2話.追憶
あれは九年前の夏の日の事――。
八歳の誕生日を迎えたばかりの私は王宮で開かれる『小さなお茶会』と呼ばれるパーティーにお呼ばれされた。
小さな、といってもパーティー自体は盛大なもので、では何が小さいかと言うと当時の王太子殿下と年の近い子供だけが参加資格を持つからだった。
子供といえど、そこにいるのは皆高貴な血筋を持つ者達。
皆、自覚を持って小さき貴族として振る舞おうとしていたけれど、社交界デビュー前の子供がパーティーに出席する機会はまずないこの国では誰もが不慣れだった。
その上、給仕や護衛以外は子供だけという特殊な空間や、子供向けに施された装飾、色とりどりのお菓子があっては大人のような落ち着きある振る舞いなど装うことさえ難しい。
そこを主催である王太子殿下が自ら「今日は己の身分を忘れて存分に楽しんでほしい」と式辞を述べ、その言葉の通り自ら率先して遊びに興じたことで次々と思い思いに茶会を楽しむ子供が増えていき、茶会は完全に子供の遊び場と化した。
その中に一人、年は周囲にいる子供達と変わらない筈なのにやけに大人びた雰囲気の男の子がいた。
遊びに参加しようとはせず、壁際で周囲をただ眺めているだけ。でもその様子は背伸びして大人ぶろうとしている訳でもなければ、つまらなそうにしている訳でもふてくされている訳でもなく、いたって自然体だった。
その雰囲気と端正な顔立ちに私は一瞬で心を奪われてしまった。
「いっしょにお話、してくださいませんか?」
上目遣いで前屈みになりながら、全力で作った可愛い素振りで話しかける。
「私と話すよりも楽しいことがここにはたくさんあると思うが」
ああ、口を開いてもやっぱり落ち着いていて格好いい。つれない返事すらも私には好感触だった。
「今の私には、どんな遊びよりもあなたとお話するほうが楽しめそうなんです。だめ、ですか?」
「だめではないが……」
「じゃあいいんですね! ふふ、やったあ」
会話は殆ど私が一方的に話して相槌を打ってもらう状態だったけど、私にはとても幸せな時間だった。
お茶会が終わった後、私はすぐさまお父様に相談しに行き、お茶会で出会った男の子――クオレスと親密になりたいと伝えた。
私に無関心なお父様に頼み事をするなんて、滅多に無かったものだから少し緊張してしまった。
その時は再び会う機会を作って貰えたら、くらいに思っていたのだけれど、それもあまり期待はしていなかった。
それがまさか、いきなり婚約話にまでなってしまうだなんて。
次にお父様と会った時に言われた言葉が「お前達の婚約が成立した」だった時は嬉しいというよりもただただ驚くばかりだった。
後から考えてみれば、その婚約はお父様にとって都合がよかったのだろう。そして恐らく、クオレスの家にとっても。
婚約が決まってから、私は度々クオレスを呼びつけた。
「ねえ、クオレスはどんなたべものが好きなの? お茶会ではあまりおかしを口にしていなかったけど、あまいものはきらい?」
「苦手なものも好物も特に無い。食事の用意が必要なら君の好物で構わない」
そう言われてから私はいろんな好きなものを見つけて、それを彼に食べてもらった。
「今日はね、これ! 雲羊のチーズケーキ! 雲みたいにふわふわしておいしいの」
「そうか」
「今日用意したのはね、子竜魚のムニエル。南の島国から輸入されたんですって。実は私、今までお魚って苦手だったのだけど、この魚を食べてから魚料理が好きになったの」
「そうか。……好き嫌いは無い方が、良いと聞く」
「クオレスは好き嫌いしない子の方が、好き?」
「……私はどちらでも構わない」
「見て見て! このメロン、レース模様でとっても綺麗でしょ?」
「……皮の模様は味とは関係無いのではないか?」
「あるわ! ほら、同じお料理でも素敵なお皿で食べた時の方が美味しいでしょ?」
「私にはよくわからない」
彼は美味しいとも美味しくないとも言ってくれなかったけどいつも品良く食事をしていて、それを見るのが好きだった。
「今度はいっしょに遠出をしましょう? クオレスは行ってみたい場所とかない?」
「君が行きたい場所でいい」
そう言われて、たくさんの行ってみたい場所に彼を連れまわした。
「旅芸人の劇、すっごく面白かった!」
「皆笑っていたな」
「クオレスは笑ってなかったけどね。……つまんなかった?」
「……君が楽しめたのなら、それでいい」
「この植物園、千種類の魔法植物があるんですって!」
「今日は学びに来たのか」
「そういうつもりじゃなかったけど……クオレスはお勉強したい?」
「君の好きなように楽しむといい」
景色や物に見入っているふりをして、彼の横顔を時々覗き見るのが好きだった。
時には彼が好きになるものを探す為に、いろんな芸事を始めてみた。
彼の前で異国の舞や古代語の歌、流行りの曲の演奏なんかを披露した。彼に見せるからには粗末なものではいけないと多くの練習時間を費やした。
彼は私から目を逸らさず見つめ続けてくれて、気恥ずかしかったけどそれだけで努力した甲斐があった。
私の好きなものをたくさん、たくさん探して彼に教えた。
彼にも好きになってもらいたくて。彼の好きなものを一つでも作りたくて。
でも。
彼は何も好きにならなかった。
「私は何かを評価することには全く向いていないのだが……」
「大丈夫、心配しないで。素直にあなたが感じたことを教えてくれればそれでいいの」
「……何も、感じなかった」
彼は何に対しても興味を持てないようだった。
それでも良かった。だって、何に対してもって事は私以外の者にも興味を持たない……他の誰の所にも行かないってことだから。
彼の心は誰の物にもならない。私の物にもなってくれないけれど、私とだけは婚約で繋がっている。だから大丈夫だって。
クオレス自身は何も話してくれないけれど、きっと彼がそんな風になってしまっているのも事情があるのだと思う。
彼は彼なりに私を気遣って、私が興味を持ったものについていろいろと質問して聞き出してくれて、いつも最後まで話を聞いてくれる。
自分のことをまるで心を持たない人形のように言うけれど、優しい人なんだって私はわかってる。
最近は忙しくて手紙を出しても会いに来てくれなくなったけれど、心変わりの心配なんてしていなかった。
そのクオレスが誰かを好きになるだなんて。
そんなの、話が違うじゃない……。