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59話.第三試験

 魔の森は私一人では危険な場所だから他の学生と共に行くことになるとは、たしかに聞いていた。

 聞いていたけど……。


「……では行こうか」

「今日はよろしくおねがいしますっ! ジュノさん、クオレスさんっ」

「え、ええ……」


 まさかその相手がクオレスとユアナだなんて。

 妙な緊張感で体が少し強張ってしまう。


『えっぐい組み合わせですねこれは……』


 クオレスと一緒で嬉しい、という気持ちが無いわけではないけど、それ以上にこの二人が同じ空間にいる事への抵抗感が強い。

 これを機に二人の仲が縮まってしまったら……という不安に襲われながら、私は森へ向かう馬車へ乗り込んだ。


 馬車内での位置関係は、私がそれとなく誘導……しようとする前にクオレスからエスコートをされて彼の隣に座らせられ、最後に乗って来たユアナは自然と私達と面する形で腰を下ろした。

 ユアナをクオレスの隣には絶対に座らせたくなかったから、これでいいのだけど……狭い馬車の中、その気がなくともクオレスの体と触れ合ってしまいそうな距離にいるという状況に、先程までとは違う緊張感が走る。

 馬車の中ってこんなに小さかったかしら……。いつもと変わらない筈なのに、今日だけは妙に狭く感じてしまっていた。


「えっと、わたしは魔の森にいる魔物をできるだけいっぱい倒すことが試験の内容なんだけど、ジュノさん達はどんな内容なのかな?」

「私は魔の森の環境改善よ」

「環境改善!? すごいね! 呪いの力ってそんなことまで出来ちゃうんだ!」

『たしかに全然呪いっぽくないですよねえ』


 そういえばこの空間には亡霊もいることを思い出し、声がした方を見てみると……亡霊は首から上だけを馬車内に突き出していて、屋敷の壁に掛けられた鹿の首状態になっていた。

 笑わせにきているのかしら。私しか見えていないのだからやめてほしい。


「私の試験内容は同行する二人の護衛だ。君達に一切の怪我を負わせぬよう尽力するが、君達も無茶をしないようにしてほしい」

「ということは、私達が傷ついたらクオレスの試験結果に響いてしまうのね。わかった。危険なところには近づかないようにするわ」


 試験の様子は魔法生物が常に監視するそうだから、ユアナの回復で無かったことには出来ないのでしょう。絶対に怪我をしないようにしないと。


「わたしもなるべく遠くから攻撃するようにします!」


 協力的な態度のユアナは力強く頷き、その後も役割分担等の作戦会議を開きだした。

 魔物への攻撃自体は基本的には全てユアナがおこない、魔物が接近した場合のみクオレスが対処する。よほど余裕がある状況であれば足止め程度にとどめてユアナが討伐出来る状況に、そうでない場合はクオレスは一切躊躇せずに魔物を斬り捨てること。

 そういった取り決めを二人がしていく様子を私は黙って見ているしかなかった。


「そうだ。そういえばジュノさんって戦いはできるのかな?」


 急に話を振られるも、煽っているとしか思えない言葉に私は少し苛立ってしまった。

 この女のことだから悪意は無いのでしょうけど。クオレスの手前、なるべく刺々しくならないよう心掛けながら言葉を返す。


「悪いけど、この力は戦闘には不向きなの。当てにはしないでね」

「そっかあ。それならジュノさんのことはわたしとクオレスさんの二人で守らないとだね」


 ユアナは何の気無しに口にしたであろう言葉。

 けれどその言葉に私はひどく心を掻き乱されてしまう。

 私一人を、ユアナとクオレスが二人で協力して守る?

 なによそれ……。弱き者を男女二人でだなんて、まるで子を守る夫婦のような構図じゃない! この女、クオレスと対等な位置に立てるのは自分だとでも主張したいの!?


「ジュノ嬢の事は私一人で守る。君は自分の身の事だけに専念してくれ」


 私が思わず握りしめていた拳の上にクオレスの手が覆うように重なる。

 彼の言葉とその手のぬくもりによって私の怒りは一瞬で霧散した。


「クオレス……」


 こみあげてくる歓喜が彼の名を呼ぶ声となって漏れだした。

 だけどその直後、その歓喜さえも消し飛ばす光景が現れてしまう。


――君の事は私が守る。だから君は目の前の事だけに専念してくれ。


 そう言って何かに立ち向かうユアナの背を守るクオレス。

 お互いの強さを信頼し合っているのがわかる、固い絆によって結ばれた二人の姿が目の前に現れて――。


 突如、体を締め付けるような圧迫感が私を襲う。


 その感覚に目を向けようとすると、幻覚は晴れて……横から私の身を強く抱きしめるクオレスが目の前にいた。


「く、クオレスっ!?」


 どうしてこうなっているのかわからない私は困惑と恥ずかしさで慌てふためいてしまう。

 だけどクオレスは私の体を離さなかった。私の髪に顔をうずめているせいでその表情はうかがい知れない。

 私が嫌な幻覚を見ている間に何が起こったの!? 馬車が大きく揺れたとか……?


「ジュノ」


 私を呼ぶ声が耳元にかかり、心の臓が飛び跳ねる。このままでは熱と動悸によって彼の腕の中で倒れてしまいそうだった。


「えっ、と、もう大丈夫! もう大丈夫だから……!」


 彼から逃れるように顔を背けると、顔を真っ赤にさせながらこちらを見ているユアナと、訝し気に傾げている亡霊の生首がそこにあった。




 早朝に出発したこともあり、目的地に到着したのは日が真上に昇る少し前の時間帯だった。だけどここからでは太陽の姿は見ることが出来ない。

 ここ、魔の森はその全体が黒い雲や霧状の物質――瘴気に覆われ、かつて樹木だったものは瘴気によって変質し、硬質な黒い物質に変化していた。葉は既に全て落葉しており、その代わりとでもいうかのように濃い瘴気がかつての樹木に纏わりつき葉のように覆い茂っている。遠目から見ればただの黒い森に見えるかもしれない。

 息をするだけで胸が重くなる程の異質な空気。長居は危険だと全身が警告してくる。


 はやく改良に改良を重ねた植物を植えてしまいたいところだけど……そんな余裕は簡単には与えてくれないらしい。


「早速お出ましのようね……」

「ジュノは私の後ろから離れないでくれ」


 クオレスが私の前に立ち、大量の剣を召喚してその内の一本のみを手に持ち、残りはそのまま周囲に浮遊させる。魔物が近づいてきたらこれらの魔剣で仕留めるのでしょう。


「それじゃあいきますっ! ……尊き命の輝きよ、今ここに! セイクリッド・レイ!」


 ユアナの詠唱と共に天から光の筋が現れ、前方から押し寄せてくる何十もの魔物の群れを貫いていく。

 貫かれた魔物達は断末魔をあげながら必死にもがくも、その身はみるみるうちに崩れていき最後には光の中へと溶けていった。


『おおーっ、ユアナちゃんの大技きましたね!』

「すごい……」


 跡形も無く消える魔物達の姿を見た私はそう口にする他無かった。

 私なんて魔物を一匹仕留めるどころか、引っ掻き傷を負わせるくらいのことしか出来ないままぼろぼろにされてしまったのに。

 噂には聞いていたけれど、ユアナが使う攻撃魔法は本当に凄まじい威力だった。


「魔物さん達、安らかにお眠りください」


 そのユアナは一体どういうつもりなのか、自分が消した魔物達に祈りを捧げていた。




 クオレスが魔剣によって周囲を探り安全を確認した後、ようやく私の出番が訪れる。


「では、はじめるわね」


 私は水晶のように輝く鋭利な種をまず一つ取り出し、樹木の成れの果ての根本に勢いよく打ち込んだ。

 続いて、植物の成長を促進させる薬をクリスタルにしたものを種の周囲に打ち込んでいく。

 本来なら一本だけで植物を瞬く間に成長させるほど強力な薬なのだけど、この種はナイトメア・カースの影響を受けているから五本は打ち込む必要があった。


 ハーヴィー先生が用意してくださった実験環境では、これで上手くいったけど……その環境は瘴気を出す希少な魔物の残骸を出来る限り集めて作られたもの。

 この森でも同じようにいくかはわからない。拭えない不安を抱えたまま見守るしかなかった。


『あっ、種が割れましたよ!』


 私よりも間近から種の様子を見ていた亡霊が真っ先に声をあげた。

 割れた種からは紫色の蔓草が飛び出て、黒の樹木を支配するかのように巻きつき、急速な勢いで伸びていく。


 この植物――ヨギ草は瘴気に侵された植物を苗床にして周囲の瘴気を吸って成長し、清浄な空気を吐き出すように改良されている。

 瘴気に耐性がある程度の植物から、瘴気を糧にする植物にまで作り変えるのは時間がかかったけど……徐々に劣悪な環境に適応させていきながら様々な植物同士で交雑を繰り返して最適な組み合わせを探し、最終的に瘴気しか養分に出来るものが無いような環境でも生き残ることの出来る植物を作り出すことが出来た。


 その見た目は、毒々しい紫色の禍々しくうねる蔓、鉤爪を生やした手を腐敗させたような葉という、不気味としか言いようのないものとなっている。

 しかも吸い込む瘴気が多すぎるせいか、蔓が太く成長し脈動までしている……。

 あるべき自然からはかけ離れた環境に適応するため、なるべくしてなった形状ではあるのだけど……この植物が瘴気を出していると思われても仕方のないような姿ね……。


「これが……この森を癒す植物か」

『うーん、相変わらず見た目が酷い!』

「生きてるって感じするねえ……」

「……言っておくけどこれが正常な姿よ」


 問題無く育っていく様子を見届けた私は、他の樹にも同様に種を植えていった。




 その後もユアナが周囲の魔物を一掃して安全になったところで私がヨギ草の種を植え付けて……と繰り返していく内に私達は森の深部へと近づいていった。

 奥へ進むにつれ魔物も強くなり、ユアナの魔法をかわす素早い敵や、一発受けた程度では滅びないしぶとい個体も出てきている。それらの魔物が接近した際はクオレスが剣で相手をしていた。

 更に、瘴気も奥へ行くほど濃くなっている。私達はなるべく濃い瘴気を吸い込まないよう、ヨギ草が辺りの瘴気をある程度吸収してから奥へ進むことにした。


「ジュノさんのおかげでだいぶ過ごしやすくなったね。あ、ほら、また花が咲きはじめたよ!」


 休憩しているユアナが指さす先にはたしかにヨギ草のつぼみが開花しはじめていた。

 ヨギ草のつぼみは丸々とした形に目玉のような模様をつけていて、それも手の形をした葉の表面につく。大きなつぼみを葉が支える姿は、まるで目玉を抱く手のようだった。

 そしてその目玉が中心から裂けていき、中からピンク色の花が咲く。真ん中に口がついたような形の花は花粉を清浄な空気とともに吐きだし、または花粉を取り込むために周囲の空気を瘴気ごと吸い込んでいく。

 これらの活動によって魔の森の浄化は更に進んでいった。


「ピンク色の花がたくさん咲く木……ね」

『言っておきますけど桜の花はこんな禍々しくありませんからね?』


 亡霊が話していたサクラの花の話を思い出して口にした言葉は、他でもない亡霊自身によって即座に否定されてしまった。

 少しは似ているかもと思ったのだけど。残念ね。


「本当にすごいね、ジュノさんの魔法! さっきまでこの辺りは真っ暗だったのに、今はもう空が見えるくらい明るくなってるよ!」

『これだけ効果があれば試験は合格じゃないですかね? 完全に元通りにしろとは言われてませんし』

「しかし魔物の強さまでは衰えないようだ。二人共気を抜かないように」


 クオレスの言葉を聞いて私は気を引き締め直した。

 私は戦わないけど、この森は複雑な地形で足場が悪い。転んで怪我をしないようにしないと。




 そう思って注意深く進んでも、全てのトラブルを避けられるわけではなくて。


 迫りくる魔物の猛攻。地を割り木をなぎ倒すほどの攻撃の数々から逃れる内に私達は分断を余儀なくされてしまった。


「ユアナさん、大丈夫かしら……」

「きっと心配ないだろう。彼女は強い。それに彼女の周囲にも魔剣をつけてある。何かあれば私の剣が対処をするはずだ」


 私はクオレスに手を引かれたり、時には抱えられたことでなんとか離れずにすんだけど、ユアナは一人はぐれてしまった。

 ユアナには強力な回復魔法がある。だから多少怪我をしてもなんとかなるでしょうけど……それだとクオレスの試験に影響が出てしまう。

 ……この期に及んで、人の身を案じるよりも想い人が受ける評価の方を気にしているなんて。私の心の内を知ったらクオレスは幻滅するかしら。


 せめて私だけは無傷でいないと。


「魔剣の位置を辿れば彼女と合流出来るだろう。先へ進もう」

「ええ」


 私は迷惑にならないよう、敵を殲滅していく彼のあとを必死でついていった。


 長い触手や棘によって遠くから仕掛けてくる魔物達や、地面から飛び出してくる無数の巨大なムカデ、空から攻撃してくるいびつな形の鳥の群れ――様々な魔物との戦いを続けていくにつれ、クオレスの息があがっていく。

 それは戦闘による疲労だけではない。森から発生する瘴気にあてられて体力を奪われていっているからだった。

 ユアナが同行していた時は、ユアナがこまめに私達の回復をしていたから瘴気が体内に蓄積しなかった。だけど今はユアナがいないから回復する手段が無い。

 いなくなってからユアナの存在の大きさを痛感してしまう。そして私には何も出来ないということも……。


 だけど苦しそうな顔をしていても、クオレスは決して攻撃の手を緩めたりしなかった。

 向かってきた魔物の群れを全て倒しきったクオレスは、周囲に残党が残っていないか確認する。


「……ひとまず片付いたか。ジュノ、種を植えていってくれ」

「わかったわ。でもクオレス、これが終わったら少し入り口の方へ戻らない? この辺りはまだ瘴気が濃いわ」

「いや、その必要は無い。彼女がこちらに近づいてきているからな。間も無く合流出来るだろう」

「そう。……それならよかった」


 これでもう大丈夫。そう思っても一向に晴れない気分のまま黙々と種を植えていく。

 私が出来ることは森の瘴気を少しでも薄くすることだけ。でも、瘴気を薄くしたところでクオレスを癒してあげられるわけではない。

 それに……。


――清らかな力ってのは行き過ぎると逆に生物が住めない環境にしちゃうんだよ。


 ハーヴィー先生は以前そう言っていたけど……ユアナの方が森の浄化ももっと上手に出来るんじゃないかしら。


 だって私、ユアナに何一つ勝てていないもの。

 貴族の嗜みとして覚えてきた事や、料理の腕なら勝てても……そんなの、どうでもいい事じゃない。

 本当に大事なことは一つとして上回っていない。私はクオレスの力になることも、癒すことも出来ない。心を救うなんて真似も出来ない。脅威を取り除くことも出来ない。


 ユアナが殿下の心を救い出して魔人の手先を討った時、いよいよ認めるしかなかったの。ユアナは略奪する側ではなく、与える側なんだって。

 力だけじゃない。心の在り様だって、私ではユアナに勝てない。

 クオレスには私のような心の醜い女なんて、本当はふさわしくない……。


「クオレスさん! よかった……やっと会えた」

「ユアナ君。無事だったか」


 何処か、遠くの方から二人の声がした。ここからだと小さく聞こえるけれど、何を話しているかははっきりと聞き取れる。

 クオレスがユアナを迎えに行ったのかしら。そう思って声がする方へ近づいてみると。


「見つけてくれて、ありがとうございます……。わたし、ずっと寂しくって。まるで世界に取り残されていたような気がしたんです」

「心細い思いをさせてすまなかった。もう二度と君を一人にはしない」


 抱き合う二人の姿が、目に飛び込んできた。


 そんなこと、そんなことクオレスが、するはずない。


 いいえ、これが本来あるべき姿なのかもしれない。けど。


「えへへ……。やっぱりクオレスさんって優しいですね」

「私は優しくなど……」


 二人の間に柔らかな優しい空気が漂う。


 きっとこれは幻。

 他の歴史のクオレスがどうであろうと、私が知っているクオレスはあんな節度を欠いたことはしない。

 私のことが好きでなくても、私に対して誠実であろうとしてくれている。それは伝わってくるから。


――だから亡霊……私が、クオレスがユアナと共にいるところを見てしまった時はそれが現実のものかどうか、その都度確認させてほしいの。

――それくらいお安い御用ですよ! あたしはいつでもジュノさんと一緒にいますからね!


 かつて亡霊と交わしたやり取りを思い出す。

 あれが幻覚かどうかを今確かめたいのに、何処を見渡しても亡霊の姿が無い。


「亡霊! 亡霊、何処なの!?」


 あのみすぼらしい姿が見当たらないことに気が付くと、途端に不安になる。

 まさか……この瘴気に飲み込まれてしまった?

 思えば、生身の体じゃない亡霊にはどんな影響があるかわからない。もしかしたらここは亡霊にとって危険な場所だったのかもしれない。


「お願い! 返事をして……!」


 私は亡霊を探しに当ても無く駆けだした。


 しかし突如として足場が消える。


「あっ……」


 その時になってようやく気付いた。

 私が見ていた景色、全てが幻だったんだって。

 幻の中の景色はこの森では無かったのに、私はそれに気づくことが出来ないまま動いてしまった。

 こんな入り組んだ地形の危険な森で、視界が利かない状態のまま動き回ってしまえばどうなるか。


 崖から足を踏み外した私の体は宙に投げ出されていて。


「ジュノ!!」


 私を追ってきたクオレスが差し伸ばす手を、取れなかった。


 ごめんなさい。


 幻覚に惑わされて、あなたの足を引っ張ってしまった。

 あんな幻、私だって見たくないのに。


 背中と後頭部から強い衝撃を受けて、私の意識はそこで途絶えた。

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