てきたあの女はまだこの学園にいないはずだし、流石にクオレスは誰彼構わず手を出すような人ではないと思いたいし……そう思い直していく内に、あの時彼が私に言っていた言葉を思い出した。
――また倒れたと聞いたが、何処か不調でもあるのか?
他の言葉と重なってしまったけど、あの時たしかに私にそう言ってくれていたような気がする。
……もしかして私が倒れた話を聞いて会いに来てくれたの?
そうと決まったわけではないけれど、そう思ってしまった途端に後悔と罪悪感が嫉妬心を呑み込んでいった。
心配していた婚約者から全く身に覚えの無いことで責められて頬を叩かれるなんて、とんでもない理不尽じゃない。
彼に謝らないと。
だけど……謝るだけで済むような話なのかしら。
あの場にはクオレス以外にも結構な人がいたような気がする。たしかダンスパーティーの真っ最中だったはずだし……。もしも私のあの行いによって彼のいわれなき悪評が広まってしまっていたとしたら、謝っても謝りきれるものではない。その場合一体どうしたら……。
『……あ、ああっ!! ジュ、ジュノさんっ! 虫! 虫が逃げちゃってますよ! ひ、うぎゃーっ、こっち来ないでーっ!!』
「……霊体の癖に何怖がってるのよ」
一先ず今私がやるべき事は、逃げた虫の回収だった。