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47話.【クオレス】④

「一時的に人格が変わっていた?」

「ああ。身振り手振りまでまるで別人のようだった」


 冬の長期休暇明けに初めてハーヴィー先生と交わした会話はジュノに関する事だった。

 ジュノ本人に問いただす事は出来なくとも、やはりあの現象は気に掛かる。

 先生なら何かわかるやもしれぬと相談してみたのだが。


「何か変なものでも食べたんじゃないの」

「彼女はそのような不用心な人間ではない。それに……あの時だけは魔力が飛躍的に上がっていた。今ははもう元に戻っているようだが」

「魔力が……? そういやアンタは魔力の質が見えるんだったね。マナならともかく、魔力が一時的にでも向上……そして人格の変化か」


 ハーヴィー先生は顎に手を当てて考えこんだ。


「……魔力を引き上げる薬を作ろうとしているヤツはそれなりにいる。危険な副作用が出ることも厭わずに薬を作るヤツも、それを欲しがるヤツもね」

「彼女が何者かからその薬を購入して服用したと……?」

「さあ、そこまでは」


 確かにあれ程低い魔力では危険な薬に手を出すほどに追い詰められていてもおかしくはないだろう。

 しかしジュノはそのような様子などおくびにも出さない。

 彼女が学園に来てからわかった事だが、どうやらジュノは自分の弱みを隠すのが得意なようだ。それこそ、私以上に。

 ジュノは自分の魔力の無さなど微塵も感じさせないような気丈な振る舞いを常にしている。

 そのおかげか彼女の魔法を実際に見た事が無くとも、その実力を高いものであると推し量る学生は非常に多いようだ。

 彼女が弱みを見せる事など、私に関する事だけなのではないだろうか。


 おそらく、別の世界の私はその強さに気づく事が最後まで無かったのだろう。

 だから彼女が抱える苦しみにも気づけなかった。強さの中に隠れた感情を見つけ出そうとすらしなかった。

 ジュノの魔力が減っていなければこの私も気づけなかったのだろうか。

 長年一緒にいて、ジュノの事なら大体は理解出来ていると思っていた。しかしそうでは無かったらしい。


「とりあえずは経過観察でいいんじゃない。それでなんとも無ければもう懲りたってことでしょ。こっちは学生に接触した怪しい業者がいないか調べておくからさ」

「忙しい中すまない。よろしく頼む」


 これ以上無理をしなければいいのだが。

 出来ることなら魔法自体使って欲しくは無い。


 しかし私のその思いをよりにもよってハーヴィー先生が踏みにじるなどとは、その時は思いもしなかった。




「待っていたわ。クオレス」


 私を令嬢らしい笑みで出迎えるジュノ。その後ろにあった物を見て私は息を呑んだ。

 何故あの剣がここに。


 あれは確か遠征よりも前の時期。

 私は魔剣の手入れをしている時に剣の数が一本足りない事に気がついた。

 しかし剣が紛失するという事はそれほど珍しくも無い。

 魔物の中には溶解液を吐き出したり、武器を体内に取り込むような性質を持つ個体も存在している。

 この頃はこの頃は任務が立て込んだ時期であり多くの魔物と乱戦をしていた為、いずれかの魔物の仕業だろうと大して気にも留めていなかったのだ。

 それがこのような事態を引き起こす事になるとは思いもしなかった。


 ジュノはロウエンが盗んだのだと事も無げに説明したが、私が召喚した魔剣をそのまま盗むというのは容易では無い。

 私が召喚した魔剣は私とマナで繋がっており、離れた所にあっても私の封印に必ず応えるのだから。

 魔剣そのものを破壊するか、魔物のように己の体の一部にするか等して、私と魔剣の間に流れるマナを断ち切らなければ引き離す事は出来ない。

 だがロウエンは魔法によって私と魔剣の間にあるマナを断ち切ったのだろう。

 『贅を貪る悪徳貴族のみを狙う義賊』などと自称する盗賊団の中にいた経験がそのような魔法を習得させたのだろうか。手癖の悪い男だ。


 あの男とは医務室で互いに満身創痍の中短い会話をしたきりだ。

 私が近づくなと言ったのは聖女ではなく婚約者の事だと指摘をしてやると「紛らわしい男だ」などと言い放った。

 逆に何故そう捉えたのかこちらが問いただしてやりたかった。

 私にとっては聖女個人とは殆ど関わりが無く、ロウエンがあの聖女に懸想していた事も知らなかったというのに。


 その言葉を押しとどめながらも、改めて私の婚約者に近づくなと警告したというのにこの仕打ちか。


 魔剣を盗まれた事自体は問題ではない。

 問題視すべきは、私が魔力によって作り出したマナの塊では無く、既存する魔剣を所持している事が知られた事だ。

 それも盗んだ張本人だけでなくジュノにまで知られてしまった。

 誰よりも信用させたい相手であるジュノに不信の種をまた一つ植え付けてしまった事に、私は唇を堅く結んでいた。


 しかしジュノは私を責めなかった。


「ク、クオレスは勉強熱心よね! 自分が作りだす剣の参考にする為に魔剣を購入していたんでしょう? 本物に触れることも大切よね!」


 何の非も無い君がそのように取り繕う必要は無いというのに。

 この部屋に私を招き入れたのも他の者達に魔剣を見せない為だろう。

 いろいろと思うところはあるだろうに私を気遣うジュノの献身に、少しでも応えてやりたかった。


「結婚したら君に全てを話そう」


 その思いから口にした言葉は思いもよらず彼女を動揺させた。

 令嬢の仮面が剥がれ落ちたその表情は喜びと恥じらいと戸惑いが入り交じったもので。


『愛らしい』


 脳裏にそんな言葉がよぎる。

 ……きっとこれは魔人が私を惑わすためのものだ。


 以前だって彼女があのような表情を見せた事は何度でもある。

 それなのに今更この心が動かされる事など、ある筈が無い。


 私はジュノから目を逸らし部屋の中に目を向けた。




 その後、魔法生物達にかけている呪いの説明を受けながら、私はジュノがいかに呪いに対して根気強く熱心に取り組んでいるかを感じてしまった。


 彼女は要領が良く昔からなんでも器用にこなしてしまう。

 勿論それは努力あってのものだが、彼女はその努力を苦に思わない性質のようだった。だから苦手なものがあったとしてもすぐに克服していく。


 それでも今回の事に関してはいずれ諦めてくれるだろうと期待していた。

 どんなに要領が良くとも、今の彼女には要領良くこなす為に必要な魔力が無いのだから。

 しかし諦めるつもりは毛頭無いらしく、彼女は魔力が無いなりに出来る事を模索している。

 その姿勢を尊いものだと喜べたらどんなに良かったことか。


 たがそのように思うことなど到底出来ない。

 彼女が持つ力は彼女自身を、そして全てを滅ぼしかねない力なのだから。




 ジュノから魔剣を受け取った後、真っ先に向かったのはハーヴィー先生の研究室だった。


「……何故ジュノ嬢に手を貸すような真似をする。あの力がどれほど危険なものかは貴方だって知っているだろう」

「新たな魔人になるかもしれない、でしょ?」


 私が詰め寄っても先生はなんでもないような顔で返した。



――呪いの属性を持つ者が自らの呪いに呑まれた時、世界に呪いを振りまく魔人となる。


 この事実を知っている者はこの国の中でも極僅かしかいない。

 課された使命が無ければ私も決して知る事は無かった話だ。


 魔人の正体が人間でしかもこの国の貴族だったと知られれば、この国の民衆、果ては周辺国はどのような行動を起こすか。

 貴族を危険な存在だと糾弾し、反乱や侵攻が起こるだろう。そうなる事を危惧した当時の王達はこの真実を秘匿した。


 そしてもう二度と魔人を生み出さない為にも呪いの属性持ちは全て処刑しようとする動きがあったそうだが、実現には至らなかった。

 精霊から授かった尊き力を一部でも否定する事は国の教義に反する。もし教義を破った事で精霊の怒りを買えば魔力そのものがこの国から消える恐れもあると、そう易々と暴挙には出られなかったという。

 だから呪いの属性に覚醒した者が現れたら、その者が自主的に魔法を使わなくなるように誘導するという曖昧な方法でやりすごす事となった。


 その曖昧な方法がこれまでは上手くいっていた。


 何らかの病が流行ったり犯人不明の事件が起こる度に呪いの仕業ではないかという真偽不明の噂を広め、一方で呪いの属性の覚醒者には魔法以外にも貴族としての責を果たす道があるのだと示し支援する。

 そうする事で呪いの覚醒者達は冤罪から逃れる為に魔法の道を諦め、他の方法で功績をあげる事によって貴族としての地位を守ったのだという。

 そして彼らは魔力を持つ子を作った後は自ら魔力の封印を願い出る事で、最終的に呪いとも魔法とも無縁な存在となっていた。


 私は噂に疎く、聖女への嫌がらせ騒動にジュノが疑われていたという事をつい最近にようやく知ったのだが、どうやらその噂の流布には魔人の真実を知る学園の上層部も関わっていたらしい。

 何の非も無いのに陥れられたジュノの事を思うと、権力を持つ者達の仕業だろうと到底許せる行為ではない。

 しかしジュノは自らの行動によってその噂を払拭した。そして試験が行われないという仕打ちを受けてなお魔法の道を諦めず呪いの力を行使している。


 彼女がとった行動自体は立派なものだ。

 だが、このままではジュノは――第二の魔人となりかねない。



「でもさ、魔力が見えてるんならアンタだって知ってるよね。ジュノは魔力が著しく低いってこと」

「……何故その事を」

「ジュノを診た医師から聞かされたんだよ。それで上でも意見が割れてるんだよね。いくら呪いの属性でもそれだけ弱い魔力なら好きにさせていいんじゃないか、ってさ」

「何を呑気なっ……!」

「アンタは応援してやりたくないの? 弱い魔力でも疎まれた属性でもめげずに頑張ってるアイツのこと」


 なんだそれは。まるで私がジュノの事を疎む側のような物言いではないか。

 応援など軽々しく出来るものか。

 身も心も人ならざる異形と化し、この世の全てを憎み、全てから憎まれる存在になるかもしれないというのに。


 私は決して努力するジュノの敵になりたい訳ではない。

 ただ……彼女を滅びへ向かわせたくないだけだ。


「ボクはさ、そこまで弱っちいヤツが恐ろしい魔人になるなんて可能性に怯えるよりも、どんなに弱っちくてもその力の可能性を模索するヤツの応援をしてやりたいだけだよ」

「彼女に模索する必要など無い! ジュノ嬢には才能がいくらでもあるんだ。それなのにわざわざ恵まれていない魔力の模索をする必要など、何処にあると言う……!」

「ならアンタが止めればいいんじゃない? 婚約者なんでしょ」


 簡単に言ってくれる。

 止めたい。何度もそう思った。だが彼女を前にすると言えなかった。

 彼女の努力をよりにもよって私が踏みにじるなんて出来やしなかったんだ。




 もしもジュノが一時の恋の熱に浮かされていただけなら、彼女を傷つける言葉も遠慮無く言えたかもしれない。

 実際、以前の私はそのようにジュノの事を捉えていた。所詮すぐに冷める軽い想いだろうと。

 そう思う事で彼女からの好意に何も感じないようにした。何も返してやれないことに罪悪感など感じないようにしていた。

 そのように思い込んでから何年も経過したが……学園に入って彼女を取り巻く環境が変化すればその心境も変わるかもしれない。それならそれで構わないと思っていた。


 しかし。


――私が死んだら喜んでくれるくらいに憎んで、恨んでほしい……。


 あのような光景を――他の世界の私が犯した愚行を見た上で私に向けたあの言葉は、一時の熱なんて言葉で済ませられるような生温いものでは無い。

 彼女の感情を軽視など、もう出来なかった。




 今の私に出来る事は少しでも彼女の信頼を得る事だ。

 そうでなければ私の言葉が届く事も無いだろうから。


「クオレスはどうして私を誘うようになったの?」


「君の婚約者だからだ」


 不安気な様子で尋ねてくるジュノを安心させる為、私は自分に使える数少ない言葉で返した。


 好きだの、愛しているだの、そのような言葉を使えばきっとまたあの幻が私達の前に現れるだろう。

 愛情表現どころか彼女を気に掛ける言葉一つ、常に注意して発言しなければならなかった。


 あらゆる言葉が制限される中、私は異なる世界の私があの聖女には決して使わなかっただろう言葉を探した。

 そうして見つかった単語が「婚約」だった。

 婚約者であることを強調しながら彼女に言葉を投げかければ、忌まわしい幻覚が出てくる事も無い。

 義務的な言葉だが、もはやそれに縋るしか無かった。


 私は君の婚約者である事を決して放棄しない。

 だからどうか安心してほしい。私の事も、君自身の未来の事も。

 君が頑張らなくとも、私が君を守るから。

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