10話.手作り
『いつも思いますけど、ここって一つの町みたいですよねえ……。寮っていうよりは小さなお屋敷が並んでいるって感じですし……』
亡霊があげる感嘆の声を背にしながら、私は地図を片手に学生寮が立ち並ぶ寮街を歩いていた。地図を持っていない方の腕で抱えているものをなるべく揺らさないよう、いつも以上に慎重で慎ましやかな淑女の足運びを心掛けながら。
目的地に近づくにつれ、胸の鼓動は早くなっていく。
「ほ、本当にこんなもの渡して、大丈夫かしら……」
『ここまで来てなに弱気になっちゃってんですか! 散々自分で味見して大丈夫だったんでしょ?』
「そうだけど……あなただって、呪いで調理するって聞いた時は嫌そうな反応したじゃない」
『最初はそうでしたけど、今じゃむしろ食べたいくらいですよ! 食とオタクの国から来たあたしが言うくらいなんですから自信持って!』
亡霊の声に押され、私は覚悟を決めた。
クオレスが住んでいる寮まで辿り着いた私は、寮の使用人に彼がいるか尋ねた。
「丁度先ほど帰還して来たところなんですよ。学生の身でありながら残党討伐にも参加されているなんて立派な方ですね」
「ええ、本当に……」
私は複雑な胸中をひた隠しにしながら相槌を打つ。
クオレスは三年前から魔物の残党を討伐する部隊に所属している。魔物とはかつて出現した魔人が作り出したとされる狂暴な生き物達のことだ。
魔力も覚醒していない内からそんな危険な仕事をするなんてと、当時の私は猛反対した。
だけど彼は私の意見など一切聞かずに行ってしまった。確かに立派だとは思うけれど、あの頃のわだかまりはいまだに心の奥でくすぶったままだ。
学園に来てからも変わらず活動していたのね……。
談話室に通された私はいろんな意味で落ち着かない気持ちのままクオレスを待っていた。
「あの夜以来だな」
姿を現したクオレスは既に身を清めた後なのか、血や汗の匂いは一切しなかった。
戦場を駆ける姿も映えるだろう整った顔立ちに傷一つついていない事に、私は少し安堵する。
「待っていたわ、クオレス。それで、その時に私が言ったことについてなのだけど……」
早く、謝らないと。
私は逸る心を静める為、一つ深呼吸する。
「すまなかった」
それなのに彼が先に謝罪の言葉を口にしてしまった。
「え……」
逆に謝られてしまうという事態を想定していなかった私は、何も返事が出来ずに硬直してしまう。
「何か君に、そう思わせるような事をしてしまったのだろう。だがあの時までの己の行動を思い返していたのだが、思い当たる節が浮かばなかった。君が何を見て、聞いたのか、教えてもらえないだろうか」
「そ、それはその、もういいの! 全部私の誤解だったから!」
本当は誤解とは違うのだけど、そう言う他無かった。
困惑してしまったけれど、正直言うと嬉しい。彼が私に弁解をするなんて、まるで私を求めてくれているみたいで。
「私の方こそ、ごめんなさい。あんなこと言ってしまって……それでその、お詫びの気持ち、なのだけど」
予定が狂ってしまったせいで恰好がつかない謝罪になってしまったけど、私は腕に抱えていたものを彼に手渡す。
彼は包み紙越しからその中の形状を確かめるように手に取った。
「瓶、か。薬の類か?」
「食べ物なの。日持ちはしないから早めに食べて……欲しいな」
「ふむ。……今でも構わないか?」
「ど、どうぞ」
彼の長く骨ばった手によって包み紙が開かれていく。
な、なんだか恥ずかしい……。まるで自分の衣服を脱がされていくみたいで……なんて、何考えてるのよ私は……。
そうして透明な瓶の中に入ったゼリーが顔を出した。
瓶は氷魔法で作られたもので、外側は冷たくないのに内側は冷たい構造になっている。中がよく見えるようにと一番透明度の高いものを選んで購入した。
瓶同様透明なゼリーの中には、数々の小さな果物が星のように浮かんでいる。勿論、ただ小さく切ったわけじゃない。
イレイズ・カースによって縮小された果物達だ。大粒のベリーも、輪切りにされた南方の果実も、簡単な飾り切りをされたリンゴも全て小さくなっている。
そしてゼリーもとろみをつけた砂糖水をメドューサ・カースによってゼリー状に硬くしたものだ。
解呪条件は人体の温度に一定時間触れること。
ゼリーは少しとろみのある水に戻るだけだし、果実も解呪される頃には充分に咀嚼され体内で溶かされているので大きくなっても満腹感が増すだけで害は無い。
「珍しい果物だな」
クオレスはそれらを新種のものか何かと思ってしまったみたい。
「そうじゃなくて、私の魔法で小さくなっているだけなの」
「魔法? まさか、ジュノ嬢がこれを作ったのか?」
「え、ええ。果物を切る以外は全て呪いで作ったのよ」
「の、ろい?」
クオレスが一瞬だけ、露骨にうろたえた。
可愛い。
拒絶される不安よりも先に、そんな場違いな感想が出てしまう。
だって彼が表情を崩したところなんて、まずお目にかかれないもの。
だけどその顔もすぐに元に戻ってしまう。
「そういうことか」
クオレスは何かに納得した様子だった。
「い、嫌なら食べなくてもいいから、ね?」
「いいや、食べよう。それで君の気が済むのなら」
そう言ってクオレスは包み紙の中に入っていたスプーンを手にして、私が作ったゼリーを口に運んでいった。
彼の薄い唇の向こう側に私のゼリーが滑り込んでいく様を、そして堅く閉じた口の奥で転がされ咀嚼され喉を通ってゆく様を、私は瞬きすら忘れて見入っていた。
恥ずかしさで体が火照る。緊張と不安で胸の鼓動がうるさくて仕方がない。
「ど、どう?」
私が口を開けられるようになったのは、彼が三口目を呑み込んでからだった。
「特に、何も」
冷淡な声で発せられる、いつもと変わらない返事。
それを聞いて私の体の熱が急速に冷えていくのがわかった。
「そう」
無理矢理にでも笑みを作る。
何を期待していたんだろう。
私が食べて美味しいと感じたものを、彼が美味しいと言ったことなんて一度も無いのに。
どんなに頑張ったって、今までも何一つ変えられなかったのに。
「どのような呪いが込められていたんだ?」
彼は顔を上げて私に尋ねた。何も感じなかったのならわざわざ話を聞き出そうとしなくてもいいのに。
「本当は石化する呪いと、存在を消す呪いなんだけど……威力をうんと弱くして、ゼリーっぽくなる呪いと小さくなる呪いに変えたの」
それ以上の威力の呪いを使えないなんてことは、彼にはまだ言えなかった。
せめて絞りカスみたいな魔力でも私は役に立てるのだと示せるようになってからでないと、言えない。
「何度も味見して一日様子を見たけど何も起こらなかったから、大丈夫だとは思うんだけど……もしも何か異変があったらすぐお医者様に診てもらってね」
「……君自身も食べたのか?」
「え? ええ。当たり前じゃない。あなたに得体の知れないものを食べさせる訳にはいかないもの」
「もしや……食した者に何か効果を与える訳では、無いのか」
うん? もしかして、食べたら呪われるゼリーだと思って食べたってこと?
「今言った通り、私は呪いで果物を小さくして砂糖水をゼリーに変えただけよ!」
「なんだ。そういうことか……」
思わず声を荒げてしまったのに、彼の表情が和らいだような気がした。
「呪う為だけのものにしては随分と質の良いものを出されたから、おかしいとは思ったが。報復が目的ではなかったのだな」
「い、今、質が良いって言った!? 質が良いって、味が? 食感が? 美味しかったってこと!?」
クオレスの口から出た言葉に衝撃を受けた私は食い気味に迫る。
「……そういう事に、なるのかな」
表情こそ変えないものの、困ったように目を逸らして言った。
どうしよう。嬉しくて、胸が苦しい。押しつぶされそうな程の幸福感に何も言えなくなってしまう。そんな私を横目に、彼は再びゼリーを口に運んでいく。
ああ、そうだ。まだ言わないといけないことがあったんだった。
「あのね、一つ気をつけてほしい事があって……」
「……なんだ?」
こんなこと言うなんて、恥ずかしくて顔が熱くなる。すごく言いにくい。でも、言わないと。
「ふ、太りやすいのっ! 果物の栄養も全部凝縮されてるから、見た目よりずっと凶悪でっ! だから、この後の食事には気を付けてほしく、て……」
そこまで言って彼が私を凝視している事に気付く。
そう。食感や甘さや大きさの調整を重ねて味見を繰り返したせいで今の私は少し、いつもより無駄な脂肪がついてしまっているのだった。
「み、見ないで!! すぐ取り戻すから! 運動も頑張ってるからあ!」
「特に変わったようには見えないが……」
「もう! それはクオレスが私のことろくに見てないからでしょ!?」
「見て欲しいのか見て欲しくないのかどちらなんだ……」
小さな瓶だったから、クオレスが食べ終わるまでに時間はかからなかった。
ここで私は、事前に練っていたある計画を実行に移す事にした。
「ねえ、クオレス。もう知っているとは思うのだけど……私があんなことをしたせいで、学園内であなたの悪い噂が流れているの。私、それをどうにかしたくて……」
「ああ、あの噂か。私は気にしていないが」
「そ、そういう訳にはいかないでしょうっ? それで私、その話をしている人がいたらその都度訂正しているのだけど、あまり効果が無くって。まだ私達が学園で一緒にいる様子を見られていないからだと思うの。だから、私達の仲が良い様子を学園内で見せつければ噂も払拭出来ると思うのだけど……どう?」
クオレスは少し考えこんだ。
「それで収まるなら安いものか」
「決まりね! じゃあ、今度の風の曜日の昼、第二庭園でお会いしましょう?」
「了解した」
よし!
計画通り約束を取り付ける事ができた。
次の風の曜日。
亡霊が言うには、この日に例の略奪女が学園に現れる。
それを先日聞いた私は残り日数の少なさに焦りを感じた。
きっと最善は略奪女が現れる前にクオレスと良い仲になることだったけど、それは叶いそうもない。
せめて謝罪して関係修復はしてしまわないと。それに彼が浮気者だって噂もなんとかしないと……このままではクオレスに悪いし、略奪女に隙を見せているようなもので非常にまずい。
そこで妙案が浮かんだ。
別に、本当に良い仲になっている必要は無い。
形だけでも私とクオレスが良い仲であることを見せつけ、他の者が付け入る隙など無いのだと略奪女に知らしめることさえ出来ればいい。
学園内の人目につく場所で実行すれば彼の悪評の払拭にも繋がるかもしれない。……そうだ、これを口実にしてクオレスに協力してもらえばいいのよ! ……とね。
先手必勝! 呪いの力を使わないから破滅に繋がることも無い平和的解決法! 我ながら完璧な計画だわ!
クオレスと別れ、寮から出た私は一人余韻に浸っていた。
『嬉しそうですねえジュノさん』
「あら亡霊。いたの?」
『いたの? って、ずっといたでしょうが! まさかあたしのことが目に入っていなかったんですか!?』
「クオレスと一緒にいるのに他のものなんて目に入らないわよ」
『まじか。アウトオブ眼中すぎる……』
空気を読んで消えた訳じゃなかったようね。寂しかったのか知らないけど亡霊はうなだれてしまった。
「それより聞いた!? クオレスが私の作ったもの、質が良いって! 良いって言ってくれたのよ!」
『いやいや。あの感想、頭に「呪う為だけのものにしては」ってのが付いていたじゃないですか』
「それでもいいの!」
彼の口から好意的な感想を聞けた。そんなこと、生まれて初めてだった。
だからそれにどんな前提がついていても、嬉しくて舞い上がってしまう。
『ま、あの感想は置いておくとしても、良かったですよね。呪いのいい感じの使い方、見つかったじゃないですか』
「そうね。ゼリーが作れるくらいじゃまだまだ認めてもらえないとは思うけど、おかげで自信がついたわ」
『いっそこの方向性で頑張ってスイーツ店開いちゃってもいいんじゃないですか?』
お店か。確かに造形や調理、開発が得意な属性の者は店を立ち上げる事も多い。
その選択肢もありかもしれないわね。
「それなら今回作ったのはさしずめ【呪われしゼリー】ってところかしら?」
『絶対売れない』
印象に残りやすそうでいいと思ったのだけど。