1話.協力関係
今日は最悪な一日だった。
折角三年ぶりに愛しの婚約者様であるクオレスに会えたというのに、目が合った瞬間謎の女の声が頭の中で響いたかと思えばそのまま気を失ってしまったし。いやに長くて不愉快な悪夢から目を覚ましてみれば、今度は私の体が別の誰かに操られていたし。
だけど最も辛かったのは、私が寝かされている間にクオレスが帰ってしまっていたことだった。……半日も眠っていたのなら帰られてしまうのも当然だけど。
今日は私の、誕生日の中でも一番大切な十七歳の誕生日だったのに……。
近頃いくら呼んでも屋敷に来てくれなくなったクオレスを呼び寄せることができた程の大事な節目に、挨拶の一言すら交わせなかっただなんて、それこそ寝込んでしまいたくなる。
――体調には気をつけてくれ。
そんな短い伝言だけじゃ私は満たされないのに……。
それもこれも全部あの女のせいよ。
いつも通り屋敷の誰からも祝われる事の無いまま自室に戻った私は、後ろからずっとついてきていた全ての元凶を睨む。
「なんで私に付きまとうのよ!」
『だから言っているじゃないですか! あたしはあなたの一部なんだから離れることなんて出来ないんですって!』
この自称【前世の記憶】とかいうみすぼらしい亡霊は私以外の者には見えないらしい。
私の周りを常にせわしなく動き回っていたのに誰も屋敷から追い出そうとしなければ何者なのか尋ねることも無く、視線で追うことすらしなかった。
最初は『あたしは前世なのであなたの体の中にいるべきなんですよ!』とか言って再び私の体に入ろうと何度も突進してきたけれど、その度に私の体から弾かれていた。
理由はわからないけど私の体を乗っ取れないなら、もう直接の害は無いのかもしれないけど……凄く鬱陶しいわ。
「一部だか何部だか知らないけど、離れられないって言うのならせめて消滅してくれない? あなたみたいなのがずっと付きまとってくるなんて勘弁してもらいたいのだけれど」
『なにが「せめて」ですか! 言っておきますけどね、あたしが協力してあげないとあなたにはこれから先、破滅の未来しか待っていないんですよ』
「ふん、陳腐な脅し文句ね。いかにも悪霊が言いそうな台詞だわ」
『……このままだとクオレスが他の女の子を好きになっちゃうかもしれないですよ』
破滅なんて単語よりもずっと深く刺さる言葉に私は息が詰まった。
クオレスが誰かを好きになるなんて、ある筈無い。
そう思いたいのに、気を失っている間に見せられたあの悪夢を思い出してしまう。
夢の中の私はこの辺りとはまるで違う風景の場所にいた。
無機質な形をした高い塔が立ち並び、馬車や飛竜では無く鉄か鋼か何かで出来た大きな塊が人を乗せて運ぶ、この国とは全く異なる文明を持つ町。そこには水晶玉を薄く長方形に伸ばしたような大小様々な魔道具がたくさんあって、誰もがそれを使ってあらゆる映像や文献を眺めているらしかった。
そんな水晶玉より明らかに優れた魔道具に、この国を舞台にしたものとおぼしき絵物語が映し出されていた。
この国では見た事も無いような画風で描かれているのに、その絵物語を見ている間は本物の人物と風景がそこに在ると思わせられるような妙な現実感が私を支配していた。
絵物語の中には私やクオレスの姿があって、クオレスは私ではない他の女に、私には見せたことの無い優しい笑みを向けていて。
……。
これ以上は思い出したくない。
あんなものはただの作り物だし、ただの夢。
目が覚めても何故かそうは思えないのは、夢以上に現実味の無い存在が目の前にいるせいだろうか。
窓からの月明かりが透けて見える体はそれが人ならざる存在だということを雄弁に物語っていた。
「あなたは、あの絵物語の出来事が現実に起こると……そう言いたいの?」
『お、もしかしてあたしの記憶が断片的にでも残っているんです? だったらわかりますよね。あなたが悪役令嬢ジュノである限り、あなたの恋は決して実らないって』
そんなことを言われてもわからない。
悪役令嬢って、なんなのよ。
そう言い返してやりたかったのに、軽々しく言われた『決して実らない』なんていう重すぎる言葉に意識を奪われ、ただ身をすくませることしか出来なかった。
『あたしがいれば未来を変えられるかもしれませんよ』
希望を与えるような言葉を囁きながら不敵に微笑むその姿は、人々を誑かす恐ろしき存在のように映った。
結局私は心に芽生えた不安に駆られるまま、亡霊の話に耳を傾けてしまった。亡霊が語る話は夜通し続き、全て聞き終わる頃には窓から薄明かりの光が差し込んでいた。
オトメゲーだの攻略対象だのルートだのよくわからない単語がいっぱい出てきたけど、それら全てを私なりに噛み砕いて理解した。
「つまり、あなたがかつて住んでいた世界には異世界の歴史を視ることができる神々が存在して、数多の異世界の歴史が記録されていた。突飛に感じる話ではあるけど、夢の中で見たあの景色……この世界とは全く異なる、けれど高度な文明と一目で分かるあの異世界を思い出せば納得できなくもないわ。そして記録されていた歴史の中には、この世界のこと……それも分岐された未来の歴史までもが含まれていた。それらの記録は神々の戯れによって娯楽のオトメゲーとして利用された。あなたはその娯楽の消費者の一人だったという訳ね」
『う……うーん。あたしの認識とはだいぶズレてると思うけど……まあそれでいいや』
「で、あなたは神々の世界で亡くなった後、この世界に迷い込んできて私の体を乗っ取ろうとした、と」
『そこが全然ちがーう! あたしは死んだ後あなたとして転生したんです! それで十七年間生きてきた今日になって前世であるあたしの記憶が蘇ったんです! つまりあたしはあなた自身なんですってば!』
「いい加減にして! あなたみたいなみすぼらしいのが私なわけないでしょ!」
『ううっ……こんな感じで今世の記憶に拒絶されちゃったから前世のあたしが外に押し出されちゃったんだよなあ……』
私とは絶対に無関係である亡霊が前世を自称するのはいただけないけど、私はこの話を信じる事にした。
皮肉な事だけど一時だけ亡霊と肉体を共有してしまったからこそ、わかる。亡霊は私を騙そうとはしていないのだと。
だって私の中にいた時、亡霊は私に成り代わって未来を変えようとする計画を本気で立てていたもの。あの時は何を言っているんだか半分以上わからなかったけれど。
その時の思いに嘘偽りが無かったことは理屈ではなく感覚で理解してしまっている。
夢で見たあの光景は、少なくとも亡霊にとっては真実の記憶だ。
……許せない。あんな未来が起こる可能性があること自体、到底許せるものじゃない。
可能性なんて全部摘み取ってやる。
「あなた、私に協力してくれるのよね。その対価は何?」
『うぇっ? 対価?』
「あなたが私を乗っ取ろうとした時なら私の人生があなたの人生になるのだから、未来を変えようと動くのはわかるわ。でも今の霊体でしかないあなたが私に手を貸して未来を変えたところで、得られるものなんて何も無いでしょう? 無償の協力なんて信用出来ないわ」
『うーん、考えてもいなかったなあ。こんな体じゃ何も受け取れそうにないし。それに』
亡霊は一瞬言い淀んだけど、無理に作ったのがよくわかる下手な笑みを浮かべて言葉を続けた。
『あたしはあなたの一部だから、あなたが死んだら多分あたしも消えちゃうんじゃないかなーって』
「……そう。運命共同体というわけね」
それが真実かどうか知る術は無いけれど、ひとまず納得してやってもいいかしら。
私の一部では決して無いけどね。
『これであたしのことは信用してくれましたか? じゃあそろそろタメ語で話していいよね? ジュノちゃんって呼んでいい?』
「いいわけないでしょう! あなたのようなド貧民が無礼な口をきかないで!」
『神々の世界から来たことになってるのにその扱い!?』
「その神々が住まう世界の中の下級貧民でしょうあなたは。夢であなたがいた世界の様子を垣間見たけど、他の者達はあなたのようなみすぼらしい恰好をしていなかったわよ」
『これは部屋着! 部屋着なんだからこんなもんなんですー!』
部屋着でもありえないでしょうそれは。生身の人間だったら私の協力者にふさわしい恰好にしてやるところだったのに。