39話.憑依
ずっと夢の中でたゆたっていた気がする。
最初に見たのは、とても温かい夢。
私が知らない過去の夢。
夢の中で、私はあの方のことをお兄様と呼び慕っていた。
いつも私に太陽のような笑みを向けてくださるお兄様。
夢の中の私は生まれつき体が弱く、それなのに……いえ、だからこそ外の世界に憧れていた。
丈夫な体になって、姫なんて地位も捨てて旅に出られたらどんなに素敵だろう、なんて幼い夢まで見るくらいに。
夢の中で夢を見るなんて、不思議ね。
そんな夢の中の私にとって、快活で好奇心旺盛なお兄様は一国の王子というよりも冒険者のように見えていた。
周囲はもう少し落ち着いてほしいなんて言うけれど、私はそんなお兄様が大好きだった。
そんなお兄様だからこそ、私はお願いしたの。
「わたくしの代わりに、外の世界を見てきてくださいませんか?」
外へ出られない私に、お兄様自身の言葉によって外の世界を教えてほしいと、そう願った。
きっとお兄様の口から語られる土産話なら、とてもキラキラとしたものに聞こえるだろうから。
……本当は、お兄様といる時間が少なくなるのはとても寂しいけれど。
でも私は、私と同じように外の世界に憧れを持つお兄様をこんな鳥かごに閉じ込めてしまいたくなかったの。
それまで私に遠慮をして我慢している節のあったお兄様は最初こそ渋っていたものの、私が本心からお願いをしているのだとわかったら太陽のような笑顔で引き受けてくださった。
お兄様は私のために、そしてご自身の探求心の赴くままにいろいろと無茶をした。
勝手に城を抜け出すのは当たり前で、時には平民の子らと一緒に危険区域に入ることもあったとか。
お兄様はキラキラした冒険話と共に、外の世界で採れた花や石や羽根、平民達の間で親しまれているお菓子や本などたくさんのものを私にくださった。
お兄様がお話をしてくださるだけで私は幸せだったのだけど、相槌を入れている時につい零してしまった。
「わたくしも皆と一緒に遊んでみたいですわ」
たくさんの平民の友達を作っているお兄様が、やっぱり羨ましくて。
この小さな部屋にずっといるのは、やっぱり寂しくて。
だけど口にした瞬間に後悔してしまった。
こんなことを言ってもお兄様を困らせてしまうだけなのに、と。
そう思って顔を見上げたけれど、お兄様は困った顔一つせず「よし、まかせとけ!」なんて胸を張って言ってくださって、私はなによりもその笑顔に元気づけられたの。
まずお兄様は平民の子をこの城に招き入れようと動いてくださった。
だけどまだ子供のお兄様では周囲から反対されるばかりで、結局実現は叶わなかった。
では平民の子を無理矢理忍び込ませるのはどうか、とも考えてくださったようだけどその計画は他でもないお兄様自身が取りやめた。
というのも以前、平民の子を連れて危ないことをした時にその責任が平民の子らに問われそうになったことがあったのだとか。
お兄様はその時のことを反省し、平民の子らの立場が危うくなりかねないことはするべきでないと判断したのだった。
残念だけど……そのような経験を糧に成長していくお兄様を誇らしくも思う。
そして最後にお兄様が考えてくださったのが、貴族の子らを集めてパーティーをおこなうというもの。
覚醒前の時期の子らが交流する機会は限られていたけれど、それでも平民の子を城に招くという話よりは話が通りやすかったみたい。
だけどそれだけでは、気兼ねなく皆で遊ぶ状況は作り出せない……そう考えたお兄様は貴族の子らの童心を躍らせるような仕掛けをたくさん作り出し、高貴な身分を一時的に忘れさせる空間を演出することにした。
「城の中でなら一日くらい、メルレシアを連れ出したっていいだろ? 大丈夫だよ。過度な運動なんてさせない。貴族令嬢達と大人しくゲームをするだけさ」
お兄様は城の者達にそう言って私を会場に連れて行ってくださった。
こうして開かれたのが『小さなお茶会』……小さな姫君の為のお茶会。
私の為に作られた空間はとても素敵なもので溢れていて、皆が楽しそうにして、私も楽しくて、本当に最高のひと時となったの。
――私にとってもここで過ごした時間は最高のひと時だった。
――だってここは、私が彼と……クオレスと、初めて出会った場所だから。
見覚えのある景色に私の、ジュノ自身の記憶が強く呼び覚まされる。
王女の視界に私達の姿は無かったけど、私はあの時に見た幼いクオレスの姿をその場に思い描く。
その想いによって、私の意識はようやく夢の中の姫君の人格から解き放たれた――……。
知らなかった過去の夢から意識が醒める。
けれども私は現実には戻れず、夢にたゆたう感覚から抜け出せなかった。
『良かった! 目が覚めましたよ、ビビ君!!』
「ご令嬢様! ご無事ですか!?」
『ジュノさん急に倒れちゃうんですもん! なかなか目を覚まさないし……こんな場所ですし、すっごく心配したんですよ!』
目の前には亡霊と衛兵がいる。
それなのに、まるで二人が遠くにいるような……遠い景色のような感覚に陥っていた。
この感覚には覚えがある。
以前、亡霊に体を奪われた時の感覚と同じものだ。
だけどあの時以上に……。
「ごめんなさい。心配かけちゃったわね」
私でない者が、私の体を使って返事をする。
その正体は今更言われなくてもわかる。王太子殿下の妹君、五年前に病でこの世を去ったメルレシア第一王女殿下でしょう。
――そうですわ。ごあいさつが遅れてしまってごめんなさい。わたくしはメルレシア。お兄様のことを知る方を、ずっとお待ちしておりましたの。
頭の中で私以外の声が聞こえる。この感覚も亡霊の時と同じだった。
――貴女の記憶を覗かせていただきましたわ。お兄様は学園にいらっしゃるのですね。そしていろんな女達を妹代わりにしている、と。
――お兄様の妹は、わたくし一人だけですのに。
「ご令嬢様。念の為こちらの聖水をお飲みください。もしかしたらご令嬢様が倒れたのは霊のしわざかもしれませんから」
「……ありがとう。いただくわ」
衛兵が首にかけている小瓶を開けて差し出してくる。
私の体を操る王女は一瞬躊躇するも、小瓶の中の液体を全て飲み干した。
――やはり、ただの水のようですわね。安心いたしましたわ。
……ここに来て大外れだなんて、肝心なところで役に立たないわね。
となればやっぱり自分の力で体を取り戻すしかない。
だけど今回は亡霊に体を乗っ取られた時以上に自由がきかず、抵抗することさえままならなかった。
自力で体を動かそうともがいてもまるで雲を掴むような感覚で、自分が何処にもいないかのよう。
王女殿下が何よ。今はもういないはずの存在じゃない。
誰だろうと私の体を奪おうとするだなんて絶対に許さない。
この体で何をするつもりか知らないけど、必ず取り返してやる。
そう固く決意した意思とは裏腹に、私の意識はどんどん泥沼のような感覚に呑まれ、まどろんでいってしまう……。
「さあ。学園に戻りましょう。もうここに用は無いわ」
私は、私のように振舞う王女を、自力では動かせない夢を見るような感覚で見ているしかなかった……。
私達が学園に戻り衛兵と別れた後、王女は真っ先に殿下を探しまわった。
そしてその姿を見つけたと同時に王女は私の瞳に涙を溢れさせ、あろうことか殿下の体に抱きついたのだった。
私の体でなんてことするのよ……!
怒りで自分の体の主導権を奪い返そうともがくも、やっぱりなんの手応えも得られない。
「お会いしたかった、ですわ……」
『ジュノさん!?』
「ジュ、ジュノ……?」
困惑する殿下に対し王女はすぐさま自分の正体を明かし、信じてもらえるようにと二人しか知らないはずの思い出話を次々と語って聞かせる。
殿下は驚きうろたえはしても、過剰に疑うような真似はしなかった。
「本当に……メルレシアなのか……?」
「先ほどからそう申し上げているではありませんか。お兄様ならわたくしが本物かどうかくらい、わかってくださいますわよね?」
『なんでアニマの妹がっ……! ジュノさんは!? ジュノさんは一体どうなったんですか!!』
怒鳴る亡霊に言葉を返す者は、誰もいない。
一方的な感動の再会をすませた王女は、かつてのように仲睦まじい兄妹として接するように殿下に要求し、殿下はそれを深刻そうな顔で受け入れた。
そしてかつては出来なかったこと、兄妹二人で外に出かけては冒険紛いのことを繰り返しおこなう。
その間、亡霊は私の中にいる私に呼びかけ続けていた。
『ジュノさん、ジュノさん聞こえていますか……? いたらそんな前世でもなんでもないやつ追い出しちゃってくださいよ。あたしの時はすぐに追い出していたじゃないですか……!』
誰も返事をしない孤独の中、亡霊の声がだんだんとか細くなっていく。
……私だって同じ孤独にいるはずなのに、私を呼ぶ亡霊がいるだけでほんの少し救われたような気がしていた。
でも亡霊からしたら、私の精神がここにあるのかどうかさえもわからないのよね……。
……ごめんね。
今が長期休暇中で良かったかもしれない。
学園内には人が少なく、殿下がなるべく人目につかないように動いていることもあって、私達が二人でいることは誰にも知られていないようだったから。
しかし愛する妹と再会出来たにしては、殿下の表情は決して明るくなかった。
きっと姿形が私のものだからでしょうね。
楽し気にしている王女とは対照的に、殿下は日に日に曇り、疲弊していく。
「ねえ、お兄様。今日はどちらにお出かけなさいますか? ……お兄様? そんな顔をしてどうかなさいましたか?」
「……なあ、いつになったらその体から出ていくんだ」
「お兄様? なにを言っていらっしゃいますの……?」
「その体はジュノのものだろ。いつまでもここにいちゃいけない。……そろそろ、終わりにしよう」
「どうして……どうしてそんな冷たいことを言うんですの!? お兄様はわたくしとずっと一緒にいたくはありませんの!?」
殿下の体に縋りつく王女を、殿下は両の手で肩を抑えて引き離した。
そして暗い表情で言い放つ。
「お前はメルレシアじゃない……。メルレシアは他人の体を奪う真似を平気でするような、自分勝手なヤツなんかじゃなかった! お前が誰だか知らないが早く、早くその体を解放してくれ……!」
殿下の言葉に立ち尽くす王女。
その表情はこちらからは見えないけど、私の顔の筋肉が強張っていく感覚が伝わって来る。
「ひどい……ひどいですわ。わたくしを別人のように言うだなんて……別人のように変わってしまったのはお兄様の方ではありませんか! お兄様はわたくしだけのお兄様だったのに、いろんな方の兄のようなふるまいをするだなんて……そんなの、わたくしへの裏切りに他なりませんわ!」
「……っ!? ち、違う! オレはそんなつもりじゃ……オレは、メルレシアを守れなかった分まで、皆を守りたいって思って……っ」
「ならわたくしがこうして帰って来たのですから、これからはわたくしだけを守れば良いじゃないですか! どうしてわたくしを見捨てようとするんですの!? わたくしは死んだ後もお兄様のそばにいたいと、今度はわたくしがお兄様をお守りしたいと思っていたのに……!」
王女の言葉に嘘は無い。
何故私がそう言い切れるのかというと、王女の過去の記憶が今も時折私の意識に流れ込んで来ているからだった。
私は王女がどれだけ殿下の笑顔に救われ、短くとも幸福な生を送れたのかを、それにどれほど感謝しているのかも知っている。
「気がつけばわたくしは見知らぬ場所にいて、お兄様はどこにもいなくて、知らない方達に囲まれて……さびしかった。ずっとさびしかったんですのよ……!」
そして、王女の精神は死んで魂のみになってから歪んでいってしまったことも。
あの廃城に引き寄せられた王女は城へ帰る道も分からず、城から出ることさえ出来なかった。そうして王女は周囲にいる霊達の影響を受け、その精神を病んでしまったの。
「……やっぱり、オレのせい、なのか……? オレがメルレシアを救えなかったから……メルレシアを一人にさせて、苦しめてしまったから……」
だけど殿下に私の言葉は届かない。殿下のせいでは無いのだと伝えるすべは無かった。
ご自身を責める殿下はかつて見たことが無いほど生気の抜けた顔をしている。太陽の笑顔からは程遠い、黒雲に覆われているかのような形相だった。
そして――その体からは比喩でもなんでもなく、あの黒い霧が発生しはじめていた……。
その後のことはおぼろげにしか覚えていない。
殿下は黒い翼と刺々しい光輪を背負った姿となり、黒雲に包まれた空間を形成していた。
きっとあれも魔人の手先の仕業だったのでしょう。
だけど姿を変えた殿下は誰かを傷つけるようなことはせず、黒雲の中に閉じこもるだけだった。
それでも辺りに広がっていく黒雲自体が周囲に影響を及ぼしていたようだけど……。
王女は私や亡霊と同じように、ただ見ていることしか出来ないでいた。
それがどれほど続いたかはわからない。
だけどやがて故郷の村から帰ってきたらしい略奪女が例の魔法によって殿下を救ったことで、黒雲は全て吹き飛んで消えた。
更には殿下の心から追い出されたことによって再び現れた魔人の手先までも、今度は少し成長した略奪女と殿下が力を合わせることで完全に消滅させることに成功した。私が何もしなくても、略奪女はやってくれた。
そして王女の魂も正気に戻った殿下からの謝罪と説得と感謝と抱擁を受けて、兄からの愛情を再び感じたことに満足しながら私の体から離れていった。
……それなのに。
私の意識はまどろみの中に埋もれたまま、一向に覚めることがなかった。




