17話.薬の副作用
翌日の早朝。待ち合わせ場所のガーゴイル像の前には既に略奪女の姿があった。
「おはよう! ジュノさ……ん……だよね?」
仮面とフード付きのマントで顔も体も隠しているからわからなかったようね。
「ごきげんよう、ユアナさん。あなたの物は全てこの袋の中に入れてあるわ」
「ありがとう! ……みんな中で動き回ってるみたいだね」
動き回っているというよりは、大暴れしているわね。鳴き声もうるさいし。
猛獣と化した物達が封じ込められている袋を略奪女に手渡せたことで少し体が楽になった。
「昨日私が指示した通りに躾けてね」
「うん、みんなに手伝ってもらえるように頑張るね! ……ところでジュノさん、具合は大丈夫? なんだか声もかすれているみたいだけど……」
『ぜんっぜん大丈夫じゃないよ!! ユアナちゃん、助けてあげてぇ!!』
「少し疲れただけよ。気にすること無いわ」
「良かったらわたしが回復しようか? わたしの回復魔法ね、怪我が治るだけじゃなくて疲れもちょっととれるみたいなんだよ」
「気にしないでって言っているでしょう? それより、この本。これだけは呪いがかからなかったから手渡ししておくわね」
私は略奪女に例のグリモアらしき本を返す。
私には白紙にしか見えない謎の本。
全く呪いを受け付けなかったから、守護の魔法でもかかっているのかもしれない。
この女の手に渡る前なら燃やすなりなんなりしたかったところだけど、今となってはそんなことをする気にもならなかった。
やったところで私が不利になるだけでしょうからね。
「そうだったんだ……。あのね、この本だけは一度も取られたことが無いんだ。だから犯人さんもこの本には手が出せなかったのかもしれないなって」
「すごい本なのね。何も書かれていないようだけど」
「ジュノさんにもそう見えるんだね。この本ね、本当にすごいんだよ! いろんなすごい魔法のことが書かれてあってね、でも難しいからまだほんのちょっとしか読めてなくって」
よくペラペラと喋るわね。普通なら信じてもらえないでしょうに。
でもこれで亡霊が言っていた通りの物だと確認出来た。だからって何かする訳じゃないけどね。
『あーもー、本の話なんて聞いている場合ですか! ジュノさん、ユアナちゃんに回復してもらってくださいよ!』
なんでよりにもよってこの女から施しを受けないといけないのよ。
そろそろ限界だし、気づかれてしまう前に立ち去ろう……そう思った矢先、粗暴な大声が騒がしい足音と共に現れた。
「ユアナーーーっ! なんで一人で行ってんだい! 危ないって言っただ……なんだその怪しい奴!? ユアナ、離れなっ!!」
友人女は私目掛けて突進してくる。
その勢いに身の危険を感じた私は逃走しようとしたけど、その暇さえ与えられることの無いまま友人女に捕らえられてしまった。
なんなのよこの身体能力!?
「はな、し……っ」
「トワルテちゃんやめて! その人ジュノさんだよ!」
「ハッ、そりゃますます怪しいねえ! なんでこんな恰好してんだい? おおかた誰にも姿を見られることなく、ユアナを傷つけようとでもしたんだろ!」
力づくで仮面を外そうとする腕から私は全力で抗った。
しかしその抵抗も空しく、今の酷い顔が略奪女達の前に晒されてしまう。
「ジュノさん、その顔……っ!?」
「んなっ、どうしたんだいそれ!?」
二人は目を丸くして私を見つめる。
さぞかし醜いでしょうね、薬の副作用で紫色の、それもとぐろを巻いたような禍々しい形の痣まみれになった私の顔は。
こんな姿、誰にも見られたくなかったのに……。
「離してって言っているでしょう!」
友人女の力が弱まった隙を突いて私はその腕から逃れ、走った。
「ト、トワルテちゃん、捕まえて!」
そんな無慈悲な声と共に再び私は捕まえられ、医務室へ連れて行かれた――。
「どうして、どうして治らないの……!? 昨日はちゃんと治ったのに……!」
医務室のベッドに強制的に寝かされた私は、略奪女から昨日と同じように腕を掴まれていた。
その腕には副作用や打撲による痣と、噛まれたり引っ掻かれた跡が無数についたままだった。
傷は一晩中猛獣達の相手をして出来たもの。顔だけは仮面をつけてなんとか守り抜いたけど、まさか薬の効果で変色してしまうとは思わなかったわ。
『ユアナちゃんの魔法で治らないなんて……』
「……マナ中毒の症状だ。一日に許容量を遥かに超えたマナを取り込むと、取り込まれたマナの一部が暴走して毒に変わってしまう。その上、体が毒化したマナから身を守ろうとして一時的にマナを取り込めない体に変えてしまうんだ。こうなると回復魔法も効かなくなる」
そう説明するのは殿下の声だった。まだ朝早いからか、部屋に医師の姿は無い。
毒化したマナのせいか、今も体が重くて熱い。けれど意識ははっきりとしていた。
「ごめんね、ジュノさん……わたしのために……」
略奪女は泣きだしそうな目で私を腕を撫でる。
「そんなことよりもあなた、いつまでここにいるつもり? ここにいてもあなたは何の役にも立たないってわかったでしょう。私のことを気遣いたいのなら、早くあの猛獣達に言うことを聞かせて犯人を捕らえてよ」
『ジュノさん、言い方きついですよ!』
「……そうだよね。ジュノさんがこんなになるまで頑張ってくれたんだから、わたしが最後までやりとげなきゃ、だよね……! ありがとう、ジュノさん。わたし、行ってくるね!」
両手で握りこぶしを作って張りきった様子の略奪女は慌ただしい音を立てながら部屋を出ていった。猛獣袋を持って外で待機している友人女のもとへ向かっていったのでしょう。
そうして部屋に残ったのは私と亡霊と殿下だけとなった。
……なんでまだ殿下がいるのよ。
そもそもこの男、本当に王太子殿下なのかしら。今のところ亡霊からの情報に間違いは無いけれど、これほど王族らしくない雰囲気だと疑いたくもなる。
王太子殿下といえば九年前の小さなお茶会でお見掛けした筈だけど……もう随分と前のことだし、クオレス以外には興味無かったから顔までは覚えていないのよね。
でも確かに九年前の王太子殿下も王族らしからぬ朗らかさをお持ちだったような……?
「……ん? なに?」
私とが凝視してしまっていたせいか、殿下がいぶかしげな様子でこちらを覗きこむ。
なに、ってそれはこっちの台詞よ。
「追いかけなくてよろしかったのですか?」
「ユアナならトワルテがついているし大丈夫だろ。てかなにその口調」
「……婚約者様以外の殿方と気軽に話すつもりはありませんので」
咄嗟に思いついた言い訳で取り繕う。
実際、クオレス以外と仲良くするつもりがないのは事実だし……。
正体を隠しているとはいえ、殿下に馴れ馴れしい口を利くなんて無理よ。
略奪女達がいる場でならそれほど気にならなかったけど、こうして対面すると緊張してしまう。
とはいえこちらが正体を知っていると知られたらそれこそ面倒なことになるだろうから、不審に思われないような態度で接しないと……。
「とっつきにくいヤツだなあ……ま、いいけどさ」
殿下は何処か気まずそうな様子で視線をさ迷わせた後、改めて私に向き合って口を開き直した。
「その……悪かったな。キミのこと、誤解してたみたいでさ」
『誤解はしてないと思いますよ!』
「……今こそ誤解しているように思うのですけど。私はユアナさんの為なんかではなく、私自身の為に動いているにすぎません」
「保身の為なら他にもやりようはあったろ。見かけだけでもユアナと仲良くするとかさ」
「誰があんな女と!」
つい声を荒げて言ってしまった。
殿下にとってはもう大切な存在なのであろう略奪女を貶してしまったことに気づき、私は恐る恐る殿下の様子を伺う。
しかし殿下は静かな眼差しで私を見ていた。
「なあ、なんでキミはそんなにユアナを嫌っているんだ? ユアナが平民育ちだからってだけじゃないよな」
「……それだけですよ。それ以外に彼女を嫌う要素でもあるのですか?」
なんでもないように微笑んでみせる。誰が馬鹿正直に話すものですか。
幸いにも、平民というだけで略奪女を嫌う学生は数多くいる。私はその内の一人に過ぎないのだという主張を押し通すことにした。
「ユアナのこと、略奪女って言ってたろ」
その一言で私は呼吸を忘れ、ごまかす為の笑みも崩れ去ってしまった。
『昨日、思いっきり口すべらせちゃってましたもんねえ。ジュノさんって結構うかつですから、ゲームでもこんな感じで悪事がバレちゃうんですよね』
うそ……全然記憶に無いんだけど……。
「別に責めているわけじゃない。キミにはキミの事情があるんだろうからさ。なんでユアナのことをそんな風に思っているのか、聞かせてくれないか?」
そんな事言われたって、言える訳無いでしょう。
分岐された歴史の未来でクオレスを取られてしまうから、なんてこと。
未来どころか、もう既にクオレスの心はあの女のところにあるかもしれない……そんなこと、口にしたくもない。
けれど殿下の命令に逆らってこれ以上目を付けられてしまうのもこわい。
かといって下手な嘘をつくのはかえって危険な状況になりかねない。
だから私は殿下を納得させる為にもう一つの真実を語ることにした。
「十年前に王都で流行ったお話を知っていますか? 貴族の男と平民の女が愛し合う、実話に基づいた恋物語を」
「……ああ、あの話か。平民の間で流行っていたよな……あれって実話だったのか?」
「ええ。実はその貴族の男……私の父なんです」