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62話.私と私と私

 私にとって地下倉庫は、お母様が亡くなった後から別邸に移り住むまでの頃によく入り浸っていた場所だった。

 誰にも見つからないように、恨み言を言いながら泣いていたっけ。

 お母様が死んだことによって用済みになった未使用品の使い捨て安物ゴーレム達もここに仕舞われていて、それを見つけた時は盛大に当たり散らした覚えがある。

 地下倉庫の空間はまるで幼い私の恨み辛みがそこに溜まっているかのように、重々しく冷たく、そしてよどんだ空気に満ちていた。


「ティッカは良い子だろう」


 先に地下倉庫で待っていたお父様が背中を向けたまま、私にそう語り掛けた。


「……そうですわね」

「だがあの子は平民であるあの人との間に生まれた子だ。学園に入っても正当な評価を得られぬかもしれん」

「そこは本人の才能と努力次第でしょう。平民でもその力を認められている者もいます」

「噂の聖女属性の者のことか? そんな例外中の例外を持ち出すでない」


 お父様の声に苛立ちの色が混じる。その後ろ姿は何かを、おそらくお母様の遺品を取り出そうとしている最中だった。物がぶつかり合う音が倉庫内に響く。


「よし、あったぞ。此方へ来い」


 声に促されるままにお父様の方へ歩み寄る。

 警戒なんてしていなかった。いくら愛されていなくても、私達は家族なのだから。

 だから罠にかけられるなんて、思いもしなかったのだ。


 足元が光ったと思った瞬間、突如として身動きが一切取れなくなる。口さえも開くことさえかなわず、出来ることはせいぜい視線を動かすことだけ。

 下に目を向ければそこには光り輝く魔法陣が描かれていた。


「今回見つけたのはあの女の遺品などではない。ティッカを救う方法だよ」


 振り返ったお父様は邪悪な笑みを浮かべながら、その手には魔導書らしき本を持っていた。


『ジュ、ジュノさん! もしかして動けないんですか!?』


 私の異変に気付いた亡霊が周りをおろおろと飛び回る。


「ティッカに必要なのは学園の誰からも認められるほどの魔力の高さ。だが魔力を上げる方法なんて都合の良いものは無い……そう思っていた。だが存在したのだ。この国ではない、遥か彼方の異国に……他者からの力を奪って自分の物にする秘術がな」

『それって、まさか……魔力を奪う術ってこと……!?』


 それは亡霊から魔力を取り返すべく、私が以前探していた方法と同じものだった。

 そして私の身体の自由を奪ったこの状況。

 もはや考えるまでも無い。お父様は私にその術を使おうとしている……!


「まずはお前で実験をしてやろう。俺達家族の役に立てることを光栄に思え!」


 そう言ってお父様は魔導書を読みながら聞いたこともないような異国の言葉を唱えだした。

 私の魔力が微々たるものであることも知らずに。


 術の影響によるものか、暗い地下倉庫を満たす空気が更に重々しく異様なものに変わっていくのを肌で感じ取る。

 このままでは私のなけなしの魔力が奪われる。そう思ってもやはり指一本動かすことすら出来ないでいた。


『こうなったら……石化しろクソオヤジ! メドゥーサ・カース!!』


 亡霊がお父様に向かって魔法を放つ。

 だけどその魔法の効果が発動されることは無かった。


『あれっ……なんでっ……!? どうして肝心な時にばっかり!!』


 一方のお父様は魔法をかけられそうになった事にも気づかないまま詠唱を続けている。あらかじめお父様がなんらかの対策をとっていたのか、それを確認するすべは私達には無い。

 だけど、この感じはあの時のものに似ている。賊のアジトで遭遇した魔物に対して亡霊の魔法が効かなかった時の様子に。まるでこの空間全体があの魔物と同質の存在になっているかのような……。そしてその状態はお父様が今唱えている術が引き起こしている。


「さあ……魔力を捧げよ!!」


 詠唱を終えたお父様がその手を私に向けた、その瞬間。周囲を満たしている禍々しい力が私に襲いかかる。

 そしてその力をこの身に受けた時に、私は力の正体を知った。


 お父様が唱えたのは、他者から力を奪う術じゃない。

 むしろ逆。周囲から取り込ませるための術で、しかもそれは魔力ではなく――亡者や生者が遺した思念だ。

 きっとこれは呪術の類……私がその術について考察出来るのはここまでだった。


――ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。


――貴族様、どうして私を騙したのですか。私は誰かを苦しめたくなんてなかったのに。知っていれば、こんなことには。


――出来の悪い妻でごめんなさい。生まれてきてごめんなさい。私にも私が邪魔者であることはわかっています。だけど私にはもう何処にも行くところが無いのです。


――ごめんなさい。こんな苦しみを、悲しみを背負わせることになるなんて。それなのにどうしてこの想いは消えてくれないの。


――お願いですどうか私を愛してください。私にはもう旦那様しかいないのです。旦那様。旦那様旦那様……。


――いっそ憎い。忘れてしまいたい。それでも私達は貴方様を愛しているのです。貴族様を。旦那様を。


「や……めて……」


 二人の女の思念が私の中に流れ込んで来る。お父様と愛し合った女と、お父様に見向きもされなかった女の想いが。

 そして瘴気にも似た思念の力が、足元にあった魔法陣の効力をも打ち消す。拘束から解かれた私はその場で膝をついた。

 この瞳から溢れて止まらない涙は、誰が流しているものなのかさえわからない。


 目の前には私の愛しい人がいる。

 愛し合った日々の思い出が蘇る。私を癒してくださった貴族様。ああ、私も旦那様に癒していただきたかった。生前に真実を知っていれば、身を引いたのに。本当に? この想いを止められることは出来たの? 私は旦那様への愛を最後まで諦められなかった。いつか見舞いに来てくれる日が来るのではないかと思っていた。どうか私を愛してほしかった。だって旦那様は私を抱いてくださった唯一の人。私にとってもそう。私は愛されていた。愛されたかった。愛されていた。私は愛されていた。なんだ、私愛されていたのね。それなのにどうして裏切った。よくも騙してくれたな。よくも見捨てたな。何故妻子がいると言わなかった。何故独り身だと言った。そんな事を言ったのか。私の存在を否定したのか。そんなに邪魔だったのか。だから見殺しにしたのか。殺したのか。最初から亡き者にしようとしていたのか。私を殺した。私の事も殺したのか。本当は助けられたのではないのか。二人も私を殺したのか。いいえ、私は一人だけ。愛されたのも殺されたのも私だけ。


 ……「私」って、誰?


「ぁは、アハ、あははははははははは!!」


 狂った女の笑い声が響く。


 私の大好きな人は目を見開いて固まってしまった。ああ、なんて可愛らしいのかしら。


「ど、どういうことだ……力が高まった気もせん……。秘術は、失敗したのか……?」


 戸惑っている彼のもとへ歩を進める。何故か彼は私に警戒した様子だった。どうしてかしら。折角の再会だというのに。


「お久しぶりでございます。こうして貴方様に再びお会いできる日が来るとは思いませんでした」

「何を言っているのだ。お前は」


 あの頃のように微笑んでみせてもわからないなんて、鈍感な人。

 私は不思議と湧いてくる力によって彼を床に押し倒しその首に手をかける。うめき声なんて出しちゃって、可愛い。


「私よォ私。わからないい? 貴方様が私を蘇らせてくれたのよォ。私を忘れちゃったの? アハハッ、本当に酷い人!!」

「ぐぅえッ……!」


 ちょっと強めに首を絞めたら愉快な声が出てきた。楽しいわあ、娘のおもちゃにぴったりかもね。


「思い出せないのなら、思い出話でもしてあげましょうか。言葉だけじゃ足りないなら想いも直接入れてあげるワ。私が味わってきた苦痛も悲しみも全部、全部教えてやる……!」


 そして私はこの男と愛し合った日々を、酷く扱われた日々を語った。その時の感情を黒い霧に変えて肉体に流し込みながら。


「そ……んな……お前は、いや、お前達、は……。どうして、こんなっ……」


 長い長い話の末に、愛しい人は心で理解してくれた。その表情から力強さは抜け落ち、悲痛なものとなっている。私の感情がうつったのかしら。体まで震えちゃって、かわいそうに。


「ようやくわかってくれたのね? そう。私は貴方様に裏切られて殺された女よ」

「ち、違う……! 俺は、そんなこと」

「違わない!! まだわからないのか! お前は! 私を! 二度も殺したのよ! そしてまた私を殺そうとした! 魔力の無い令嬢に生きる資格など無いと知りながら力を奪おうとした! そんなにも私のことを憎んでいたの? 私はこんなにも貴方様のことを愛しているというのに!!」

「グォぼッ……わ、わるかっだ……お、れが……全、部……」


 黒い渦巻く感情と共に殴りつけてやれば、彼はすぐに非を認めてくれた。

 女から馬乗りにされている状態で涙を流しながら謝罪し続ける彼の姿はこの上無く情けない。しかしその姿を見ても私の怒りがおさまることは無かった。


 その後も憎しみにも似た愛情を黒い霧に変えて注ぎ込み続ける。

 私が受けた苦しみを全て貴方様のものにしてあげるために。


「さあ、私と身も心も一つになりましょう。私と貴方様の違いなんて、無くなってしまえばいい。黒く溶け合って、どろどろになって、共にこの世界から消えるの……」


「――お姉ちゃん!!」


 突如として光がさしこまれ、第三者の声が響き渡る。地下倉庫の扉が何者かによって開け放たれたようだった。

 光がさす方を見る。あの声は、あの光の中にいる娘は私の……私の、何?


 光から出てきたのは、その娘だけでは無かった。

 金色の髪の男が赤い矢を放って……矢はあの人が持っていた本に刺さった。


 それと同時に頭がフッと軽くなる。


「ジュノ様……ご無事ですか?」


 気遣わしげな声で呼ばれた、ジュノという名。その名を聞いてやっと私が何者であるのかを思い出す。だけど。

 私の下にいる、男の顔――光の無い目でただ静かに泣いているお父様の顔を見て湧き上がる感情は、私の、ジュノのものでは無かった。

 狂おしいほどに愛おしい。その感情に吐き気が、悪寒が、嫌悪が止まらない。私が愛する人はクオレスただ一人なのに。

 王女の魂が入った時でさえ、心優しい殿下を兄妹として愛しく思う想いを共有した時でさえ、私には苦痛でしかなかった。それなのに、よりにもよってこんな男に。こんな最低な父親に、家族としてではなく男として愛する想いを植え付けられるなんて……!


 もう嫌だ。汚らわしい。死にたい。死んでしまいたい……。


 心の中を散々荒らされた私は、その疲労からか、それとも絶望によってか、レイファードの腕に支えられながら意識を手放した。




 暗く沈んでいく意識の向こう。


 その先に待っていたのは見た事も無い世界だった。

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